[PEACH PIECE-ピーチ・ピース]




 第一章 サンフレッチェ


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 「見えた! 関所が見えたぞ!」
 亥猿勇の目前には小さな二つの丘とそれに挟まれるようにして立っている巨大な関所の建物が現れた。周囲には、見張りのやぐらや見張りの兵士のための詰め所が並んでいた。後ろには、すでに数十人にも及ぶ鬼の集団が血眼になって追いかけて来る。
 「あらよっと!」
 関所を見張っていた鬼が引き止める間もなく、小柄な人間の少年は、高さ十五尺(約4.5メートル)はあろうかという関所の壁の上に飛び乗った。そして、目を丸くする鬼どもに指でVの字を作ってみせると、宙でくるりと一回転して、無事関所の向こう側の地面に着地した。
 「開門だ、開門しろ!」
 後ろを追いかけて来た鬼どもが関所の門に殺到する。
 「だめだ! ニシヤマ司令官に何事があっても開門せぬように指示を受けている。開けるわけにはいかん!」
 「しかし、今、人間の子供がその門を飛び越えただろう。我々はそれを捕らえねばならんのだ」
 「ならん! どんなことがあっても開けぬ。たとえ仲間の頼みといえども」
 「貴様、同族の俺達より人間の肩を持つというのか!!」
 あやうく、門番と追っ手の鬼の醜い同士討ちに発展しようかといったその時、一頭の馬が関所に入って来た。
 「誰かこの門を突破した奴がいたか!」
 ニシヤマは、まさに鬼気迫る表情で門番の鬼に詰め寄った。たった今まで騒然としていた鬼どもも口を閉ざし、複雑な表情を浮かべて若き人間の指揮官に注目する。
 「はっ……人間の子供がひとり、止める間もなく軽々と飛び越えていきました」
 「一人だけだな?」
 「はい。確かにひとりだけです。……申し訳ありません」
 「いや、気にしなくていい。奴には仲間がいる。人間の少年と少女がひとりづつだ。仲間達が国境を抜けられない以上、小童ひとりに何ができようか!」
 ニシヤマは門番の報告に満足そうに頷くと、さらに続ける。
 「門を開けて追いかけることこそ、奴らの望むところ。もう奴らの捜索はしなくていい。全員、一日三交代でこの門を見張れ。蟻の子ひとり通すな!」
 「はっ!」
 ニシヤマの圧倒的な迫力と、その冷静な思考に鬼どもはただ従うしかなかった。先頃の桃太郎との闘いにおいて無様な敗北を喫したことが、普段は冷静沈着なニシヤマの闘争心に火をつけたといえるだろう。それは頼もしくもあるが、また不安材料でもある……と、彼の絶対的な上位者である国王アリュシュエシドが今のニシヤマを見ていたなら、そう思ったに違いない。しかし、さしもの国王とても千里眼の所有者ではなく、勇者発見の吉報が届くや、素直な喜びを示していた。
 「ご子息のご誕生、まことにめでたく存じまする」
 老境に差しかかって来たアリュシュエシドに代わって、内政を担当している宰相ライドマールは、角を正面に見せるぐらいに深々と頭を下げた。彼も人間でいえば五十位の年齢で、ひょろっとした身体によれよれの西方風のスーツを身に包み、これまた不恰好な大きさの眼鏡をかけている。
 「うむ」
 「これまでお生まれになったのは皆、人の形をした子のみ。臣下一同、どうなることかと心配していましたが……」
 国王には、当然のことながら後宮に幾人かの寵姫がいる。その全員が人間の娘だという事実に、鬼と人間との美的感覚の共通性が窺える。さて、これまで、正室との間にはなぜか子が生まれず、二度、寵姫が人間の形をした子供を出産したのみだった。しかし、この度、人間の胎内から見事、鬼の子供が生まれたのである。
 このことからも、人間が鬼の子供を産める性質を持っている事実の裏付けとなるのだが、それが知られるようになるのは、後の世のことであった。
 「人の形をしていたからとはいえ、余の子達を捨てるのは忍びないものであった。しかし、国王たる余が臣下に対して信を示さぬわけにはいかぬ。王冠は、常に鬼の頭上になければならぬのだ……」
 「確かにそうですな。大きな桃に納められる赤子を見て、我々は襟元を正しました。その翌年、またもや同じ光景を見て、我々は涙を流しました。度量ある国王を持って、本当に良かったと皆、口々に呟きました……」
 赤子の処置に国王は悩んだ。我が子を直接手にかけるのにはためらいがあったし、国内で養子に出したとしても、将来、何かと問題が付きまとうだろう。悩んだ末に出た結論は、腐りやすい大きな桃の中に赤子を入れ、ヤポン国へ通じる川に流すことであった。運が悪ければ、赤子は海まで流されるか、桃が腐り、水死してしまうだろう。運が良ければ、誰かに拾われ、何とか生きていけるだろう。肉親に対する感情は、理屈では説明できないものであり、この場合でも例外ではなかったのである。
 「あれからもう十五年……。余が私心を捨て、臣下に襟度を示した報いがついに訪れた。余の死後も頼むぞ、ワイマール」
 晩年に入り、やや情にもろくなったり、昔のことに思いふけるようになることが多くなったアリュシュエシド国王だが、まだ本格的に衰えてしまったわけではない。「鬼共和国」自体はまだまだ若い国であり、二代目、三代目と引き継がれていくうちに、さらなる発展を続けていくだろう。
 「国王陛下もお気が早い。もう一つ大きな事業が残っております。それまでは、どうかご壮健であられますよう……」
 「そうであったな……。三年以内に完成させたいものだ。ライドマール、もう下がってよいぞ」
 やせっぽちの宰相が退出した後、国王は執務用の机に向かって、ひとり、何事かを考えていた……。

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