Departure〜彼らのスタートライン〜

2.俺とヤマトと彼女と人生

Chapter 8

 (1)

 ハイウエイを降りてからの行程は、進が数え切れないほど通った懐かしいものだった。
 もちろん、幼い頃の進の思い出にある風景は、あの日、ガミラスの遊星爆弾がこの地に落ちた時に姿を消してしまっていたし、その後の戦争の影響で、未だに未開発地域も目立っている。
 それでも、時折目にするたたずまいが、遠い過去を思い出させる何かを感じさせる。これが、故郷(ふるさと)というものなのかもしれない、と進は思った。なぜかしら、自分の心が落ち着いていくような気さえしてくる。

 進の乗った車はまっすぐに、両親や兄の眠る墓地へ向かった。その墓地は、三浦半島の一番先端の岬に位置している。見晴らしの良さを兄と二人で気に入って、この地に決めたのだ。その兄も今はもう進のそばにはいない。両親とともにその墓で眠っている。

 (兄さん……)

 進は、兄守の在りし日の姿を思い出し、思わず胸が締め付けられるような気持ちになった。両親への思いとはまた別の深くて様々な思いが、兄に対してはある。
 両親よりもずっと長くともに生きてきたこともある。また両親の死は、既に10年以上も前のこととして、既に進の中に受け入れられていたが、守については年月が浅い分、まだ納得しきれていないところがあるのかもしれない。
 今でも不意に後ろから兄がポンと肩をたたいてくれるのではないか、などと夢想することもたびたびある。

 守は、進にとっていつも10歩も100歩も前を歩く人生全ての大先輩だった。そして……いつまでも遠い憧れであり、兄亡き今もまだその位置に届いていないと思う。

 兄が目指し、なり得た宇宙戦士。初めは全く違う道を歩こうとした進が、運命のいたずらから、その同じ道を歩むことになってしまった。
 選ぶべきして選んだ兄と選ばざるをえなかった弟。兄はその任を全うし殉職した。では弟は……?

 (俺はもう……疲れたよ、兄さん。もうこの世界から逃げ出しちまってもいいだろう? なぁ、兄さん?)

 ちらりと心によぎる進の弱音。だが、進の結論はまだ出ていない。

 (2)

 太陽がだいぶん西に傾いてきた頃、進は目指す墓地に到着した。進は墓地のふもとにある駐車場に車を止めると、ゆっくりと目指す墓まで歩き始めた。人気(ひとけ)はまったくなかった。

 (この前ここに来たのはいつだったっけ? ああ……そうだ。雪と一緒に…… そう、あれは彼女にプロポーズをした日のことだったな。あの時は、今度来る時は彼女を僕の奥さんにして連れてくるよって言ってたんだっけなぁ)

 あの夕日を見つめながら、雪に自分の熱い思いを打ち明けた日のことは、決して忘れはしないだろう。
 沈む夕日が大好きだといった自分。それはその日が再び朝日となって昇るからだと告げた言葉。そんな自分であるために、雪にずっとそばにいて欲しいと訴えた。

 (ここにいると、あの時の思いが甦ってくる。今の俺は夕日…… そして未来の俺は、彼女と一緒に朝日になって昇ろうって思っている…… だがその朝は、いったいどんな朝になるんだろうか?)

 気がつくと進は両親達の墓の前に立っていた。西日が墓の後ろから強く進を照らしつける。進はまぶしそうに太陽を見つめてから、視線を墓に落とした。

 「父さん、母さん、それから兄さん、スターシアさん、サーシャ…… 僕は帰ってきたよ……」

 (3)

 進は墓の前に屈むと、ゆっくりと手を合わせて目を閉じ、何を祈るともなしに黙祷を捧げた。そしてまたゆっくりと目をあけた。
 まず、一番端にある純日本風の墓石をじっと見つめる。それは兄とともに建てた両親の墓だった。

 誰もいない墓地の真ん中で、進はぽつぽつと父に語りかけた。

 「父さん…… 父さんは医者の仕事ずっと誇りにしてたよね? 自分で選んで就いた道。大変な時もあるけど、人を助けることができる仕事だからと、いつも嬉しそうに話してくれたよね。僕も父さんのように、胸を張って誇れる仕事をしたいんだ。けど……」

