如来寿量品 (24)
経文: 『時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅…』 ★27「ここの経文」
「時に我 及び衆・僧と 倶とも に 霊鷲山りょうじゅせん に出ず 我 時に衆生に語る 常に此ここ にあって滅せず
方便力ほうべんりき を以っての故ゆえ に 滅 不滅ありと現ず。
余国に衆生の恭敬くぎょう し 信楽しんぎょう する者あれば 我復また 彼の中に於いて 為に無上の法を説く
汝等なんだち 此れを聞かずして 但ただ 我 滅度めつど すと 謂おも えり」
世尊
「質直しつじき な心 つまり 柔軟な心は 仏を見ることができるのです。
衆生の心が 質直・柔軟になれば その時 私は多くの僧を伴い この娑婆世界に現われます。
そして 自分は常に此にいて滅することはないと 衆生に語るのである。
又 教化きょうけ の手段として必要に応じて 滅することもあるし 不滅の身を顕わし説くこともあります。
そのほか 娑婆世界以外でも 正法しょうぼう を敬い信じ 教えを聞きたいと希こ い願う衆生があれば
即 私はその衆生たちに その場所に現われて 無上の法を説きます。
衆生の皆は このことを知らずに ただ一途に 私(世尊)が滅度するものと 思いこんでいるのです。
及び衆・僧と倶とも に‥‥は 私と多くの弟子たちが一緒に この世に現われるという意味です。
僧とは 仏の信仰者で 教えを信じ・行じる衆生のこと。 霊鷲山りょうじゅせん とは 娑婆世界をいいます」。
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経文: 『我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰 因其心戀慕 乃出為説法…』 ★28「ここの経文」
「我 諸々の衆生を見れば 苦海に没在ぼつざい せり 是の故に身を現ぜず 其れ渇仰かつごう を生ぜしむ。
其の心 恋慕するに因って すなわち出でて為に法を説く。 仏の神通力じんつうりき 是かく の如ごと し。
阿僧祇劫あそうぎこう に於いて 常に霊鷲山 及び 余の諸々の住処じゅうしょ あり」
世尊
「私の仏の目で 諸々の衆生を見れば 多くの衆生が苦の海に沈み 苦しみもがいてのが見えています。
この時こそ 私は身を顕わさないで 衆生に 自ら仏を求める心を 起こさせるのです。
衆生の心に 仏を恋慕れんぼ する気持ちが起これば 私はすぐに身を顕わして 救いの法を説くのです。
恋慕れんぼ の心とは 仏にすがりたい心・仏の絶対力を求めてやまない心です。
仏の神通力とは こういうことであります。
娑婆世界 及び その他の世界に 仏は無限の過去から無限の未来まで 住しているのです」。 つづく