つづき
「長者(父)は、長い間探し求めていた息子が見つかったので、心から喜びいっぱいです。
しかし、苦しい辛い人生を経験した息子の心は、卑屈になっておりました。
父はすぐにでも、息子との暮らしを望んでいたが、無理と知ってひとまづ、息子を自由にさせたのです。
でも、父の思いは変わっていませんので、今後どうしたらうまくいくか、方策を練り直します。
父は考えました。
方便を用いて息子を家に戻して、それから、自分の後継者にさせるのが 良いだろうと。
父は、息子を放して自由にした後も、息子の行先や動向を召使いに命じ調べさせ報告させていたのです。
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緊密な報告とは?
算数のテストです、3−3=(?)。 答えは、0・ゼロ・と誰でも知っています。
だが、( )の欄に何も書かず空欄で提出すると、0点です。 0の記入と空欄とでは、意味が全然違います。
緊密な報告とは、答案用紙に0と記入することと、同じ意味なのです。
ー現在のところ前回の報告と特に変わりが無いことを報告しますーと伝えるのが報告です。
人間社会では、緊密な報告がとても大事です。 変化の有り無しを報告することが、緊密な報告です。
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次に父は、声聞しょうもん と縁覚えんかく の立場に譬え、顔も服装も薄汚れた使いの者二名を、
息子のところへ差し向け、息子を連れてくるよう命じました。
ー賃金が二倍貰える仕事があるぞ、便所掃除の仕事だ、自分たちは仕事の仲間だから、心配ないーと。
これを聞いた息子は、便所掃除なら経験ある仕事だ、まして、二倍の賃金が貰えるなら、
思い切って働いてみようと決めて、この仕事を受けたのです。安心した顔でやってきました。
それを見た父は、ーああ!息子よーと、目から涙が流れ落ちながらも、黙って見ているしかできません。
だが、便所掃除の仕事を続ける息子は、日が経っていくにつれ だんだんとやせ衰えていきます。
それを不憫ふびん に思った父は、自分も垢あか まみれの汚い服を着て 身体もわざと泥や埃で汚して
糞あくた をとる入れ物を手に持って、便所掃除の仲間として、一緒に働き始めました。
父は、皆と一緒になって汗をかいて働き、時間をかけて、息子と仲良くなるチャンスを狙っていました。
やがて、息子の警戒心は薄れていき、父は息子と打ち解けた話ができる関係まで、近づくことができました。
気楽に話できる関係になった頃を見計らって、父は息子に語ります。
ーお前は、今までず〜と貧乏暮らしだったらしいな。 これからはもう大丈夫だ。 ここでず〜と働けばいいんだ。
お前はまじめな働き者だから 賃金を上げてやろう。 米や塩や味噌や、いろんな生活用品でも 何でも買うが良い。
これなら、ほかへ行く必要ないだろう。 ず〜とここに居ればいいのだよ。 どうだいいと思うだろう。
そうだ、お前に下男をつけてやろう、手助けになるぞ。 それなら、お前も少しは楽できるだろう。
私はすっかり年寄になったが、若いお前はこれからの人間なのだ。
私はなあ、なんだか お前のおやじのような気がするのだよ。
ここで私は、お前に、ひとつ仕事の心構えをアドバイスをしよう、年寄りの話も聞いておいて損はないぞ。
それはね、仕事をするのに、人を騙したり、怠けたり、怒ったり、恨んでは いけない、ということだよ。
これから先は、私はお前を 本当の子のように思って、いろいろと面倒を見ていくからねー。
長者はこう言って、その息子に新しい名前をつけて、仮の子供とする同意を得たのです。
待遇が増した息子は嬉しいのだが、でもまだ、渡り鳥の賤しい労働者の気持ちが、僅かに心に残っています。
父の長者は、息子の心に残るー深心の所箸じんしんのしょじゃく ーを見抜いていましたので、
それから後も、息子に便所掃除の仕事をつづけさせていました。
やがて、息子がこの家に住み込みで働きはじめてから、20年も過ぎる頃になると、
息子はその家がたいへん住みごごち良いので、落ち着いた心の人間に変わりつつありました。
20年の間に、息子の心はそうとう改善されました。 だがまだ、卑屈な本心の根は残ったままです。
人間の心は物質じゃないので、簡単にはガラット入れ変わることにはなりません。
世尊の説く、「深心の所箸」 じんしんのしょじゃく ー心の奥底にひそむ気持ちーが完全に消え去るのは、至難のことです。
そのうちに、長い患いの病気にかかり、死期が近いことを悟った父の長者は、
無限の宝が納められている蔵の支配権を、一切、その息子に任せることにしました。
こんなに厚い信頼と信任をうけた息子は、嬉しい気持ちと共に、ヤッパリ自分はまだ旅カラスだという、
自分への卑屈な精神が心の奥底に、わずかながら 残っていました。
でも、自分を可愛がってくれる長者から与えられた仕事だけは、全うしようと固く心に決めていました。
月日が経つうちに、その息子も その大きな屋敷や財産のことなど すべてに通じてきて、
長者の信頼もますます得て、周りの人たちへの配慮さえも できるような人間に成長したのでした。
この頃になると、息子は自分自身に自信がついてきて オドオドしていた以前の自分の心が
恥ずかしく感じ、今の自分が本当の自分なのかも知れないと 思うようにまで成長したのです。
最近では、息子の心も言動も、すっかり安定してきました。
これを見た父の長者も 心から安心して、嬉しい気持ちで息子を見守っています。
そして、自分がいよいよ臨終間際と知った長者は、親族・国王・大臣・武士・居士たちを、家に集めて、
今までのことをすべて話しまいた。
ーこの男は 幼い時に家を離れた自分の子です、自分の財産を全部この息子に譲るーと宣言したのでした。
息子は、ー今私に、こんなにも莫大な、父の金銀・財宝・が自分に与わるとは、私は本当に幸せ者ですーと喜びました。
世尊、以上が長者窮子の譬えです。
この大富豪・長者は、すなわち世尊であり、この息子は わたしたちでございます。
小さな悟りに満足していた私たちを 世尊がー仏の慈悲と方便力で大乗の教えーに導いてくれました。
譬え話を申しあげたのは、世尊に感謝の気持ちを伝えたかったのです。ありがとうございます」。
つづく 長者窮子の譬えの要点