 宇宙戦士という仕事を誇れないのか、と言われれば少々困る。決して恥ずべき仕事だとは思わない。命がけで地球のために戦ってきたことは、十分誇れることであろうと思う。ただ…… ただ、そのために奪ってしまった命に対する罪の意識に、進は追いかけられていた。

 「地球を救うためという大義名分の影に失われた命のことを、どう考えればいいと思う?父さん。やっぱり、もうこれ以上この仕事を続けていかない方がいいんだよね? 平和を勝ち得た今だからこそ、この仕事に見切りをつけてもいいんじゃないかって気もしてくるんだ。ねぇ、父さん、どう思う?」

 幼い頃の進の心を、いつも温かくし安心させてくれた父の悠然とした姿が思い出される。

 ――進、お前は優しい子だな。だがお前が歩いてきた道が間違っているとは決して思わないよ。今まで一生懸命自分のなすべきことをしてきたんだろう? なら、もっと胸張っていていいんだぞ――

 進の胸の奥底に、そんな父の声が聞こえたような気がした。父はいつも進の後ろからその戦う姿を見つめてくれている。

 (4)

 続いて進は、母に語りかけた。

 「母さん…… 僕にはどんな仕事が合ってるって思う? 小さい頃は野原で遊ぶのが好きで、虫が好きで草花が好きで…… なかなか家に帰らずに母さんを心配させたこともあったよね。
 よく母さん、笑いながら言ってたよな。『進は、昆虫博士か草花博士になるといいわね』ってさ。
 それに、兄さんが宇宙戦士になって、周りの人が誉めそやすのを聞いて僕が拗ねた時も言ったよね。『守には守の道があるわ、そして進、あなたにはあなたに合った道があるのよ。お兄さんの真似なんかしなくていいの、あなたらしくしていればいいのよ』って。
 なのに僕がなったのは宇宙戦士で、やってきた事といえば子供の頃の夢とは逆に、生き物達を蹴散らすことばかり……
 だってあの時は、父さんや母さんを殺されて本当にガミラスが憎かったんだ、だから…… けど……」

 もしあのまま戦いの道を選ばず、じっと地球の穴倉の中で過ごしていたとしたら、自分はどうなっただろうか、と進は考えた。

 たぶん…… ガミラスへの恨みだけをずっと持ち続け、今の自分よりももっともっと陰鬱な人間になってしまっていたかもしれない。
 ある意味、怒りのやり場を見つけただけでも、自分は救われたのかもしれない。たとえその方向が正しいものでなかったとしても……

 それに……と進は思った。

 (あのまま地球に残る道を選んでいたら、今頃は雪とも出会ってなかったかもしれない……)

 時折母の姿を思い起こさせてくれる雪の深い愛に満ちた笑顔に、進はいつも癒され続けてきた。雪に出会えたことは、進にとって何物にも代えがたい大切な出来事だった。

 ――ねぇ、進、知ってる? どんな仕事だって優劣はないのよ、どれも大切なお仕事なのよ。それにあなたが選んだ道だもの。お母さんはそれが間違っていたとは思わないわ。だってお母さん、進のこと信じてるもの――

 胸に浮かぶ懐かしい母の笑顔は、いつでも進の行動を静かに後押ししてくれているような気がした。

 (5)

 そして、視線を隣の墓石へと移した。イスカンダルで見た墓石を真似て作ったその墓に眠るのは、兄の守とその妻スターシア、そして娘のサーシャだ。
 サーシャへの甘酸っぱくも胸が締め付けられるような複雑な思いは、まだ完全に吹っ切れてはいない。彼女を生きて連れて帰って来れなかった悔恨は、おそらく一生持ち続けるだろう。

 「サーシャ、そっちはみんな仲良くやってるんだろうな。俺はまた今回も君のところに行き損ねてしまったみたいだ。はは…… まあ、行き損ねついでに、しばらくこっちの世界でやっていくことにしたんだ。まったくとんでもない叔父さんですまないが、許してくれよ……
 スターシアさん…… サーシャと兄さんのことしっかり面倒見てやってくださいね」

