観普賢菩薩行法経 最終章
世尊
「普通 一般人の懺悔の法を 説きましょう。 これで私の説法は終了となります。
第1 正しい心をもって 仏と 仏の教えと 仏法教団の三宝を重んじ それらに背いてはならない。
出家人の修行の障りになることをしてはならない また けっして、迫害を加えてはならない。
常に 仏ぶつ 法ほう 僧そう 戒かい 布施ふせ 天てん の六つを大切にしなければならない。
ここでの天は 世の中の穢れから離れる という意味。
大乗の教えを受持する人が不自由しないように 供給くきゅう (面倒をみる)し 感謝を捧げ礼拝する。
大乗の深い教えの第1義である 空くう の心を 常に持ちつづける。
第2 父母に孝行こうこう を尽くし 師長しちょう (目上の人)を敬う。
第3 正法をもって国を治め 人民を良いほうへ導く。
第4 月六度の精進日しょうじんび (インドの風習)には 殺生を行わない 人々に殺生を行なわしめない。
日本流に解釈すると あらゆるものの生命を尊重する思想を 人々に植え付けるという意味。
第5 よい種を蒔けば必ずよい実が成り 悪い種は悪い結果が現われるという 因果いんが の道理を深く考える。
因果の法を理解して 悪い考えは起こさない 悪いことはしないことを誓う。
一実いちじつ の道みち であるーただひとつの真理ーを しっかりと悟り信じる。
この世の現象はすべて変化するものであり 変化しないものは 真理(実在の仏)だけである。
仏はけっして滅するものではなく 無始無終むしむしゅう の存在であることを 深く自覚する。
阿難あなん よ この第5番目が 普通一般人の懺悔の法の中の最も根本なのです。
もし 末世において この懺悔の法を修習しゅうしゅう する衆生は
自ら反省するという美しい最上の徳を身につけ 諸仏に護り助けられて 長い年月をかけずとも
必ず 阿耨多羅三藐三菩提 あのくたらさんみゃくさんぼだい を 成就するでしょう。
☆ 最後に 百喩経 ひゃくゆきょう の中の例話れいわ を 紹介しましょう
あるところに 凡夫の衆生がいました。 喉のど が渇いてたまらないので あちこち 水を探して歩きまわっていました。
幸いにして 河の畔ほとり まで辿り着いたが その衆生は 川辺で茫然ぼうぜん と 佇たたず んでいます。
なぜ 水を飲もうとしないのか不思議に思い どうして水を飲まないのだい? そばの人は聞きました。
飲みたいのだが あんまり水が多過ぎて 飲み尽くすことはできないのです。 だから 迷っているのです。
この凡夫の衆生とは 誰なのか?よく考えてみましょう。
以上で 法華三部経 ほっけさんぶきょう の説法のすべてを 終了いたします。
私の説法せっぽう を聞いた あらゆる世界のあらゆる生命たちよ 日々「五種法師」ごしゅほっし の行に励み
私の滅後には 法華経を説き広めてくれることを願っております。
皆さん これでお別れです。 しかし 仏(世尊)は この娑婆世界に永遠に常住しております。
衆生たちよ 仏の教えを受持していれば 何も心配することはありません」。 「世尊の遺言」
ボサツマン
「世尊の最後の例話は 法華経の中の教えの少しでも・その中のただひとつの教えでも ほんの些細なことでもよいから
われわれ衆生は まづ 実行することが大事だと 教えてくださいました。 世尊、ありがとうございました。
これをもって 法華三部経をすべて 終了いたしました。
オイラの稚拙なHPを 最後までお読みくださいました 読者の皆さん 心から御礼の言葉を申しあげます」 ‥‥‥ 合掌 完