提婆達多品第12 だいばだったぼん
この品で世尊は ー悪人・女人の成仏についてー説いている
釈尊の従兄 いとこ には、極悪非道と悪名高い提婆達多 だいばだった がおりました。
この提婆達多の実の弟が、先に授記を受けた阿難 あなん です。 「阿難の授記」
兄の提婆達多は、仏陀 ぶっだ として大衆に仰ぎ慕われる世尊を、心の底から妬ねた み怨うら んでいました。
世尊の悪口をあちこちで言いふらし、さらには、世尊の通り道に大きな岩を転がし怪我させようと企てたり、
また、暴れ象に酒を飲ませ、世尊に嗾けしか け、危険な目にあわせたり、毒をもって殺そうともしました。
又、弓を放って殺そうとしたりなど、あらゆる非道な手段で 世尊の命いのち を狙った人物です。
しかし、世尊は、この極悪非道ごくあくひどう の提婆達多を許し 成仏の保証(授記)をも与えたのです。
当時のインドではー女人は罪の塊かたまり ーで、女は男の修行の邪魔になるという考えが主流でした。
そんな中で世尊は、八歳の女の子・龍女 りゅうにょ にも 成仏の保証を与えたのです。
そんな画期的すぎることを、世尊は真理に許づいて、堂々と実行したのでした。
カースト制度
当時のインドの人間社会は、四つの階級に分かれていて、上の三つの階級の人々が 社会を動かしていました。
1番上の階級はーバラモンー 学問や宗教や道徳を司る人々。 2番目の階級はーセッテイリー 国王や武士の階級る人々。
3番目の階級はービシャー 農民・工・商人の階級の人々。 4番目の階級はースダラー その他、不可触民ふかしょくみん。
不可触民は 奴隷の立場の人間たちで 牛や馬と同様に 重労働をしいられていました。
世尊は、こんな社会の状況でー人間は平等である・皆・仏性をもっているー と説き歩きました。
平等主義など通用する時代ではありません。 それでも世尊は、めげずに説法行脚を続けたのでした。
現代の人間が考えると、不平等極まりないカースト制度が定着していたインド社会の中で、
世尊は ー人間は平等なのだ・誰にでも仏性があるのだから・悪人も女人も成仏できるーと
不退転の心で、インド各地を説き廻ったのです。
当然、革命的思想を唱える危険な人物と 権力階級からは、そうとう過激な迫害と弾圧をうけたでしょう。
どんな迫害にも耐え忍び、仏の教えを説いた世尊(釈迦牟尼仏)を、心から尊敬いたします。 ‥‥‥‥‥合掌
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1789年にフランス大革命が起こり、それ以来、人間平等の精神が社会に浸透してきました。
このー人間皆平等という考えであるー民主主義の根本の精神は、釈尊が最初に唱えたものです。
人間皆平等の意味の深さは、真理を説いた釈尊が、最も深遠なのです。
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世尊 ー前世の自分と ある仙人の話ー
「私は前世において、ある国の王でありました。
私は、無上の智慧ちえ を得たいと願がん を起こし、布施ふせ の行を怠ることなく つづけていました。
人に尽くすためには、あらゆる財産も、城も、家族たちも、自分の身体さえも 犠牲にして行いました。
ついには、国王の地位を捨て、政治は皇太子に任せて、四方八方に 師匠を探し求めておりました。
私は、私に大法を伝える人あるならば、自分は召使いとして仕えようと、本気で考えていました。
ある時、阿私佗仙人あしだせんにん という人が 私を訪ねてきました。
道を求めるならば、この私に仕えなさい、最もすぐれた教えを伝えましょう、と私に説いたのです。
まもなく、私は自らすすんで その仙人の召し仕えになりました。
その仙人の許で、毎日、木の実とり 水汲み 炊事など、日常全般の仕事を1人で 行なっていました。
師がお疲れになった時、腰掛けるものがなければ、地べたにうつぶせになって、腰かけにもなりました。
私は、そのようにして、その阿私佗仙人あしだせんにん に、千年も仕えておりました。
法を聞く喜びで心は満たされていたので、日常の労働を辛いと思ったことは、けっして ありませんでした。
私には、諸々の衆生を苦から救いたいという願いがあったからこそ、私は続けることができたのです。
実は、この阿私佗仙人とは、従兄いとこ の提婆達多だいばだった の過去世かこせ の身(姿)でありました。
このような過去世の因縁があるので、今、私は、この提婆達多にも授記を与えましょう。
提婆達多は、無量劫むりょうこう の長い年月を修行して、仏の境界へ達するでありましょう」。
つづく