[PEACH PIECE-ピーチ・ピース]
第一章 サンフレッチェ
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季節は春……。
桜吹雪の舞う中で、一人の若者が熱心に剣を振るっている。
その身のこなしは舞のようであるが、しかし、その斬撃は力強く、彼の足元には真っ二つになった桜の花びらがいくつも落ちている。
「桃太郎や、ちょっと休みなさい。おいしいきびだんごができたよ」
桃太郎と呼ばれた若者は、近くの小屋から聞こえる老婆の声に振り返り、剣を収めると、
「ばあさん、分かったよ。きびだんご、百個できたんだね?」
「馬鹿、二百個だよ。昔、『きびだんごの鉄人』と呼ばれたワタシの腕を見くびんなさいな」
縁側に姿を現した老婆は血色も良く、桃太郎の冗談に大言壮語で応えた。実際のきびだんごの総数は、二十個といったところであろうか。縁側に腰掛けた桃太郎は、老婆から手渡された手ぬぐいで汗を拭くと、早速、盆の上に積まれたきびだんごを平らげにかかった。
日はぽかぽかと暖かく、時おり吹くさわやかな風が桜の季節、春を実感させる。団子を喉に詰まらせて、苦しそうにうめく桃太郎の逞しい背中をさすってやりながら、老婆は、昔の日のことを思い出していた。
「おばあさんや、今、帰ったぞ。喜べ、今年は良い作物が取れそうじゃ」
老婆は、桜の木の向こうからやってくる老夫に気がついた。周りには、いつの間に集まったのか、小さな子ども達が輪を作って遊んでいる。
「桃太郎や。子ども達と遊んであげなさい。ほれ、きびだんごも忘れるなよ」
「はい、おじいさん。では、行って来ます。みんな、お兄ちゃんと遊ぼう!」
子ども達と手をつないで野原へ出かける桃太郎を見つめながら、老婆は、ため息混じりにつぶやいた。
「おじいさん、もう間もなくなんですね……」
「そうじゃな。殿様との約束の日までもう間もない。子宝に恵まれなかったワシらにとっては、桃太郎は、天が与えてくれた大事な息子じゃからの……」
「十六年前のあの時も、今日みたいな暖かい日でしたね。おじいさん」
「そうじゃな……。だが、ワシはたまげたぞ。川から大きな桃が流れてきて、中に人の赤ん坊が入っていたときは!」
老夫は、持っていたくわを立てかけ、縁側に腰を下ろすと、老婆に勧められるままに湯飲みを手に取った。そこにひとひらの桜の花びらが舞い落ちる。
「けれど、あの子のおかげで、今のわたしたちがあるんですもの」
「確かに」
老夫は言って、湯飲みの茶をすすった。
「鬼どもが現れてからというもの、ワシらは苦労の連続じゃった。桃太郎がいなかったら、おまえの目の辺りのシワも、もちっと増えていたかもしれんのう。わははは……」
「まあ、いやですよ。おじいさんたら」
『鬼族』の出現から六十年余り。ヤポン国の人々は、大分、精神的再建を果たしていた。しかし、物質的には六十年前とさほど変わらず、貧しいままである。実力で鬼どもから領土を奪回しようという気運は乏しく、戦ってもかなうはずがないというのが、大方の人々の思いである。
しかし、最近、突如として現れてきたのが『勇者待望論』である。ヤポン国でも有名な易者が唱えたのが始まりとされるこの『勇者待望論』は、勇者達が力を合わせて鬼どもの頭目を打ち倒すといったものであった。
まさに他力本願、英雄崇拝もいいところだが、ヤポン国では、実際に『勇者捜し』が始まった。実在するかどうかも分からない勇者達に国家の命運を託すなど、笑い話もいいところではあるが、実際、ヤポン国の力も権威も、もはや無きに等しかったのである。そんなヤポン国の国民にとって突如現れた『勇者待望論』は、まさに最後の希望であった。
国を挙げての『勇者捜し』は、当時十四歳であった桃太郎の発見によって現実味を帯び始めた。
かつてヤポン国騎兵部隊に所属していた老夫の指導を受けたとはいえ、桃太郎の剣技にはすさまじいまでの冴えが見られた。
桃太郎を一目見たヤポン国の役人は、「勇者」と直感したという。その後、ヤポン国各地方からも何名かの『勇者』が見つかり、彼らと共に桃太郎は、十六歳になった今年の初夏、鬼討伐の旅に出発することになった。
無論、桃太郎にしても、他の「勇者」にしても、鬼討伐の話を引き受けるつもりはまったくなかった。しかし、日々高まる『勇者待望論』がそれを許さなかった。役人達の手によって誇張された『勇者待望論』は、ヤポン国中に喧伝され、桃太郎達は勇者にまつりあげられていた。
人々は、彼ら「勇者達」がヤポン国を救ってくれるということを信じて疑わなくなっていた。もはや、彼らには、選択の余地はなかったのである。
「ワシとしては桃太郎を鬼退治になど行かせたくはない。しかし、殿様のたっての願いということじゃからのう」
「こうなったからには、ワシの目の黒いうちに鬼どもを倒して欲しいものじゃ―――おじいさん、こう続けたいのでしょう?」
「そうじゃよ。桃太郎のあの強さ、鬼どもなど敵にもならんよ」
「でも、おじいさん。桃太郎は、鬼退治に行きたくないようですよ。あの子は、昔からやさしい子だったから。この間、子ども達から『がんばって鬼を倒しておくれよ』と声をかけられたのを見かけましたけど、あの子、とても悲しそうな目をして頷いてましたよ……」
「そうか……。でも、それはおまえの考えすぎじゃ。もうすぐこの村の人達と別れてしまうのがつらかったんじゃよ」
「とにかく、桃太郎がいない間、わたしとおじいさんとで家をしっかり守らないと……。せっかく鬼どもを倒しても、帰る家がなければどうしようもありませんからね」
少々しゃべり過ぎたのか、老夫は黙って首を縦に振った。いつの間にか陽は西の空に沈みかけ、カラスの鳴き声が中天にこだまする。
「おじいさん、中に入ってくださいな。春とはいえ、夜は冷え込みますから」
老婆は、夕食の準備のため、土間へと降りていった。老夫は、遠くから聞こえる家路へと急ぐ子ども達の歌声に、懐かしそうな顔をして、耳を傾けていた。
「平和になったものじゃ。ワシが子どもだった頃に比べてはな……」
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