Departure〜彼らのスタートライン〜

2.俺とヤマトと彼女と人生

Chapter 7

 (1)

 ポリスパトロールの重松が帰っていってからも、進はその場を離れなかった。
 見えるものはただの海。岸壁に寄せては返す波の音だけが聞こえてくる。その場に進はじっと立ち続けていた。

 尊敬する人を亡くし、心の支えの艦を失った自分は、これからもなぜ生きていくのか? その師が望んだこととはいえ、多くのものを失った身には、生きていくことはあまりにも悲しい。
 死を求めようとは思わない。けれど、生を求める正当な理由もわからない。ただ、生きていくだけの人生は、それも悲しい。

 なゼ、人は生きているのか…… 古代進の自己への問いはまだ続いている。

 だが、この地を訪れて、進と同じ思いをしながらも強く生き続けた人々が、数百年前にも大勢存在したことを、今更ながらに知ることができた。
 胸に痛みを感じつつ、大きな荷物を背負ったまま生き続けた人々。亡くなった仲間の分も生きていかねばと努力した人々。
 その生きる支えとなった原動力とは、いったいなんだったのだろうか……

 進は再びその場に腰を下ろすと、静かに目を閉じた。

 時が流れていく。太陽が半円の最高点を過ぎ再び水平線へと向かい始めても、進は動かなかった。

 (2)

 心の中に静寂が広がっていく。このままずっとこうしていたら、石にでもなってしまいそうな気持ちにさえなる。

 もう何もかも捨て去って、誰も知らないところでただ無為に過ごそうか、という消極的な衝動がある。
 大切なものを失ってしまった今、もう何も考えたくもない。宇宙平和だって地球の存続だって、もう自分には関係ない! そう叫びたい衝動もある。

 今までなんのために、これほどの血を吐く努力をしてきたのだろうか。ヤマトが最期を迎える時、地球が救われるのなら、自分の命もそしてヤマトの命も惜しくはないと確信していた。

 しかし……

 失ってみて初めて知るこの大きな空虚感。胸にぽっかりと空いた大きな穴。それはまるでブラックホールのように、進自身をも吸い込もうとしている。

 さっき、海に身を投げ出してみたい衝動に駆られたのも、そのためだったのかもしれない。どこかにある生への固執のために思いとどまったけれど……

 (生への固執……?)

 進は自分の中にあるその源を探り出そうとした。

 (なぜ俺は生きようとしているんだ? なぜ?)

 その問いを自分の心に何度目か投げかけた。

 その時だった。突然進の脳裏に、さっき出会った重松の言葉が浮き上がってきた。

 ――その人が生きている理由は、自分ではなく、周りの人や後の時代の人が決めるものなんじゃないかと――

 (周りの人? 俺の周りにいて……俺を必要としてくれる人は……)

 そう考えて真っ先に思い浮かぶのは……

 そう、いつどこにいてもどんな時も迷うことなく浮かぶのは、ただ一人の女性。
 進の脳裏に、自分をひたすら思い続け、いつも傍らにい続けてくれた雪の姿がくっきりと浮かんでいた。

 (雪……)

 (3)

 進ははっとして目を開いた。
 燦々(さんさん)と照る太陽の光がまぶしい。波音がざざんと大きな音を立てて岸壁を打った。

 (俺は……)

 自分一人でこれからのことを考えなければと、雪にすがりつくことだけはやめようと、彼女への思慕の情を封印して一人旅に出た進であった。しかし今、彼がたどり着いた一つの答えは、やはり雪という一人の女性の存在だった。

 (彼女に出会ってからは、彼女は俺のそばにいつもいてくれた…… どんなに苦しい戦いでも、どんなピンチに立った時でも、俺が切り抜けられたのは……生きてこれたのは……)

 自分に問うたその問いに、即座に一つの答えが浮かぶ。

 (雪が……雪がいてくれたからなんだ……!)

