[PEACH PIECE-ピーチ・ピース]




 第一章 サンフレッチェ


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 「鬼共和国」の首都ラボンは、かつて流刑地であった北方の四島のうち、最も広大なカラムシル島にある。一年中荒い波が押し寄せ、空を覆う黒い雲は途切れることがない。
 鬼達は、自分達の種族のうち国王を含めた最高幹部と人間達の一部をこの首都に置き、大多数の人々と、下っ端の鬼達を肥沃な本土で働かせているのである。
 今は、年二回ある納税期のうちの春の納税期に当たり、本土と島とを結ぶ巨大な橋を伝って、大量の農作物、金、奴隷などを乗せた牛車や手押し車の列がこの首都まで長い行列を作る。その光景は、ラボンの中心にある巨大な白のバルコニーや天窓からは、まるで、途切れることなく続く蟻の大群のように見え、鬼達は、納税の季節が来ると、人間達への侮蔑の意味を込めて、「蟻どもが来た」と表現するのである。
 人々の目の前には、もはや絶望だけしかなかった。かろうじて生きていけるだけの食糧しか、彼らには残されていなかった。もともと、旧ヤポン地方は豊かな土地ではあるのだが、それだけに以前の生活との落差は激しく、もう、このようなことが何十年と続けられている。当然、逆らう者もいたが、そのような者は殺されるか、きつい労役を課され、同士とは離れ離れにされた。一村には、数人から数十人の鬼達が駐留し、納税の監督や謀反者の取り締まりを行った。
 一方、鬼達に協力する意志があり、かつ有能な人物は、次々と登用され、彼らの同胞を支配させた。これには、人材不足の解消と、被支配者の憎悪の矛先を分散させるという意味において、少なからぬ効果をあげていた。
 そして、今、鬼共和国国王の前で跪く男も、民衆の中から登用された一人であった。
 「用とは何か?」
 国王、アリシュエシドは、量感のこもった声で用件を尋ねた。一段上の玉座に座っているのだが、視線の高さは、下にいる男が立ったとしても、なお二倍以上に達するであろう。
 「はっ。実は、国境警備隊から報告が入りまして、ヤポン国の兵力の大多数が北へ移動しているとの事です」
 男は、少しためらってから、事実のみを告げた。多少の圧迫感を感じたのか、額の汗を手で拭っている。
 ―――この圧迫感に慣れる日は、いつ来るのだろうか。
 男は、主の姿を見つめながら、そんなことを考えていた。ヤポン国ではない鬼共和国の軍服に袖を通してから、三年の月日が過ぎ去っていた。それでも、国王との謁見の際は、未だに身が引き締まる思いがする。
 「ほう……。して、その数は?」
 「ホライズン城壁から見える範囲で一万騎ほど確認されました。なお、歩兵の姿は確認されていないとの事です」
 『ホライズン城壁』とは、今から六十五年前に建造された石の城壁で、高さ十六尺五寸(約五メートル)、幅十尺(約三メートル)、長さは七十六里(約三百キロメートル)にもおよび、半島を南北に分断している。ヤポン国の民衆は、鬼どもと自分達の国の境界線となったその建造物を憎しみと畏敬の念を込めて、短く『壁』と呼んでいる。
 「分かった。ところで、ニシヤマ副参謀長、この現象に対して君の考えを述べたまえ」
 副参謀長! ニシヤマは胸が高鳴るのを感じた。彼は未だ参謀本部付補佐官という立場にあったが、重厚な雰囲気は変わらず、どことなく教授風の物言いをする国王は、ニシヤマを試しているに違いない。国王を感服させれば、補佐官から副参謀長に昇格というところであろうか。
 「私めが愚考するところ、我々の目を欺く為の陽動部隊かと思われます。なぜなら、我が軍の精鋭部隊を相手に、たかだか一万騎の騎兵部隊に何ができましょうか?」
 一気にまくし立て、国王の表情を観察する。アリシュエシドは、皮肉っぽい笑みを浮かべると、ニシヤマに先を促した。
 「さて、ヤポン国の狙いですが、ヤポン国に放った間者からの知らせによると、ヤポン国では大々的に勇者を募い、何やら特殊部隊を編成したとの事。奴等、無謀にも、ヤポンの陽動部隊が我が軍を引き付けているうちに、彼ら特殊部隊を国内に忍び込ませようと企んでいるに相違ありません」
 「ご苦労な事よな……。よろしい。汝の考えはいささか突飛な気もするが、用心するに越したことはない。ニシヤマに命じる。二日後、兵二万騎を率い、汝の言うヤポン国の企みを封殺せよ!」
 「はっ!」
 広間に若い将校の声が響き渡る。この瞬間、ヤポン国、鬼共和国との間に幾度となく開かれた戦端が再び開かれる事が確実となった。それは、血の色をした宣誓でもあったのである……。


 ……二種類の鬨の声。一つは鬼のもの、もう一つは人のもの。
 吹き付ける風は血の臭いを含み、刃鳴りの音を遠くまで運んでゆく。
 春も終わりかけたある日、ヤポン国と鬼共和国の両軍は、ホライズン長壁より南方一里半(約六キロメートル)の地点で激突した。
 ヤポン国の兵力は約一万。すべて騎兵である。対する鬼共和国は、若き人間の指揮官ニシヤマ率いる重装歩兵と騎兵が一万騎ずつであった。それに、長壁駐留の歩兵の二千騎を加えた鬼共和国の総兵力は、二万二千となり、強健な兵力を持つ鬼共和国側が数、質ともに有利であった。
 速攻速決―――。ニシヤマの神速の用兵は、ヤポン国側に衝撃を与えた。たかだか二十代の若い将校に策略をあっさりと洞察され、そして今、苦戦を強いられている……。機動性の高い騎兵部隊を走り回らせ、鬼どもの関心を引く一方で、桃太郎をはじめとする『勇者』達に国境を突破させ、隙を突いて敵の本拠に乗り込むという作戦は、今となっては、それも机上のうちで成立しうる多くの作戦案のうちの一つでしかなかったようである。
 猛烈な鬼共和国側の攻勢に耐えかねて、ヤポン国側は、退却命令の準備に入った。うまく逃げ回れば、大分計算違いが生じたとはいえ、何とか目的を達成することができるであろう。
 しかし、どこからともなく飛来した矢が、今まさに退却を告げる角笛を吹き鳴らそうとしていた兵士の眉間に突き刺さった。不幸な兵士は、角笛とともに馬上からもんどりうって砂塵の中に転げ落ちた。
 弓を提げたニシヤマは、指揮下の部隊のうち、騎兵隊のみに突撃命令を下した。
 彼は、必死であった。かつての祖国の兵と戦うのは心が痛むが、三年前に鬼共和国に仕官を決意した時から、彼は鬼共和国の一員となったのである。
 ニシヤマ自身が先頭に立ち、血槍を振り回しながら、騎兵隊を先導する。鬼共和国の騎兵隊は、ヤポン国の陣中を蹂躙した。そして、逃げ惑うヤポン騎兵隊を『長壁』側へと追い詰めてゆく。
 勝敗は、もはや決した。自軍の倍以上の敵兵に囲まれたヤポン軍―――それはもう軍とは呼べなかった―――は、鬼共和国軍に一方的に殲滅され、死屍を積み重ねていくのであった……。

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