仏の境地を必ず得たいという弟子の心の奥の望みを 世尊は知ってらっしゃるのに違いないと、
弟子の富楼那ふるな は、世尊のお顔を仰ぎ見ながら、心で考えていました。
そのとき、世尊は 「仏の十大弟子」
「みなさん、この弥多羅尼みたらに の子、富楼那をごらんなさい。
私(世尊)は富楼那のことを 多くの弟子のなかでも、説法人として、第1人者であると認めてきました。
この富楼那は よく修行に励み勤めて、教えを護持し説き広めることに 力をつくしてきました。
すなわち、世の中のたくさんの人に 正しい順序を経て教えを説き伝えてきたのです。
又、仏の法をよく理解をして、同じく、梵行 ぼんぎょう (凡俗の生活の中で、心を清らかに保つ行)の人たちに
大きな利益 りやく をも、与えてきた人なのです。 私は、こういう富楼那の功績を 褒めたたえます。
また富楼那の言論や弁舌は、非常に優れていて、彼に勝るとすれば、如来にょらい だけでありましょう。
だが、富楼那は、ただ現世に、私の教えだけを護持し、私の教えだけを広めているのでは ありません。
富楼那は、過去(前世)においては 90億の諸仏に仕えて、厳しい修行を耐え行ってきた人なのです。
当然、彼は前世でも、優秀な仏の説法人として、大きな役割りを果たしていました。
さらに富楼那は、諸仏の説く一切平等の法を すっかり理解していました。
だから、衆生の機根をよく知り分け、その衆生に適切な自在な説き方で、法を説くことができたのです。
富楼那の心はいつも清浄を保ち、報いや利益を得たいとか、自分を偉く見せたいとかの、
欲望や我が の心は、みじんも無く、純粋な心のままに 法を説いておりました。
このように、彼は ー法のために法を説く心と態度をもった素直で正直な仏の直弟子ー でありました。
彼が、純粋に法を説くことができたのは、仏の教えにこれっぽちの疑いさえ、抱いていないからです。
また彼は、菩薩の神通力を具えていましたが、寿命のある限り凡俗の生活を、つづけておりました。
この生活態度が、周りの人々から慕われる人間味溢れる、彼の長所なのです。
こういう富楼那は、これほど高い境地を得ながらも、そんな素ぶりをまったく見せないので、
周りの人びとは、この人はまだ、声聞しょうもん の境地を得たばかりの人、と思っていたのでした。
だから皆、気やすく付き合うなかで、近親感溢れる彼の説法を 快こころよ く聞くことができたのでした。
この近親感溢れ誰にも慕われるところが、富楼那の最も良い面めん なのです。
このように、富楼那は、衆生に最高の悟りを求めようとする志しを立てさせる、努力を重ねながら
衆生を教化しつづけながら、無数の衆生たちに、多くの利益 りやく を与えてきたのでした。
富楼那は、この世の中を浄土 じょうど に変えたいという大きな願いを、実行する決意を抱いていました。
その志しを胸に抱いて、諸仏の代理をつとめ、衆生の教化に日々、精進しているのです。
このような理由で、弥多羅尼みたらに の子の富楼那を、褒め称えるのです」と、仰いました。
弥多羅尼みたらに・ミトラヤニ・は母の名
世尊 「半歩主義」 はんぽしゅぎ を説く
「富楼那の、衆生を導く布教活動の基本は、徹底した半歩主義でした。
説法人が、大威徳を兼ね備えた人の場合、誰しも、静かに正座したりして、教えを聞くでしょうが、
まだ徳の薄い人や身近な人の場合などは、自分から望んで法を聞くとは限りません。
また逆に、偉そうな態度で説法する人には、聞く側の立場の人は、少なからず、反発心を生じるものです。
また、かた苦しさや、肩肘はった態度が見え見えの説法は、聞く人は気嫌いします。
聞く人の心情を重んじた富楼那は、常にー半歩主義の姿勢ーで、布教を行っていました。
この人はまだ悟っていない人などと、大衆を見下した考えや、自分は大衆より一歩先を行っているという
態度は絶対にいけません。 大衆と共に、同じ歩調で並んで歩く姿勢が 望ましいのです。
しかし、まるっきり大衆と並んでいたのでは、布教活動は成りたちません。
現実、仏の道をまったく知らない人と、同じ歩みのリズムでは、導きことはできないのです。
速くてもいけないし、同じ歩調でもだめなのです。 まして、自分が遅いのでは、まったく話になりません。
このリズムが、けっこう難かしく最も大事なのです。
ではどうすれば良いのか、それは、一歩ではなく半歩くらい先を歩くことです。
半歩くらい先を歩くならば、その仲間たちは 近親感や信頼感を失いません。
衆生からの信頼を得なければ、正しい道への教化や、良い行いの感化はでき得ません。
教化活動ではー高飛車で強引な説き方ーは、絶対に行ってはダメです。
よく悟ってもいないのに、強引な態度で一方的に説法したり、無理やり納得させようとすることや、
脅威的な態度や、威嚇的いかくてき な言動は、最も不味まず い絶対に行ってはいけない行動です。
説法・布教活動の基本的態度とは、この半歩主義なのです。大事なことです」。
ボサツマン、手を挙げ意見を述べる
世尊、オイラの周りにも、すぐ説得しようとする輩 やから がけっこう多いのです。
オイラはその人たちにいつも言っているのです、人は人を説得できない、理解させることはできると、
それと、こういう人も多いです、人が話している最中に割って入って話まくる人、いやですね〜。
世尊、
「ボサツマンよ、まづ、人の長所を見て褒めて、その人の存在感を引き立てる努力を、心掛けましょう。
人間関係の重要ポイントはここです、何も難しくはありません」。 はは〜ありがとうございます‥‥‥ボサツマン
つづく