 いまさら、と思える答えではある。そんなことずっと前からわかっていたことだ。だが違うのだ。そうではないのだ。

 雪を悲しませたくないとか、雪を守りたいとか、そんなのは詭弁に過ぎない。
 古代進が古代進として、しゃんと生きてこれたのは、雪が自分を見つめてくれていたから。進を思う雪の存在が、古代進という男を生かしてきたのだ。

 (雪がいなかったら、俺はどこで泣く? 雪が一緒に笑ってくれなかったら、俺は……誰とどこで笑えばいい?)

 進は思った。自分の命を支えてきたのは、もちろん様々な要因があった。しかし、最後の最後で自分を死との境界線から連れ戻してくれたのは、いつも雪の存在だったではないか……!

 (俺は、雪のために生き延びてきたのではない。雪がいたからこそ、俺自身が生きていたかったんだ……)

 (4)

 雪への想いに気付いた進に、雪の想いがどんどん流れ込んでくる。

 ――あなたのいない地球なんて、私には何の意味もないのよ――

 あれは白色彗星との最後の戦いを決意した時のことだった。彼女のその一言は、進の心を深く打った。

 そして、あの時……
 アクエリアスに赴こうとするヤマトに一人残ることを告げたときも、彼女は激しく抵抗した。それでも必死になって説得して…… 結局納得はしてもらえなくて、心に重くひっかかりながら沖田のもとを訪れることになった。
 その心の揺らぎを、沖田はすぐに見て取っていたのだ。そして進に生きろと言った。雪とともに生き抜けと……

 両親をなくし兄を失った後、戦いの中でいつ失っても惜しくないと思っていたこの命に、執着をもたせてくれたのは、他でもない雪なのだ。

 (俺の命は、雪の手の中にあるのかもしれない……)

 愛する人の存在が自分の命を守り続け、新たな人生を見つけさせてくれるのだと、進は今、改めて知ったのだ。

 (雪に頼らないつもりで離れてここに来て、結局彼女の存在が俺を生かしてきたことに気がつくなんて……)

 進は、はははと自嘲気味に笑った。

 (そうだ、あの時もそうだった……)

 進は、暗黒星団帝国との戦いの最中、雪を地球に置き去りにしてヤマトに乗ってしまった自分が、離れてみて初めて雪の存在の大きさに気がついたことを思い出していた。

 (あの時も、「雪が生きている、生きて俺を待っているんだ」って思うことが、俺の行動の全ての原動力になっていた……)

 ずっとずっと、古代進は森雪を支えに生きてきたのだ。

 「雪……」

 進は小さな声で、彼女の名を呼んだ。それからもう一度、空に輝く太陽を見上げた。太陽は既に天上よりも地に近い位置にある。もう数時間で夕日となって海に沈むだろう。そしてまた、明日の朝、新たに昇ってくるのだ。

 進は再び目を閉じた。目に浮かぶのは、あの夕日の海で雪に告げた言葉。

 ――僕は夕日が好きだ。夕日は必ず明日の朝、朝日になって昇ってくるから。そして僕がどんな辛い時もそこから立ちあがって来れのは、君がいつもそばにいてくれたから……

 彼女にプロポーズした時のその想いが、今、進の心に再びふつふつと湧き上がってきた。

 (君がいるから、僕は生きていける…… もっと素直になればよかった。君に甘えちゃいけないなんて、そんなこと思う方が間違ってたのかもしれない。雪……)

 今も胸は痛く、ぽかりと空いた心の穴はふさがっていない。だが、その心を癒してくれるのは、ヤマトの故郷であるこの坊ヶ崎の海でも放浪の旅でもない。それだけでは不十分だった。
 なによりも必要なのは、愛する人の温かい微笑と温かい胸、優しい眼差しと思う心。

 (さらば、大和、坊ヶ崎、遠い昔に命を燃やした大勢の先人たち…… そしてありがとう。僕に生きる道を意味を思い出させてくれて……)

 「帰ろう…… 僕の居場所へ」

 進は大きく息を吸って深呼吸を一つすると、海にくるりと背を向けた。

 (5)

 進はそのまままっすぐ車に戻ると、エンジンをかけた。日差しで熱くなった車内が、エアコンが効き始めると、あっという間に涼しくなっていく。
 車内の温度がいくらか下がって過ごしやすくなったのを見計らって、進はドアを閉め、発進しようとギアに手をかけた。

