観普賢菩薩行法経 (5)
世尊
「普賢菩薩と共にいることを観じ自覚できる 第一段階の境界きょうがい を修得した衆生が 休むことなく
昼夜に大乗の教えを念じ唱えていくと 普賢菩薩の教えを夢の中で聞くことができましょう。
この夢の中の真理の説法を聞けるということは 非常に大きな功徳が与わった証拠なのです。
夢の中の真理の説法は二つに分類されます 「世尊夢を説く」・安楽品・
@ 目が覚めているときは意識があるので 自分の意思で 大乗の教えを念じ努つと めることができるが
睡眠中は 自分の潜在意識(心)を コントロールできません。
この世の中には 自分の寝言ねごと を聞いたことがある人は 皆無なのです。
衆生の多くは 夢の中の出来事を覚えておこうと思っている自分が 夢の中にいたはずなのだが
朝 目が覚めると 夢の中の肝心かんじん 要かなめ な記億は 全く 思い出せません。
懸命に思い起こしても 記億は甦よみがえ ることなく まもなく 夢見たことさえも 忘れてしまいます。
ところが 仏の教えの信心が深い衆生は 夢の中で仏や菩薩が説く法を 記憶しているのです。
普賢菩薩のーあなたは必ず菩薩の境地に達することができますよーなどの 励ましの言葉を覚えていたり
また ーあなたはここを忘れていますよ ここが不足していますよ ここを感違いしていますよーと ヒントをくれたり
注意を促うなが してくれて 自分の頭で考えても分からなかった部分を 教えてくれたことなど……
つまり 夢の中の仏や菩薩の教えの言葉を 夢が覚めても ハッキリと記憶に残っているのです。
A 説法の夢を見たり 教えを聞いたりするのは 睡眠中だけとは限りません。
真の信心の高い境地へ到達した衆生は ふとした時に 真理の教えにふと気づくのです。
これは 仏や菩薩からの啓示けいじ を 衆生自身が受けたことで 悟得ごとく できたのです。
この段階では 心に閃ひらめ いた啓示はまだ 自分の確信ではなく 夢うつつの状態と同じです。
その啓示を深く考え追求して その啓示は真理であると自分の心に刻んだ時 はじめて確信に変わります。
そういう過程を経て やがて その啓示の教えは 他の人たちへ伝える価値のある教えとなっていくのです。
衆生がこのような日々を送りゆくと 益々 心が研ぎ澄み向上するので 真実を徐々に理解していきます。
そして 次のことを心に請願せいがん することでしょう
『今までの自分は 菩薩の境地に近づくことが目標でありましたが 最近は 普賢菩薩の行のお陰で
十方の諸仏を憶念おくねんできるまでになりました。 今後も さらに進んだ仏の境地を目指していこう』
すると この衆生は やがて
一切に対する 正しい心と正しい思念しねん の心眼しんがん を会得して 東方の仏を見奉ることでしょう。
つまり まだ 絶対の確信までではないけれど 仏の尊さの理解が かなり 深まったのです。
太陽の昇る東方は 物事の初めを示す方角ほうがく ですので その衆生の正しい信仰が 始まったのです。
東方の仏を見奉る衆生は 次に 一仏を見奉り己おわ って 復 一仏を見たて奉つらん の境地へと進み
仏は真理であり真理は一つ つまり 一つの真理を悟ると 次々と 真理の現象を体験することでしょう。
この境地まで到達した衆生は ー懺悔とは罪の告白では無いことーを 理解できています。
懺悔とは ー仏性を洗いだして・仏性を磨きあげることであるー を確信している衆生へと成長したのです。
このようにして 東方の仏を見奉ることができれば 心眼は 益々 清く研ぎ澄まされていき
やがては 十方世界の一切の諸仏を見奉ることができる境地へ 達することができるのです。
しかし 衆生たちよ この段階で 満足してはいけません。
この境地へ達し魂の高い喜びを得た衆生でも 心が油断すると 魂の成長は止まってしまいます。
まだ上の境地を望む衆生は さらに 真剣に懺悔さんげ しなければ なりません」。 (6)へ