 美しい母子の姿を思い起こしながら挨拶を済ませると、今度は兄に向かって話し始めた。

 「兄さん、ヤマトと沖田艦長をそっちに送り出してしまったんだ。どうしようもなかったんだ、ごめんよ、兄さん。けど、すごく辛いんだ……辛いよ、兄さん……」

 そこまで話したとき、進の心の中の様々な感情がもう枯れていたはずの涙になって、一気に湧き上がってきた。兄に対しては甘えにも似た格別の思いがある。

 「くうっ!……」

 絶句するような声を上げて、進はその場にがくりと膝まづいた。その場の土をぎゅっと握り締める地面についた手の間に、ぽたぽたと涙が零れ落ちる。それでも必死にその涙を飲み込もうとあがく進の喉は、苦しいほど痛かった。

 その努力の甲斐あって、やっとこぼれる涙を押しとどめた進は、もう一度顔を上げて墓石を見つけた。

 「だめだな、俺…… 兄さんの前に来るとどうしてもこうなっちゃうんだ。また兄さんに『しっかりしろ、進!』って背中を叩かれそうだよな」

 自嘲気味につぶやく進の脳裏に、幼い頃の自分と兄の姿が浮かんできた。
 両親亡き後二人きりの家族だった二人だが、兄の任務のためそれほど多くの時間とともに過ごしたわけではなかった。それでも守は地球に帰還してくるたびに、弟のためにできるだけ時間を割いてくれた。

 両親の死にひどくショックを受け放心状態の進が、突然宇宙戦士になって敵を討つと宣言した時、冷静に考えるようにとなだめ、また叱咤し励ましたのは他ならぬ兄であった。

 しかし、その時の進には兄の言葉など耳に入らなかった。だいたい、自分も同じだけショックを受けているはずなのに、進の前ではそんなそぶりを決して見せず、冷静になれなどと言う守の姿に、「兄さんは冷たい」そう言って責めたこともあった。

 だがある日、進が一旦眠った後不意にめがさめた時、別室で両親の遺影を前にして、一人息を殺して忍び泣きする兄の姿を垣間見てから、進の兄への気持ちは急転した。
 男はその辛さや苦しさを表に出さず耐えるものだということを初めて知った。そして再び兄に惚れ、深い畏敬の念を持ったのだった。

 だからこそ、兄のような宇宙戦士になりたいと強く願った。そして兄とともにガミラスと戦う決意をしたのだ。

 「で、結局このザマだよ、兄さん。戦って戦って、大切な人を大勢失って、それでもまだ戦い続けて、そして結局自分自身も傷ついて、人に迷惑かけて…… 特に雪には……何度も辛い思いをさせてばっかりだ。
 なあ、兄さん。俺はやっぱり宇宙戦士なんて向いてなかったんだよな? 最初からやめとけばよかったんだ。もう、嫌になっちゃったんだ。昔の兄さんの陰に隠れてた気が弱くて泣き虫の俺に戻ってもいいだろう?」

 兄が聞いたらあきれ返って怒鳴られそうな弱音を吐く。だが、その進の脳裏に浮かんできたのは、意外なことに自分を叱咤激励する兄ではなく、非常に温和な笑顔の兄の姿だった。

 ――馬鹿だな、進。お前は精一杯頑張ったんだぞ。誰にも迷惑なんかかけちゃいないさ。お前が今まで歩んだ道は間違っちゃいない。みんなその時代を必死に生きてきた、それだけなんだ――

 「兄さん……?」

 すがるような視線で兄の眠る墓石を見つめる進に、夢想の中の守は、さらに優しげな微笑を送った。

 ――ほら、進、そんな情けない顔をするんじゃない。これからの道は、自分の思うとおりに決めればいいさ。もちろん、やめたけりゃ宇宙戦士をやめたって構わない。ただ、今までの自分を否定することだけはやめろ。前を向いて決めろ。いいな、進――

 「にい……さ……ん……」

 傷ついた進の胸には、優しく励ましてくれる父、母、兄の姿だけが甦る。進は両親と兄の深い愛情につつまれて育った少年時代の自分に戻ったような気がしていた。
 いつもいつも進を守り見つめてくれた大切な大切な三人の家族。現世にはもう存在しない三人であっても、今も進の心の中でしっかりと生き続けている。

 進はゆっくりと立ち上がった。

 「ありがとう、父さん、母さん、それから兄さん…… もう少しここで今までの俺の生きてきた道を考え直してみるよ。それからでも遅くないよね、これからのことを決めるのは……」

