[PEACH PIECE-ピーチ・ピース]




 第一章 サンフレッチェ


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 それより少し時間は遡る。
 ホライズン長壁の南、三十里半(約百二十キロメートル)の地に、ヤポン国の首都、エドがある。
 かつての栄華を極めたあの頃が戻ってくる程ではないにしろ、ここ数百年間は政治経済の中心地であったこの都には活気があった。通りにはいくつもの商店が軒を並べ、時折、威勢の良い声が街を行く人々を引きつけ、奥まった通りには職人の店があり、様々な品物が昔ながらの方法で作られていき、この国の歴史の長さを垣間見ることができる。
 中央の大通りを進んで行くと、やがて、三重の堀に囲まれた見事な城が現れる。適度に年季の入ったこの城は、言い知れようのない威容を人々の目に振りまいていたが、その城の主までもがそれに倣うというわけではない。
 ヤポン国の四百五十六代目君主、門松宮琴経(かどまつのみや ことつね)を見て、城に集められた三人の「勇者」達は、期せずして同じ感想を抱いた。
 「素晴らしい。よくこんな君主で、ヤポン国は今まで持ってこられたものだ……」
 勇者のひとり、身が軽く、そのうえ韋駄天の足を持つ男、亥猿勇はまた、こうも思った。
 「俺よりも変な名は良いとして、この男、一体何を食べればこんなにも太れるんだ?」
 琴経は、でっぷりと太ったその身体を大きくゆするようにして、大儀そうに君主の座に腰を下ろした。そして、血色の悪そうな顔で、畏まる三人を見つめる。
 さらに、もう一人の勇者、妖術を使う少女、英華(エイカ)はあることに気づいた。
 「奥にいる化粧の濃いばばあは何者なの? あれなら妖怪の方がまだ可愛げがあるわ」
 琴経公の母親、霧子皇太后は、一歩下がった位置でにこやかに微笑んでいる。しかし、英華を見つめるその目は、決して笑ってはいなかった。
 二人の「勇者」の間で畏まっている剣士、桃太郎は、素直にこう思った。
 「腹が減った……」
 三者三様の思いの中、やがて謁見は始まる。
 「では、始めるとするか」
 贅を尽くしたきらびやかな着物を身に着けた君主は、ゆっくりというよりはのんびりと口を開いた。
 「えっ……と、何だったっけ?」
 静寂。
 傍らにいた小姓があわてて耳打ちするなか、亥猿勇は歯を噛みしめ、英華は呆れたようにため息をつき、桃太郎は、これから訪れるであろう昼飯のことに思いを馳せていた。
 「ああ、そうであったな」
 琴経公は、小姓の言葉に頷くと、桃太郎たち「勇者」達の方へと振り返った。
 「お主らには鬼退治を命じる。詳しい話は別室にて行うことにする。よいな?」
 「ははっ」
 内心はどうあれ、三人はひれ伏した。待ち時間の長さの割に短かった謁見は終わり、三人は別室に通された。
 ヤポン軍敗戦の報がもたらされたのは、その直後のことであった。


 上空を一羽の燕が舞っている。
 敵軍の主だった将軍の首級の検分を終えると、司令官ニシヤマは、地べたに座り込み、すっきりと晴れた青空を見上げた。そのままの体勢で近くに控えているやや小柄な鬼に話しかける。
 「藍兎(あいと)、あの燕は何を考えていると思う?」
 藍兎と呼ばれた鬼は、兎のような赤い目をくるくると動かして真剣に考え込んだ。彼は、普通の鬼のような粗暴さとは無縁で思慮深く、優しい性格の持ち主である。そのためか、仲間の鬼からも白い目で見られることが多かった。しかし、二年前、現在の上司であるニシヤマに見出され、今では軍部の若きエリート候補生のひとりとなった。
 「はあ……。今晩のねぐらの事とか食べ物の事とかでしょうか?」
 「違う、違う」
 ニシヤマは、大げさに首を振ってみせると、勢いをつけて立ち上がった。
 「これはあくまで俺の推測だが、奴らはただ、飛ぶ事だけを考えている」
 「飛ぶ事だけ……ですか?」
 藍兎の大きな目が、再びくるくると動き出す。副官のやや困惑したような問いかけには答えず、ニシヤマは再び地べたに座り込む。
 赤と緑。眼下に広がる極彩色の絨毯には、折り重なるように人馬の死体が横たわり、突き立った槍と死肉の臭いを嗅ぎつけて集まった鴉の群れが、まるで墓場を思わせる、一種不気味な光景を創り出していた。
 ニシヤマは、しばらくの間、その光景を眺めていたが、やがて、忠実な部下に対して新たな指令を下した。
 「とりあえず、我が軍の制圧範囲内にあるヤポンの街道を封鎖しろ。俺も兵を率いて北の国境へ急ぐ。怪しい奴は全て引き止めろ。逆らう者は、斬っても構わん」
 「了解しました。早速、手配しましょう」
 本来の仕事に立ち返ると、藍兎はいたって有能であった。
 全く、ヤポン軍の騎兵隊に完勝したからといって、今回の任務が完了したわけではないのである。集団戦法に対する「ケンジュツ」の不利を、テロリズムや暗殺といった手段に訴える事で補うことなど、少々安直ではある。しかし、災いの芽は摘み取っておかねばならない。ニシヤマは、そう考えていた。
 こうして、鬼共和国の兵士のうち、一万人が、百人ずつ百組に分かれて「勇者狩り」を開始した。
 残る一万の兵は、藍兎が率いて、近くの町に移動し、本部との連絡を保つことになった。
 桃太郎一行の出発日より、二日前のことであった。


