観普賢菩薩行法経 (22)
  世尊

 「衆生たちよ
次に 懺悔の功徳を説きましょう。
  私
世尊 大乗経典の真実の意味を知り 善行を実行し修行を重ね /菩薩と縁が結ばれたお陰で
 
この懺悔の法を繰り返し行い 長い間 積み重ねてきた自分の罪悪業 すべて消滅できた結果
  仏の悟りの境地に到達することができました。
 故に まっすぐに 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい の境地への到達を願う衆生や
  または
肉体のままの身で 十方の諸仏や普賢菩薩と共にあるという自覚を得たいと願う衆生は
  身を清
きよ めて静かに端坐たんざ 大乗の教えの意味と価値を 深く考えると良いでしょう。
  普賢菩薩は このような 仏の道を求める衆生
の心に 懺悔に対する正しい考えかたを 説き教えてきます。
  それを聞いた衆生は
必ず 昼夜ちゅうや 六時ろくじ 十方の諸仏を礼し 大乗経典を無心に読誦どくじゅ
  仏が悟った最高の悟りである すべてのものの仏性の平等()を しっかりと考えるようになります。
  すると
その衆生は 自分が他のすべての衆生の仏性を拝み 相手の仏性の曇りを取り除いてあげたい
  相手の仏性を引き出してあげたい
 その仏性に磨きをかけてあげたいという
  慈悲の願望
がんぼう が 自分の内面に ふつふつと湧き起ることを自覚するのです。
  その慈悲の願いが湧き起きた衆生は
指をポンとはじくほどの短い時間にして つまり 瞬時にして
  過去世の長い間の自分の罪業
ざいごう  消滅してしまうのです。
 昼夜六時に十方の諸仏を礼し 六時ろくじ とは 心のままに何回もという意味です。
  この言葉は
阿弥陀如来が説く 仏説阿弥陀経にも あるのです。
仏の教えが理解できたというだけでは まだ 本物の仏ほとけ の子ではありません。
 この懺悔の法を繰り返し実行する衆生こそが
本当の仏ほとけ の子と成るのです。
 本当の懺悔を実行することで
すべての人の仏性を 見ることが可能になります。
 本当の懺悔を実行した衆生が
他の衆生の仏性を引き出そうと決心して そののち
 懸命に
慈悲の行を実行してこそ はじめて その衆生は 本当の意味で仏の子となるのです。
本当の仏ほとけ の子と成った衆生に対し 十方の諸仏は和上わじょう の役を すすんで引き受けるのです。
  和上”とは
  新しく出家したものには
必ず仏の教えを守りますと誓いを立てる 受戒じゅかい の儀式があります。
  その儀式のときに
その誓いを受ける導師どうし の役割りを行う人を 和上わじょう といいます。
  一般社会に当てはめると
 立会後継人たちあいこうけいにん の立場の人といえるでしょう。
  その
”和上”の役を ほとけ 自身が 喜んでつとめてくれる という尊い意味なのです。
 受戒の儀式には 自分の今までの身と心の経歴けいれき を告白する羯磨かつま という行動があります。
  だが
今説いた懺悔を行えば 羯磨を行わなくても菩薩戒ぼさつかい を受持されたことと同等なのです。
 次に 仏が菩薩戒を身に具えようと願う衆生を思い このように念ぜよと教える言葉を説きましょう」。 (23)へ