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田村耕一の肖像 |
田村耕一は「鉄絵」技術で、昭和61年春、重要無形文化財保持者に認定された。この制度は、文化庁の前身の文化財保護委員会時代の昭和30年代から行われているもので、今では人間国宝という俗称の方がとおりがよい。陶芸の分野では昭和63年までに17人が保持者として選ばれているが、田村耕一の場合は浜田庄司以来ひさびさの栃木県人の保持者であった。
田村耕一の陶芸は、昭和40年代後半から、それまで扱ってきた鉄釉(黄褐釉や黒釉、柿釉など)に加えて、辰砂釉(釉中の銅分が還元されて紅色に発色する)や、青磁釉を扱う割合が増えていたが、絵付け主体の構成という点では、それまでと大きく変わるものでなかった。
このように彼の陶芸がほぼ一貫して鉄釉の変化を取り入れた絵付けを中心に展開し、しかもその表現の上で優れた成果が見られたことから考慮すれば、指定名称を「鉄絵」としたのは適切であり、技術的特徴を示すと同時に、彼の陶芸の内容を総括し、評価した指定であることがわかる。
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