 その時、視線の先に、車内に置いたままにしてあった携帯電話が目に入った。ここについて降りるとき、どうしても誰にも邪魔されたくなくて、わざと置いてきたのだった。

 手にとって画面を確認する。着信履歴は……なかった。

 「雪……」

 進はほっとすると同時に、何かしら物足りない気持ちになった。

 この3日間、雪は一度も連絡してこなかった。雪からの連絡だけは受けるから、と書き置きしてきたから、もしかすると自分を心配してかけてくるかもしれないと、半ば期待しつつ、半ば不安でもあった電話のベル。それは結局今の今まで一度も鳴ることはなかったのだ。

 少なくとも、島たち入院患者の容態の急変はないということだろう。そして同時に、雪は一人になりたがっている自分のために、電話をかけたい衝動を懸命に抑えて待ってくれているのだということを物語っていた。

 (雪はそういう女(ひと)なんだ……)

 どんな時も、雪は進を信じ続け、辛い戦いの中も文句ひとつ言わずに見つめ続けてきた。それがありがたくもあり、また逆に、わがままを言われるかもしれないが、物足りなく思うこともあった。

 (たまにはもっと甘えてくれてもいいのにな……)

 ふとそんな思いが心の中で去就する。だが再び思い直して、自嘲気味に一人笑った。

 (ふふ…… それをさせなかったのは、俺、なんだろうな、きっと)

 雪だって女だ。たまには隣にいる男に甘えてわがままを言ってみたいに違いない。もちろん、なんでない日常では、そんなこともあった。けんかをしたこともある。
 だが、進が他のことで頭がいっぱいのときに、彼女がわずらわしいわがままを言ったことは、一度もない。進の思いを理解するが故に、言えなかったのだ。

 進はもう一度、愛する人の顔を思い起こした。悲しげな表情で微笑む雪の姿が目に浮かんだ。きっと彼女は今、こんな顔をしているのだろう。

 (電話……してみようか)

 進は、数字が並んでいる部分をじっと見つめた。たった二つのキーを押すだけで、この電話は愛する彼女に繋がる。
 彼女の元に帰ろうと決意したことを、少しでも早く知らせた方がいいに決まっている。それが彼女を一番喜ばせることもよくわかっている。

 進の指が「#」キーに触れようとした瞬間だった。「あ……」と言う小さな声が漏れて、進はその手を止めてしまった。

 (まだ、決めていないことがあったんだ…… それまでは、まだ……彼女に連絡することはできない)

 進は、ふうっと大きく息を吐くと、携帯を胸ポケットに押し込んで車のアクセルを踏んだ。

 (まだ会えないけど、でも…… 雪のいるところに向かって、とりあえず走りだそう……)

 進の運転する車は、来たときと同じ道を逆の方向へ走り始めた。

 (6)

 日が落ち夕闇が迫り始めた頃、ヤマトの故郷はもうずいぶん後ろになった。相変わらず道路はすいている。制限速度を少々超えたスピードで飛ばす運転はとても快適で、進は順調に東上を続けていた。

 愛する雪が一緒ならば、生きる喜びも価値も見出せるに違いないと、気付いた進であった。しかし、今度はそれをどんな道で見出していけばよいのかを決めていないことに気付いたのだ。

 ヤマトを見送って地球に戻ってきた日、二人の部屋で雪は言った。

 ――防衛軍、やめてもいいのよ。ヤマトに乗る前の自分に戻って、大学へ行って、あなたの好きだった勉強始めることだってできるわ――

 ヤマトを失った今、自分が生きていく気力さえ失いかけていたときには、その言葉は右の耳から左の耳に抜けてしまっていたが、人生を前を向いて歩き出そうとした瞬間に、それが目の前にどかりと落ちてきたのだ。

 (これから……俺はどう生きればいいのだろう。俺はどう、したいんだろうか)

 現実的な問題、休暇が終われば、進は自動的に再び防衛軍のエリート幹部として復帰することになるだろう。黙っていれば、また新しい艦が進のために用意され、進はそれに乗って再び宇宙に出るのだ。

 それとも……?

