観普賢菩薩行法経 (14)
世尊
「さて 衆生が 耳根の罪を懺悔するには どうすると良いのか?
それには 衆生はさらに合掌し もっと自分の悪をえぐり出して 次の言葉を念じると良いのです。
完全無欠の智慧を具えた諸仏よ 自分が進むこの道が 仏の道であるならば どうぞそれを お証あか しください。
大乗の教えは 慈悲の主あるじ です。 大乗の教え 慈悲の行いの大本 おおもと の教えであります。
真の慈悲の行為を行うには 大乗の教えを習得して 衆生は皆仏性を 持っていることを悟らねばなりません。
大乗の教えを しっかりと習得してこそ 本当の慈悲の心を持ち 真の慈悲の行いができるのです。
私は 耳根の罪の懺悔します どうぞ お聞きくださいませ。
自分は長い間 心が誤っていたので ものごとを聞くのにも 間違った聞き方をしてまいりました。
快感に喜ぶ言葉を聞くと 嬉しくなって 接着剤を使用した如く心に張り付いて くっつき そのことが 脳裏から離れません。
反対に 不愉快なことを聞くと 怒りや憎しみや妬みの心が ムラムラと燃えあがり 自分の心が悪心に変わります。
結果 冷静な判断を失い 相手かまわず 誰にでも 悪感情を抱いてしまうのです。
その悪感情は 循環して益々膨張していくので 忍耐できない自分の口は 悪口や罵声を 激しく吐いてしまうのです。
怒りの声を吐いてしまえば それで気が済むかと思うのですが 逆に 心はどんどん暗くなってしまうのです。
この繰り返しで どこまでいってもキリがなく どこが終点なのか見つけられなくなっていました。
今 はじめて 耳根の罪を悟ることができました。 諸仏に 耳根の罪を懺悔いたします。
このように懺悔すると 心は益々洗い清められて
今 自分は仏の境界きょうがい につづく道を進んでいることを ハッキリと自覚できるようになります。
しかし 耳根の罪の懺悔を終えても 修行は まだつづくのです。
復々またまた 普賢菩薩の心の声は 次の懺悔を促うなが してくるのです。 「十八界の六境」
次に普賢菩薩は 嗅覚・味覚・触覚の罪を告白し 懺悔することを命じてきます。
嗅覚・味覚・触覚の罪とは 六境のうちの三つの感覚の快感に 心が執着することで生じる罪です。
快感に心が執着している衆生は 何かにつけ ものごとの好き嫌いを優先させる習性があります。
好きなものには欲深く執着し 好きなものが目の前に現われ・消え去る(生死しょうじ)毎ごと に
喜びや悲しみが 瞬時に変化するので 心が乱降下するのです。
つまり 愚かな心に陥おちい るのです。 次は 香・味・触・を貪る罪の懺悔を説きましょう」。 (15)へ