法師品第10 ほっしぼん
  世尊 法師功徳を説く
 「法師 ほっし とは仏の教えを世に広める人をいいます出家在家男子女子を問いません。
  
法華経を信じ読み行じ他人に説くその法師が与わる功徳について 説きましょう。
  薬王菩薩
 やくおうぼさつ 
そして八万の菩薩修行者よよく聞くのです。
  この法座には
天上界人間界海のもの空のものなどあらゆる生命が集まっています。
  あなた達は皆
仏の悟りを求める求道者ぐどうしゃ ーなのです。
  求道者たちの誰か一人でも
仏の説く法華経1句でも1偈げ でも聞いて、ああ〜ありがたい!
  ほんの一瞬でも心に思うものがあれば
 世尊はその人に授記じゅき を与えましょう。
  なぜなら
法華経の1偈1句を聞いて心に感動を生じたならば必ず仏の悟りを得ることができるからです。
 今まで私は衆生が成仏の保証を得るには長い修行が必要であると説いてきました。
  しかし
今私は法華経の1句1偈げ にでも1瞬の感謝の心が起これば授記すると言いました。
  これはつまり、成仏の種じょうぶつのたね とは
1瞬でもありがたいと思う心なのです。
 草木の世話を例にして説きましょう、
  まづ最初には
種に水をやりますそして芽が出て茎が伸び花が咲いてやがて実を結ぶのです。
  衆生の皆さん
修行にもこのように段階があるのです。 これは宇宙の真理なのです。
  もう1度、言いましょう。
  法華経の1偈1句を聞いた衆生がほんの1瞬の間でも随喜の心ありがたいと思う心を起こしたなら
  私
世尊は、その衆生に成仏の保証を与えるのです」。                 「世尊初随喜を説く
         感激の嬉しい言葉です この言葉は衆生に大きな励ましを与え 勇気を奮い起します‥‥‥ボサツマン
 
世尊 つづける
 「今私が説いたことは
過去世でも同じでした。 勿論現在においても未来世においても同じなのです。
  私の滅後の末世
まつせ においても法華経の1偈1句を聞いて心から純粋にありがたいと思った衆生に
  私は
そのとき成仏の保証を与えるのです。
  末世の日常において
日々法華経の1偈や1節を受持し読誦し繰り返し唱える多くの衆生は
  さらに
この経巻きょうかん をもほとけ とあがめ尊び供養する心を持ちつづけることでしょう。
  
薬王よそれらの衆生は過去世で十万億の仏を供養し諸仏の御許みもと で修行を積んだ衆生たちです。
  つまり
その衆生等は衆生救済しゅじょうきゅうさい という役目を担ってこの世に生れたのです。
 薬王よ
未来世みらいせ の衆生が法華経の教えに感謝を捧げ五種法師ごしゅほっし の行を実行するならば、
  
必ずやその衆生は
悟りを得て仏に成ることができる衆生なのです。
  つまり
仏の代理として世で法を説く衆生は世間の人々から手本として崇め
あがめ 尊ばれるでしょう。
  
同時に
仏に対すると同様の感謝の意を 捧げられるでしょう」。
 五種法師 ごしゅほっし とは法華経修行者の五つの行。                 「五種法師の功徳
 
  1 受持 じゅじ  仏の教えを 深く心に信じもちつづけること。   2   どく 経典を 黙読したり発声して読むこと。
   
3  じゅ    経典の意味を学習し理解して 言葉にだして発声読経すること。
   
4 解説 げせつ  仏の教えの信解を正しく深めて 人に教えを説くこと。 これは 自分を成長させる要素です。
   
5 書写 しょしゃ  修行者の精神の向上の他 教えを広めるため自分の信解を深める意義をもつ。
               印刷技術が無い時代には 書写が非常に重要でした。 般若心経が在家の写経として有名です。
 世尊 塔を建てる目的を説く                          ○1劫こうは、人間時間の約10万年。
  「薬王よある衆生が仏を一劫という長い間ののし りつづけたとしてもその罪はまだ軽い方なのです。
  しかし
法華経を読誦する修行者の悪口を一口でも言ったのなら その罪は大変重いのです。
  世間の衆生たちが
この法華経を読む人や教えを説く人のいる所または法華経のある所に
  立派な
七宝塔 しっぽうとう を建てて仏を崇あがめ奉たてまつ行為はたいへんに尊い善行ぜんこう といえます。
  だが薬王これから大事なことを言います。よく聞いて理解することです。
  七宝塔を建てる真の目的
真理の教えのためです。 このことをしっかり理解することです。
  けっして世尊の舎利しゃり 
拝むことが目的では無いのです。
  なぜなら
 この法華経の教えのすべてが 如来の全身 にょらいのぜんしん だからです。
  
真理の教えが最も尊いのです。偶像崇拝ぐうぞうすうはい することが尊いのではありません。
 末世まつせ の衆生たちが毎朝の日課において私の世尊の像ご本尊礼拝することは、
  尊い教えを説いた仏へ
感謝の心をささげる行為なのです。
  その感謝の行為は
仏を理想の姿として仰ぎ自分も仏になりたいと願う衆生の心なのです。
 末世の衆生が世尊の姿のご本尊大日如来阿弥陀如来などの迹仏しゃくぶつ・合掌礼拝することは
  その大元である
久遠実成くおんじつじょう の本仏釈迦牟尼如来しゃかむににょらい 合掌礼拝しているのです。
  つまり真理の教え
に合掌礼拝していることなのです」。
   
つづく              法華経を行じる心構え