世尊
「第2の功徳は、この経を学びひとつの法を理解する衆生は、無数の法が理解できるようになります。
まづ最初に、このお経の短い1段・1偈げ でも理解することが、限りない教えに通じていく道なのです。
なぜなら、お経の文字ひとつひとつが、仏だからです。
ひとつの仏の文字は、大きい深い意味を含んでいるので、ひとつの法から無数の法が生まれるのです。
この意味を、植物に例えると
1粒のタネが植物に成長し、その植物のタネが成長し、また、新しく植物となっていきます。
こうして、やがて、無数の植物が生息する大平原と成長していくのです。
人間の成長も同じです、ひとつの細胞が増殖を重ねて、人間の身体が形成されていきます。
このことはー仏の教えは1乗の教えーの根本の部分なのですが、のちほど、説くことにしましょう。
この第2の功徳を得た人は、心の底で煩悩の火がまだ燻くすぶつ ていても、その煩悩に惑わされなくなり、
生死(周囲の変化)にもビクビクすることなく、人生を生きていくのです。
第3の功徳は、仏の教えを広める気持ちが起きてきます。
まだ仏の教えを知らない人たちに、仏の教えを説き救いたいと思う心が、自然と起きてくるのです。
又、どんな困難な状態・状況に出会っても、必ず切り抜けていくぞ、という勇気が起きてきます。
例えば
ある船が大勢の乗客を乗せて航海中だとします、皆、その船の航海を楽しんでいます。
そんな時、もし、船長が急病になってしまったら、乗客の皆が、急に不安になってしまいます。
船が安全に航行するには、船長の指示が必要です。乗客たちは不安で右往左往うおうさおう しています。
だが、その船にはー第3の功徳を得た人ーが乗っていました。
その第3の功徳を得た人は、船(教え)はしっかりしているので、自分がまとめ役の中心を担って、
皆の心をひとつにまとめて、船を漕げる人を探して航海をつづけることは、可能だと思っています。
ー第3の功徳を得た人ーが船長の代役を務め、全員無事に、目的地まで辿り着くことができました。
第3の功徳を得た人は、このような突発的な時でも、落ち着いた行動が実行できる人なのです。
第4の功徳は、菩薩の仲間入りができるということです。
お経の1句でも良く理解した人が、自分が理解した仏の教えを他人に説き、その人を悟りに導くならば
もうその時、その人は、菩薩の領域に達した人です。
まだ完全な悟りではないが、菩薩の領域に達すると、諸仏・如来が直接ー法ーを説くのです。
諸仏や如来が、衆生に直接法を説くということは、ーその人が仏と正面で向き合ったーということです。
これは、たいへん深い意味があるのです。
それまでは、目の前の仏に背を向けたり横を向いていたり、仏の真正面を向いていなかった自分だが
今は、キリット立って胸を張って、仏と正面で向き合っている自分である、ということです。
そうなると、その衆生は、仏の光(教え)を、思う存分最大限に享受きょうじゅ することができます。
たとえ、1年生の菩薩でも、深く完全に菩薩の境地に達した衆生でも、
繰り返し無量義の経典を読誦し、深く学んでいくと、仏の教えの真髄をどんどん吸収していけるのです。
ここまでくると、その衆生はーいつも仏の慈愛に包まれている自分ーを自覚することができます。
第5・第6の功徳は、他人に法を説き、迷いや苦から離れさせる菩薩行が、できるようになります。
たとえまだ、迷いをすっかり除ききれない身の衆生でも、無量義経を受持し・読誦し・書写するならば、
その衆生の日常における言動は必ず、世の中に大きく役に立つのです。
菩薩行の第一歩とは、
すべてを悟ってから人に教えを説くのではなく、自分がひとつ悟ればそのひとつを伝えることです。
第7〜10の功徳は、自分も他人も悟りが開かれるのです。
衆生がこの無量義の経を深く理解し、修行を重ねて教えを人に説き、布教に努力していくと、
人を救うことも広くなっていくと共に、自分自身の悟りも どんどん開かれていきます。
そしてついには、仏と同じ境地の悟りに至ることができます。
だが、この境地は、1段ごとに、ますます高くなっていく境地です。 非常に難しい境地なのです。
菩薩衆たちは、その境地に近づくにつれて”ああこれなんだ”と実感する時が、必ずくるでしょう」。
世尊の説法が終わると、大荘厳菩薩や法座の大衆全員が、世尊に向かい
ー私たちは、如来の滅後には必ず、このお経を流布することを 堅くお誓いいたしますーと、
声高らかに誓い合掌して、世尊(仏)をさまざまな心と形で供養いたしました。
大衆の誓いの言葉を聞きた世尊は、たいそう喜び
「あなたがたは、今、本当の仏子ほとけのこ になりました。これからは、あなたがたが衆生を救うのです。
どうぞこれからは、大乗の教えを1切の生命に施してください、頼みましたよ」。
大衆一同は大歓喜して、教えをしっかり胸に修めて、この無量義経の法座は終了しました。
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無量義経の要点
○ 釈尊は、普通の人間の姿形をしているが、実の本体は法身ほっしん である。
法身とは、宇宙の大本おおもと の法である、仏の本体が、人間の身をして顕れていること。
この大本おおもと の法を、人間はー真理ーとよんでいる。 真理が人間・天地の万物を生かしている。
○ 釈尊が過去世で積んだ無数の善業の因が、現世にて修行という縁えん に出会った結果、
仏の悟りという果か を得たのは、因縁果いんえんか の法(真理)であることを、菩薩衆たちは理解した。
○ 人間は皆、仏性ぶっしょう (仏の素質)があるから、成仏じょうぶつ (仏の悟りを得る)できる。
○ 仏の説くすべての法は、ひとつの真理の法から出ている。この真理の法を、実相じっそう という。
……………………………………………………………………………… 「法身/報身/応身」「菩薩は仏の代理人」:「授記の順番」
オイラも、大歓喜の大感動です。 次の法華経も 必ず聞くぞ〜。
まづ、家に帰って風呂入ってビール飲もうと 久しぶりのビールだ〜!……… ボサツマン
「いよいよ法華経」へ