 そう告げ一礼をすると、進は墓を後にして、再び来た道を戻り始めた。

 (6)

 車まで戻ると、進は再び車のエンジンをかけた。今度は子供の頃遊んだ浜辺に向かった。それほど走ることなくそこには到着するはずだ。進は流れゆく懐かしい車外の風景を見ながら、遠い昔のことを思い浮かべていた。

 (あの海岸には、色々な思い出があるよなぁ……)

 父や母と、そして兄と何度となく訪れた浜だ。父から磯の生物の名を、兄から磯遊びを教わったのもそこだったし、小学校高学年になった時、初めて兄に例の秘密基地に連れて行ってもらったのも、この浜からだった。
 進が何の屈託もなく過ごせた一番幸せな日々が、この浜にある。さらに……

 (雪とも出かけたことがあったな……)

 イスカンダルから帰ってきてからまもなく、雪を連れてきたことがあった。幼い頃の進が遊んだ浜だと聞いて、雪がとても嬉しそうに目を細めていたことを思い出す。幼い頃の進の姿をそこで見たかのように……
 さらに、その翌年だっただろうか、夏の海水浴に二人で来たこともあった。

 (そう言えばあの時は、大胆なことしたもんだよなぁ……)

 口元が思わず緩む。あの秘密基地での出来事は、おそらく一生恋人時代の大切な思い出の一つとして残り続けるだろう。幸せなひとときだった。

 家族の、そして雪との思い出の海。それがこの浜辺にあった。

 (7)

 しばらく走って、車は静かに浜辺の手前にある駐車スペースに着いた。進は車を止め、ふっと肩から息を吐いた。

 (疲れたな…… 家を出てから何日になるんだっけ?)

 今日の日付を確認すると10月2日。ヤマトが自沈したのが27日だから、進が家を出たのはその翌日の28日ということになる。ということは、家を出て5日目になるわけだ。
 ほとんど車の中で寝泊りしている。夜も仮眠程度となると、体に疲れが出るのは当然だろう。などと考えながら、進は何気なく目の前のバックミラーを覗き込んだ。

 (なんだ!?この顔……)

 思わず自分であきれてしまった鏡の中に映ったその顔には、無精髭が口の周りを薄黒く覆っていた。手を顎に持っていくと、じゃりっという触感がある。

 (そう言えば、そうだよな…… 家出てから髭もそってなければ、着替えてもない。風呂だって入ってないもんな)

 着たきり雀とはまさにこの自分の有様のこと。家を出たときのシャツにGパン姿のまま過ごしているのだ。それもずいぶんよれよれしてきている。

 そこで進が思い浮かんだのは、雪の睨む顔。こんな姿を見たら、即刻風呂場に突っ込まれそうな気がして、進はくくっと声を出して笑ってしまった。
 かといって、着替えようとも髭をそる気にもならないのが、彼の彼たる所以(ゆえん)。職業柄、野戦訓練などで数日間の泥まみれの暮らしにも慣れているからかもしれない。

 (まあいいさ。誰と会うわけじゃなし、帰ってから目を三角にする雪の顔を見るのも、また一興かもな……)

 進はのんびりとそんなことを考えながら、車を降り浜の方へと歩いていった。

 初秋の浜辺は先ほどから曇り始めたこともあって、割合涼しかった。当然のことながらもう泳ぐ人はいない。それどころか浜を歩く人すら誰一人いなかった。
 数日前までのあの地球の一大事の後だけに、のんきに海に遊びに来るものもいないのだろう。

 進は、ざくざくと砂の音を踏みしめながら、浜をゆっくりと歩いた。寄せては返す波が、進の足元ギリギリまでやってくる。海は昔と変わらず静かで青かった。

 かつて生命を生み出した海。それがあのガミラスの遊星爆弾や太陽の異常増進時には、全て干上がってしまったこともあった。しかし、地球人類の不断の努力とアクエリアスの影響で、まだ完全ではないものの、海は元の豊かさを取り戻しつつあった。

 (もう……この風景を変えてしまいたくないな……)

 時折白く泡立つ程度の穏やかな波をじっと見つめながら、進はしみじみとそう思った。

 (8)

