大荘厳菩薩 だいしょうごんぼさつ 質問する
「世尊は今、私たち菩薩衆に、深遠な無量義の教えを説いてくれました。
お陰で、私たち菩薩衆は歓喜の感動で満ちています。又、現世利益と来世利益も、よく理解できました。
世尊、つづけて教えてください。 これほど素晴らしい功徳を具もつ無量義の経典は、
いったいどこから来たのでしょうか、そして、どこへ行き、どこに留とど まるのでしょうか」。
世尊
「よろしい・よろしい・おおいによろしい 大荘厳菩薩よ、 「菩薩行/菩提心」
この無量義の経典は、本仏ほんぶつ の室宅しったく から来て、衆生の発菩提心ほつぼだいしん に至るのです。
そして、最終的には、衆生の諸々の菩薩行ぼさつぎょう の中に留とど まるのです。
本仏の室宅しったく から来ての意味は、ー仏の心から自然に現われ出たものーということです。
つまり、この深遠な無量義の教えには、苦脳の衆生を救うぞと誓う、仏の心が顕われ出ているのです。
この無量義の教えの御心みこころ とは、真実甚尽しんじつじんじん の大慈悲心なのです。
だから、1切の衆生に菩提心を発せしめることが、この無量義の教えの目的なのです。
具体的には、仏が衆生に ー仏の悟りに達するまで努力していく心を起こさせるー ことです。
ですから、菩薩行ー仏の悟りに至るための良い行いーが、教えの住居となるのです。
この無量義の教えを学び修行を積んでいくと、誰でも、仏の悟りを得ることができるのです。
このように、無量義の教えの大きな功徳とは、衆生が皆、仏の悟りに到達できることなのです。
それでは、仏の功徳・10ケ条を、説きましょう。
第1の功徳、はー15項目ーあります。 「三宝印」
1 菩提心 ぼだいしん 無量義の教えは、大乗の教えを学ぶすべての衆生に、菩提の心を起こさます。
2 慈悲心 じひしん 無量義の教えは、大乗の教えを学ぶすべての衆生に、慈悲の心を起こさせます。
自分だけの幸せを望み、他人の幸せを嫌う心の人でも、又、人の苦を喜んで見ている人でも、
生き物を殺すことに何の抵抗の無い人でも、この無量義の教えを学ぶと
苦しむものを可哀そうだと思い、自分が救ってあげたという慈悲心じひしん が起きてくるのです。
3 感謝心 無量義の教えは、仏の教えを心からありがたく思う 感謝の心を起こさせます。
すると、自分より優れた人に対し、憎しみの心や嫉妬の心をもつ人も、
とうてい自分は、あの人の足元にも及ばないと思う 卑下心ひげしん をもつ人も、
仏の前ではどんな人でもすべて同じなのだ、という平等の心を理解するのです。
4 随喜心 ずいきしん 無量義の教えを学ぶ衆生は、随喜の心が芽生えてきます。
他人を妬む心の多い人でも、仏のようなすぐれた人に成りたいという 向上心が芽生えます。
その向上心が大きく膨らみ、やがて、心の中の悪心は、跡形も無く消えてしまうのです。
5 能捨心 のうしゃしん 無量義の教えを学ぶ衆生は、能捨の心が起きてきます。
能捨心とは、衆生の執着する心、つまり、愛箸心あいじゃくしん が消え失せた心のことです。
人間は、財産・地位・名誉・家族など、自分の身の回りに愛情を持つのは当然ですが、
それに愛箸あいじゃく すると、諸々の悩みや苦が生じてくるのです。
6 布施の心 無量義を学ぶと、自分のものを惜しむ/慳けんの心や、人のものを欲しがる/貪どんの心の強い人も
心から人のためにつくす、布施ふせ の心が 沸き起こるのです。
そして、世のためや人のために役立つ人間になろうと、努力するのです。
7 持戒 じかいの心 無量義の教えを理解すると、驕り高ぶる/憍慢きょうまん な心をもつ衆生でも、
自分の行ないの間違いに気づいて、過ちを正す心が芽生えてきます。
そして、仏の教えを守ろうとする、持戒の心じかいのこころ を強く持つようになります。
8 忍辱 にんにくの心 無量義の教えを理解すると、すぐに怒り/瞋恚しんに を表わす衆生であっても、
他人から何を言われても・どんな目にあっても、怒る気持ちや怨うら む心は、起きません。
逆に、ああ・なんて可哀そうなんだ、なんとかしてあの間違った心を直してあげよう、と思う心
つまり、しのび難きをしのび・たえ難きをたえる、忍辱にんにく の心が起きてくるのです。
9 精進 しょうじんの心 無量義の教えを学び仏の教えを理解すると、自分の進むべき本道から離れ、
つまらぬことに、うつつを抜かし道を誤り、懈怠げだいの心から、抜けきれない人であっても、
仏の説く次の三つの
諸悪莫作しょあくまくさ”ー悪いことをしてはならない。 衆善奉行しゅぜんぶぎょう”ー良いことを実行しなさい。
自浄其意じじょうごい” ー自分の心を清め、自分の道に精進する人間に成るのです。
つまり、1切の生命がそれぞれの持ち場でまっすぐに生きることの大事さに気づくのです。
10 禅定 ぜんじょうの心: 無量義の教えを学び仏の教えを理解すると、事情が変化するごとに、
心がグラグラ動き、ビクビクしたり・ホットしたりする、愚痴ぐち の多い人でも、
すべての移り変わる現象の奥には 変化しない真理があることに、気がつくのです。
そうなると、いつも静かな安定した心、禅定ぜんじょう の心で生活できるようになります。
11 智慧 ちえの心: 無量義の教えを学び仏の教えを理解すると、智慧ちえ の心が働いてきます。
智慧の心が働くと、目の前の事情に翻弄されて腹を立てたり、目の前のことばかり気になり、
心配ばかりしている人でも、だんだんと あとさきのことが見えてくるようになります。
すると、何かにつけての不快な思いは薄らいでいき、心も頭も澄みきってくるのです。
12 無我 むがの心: 無量義の教えを学び仏の教えを理解すると、無我の心が起きてきます。
自分も他人も、共に救われなければならないという自他不二の心に変わるのです。
13 無為 むいの心: 無量義の教えを学び、この教えが身につくと、悪心あくしん が消えてしまいます。
十悪の心をもつ人であっても、徐々に、すべての悪心が消えていくのです。 「十悪業」
自己中心の有為うい の心の人も、衆生を平等に観る仏の心である無為むい の心が生じてきます。
14 不退 ふたいの心: 無量義の教えを学び、この教えが身につくと、不退の心ふたいのこころ が起きてきます。
信仰の心が休みがちな人でも、信仰の心があと戻りしたすい人でも、猛然と心のなかで
自分も仏になるぞ、1歩も退くことなく修行して行こう、という心が 起きてきます。
すると、ゆく手に明るい道が大きく開けるので、心が喜びさらに奮い立つのです。
15 無漏の心: 無量義の教えを学ぶと、煩悩ぼんのう が消滅し、無漏むろ の心に変わるのです。
その反対の有漏うろ の心とは、煩悩ぼんのう に振り回されている心です。
うわ~、第1の功徳だけでも、こんなにあるのですね、オイラ、この先大丈夫だろうか‥‥おもわず本音‥‥ボサツマン
つづく 第2の功徳