世尊
「では、髻中の珠の譬えけちゅうのたまのたとえ を説きましょう。
ある国に、非常に強い武力・勢力をもった国王がおりました。
その国王は、手柄の褒美ほうび に寛大でしたので、すごい勢いで次々と 多くの小国を征服していきました。
戦いで手柄をたてた兵士には、田畑・領地・衣服などや、又、いろいろな宝物を 望む限り与えていました。
手柄を起てた兵士に、欲しいものは何でも与える国王なので、国中の評判は すこぶる好評でした。
しかし、この王は自分のまげに結んだー明珠ーみょうしゅ だけは、誰にも与えませんでした。
なぜなら、このー明珠ーは、この国王の最上の宝だったからです。
文殊師利もんじゅしり よ、仏が法華経をめったに説かない理由も この譬えと同じです。
仏は 禅定ぜんじょう と智慧ちえ を具えた、法の国土を領する 「三界の王」さんがいのおう なのです。
ところが、諸々の摩王たちが、間違いに気づかなく抵抗していて 従わずに戦いを挑んでくるので
仏弟子の菩薩摩訶薩が、法をもって、諸々の摩王たちを征伐せいばつ するのです。
征伐とは、殺し合いの戦争ではありません。真理の法を説き、信解しんげ させることをいいます。
仏が与える褒美 ほうび
菩薩道を行じ完成させた菩薩摩訶薩は 衆生に法華経の教えを説き、衆生は仏の法に帰依します。
その手柄に対して、仏は褒美ほうび を その菩薩摩訶薩に与えます。
仏が菩薩摩訶薩に与える褒美ほうび とは、現生の快楽や現生の利益りやくでは ありません。
心がグラグラしない ー禅定ぜんじょう ーや 苦からの解放できる ー解脱げだつ ーや、
迷いが無い ー「無漏の心」むろのこころ ーや 信心や精進の力となる ー根力こんりき ー などです。
さらに、煩悩が滅した涅槃 ねはん の世界へ到達できる 素晴らしい仏の智慧までも 仏は与えるのです。
しかし、仏は法華経だけは 簡単には与えないのです。
しかし、仏は、国王が最上の宝と誇るー明珠ーを与えてもよいほど・多くの衆生を法に帰依させた大功績を
上げた者には、国王は惜しげもなく髻中の珠けちゅうのたま を与えるが如く、仏も最大の褒美を与えるのです。
三界を法をもって治め、1切衆生を教化する如来(仏)も 全く同じなのです。
凡夫の境界を離れた賢聖けんせい の菩薩のあなた方が、自らの力で数多くの魔を征服し尽くして、
最後に、仏法の道をゆく衆生の邪魔をする・1切の魔を打ち破ることを、しっかりと見届けたのち、
これならば 信心が固く大丈夫であることを確信してから、ようやく仏はこの法華経を説くのです。
「摩/魔事/魔民」
この法華経は、衆生を仏の悟りに導く尊い教えです。
しかし、尊い教えがゆえに、世間の理解が薄く、また邪魔が多く、信仰が動揺するおそれがあります。
このような理由で、私(世尊)は今まで 法華経を説きませんでした。 だが今こそ、法華経を説きましょう。
文殊師利よ、法華経は 諸々の如来が説く教えのなかで、第1の教えであり最も深い教えです。
末世まつせ の衆生のために法華経を説くことは ちょうど国王がー最上の宝・明珠ーを 与えると同じなのです。
衆生の皆さんは、真剣に心からこの法華経を聞かねばなりません。
文殊師利ほか、菩薩衆も、大衆も、ボサツマンも、わかりましたね」。 ハイ‥‥‥ボサツマン
次に偈を述べ、法華経を読む者の功徳を 説きましょう。
ー法華経を広宣流布せし者は 常に憂悩なく 病痛なく顔色鮮白なり。貧窮びんぐ 卑賤ひせん 醜陋しゅうる に 生まれることなし。
衆生を見んと 楽ねが うこと 賢聖けんせい を慕うが如くならん。 天の諸々の童子 以って給仕を為さん。
刀杖とうじょう も加えず 毒も害すること能わじ。 若し人 憎み罵ののし らば その人の口 たちまち閉塞せん。
遊行するに畏おそれなきこと 師子王・ししおう・の如く 智慧の光明 日の照らすが如くならんー。
意味:
四安楽行を完全に行い、法華経を世に広めるものは、世間の人の普通の心配事などや、苦痛などは
すっかり消えてなくなります。
そして、その徳が自然と顔や形に現われ出て、立派な相好そうごう を 具えるようになります。
また、貧乏な家に生まれることはなく、もしそれが、例え、世間一般からは貧しい家のように見えても、
心が気高くなると、苦が1切消えて無くなり、すべてのものが豊かな家となるように 変化していきます。
つまり、豊かな家に生まれ出た結果へと、変化好転 へんかこうてん していくのです。
また、おおぜいの人間から崇め慕われ、天の童子どうじ たちも守護することでしょう。
刀で斬りかけても 毒を盛って害しようとしても 法華経を広めることは 阻止できません。
法華経に害を与えようと思う者は、逆にその者に振りかかり その者が害を受けることになるでしょう。
法華経の悪口を言う人がいれば、その人の口が塞がって 悪口が言えなくなるのです。
法華経を広める衆生は、どこへ行っても・どんな環境においても、いつも心は自由自在で安穏のままです。
それはあたかも、師子王ししおう (ライオン)が、大草原の中を自由自在に 歩きまわるようであります。
また、その智慧の明るさが あらゆる迷いの暗黒を打ち破ることでしょう。
智慧が明るいとは、智慧を日光に例えていて、暗黒とは、光が射していない状態のことです。
迷いの暗黒を打ち破ってとは、光が差し込めば 暗黒はたちまち、消え去るということです。
つまり、仏の智慧(光)が差し込めば、その瞬間に心の闇はたちまち消え去ってしまうのです。
世尊 夢を説く
「四安楽行を完全に行い、法華経を世の衆生に説く人は、いい夢をよく見ます。
”夢は昼のなごり”と呼ばれ、起きている時の経験などが 潜在意識の底にたまっていて、
それが 眠りの時に現われくる といわれています。
法華経を行じて、清浄な心に大慈悲心が芽生えてきた衆生が、いつも心に仏を念じていると、
夢の中で、金色の仏のお姿や、仏を拝んでいる自分の姿を 見ることが多くあるのです」。
そんな夢を見るように 早くなりたいものです ‥‥‥ ボサツマン
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