 エドの城下町がだんだんと小さくなり、やがて見えなくなった。
 三人の「勇者」達は、エドの町を出る頃にはすっかり意気投合していた。救いがたいことに、三人が三人とも「自分ひとりで鬼どもの頭目などやっつけてみせる」と息巻いてエドに参上したという。彼ら、似た者同士の三人が打ち解けるのには、さほど時間はかからなかったわけである。
 今では、彼らの心境はこのように変化した。「これで自分の苦労は三分の一になった」、と。
 北へと続く街道をとりあえず直進することに決めた三人は、初夏の陽射しの中をのんびりと歩いている。街道を行く人の数は少なく、でこぼこ道が延々と続いている。
 「城の偉そうなお侍さんの話によると、俺達と連係する予定だった騎兵部隊は全滅しちまったって話だぜ。だらしねえよなあ」
 亥猿勇は、頭の後ろで手を組みながら、先頭をゆっくりと歩いている。
 「そうね。おとりがやられちゃうなんて、何のためのおとりだったか分からないわ。まあ、はじめから期待してはいなかったけれど……」
 亥猿勇と桃太郎にはさまれる形で真ん中を歩いている英華は、ため息混じりにつぶやいた。
 「結局は、僕の剣しかないのかな?」
 英華のつぶやきに呼応して、桃太郎はぬけぬけとそう応える。
 「へえ。あなた、そんなに自信があるの? 勇者に選ばれたぐらいだから、剣の腕前はそこそこあるんでしょうけれど、世の中には剣だけで解決できない事が多いのよ」
 十五の少女が十六の少年に説教する。どうやら、一行の主導権は彼女の側にあるようだ。さらに、その十六の少年より小柄な十八の少年が話の腰を折る。
 「腹が減ったぜ。休憩しようや」
 見ると、亥猿勇少年は、木の切り株に腰を下ろし、荷袋の中からおむすびの入った包みを取り出していた。
 「……って、まだ出発してから一刻も経っていないんだけど」
 「まあ、そんなに急いだって仕方ねえさ」
 呆れ顔の英華に対して、亥猿勇はのんびりと応える。
 「あんたねえ……」
 「おっ、桃太郎さん。これがきびだんごですかい?」
 「そうだよ。きびだんごの鉄人、うちのおばあさん特製のね」
 いつの間にか桃太郎も亥猿勇の隣に腰かけ、きびだんごの包みを広げているのであった。
 「……って、これじゃ私が馬鹿みたいじゃない!」
 英華の思いをよそに、二人は少し早い昼飯を平らげ始めていた。
 「仕方ないわねえ。私も昼御飯にするわ」
 ため息を一つついて、英華は、桃太郎の隣に腰を下ろした。
 「何だかあれこれ考えるのが馬鹿らしくなってきたわ。あなた達といると」
 「あれこれ考えたって、どうせなるようにしかならないと思うよ。僕達は、鬼の大将をやっつけるという馬鹿げたことをしに行くわけだしね」
 桃太郎はそう言うと、きびだんごの包みを英華に手渡した。包みを受け取った英華は、きびだんごをひとつ取り出し、口に入れる。
 「美味しい。何だか懐かしい味がするわ……」
 「そうだろ。うちのおばあさんが作るきびだんごはヤポン一さ」
 桃太郎が自身たっぷりに宣言する中、今度は亥猿勇が立ち上がった。
 「さあ、出発だ! 俺達、大馬鹿勇者御一行のお通りだーい!」
 「ち、ちょっと。早すぎるわよ。待って……」
 見れば、英華は昼飯の包みを広げようとしているところである。
 「言っただろ。俺は何でも速いんだ。早飯、早便、芸のうちってね」
 「そういうことは自慢にならないと思うけどね。さて、僕も行こうかな」
 「桃太郎、あなたまで! 乙女の食事は、時間がかかるのよ」
 英華は、御飯を口に入れたまま、モゴモゴと口を開いた。そのさまは、とても乙女の食事の様子には見えない。
 そんな英華の様子を見ていた桃太郎と亥猿勇は顔を見合わせた。そして、異口同音にこう言ったのである。  「乙女!? 誰が?」
 桃太郎と亥猿勇の二人は数秒後、頭に新しいたんこぶを作ることになる。
 三人の勇者達は、こういった人達であった。

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