 (いっそのこと、全部白紙に戻して一から出直すのもいいのかもしれない)

 (7)

 雪が言っていた通り、進は幼いころは宇宙戦士などなるつもりは毛頭なかった。

 子供の頃から野原や山を駆け回るのが大好きで、近くにそんな自然にも恵まれたせいか、毎日友達とそんなところへ遊びに行った。
 そして、そこで見つけた植物や昆虫、小動物たち、それらを見ているといつまでも飽きることがなかった。
 友達が飽きて他の遊びを始めるために立ち去ってしまっても、進一人それらに見入っていてはぐれてしまい、泣きべそをかきながら家に帰ったなどということも、幾度もあった。

 それでも、家に帰ると図鑑を広げては、その日見た動植物について調べるのが、彼の楽しみでもあった。

 (あの頃は、将来は動物や植物のことをもっともっと詳しく勉強したいって思ってたっけな)

 そしてあの忌まわしきガミラスの攻撃が始まったのだ。
 兄の守は、すぐに宇宙戦士訓練学校に進路を変え、あっという間に宇宙へ飛び出していった。
 守は弟の進にも、将来は同じ道に入って地球を守って欲しいと、何度か誘ったが、進は一度もうんと言ったことはなかった。

 人と争って成績を競い合うよりも、好きな図鑑を見ているほうがずっといい、そんな少年だったのだ。取っ組み合いのけんかをするよりも、いじめられて泣いて帰ってくることの方が多かった少年時代だった。

 だが、そんな進の性格が一変してしまったのは、両親を奪われたあの日からだった。

 誰もが驚くほどに、進は好戦的になった。善良で誰からも愛されていた両親が、あんなにもあっけなく命を奪われてしまったことに対するショックが大きかったのだろう。
 その結果、それまでは優秀で前向きで社交的な兄にすっかり圧倒され隠されていた進の中の鋭敏な性格が、一気に解き放たれたのかもしれない。

 両親の死を知って駆けつけてきた守が慰めの言葉をかけるまもなく、進は宇宙戦士訓練学校への入学の意志を固めていた。

 (あの時の俺は、ガミラスをやっつけることしか頭になかった……)

 元々内包されていた実力だったのだろう。それからの進の躍進振りは、誰もが目を見張るものすごいものであった。
 戦い続ける兄と別れ、全寮制の中学に入寮してひたすら勉学に励み、中学卒業と同時に、トップの成績で、宇宙戦士訓練学校に入学したのだった。

 (他のものは何にも目に入らなかったよな…… 戦いのためのノウハウを一つでも多く手に入れることだけが、あの頃の俺の目標だった。一日も早くガミラスと戦いたかったから……)

 そしてヤマトの発進とともに、今ある、防衛軍が誇る最強の宇宙戦士としての古代進が誕生したのだった。

 だが、幾度の戦いを乗り越えてきた今、進は立ち止まってしまった。何度戦って何度勝利しても、残ったものは、にがく苦しい後味ばかりである。
 失った仲間への深い悲しみ、敵とはいえ滅ぼしてしまった星の人々への深い悔恨の情。戦いがもたらしたのは、いつもそんなものばかりだった。

 (もう…… 全部投げ出してしまって、昔の俺に戻ってもいいのかもしれないよな? そんな俺でも、雪は受け入れてくれるんだよな……?)

 真っ暗になった夜のハイウエイを走りながら、進は自分のこれからに思いを馳せていた。仮眠をとり、そしてまたひたすら走った。

 そして……翌日の昼過ぎには、進は生まれ故郷の三浦半島近くまで帰ってきていた。

 (今度は俺自身の原点に戻ってみようか…… そうだ、やっぱり兄さんに……父さんと母さんに相談しよう)

 進は、西下する時には落ち込みすぎていて立ち寄れなかった、両親や兄達の眠る墓を訪れるべく、ハイウエイを降り三浦半島の先端へと車を進めた。

 午後の日差しに輝く懐かしい海は、いつも変わらず進を温かく迎え入れてくれているようだった。

Chapter7 終了

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(背景:Atelier Paprika)