随喜功徳品 (4)
世尊
「では 前ページからのつづきです。
この立派な大施主だいせしゅ が 六趣ろくしゅ の生き物たち 四生ししょう の生き物たち
有想うそう 無想むそう 非有想 非無想を含め 宇宙の生命あるもの1切に対して、
それらの生命が幸せに生きていくことを願いから、金・銀・などの七つの財宝を豊富に与え 又、
象・馬・車・七宝しっぽう の建物など、何でもすべて、生命が欲するすべての物を 80年間も与えていました。
「この世尊の説法のページ」
その大施主が、ある時 衆生と1切の生命を憐み 法を説き教化しました。
すると、その大施主の教えを聞いた1切の生命は 皆、感動して喜びの心が湧き起こりました。
そして、法を学び喜んで 自分の意思で修行していく気持ちが高まり、仏の道を志す決意が固まりました。
やがて その結果、法の力を得て、あらゆる生命は 皆 一足飛びに(またたくまに)、
須陀洹道しゅだおんどう 斯陀含道しだごんどう 阿那含道あなごんどう 阿羅漢道あらかんどう の境地まで達して、
すべての迷いの有漏うろ を離れ 深い禅定の境地(何があっても 心が乱れない)を 得ることができました。
加えて、どんな境遇であっても、常に自由自在な心境を維持できる境地も得ることができました。
そして 遂に 物質に心がとらわれない境地である八解脱げだつ の境地までにも、達することができました。
このように、すべての生命(衆生)は皆、大施主の導きで阿羅漢果あらかんが の境地を得たのでした。
大施主は、宇宙間のあらゆる生命あるものに 財施(あらゆる物質上の施し)を施したほか
彼らのすべての煩悩を除くという法施(精神的な施し)までも 施したのでした。 「須陀洹道ほか」
このすべての迷いを吹き消した阿羅漢果の境地とは、小乗の教えの極致きょくち ではありますが、
その阿羅漢果を得た衆生・生命が、自己満足で終わっては、与わる功徳はそこで止まってしまうのです。
無上の尊い仏の教えは 1切の生命のものを向上させ、勇気と力を与える教えなのです。
1切の衆生に勇気と力を与える尊い教えだから、衆生の人生に十分に発揮されるのです。
仏の請願せいがん とは、この世(娑婆世界)全体の引き上げであり、社会及び1切の衆生の向上なのです。
仏はこの一心で、無始の過去から無終の未来まで、永遠に法を説きつづけているのです。
つまり、仏の教えの活動の最終目標は、娑婆世界の浄土の実現化なのです。
ですから、仏の”み心”に叶う衆生の活動とは、すべての衆生が仏の法を学び、行ぎょう を実行し
社会と衆生の向上のために、各々皆が、口から口へ法(仏の教え)を 説き広めていくことなのです。
大衆の皆さん、もう1度言います。法華経の教えは、自分の救いだけを求める教えではありません。
法華経の大眼目だいがんもく は、自他共に救われる教えです。それは菩薩行ぼさつぎょう にあるのです。
だから、法華経の1偈でも聞いた人は あ~ありがたい と 感激の心である初随喜が必ず起きるのです。
その湧きおきた感激の気持ちが、人を救い・世を救う力となるのです。
自他共に平等に救う教え、これが法華経の摩訶不思議な力(妙力)なのです。
このように、法華経は非常に尊い教えだから
大施主が、最大限に、財施に加えて法施も与えて、衆生に阿羅漢果あらかんが を得させた功徳よりも
法華経のたったひとつの1行・1偈を 50人目に聞いた衆生が 感動して湧き起きたー初随喜の喜びー
その初随喜の功徳の方が はるかに大きいのです。 これは、真実なのです。
50人目の初随喜の功徳でさえ、こんなに大きいものだから、
直接仏から教えを、最初の1番目に聞いた衆生の初随喜の功徳は どのくらいの大きさに成るのか?
皆さん おおいなる関心があるでしょう。 あります・あります・超あります ……ボサツマン
その疑問に関して、弥勒菩薩よ、つづけて話しましょう。
法華経の教えを50人目に聞いた衆生の初随喜の喜びの功徳すら、こんなに偉大であることを、今説きました。
ましてや、法会ほうえ にて 直接 私(世尊・仏)から最初に教えを聞いた衆生の初随喜の功徳とは
無量無辺の功徳といえるのです。 これと比べる功徳は、ほかにはありません。
すなわち、初心者から初心者へ50人も展開して伝えられた教えでさえ、おおきな価値があるのだから、
仏から直接、教えを聞いた衆生は、魂が大歓喜だいかんぎ し、その心は、最高の感動に喜び震えるのです。
このように、悟りを開いた諸仏から 教えを直接聞いた衆生の感銘や喜びや感動というものは、
その衆生の人生をも その時の世界までをも、大きく転換させることができる偉大な力と 成り得るのです。
法華経の真実の教えは、このように、社会のあらゆる方面に波及していき、力を発揮するのです。
法華経の摩訶不思議な無限は、この教えを説く人(教えを展開する人)に、無量の功徳を与えるのです。
阿逸多あいった (弥勒菩薩)よ ボサツマンよ よく覚えておくことです」。 ハイ覚えました……ボサツマン
(5)へつづく