 浜辺の端まで歩いた進は、岩場にたどり着いた。その一番手前に大きく平らな岩があった。進はその上によじ登ると、仰向けに寝そべった。頭の下に手を置き、足は軽く開いたまま、若干薄暗くなりつつある曇天をじっと見つめる。雲はゆっくりと動いている。進はそれを見つめながら、何を考えるわけでもなく、何をするでもなく、ただその動きを追っていた。

 先日、坊ヶ崎で同じように寝そべっていた時と比べると、今の天気とは反対に、心の方は少し明るくなっている。
 少なくとも、もう自分の命を否定しようとは思わなくなった。雪とともに新しい人生を歩んでいこうと言う気持ちにもう揺らぎはない。

 ただ…… その生きる道を、このまま防衛軍の中に見つけるのか、それとも別の道へと進むべきなのか、まだ決めかねている。
 両親の墓で聞こえてきた(と進が思った)声は、どれも進の今までを否定するなと強く訴えた。それはつまり、自分でそうしたくないという気持ちの現れなのだろうとも思う。
 と同時に、もうこんな思いをしたくない、そして雪にあんな風に心配させてばかりいてはいけないという気持ちも心に大きく占拠していることも否めない。

 (もし僕が防衛軍を去って静かな暮らしをしたいと言ったら、彼女は喜ぶだろうか、それとも……?)

 その時の雪の表情を想像してみる。意外と平静に聞いてくれるような気がした。

 (そう…… たぶん彼女はどちらを選んでも何も言わずに受け入れてくれるんだろうな。いや……彼女だって女だもんな、危ないところに行く男より安全なところでいる男の方がいいに決まってる。俺だって……
 そう言えば、彼女のお母さんもそういう意見だったよな。防衛軍やめるって言ったら、あの人も喜ぶかもしれないなぁ。雪のご両親も安心するんだろうな)

 ある意味雪以上に元気のいい、彼女の母親の姿が目に浮かんだ。付き合い始める前、雪の母は、進が危険な職業についていることをひどく嫌がっていたのだ。その彼女も進を認めた後は、静かに進と雪の姿を見、応援し続けてくれていた。

 (9)

 進の思考が、別の人の思いへと動く。

 (だが、他の奴らはなんて言うだろうか。やっぱり止めるかな?……それとももっともだって言うだろうか? 島は……真田さんは……何て言うだろう?)

 島は体のこともあるから、これからのことはまだわからないかもしれないが、真田はまず今の職を捨てることはないだろうと進は思った。

 (真田さんはあの仕事が天職のようなものだもんなぁ……)

 科学は憎い、敵だ……と言いながらも、あの真田ののめりこみ具合を見ていると、とてもそこから離れることはないように思える。そういう点では自分も同じかもしれない、とも思う。

 (俺だって戦うことが何より嫌いだったはずなのに……今じゃ、戦闘班長だ戦艦の艦長だってんだからなぁ。俺もずっとこの世界から離れられないんだろうか?)

 それが嫌なようで、また嫌でないような気もしてくる。

 戦いとは無関係の静かな世界で暮らしたい気持ちと、地球を守るために戦い続けてきた今までの任務への責任や自負心などが、進の心の中で入り混じってくる。

 (どうしたら……いいんだろう……)

 進はむっくりと起き上がった。すると、ちらりと見た浜の出入り口のほうに人の気配を察した。

 (誰か来たのか?)

 こんなご時世に浜に来るような暇人は自分だけかと思ったら、そうでもないらしい。見ると、大人と子供の二人連れのようだ。しばらくすると、それが若い女性と小さな子供であることがわかった。二人の笑い声が聞こえてくる。

 進は見るともなしにその二人の姿を目で追っていた。
 子供は男の子のようで、年のころは小学校の低学年くらいだろうか。波を追いかけては逃げるを繰り返している。そばについている女性は、若干お腹が大きいように見えた。妊娠中なのだろう。仲の良い母子のようだった。

 その二人の姿に、進はとても微笑ましい気持ちになった。その思いが、遠い昔の兄と父と駆け巡ったあの頃の自分の姿に重なっていく。

 (いいな、こういう風景…… こんな幸せな家族の姿が見れるだけでも、この地球を守った甲斐があったっていうもんだよな)

 ヤマトを失った胸のつかえがほんの少し取れるような気さえしてくる。
 進が岩の上で膝を抱いたまましばらくその姿をのんびりと眺めていると、その親子は少しずつそばに近づいてきた。

