常不軽菩薩から学ぶ教訓
 1 正しい道の行動を 真心をこめてどんな事態にも挫けずに根気よくやり通すことで 必ず道は開ける
   常不軽菩薩は
どんな迫害にもひる むことなく 人を拝む行動を まこと の心で根気よくつづけていた。
   やがて 街の人々の心に
自分には決してできないことを 日々行う坊主という認識が増えていった。
   常不軽菩薩の
日々人を拝みつづける行動が 人々の心を動かした。
   普通の人間ができないことを 毎日 実行する常不軽菩薩に対して
社会の人々は尊敬するようになった。
   常不軽菩薩が 法華経の教えを自得
じとく して 生命寿命が延びて 再び法を説き始めたときには
   もう
街の人々は皆 常不軽菩薩に対し 尊敬の念を抱くようになっていたので
   大衆たちは
常不軽菩薩の教えに素直に信伏
しんぷく  随従ずいじゅう するようになった。
                  
人間は言葉だけでなく行動が大事なのですね‥‥ボサツマンオイラもイイこと言うねアハン
 2 不惜身命 ふしゃくしんみょう 
  衆人 あるい  杖木じょうもく 瓦石がしゃく を以て 之を打擲ちょうじゃく すれば 避け走り遠く住して
    
なお 高声こうしょう に唱えて言わく あえて 汝等なんじら を軽ろしめず 汝等皆当に作仏さぶつ すべしと
  意味:
  街の人々が常不軽菩薩に
杖や石で暴力を加えようとすると 常不軽菩薩はその場から逃げました。
 
法の布教が第一の常不軽菩薩は 法を広める使命のため 暴力から逃げのびて生きて
  根気よく法を説きつづけると 固く心に決めていたので 身の安全を第一に考えていました。
  そして 常不軽菩薩は 身の危険を避けた遠くの安全な場所から”
あなたは仏です”と 声高く叫んでいた。
  不惜身命とは 仏法のために命を惜しまず捧げる という意味だが 命無くては布教はできません。
  とにかく生き延びて
説法にを注入していくことを 常不軽菩薩は心に固く誓っていました。
  孔子も
君子危うきに近寄らず と生命の尊重を唱えています。               「孔子の論語

 真理を心に刻む

  肉体への迫害から逃げ回っていたが常不軽菩薩でしたが
法を広げる信念は曲げなかった。
  暴力に対して
柔軟に対応して あっちこっちと逃げ廻りながら 周りの人間の仏性を礼拝しつづけて
  その人間の仏性を発掘する菩薩行を
ねばり強くつづけて 遂に 衆生の仏性を輝かすことができた。
  常不軽菩薩は
強い信念を強くもち 迫害にも辛抱つづけ 真理を実行して人を救ったのでした。
       
 それにしても 常不軽菩薩が世尊だったとは お釈迦さまでも知らないでしょう”…… 世尊がお釈迦さまだったか!
 4 積極的に法を説く
  
常不軽菩薩は 真剣に法を衆生に説いていました。
  
乃至ないし 遠く 四衆を見ても 亦復またまた ことさ らに往きて礼拝讃歎して……
   教えてやるから聞きにきなさいではなく
縁があれば説いてもいいなんて考えは ありませんでした。
   いくら遠くの土地でも自分から出向いていって
その衆生に合った理解しやすく法を説いていました。
   この姿勢が
本当に人を救ってあげたいと願う 真の菩薩心です。
   真剣な態度で布教活動を行う常不軽菩薩の周りには
教えを聞く信者がどんどん集まってきました。
 
 世尊は この品の最後で 重要な言葉を残しています。
 
『仏の滅後の末世まつせ 行者 経を聞きて疑惑を生じるなかれ 応当まさ に一心に広く此の経を説くべし。
  
世世せせ 仏に値い奉りて 仏道を成ぜん』と。                「如来神力品第21」へ