観普賢菩薩行法経 (15)
  世尊
 「次に
衆生は 嗅覚味覚触覚の罪 懺悔しなければなりません。 
  この三つの罪は
六境」のうちの 三つの感覚の快感かいかん に執着して生じる罪です。
  快感に心が執着する衆生は
何かにつけ ものごとの好き嫌いを優先にする習性があります。
  好きなものには欲深く執着するので
 好きなものが目の前に
生死しょうじ する度たび(現われたり消え去る)
  喜びや悲しみの心が
瞬時にコロコロと移り変わり 心が乱降下する愚かな心の状態に陥おちい るのです。
  そんな憐れな衆生に
再び 普賢菩薩の心の声は きびしく説き教えてきます。
  
 今当応まさ  大乗の因いん を観ずべし 大乗の因とは 諸法実相の智慧なりと。
 この意味は 衆生よ 大乗の因教えの基本である 諸法実相 しょほうじっそう の智慧を観ぜよです。
 
日々 大乗の経典を真剣に読誦することで 衆生の心に仏の智慧が生じるのです。
  仏の智慧を会得するには
大乗の経典を真剣に読誦することが 根本なのです。
  仏の智慧を会得した衆生は 身の周りに起きたり消えたりする快楽や快感に 執着しなくなります。
  執着心を捨てた衆生は
十悪業 じゅうあくごう に振り回されない 安楽な人生を生きてゆけるのです。
  このことを深く心に思い
再び 釈迦牟尼仏をはじめ 十方の諸仏を礼拝供養して
  過去の自分の十悪業の罪を告白して懺悔しなさい
と 普賢菩薩の心の声が教えてきます。

 そして その
十悪業の罪の懺悔を終えた衆生が 再び 大乗経典の読誦どくじゅ を続けていくと
 普賢菩薩は
次に 衆生よ舌根の罪 ぜっこんのつみ を懺悔しなさい と命じてきます。
 衆生よ
 お前はまだまだ修行が不足している 次は この修行をしなさい
 またもや 次から次へと
修行を命じられた衆生の心は 次のように動揺するでしょう!
 自分の修行はいつ完成できるのだろうか

 そんなにも
自分の過去世の罪業ざいごう は深いのだろうか 
 自分はこの先
 修行を続けていけるだろか 不安な気持ちがどんどん高まってしまいます。
 今
衆生の心の中は 修行していこうという気持ちと 諦めようという気持ちが 交錯している状態です。
 しかし
衆生は ここで 修行を辞めてはいけません。 なにも 心配いりません。
 過去の諸仏も皆
このような同じ経験をして 修行を行ってきたのです から。
 つまり 諸仏如来は これ なんじ の慈父じふ なりの言葉通り 仏は衆生の慈父なのです。
 衆生が大乗経典を読誦どくじゅ し 何回でも懺悔を行い
一皮一皮 心の汚れを脱ぎ捨てていくと
 衆生の心が だんだん清まっていくので その毎
たび に仏は喜び その衆生を褒めて 功徳を与えるのです。
 衆生が懺悔する理由として
 自分が
恋慕渇仰 れんぼかつごう する諸仏に喜んでいただきたい 褒めていただきたい
 もっと修行を積んで
必ず仏の境地に到達したい という二つの気持ちで懺悔するのです。
 けっして
仏に怒られるからとか仏の目が恐ろしいからとかで 行うのではありません。
 つまり
親を慕う子供の気持ちと 仏の境地を目指す強い向上心で 行うことなのです。
 このことを
しっかりと 肝に命じてください。では 次は舌根の罪の懺悔を説きましょう」。    (16)へ