世尊は、偈をもって
「迦葉かしょう すでに五百の自在者を知りぬ、余の諸々の声聞衆も亦、当まさ に復、是かく の如ごと くなるべし。
その此の会え に在らざるは、汝、当まさ に、為ため に 宣説せんぜつ すべし」と、説きました。
意味:
「この多くの阿羅漢 あらかん たちも、将来、必ず仏に成るだろう、ほかの声聞 しょうもん 衆も同じである。
摩訶迦葉よ この説法会 せっぽうえ にいない人々 には、君から説いて成仏の道に引き入れてやりなさい」。
説法会にいない人々とは、「方便品第2」で、法座から離れていった五千起去ごせんきこ の人々です。
ついに、五千起去の人々にも、授記されました‥‥‥ ボサツマンも・うれしいです
世尊の大慈悲心、
ー方便品第2ーで、法座から立ち去った五千起去の人々にも、世尊は大きな慈悲心を もっていました。
世尊は摩訶迦葉を代理人として、五千起去の人々にも授記の言葉を授けるように、指示を出しました。
一度仏の教えから離れた人々でさえ 修行をつづけていくならば、必ず、
仏の悟りの境地に達することができて、成仏できるということを、世尊はキッパリと、断言されたのです。
衆生にとっては、大変にありがたいことです・嬉しい極みです ‥‥‥‥‥‥ 合掌
さっそく、代理人の摩訶迦葉・まかかしょう・は、
方便品第2の法座を立ち去った余の諸々の声聞衆・しょうもんしゅう・(五千起去の人々)へ、授記を与えました。
再度仏道に励むと普明如来・ふみょうにょらい・に成れると、いう成仏宣言を聞いた諸々の声聞衆は
世尊の大慈悲心に涙を流して喜びました。 そして世尊への帰依の心を固く誓ったのでした。
世尊から成仏証明の・授記を受けた衆生は、皆仏道をまっしぐらに進み、やがて仏に成るのです。
このことは、世尊が証明されているのです。
ということは、オイラも、仏の教えを聞いて菩薩行を積んでいけば、必ず普明如来・ふみょうにょらい・に成れるのだ。
……… うふふ・嬉しくなるね ありがとうございます …… ボサツマン
普明如来とは、身体から光を発して社会を明るくする人の意味。 ー普はあまねく、明は光の意味ー
その時、授記を授かった阿羅漢・あらかん・たちは、嬉しさのあまり、踊りあがって喜びました。
やがて、落ち着きをとり戻した彼らは、座から立ち上がり 世尊に礼拝・合掌しました。
そして、全員が世尊のみ足に頭をすりつけて、懺悔・さんげ・の言葉を申しました。
阿羅漢衆の懺悔の言葉、
「今まで私たちは、ただ煩悩・ぼんのう・を除いただけで、もう自分は悟りを得たと 思いこんでおりました。
それがまちがいだったと、今、気がつきました。 恥ずかしいことです。こころからお詫びします。
本当に私たちは、無知・むち・でございました。 今、私たちの心は、懺悔・反省の気持ちでいっぱいです。
私たちにも仏性・ぶっしょう・がありますので、しっかり修行したならば、如来の智慧を得られる身でしたのに、
ただ、煩悩を除くことだけで良いのだ、という小さな智慧だけに執着していました。
世尊、私たちの懺悔・反省の気持ちを、譬え話しをもってお伝えします」。
阿羅漢衆、ー衣裏繁珠・えりけいじゅ・の譬えーを述べる、
「ある人が親友の家を訪ねて ごちそうになり 酒に酔って眠ってしまいました。
ところが、その家の親友は、急に公用の仕事で出張に 出かけることになりました。
親友は、寝ている友を起こすのも気の毒だと思い、貧乏している友を思いやって、
計り知れないほどの価値がある宝珠・ほうじゅ・を、寝ている友人の着物の裏へ縫いつけて、家を出かけました。
目が覚めたその友人は、その家の親友が出かけたことを知って その家から立ち去っていきました。
その友人は、あいかわらずの貧乏暮らしで、ついには、放浪の生活を 送るようになりました。
衣食のためのわずかの収入を得ることさえ、ままならない苦労つづきの生活状態でした。
ずいぶん年月が経った頃、二人はバッタリ道で 出会いました。
前に、友を家に泊めた親友は、この友人のあわれな姿を見て ビックリします。
なんというあわれな姿なのだ、私は、あの時、君が安楽に暮らせるようにと思って、
君の着物の裏生地に 高価な宝珠を縫いつけておいたのだよ、ほれこの通り、見てごらん、
さあ、これを売ってお金にして必要なものを買いなさい、君も安楽な生活ができますよ。
貧乏暮らしの友人は、親友の大慈悲心によって、それからは、安楽な暮らしができました。
世尊、以上でございます、私たちの心情を述べさせていただきました」。
つづいて、阿若憍陳如・あにやきょうじんにょ・たちが、感謝の言葉を、伝えます、
「世尊は、この親友のようなお方です。 世尊がまだ、菩薩であられた頃、私たちに教えくださいました。
人には皆、仏性(宝珠)が有るのだから、修行して仏の悟りをひらくようにと、教え説いてくださいました。
ですが、私どもの心は眠りこけていて、世尊の心を理解しようと思いませんでした。
ただ、煩悩を除くことができただけで、それが最上の悟りなのだと、思いこんでいたのです。
申しわけございませんでした。 しかし、私の心には、なんとなく、物足りない感じが残っておりました。
私どもの心の奥底には、本当の悟りを求める気持ちが わずかに残っていたのです。
こんな私たちでも、これから懸命に菩薩の修行を重ねていき、さらに世のため人のために尽くして、
多くの善業・ぜんごう・を積んで、仏の教えを実行していくと、自分たちも成仏できると、やっと理解できました。
世尊のお陰で、今、目が覚めました、 ありがとうございます」。
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