 その時だった。空からゴーっという大きな轟音が響いてきた。進にはそれが戦闘機の飛行音だとすぐにわかった。

 (もしや何かあったのか? いや、そんなことはないな。雪から何も言ってこないんだから。ということは戦闘機の訓練ってことか…… ああ、もう防衛軍は新しい体制で動き出しているんだな)

 厚い雲の上のことで目には直接見えはしなかったが、進は空を見上げた。体がなにやらうずうずとして、自分だけが取り残されているような気持ちになる。もう防衛軍は辞めるかもしれないと思っているはずなのに、進の体はすぐに反応したくなるようだ。

 (全く、俺ときたら……やっぱりこの重荷を背負ってでも、ずっとこうやって宇宙を飛び続けるんだろうか……)

 ちくりと胸が痛くなった。その時、浜辺でさっきまで元気に遊んでいた男の子が急に苦しそうな声を上げた。

 「お母さん、お腹痛い…… 痛いよぉ〜〜」

 「貴史!? 大丈夫よ、大丈夫!! 心配いらないのよ……」

 進がその声に呼応するように視線を下にやると、うずくまる男の子に慌てて駆け寄り抱きしめる母親の姿が眼下に入った。同時に進は躊躇することなく岩から飛び降り、二人に声をかけていた。

 「僕、どうした? 大丈夫かい?」

 母親の方がその声に驚き、弾かれたように顔を上げた。

 (10)

 彼女は「誰?」とでも言いたげに顔をしかめて、進を睨んだ。それから、少年を進からかばうかのように、さらに強く抱きしめた。

 「大丈夫です!」

 母親は、強い口調でそう言ったが、子供が再び半べそをかいて「痛いよぉ」と訴えると、慌ててその子の方に顔を向けた。
 進は、自分に背を向け子供の前にしゃがみこんで抱きかかえる母親に当惑してしまった。

 (しまった、こんなところで突然声をかけて、驚かせてしまったな。それに俺、こんな格好だからなぁ)

 進は、さっき鏡で見た自分の姿を思い出した。無精ひげ、よれよれのシャツとGパン姿では、確かにちょっと引かれてしまうのも仕方がない。
 進が怪しいものではないことを告げようとしたとき、母親は少年を慰めるようにこう言った。

 「大丈夫よ、あれは違うのよ。心配しないの……」

 (は? あれは違う? なんのことだ?)

 お腹が痛いと訴える子に伝える言葉としては、あまり似つかわしくない母親の言葉に、進は不思議に思ったが、とりあえずはもう一度声をかけることにした。

 「驚かせてすみません、私は別に怪しいものじゃありません。旅の途中で、ちょっとここで休んでいただけなんです。あの……坊やのお腹痛大丈夫ですか? 腹痛のクスリならあっちに止めてある車にありますから、持ってきましょうか? 子供さんでも使えるはずですから」

 その言葉を受けて、母親が顔を上げた。顔をしかめたまましばらく進を見つめていたが、まっすぐ見つめる進の姿に、悪い人間ではないと判断したのか、少し顔つきを和らげた。

 「すみません、ありがとうございます。でも大丈夫なんです…… この子の腹痛は……その、持病みたいなものっで……しばらくしたら収まりますから」

 進に向かって微笑んで会釈してから、母親は再び少年の方に向いた。

 「ほら、貴史、もう聞こえないでしょう。心配しなくてもなんでもないのよ」

 事情のわからない進は、立ち尽くしたまま動くに動けず、ただ二人のやり取りをじっと聞いていた。

 「でも、でも……あの音、恐いよ!! お父さんとお母さんみたいに僕も撃たれてしまうっ」

 母にすがりつくようにしながら訴える少年に、母親は優しく諭した。

 「違うでしょう。あれは地球の飛行機の音よ。あなたを守ってくれる地球の飛行機なのよ。あなたの大好きなヤマトの仲間の飛行機よ」

 「ほんとうに?」

 さっきまで苦痛を訴えていた少年が、ヤマトという言葉に反応してぱっと顔を明るくして母親を見上げた。

 (ヤマト!?)

 それまで黙って母子の会話を聞いていた進にも、突然母親の口から飛び出したヤマトという言葉が突き刺さった。

 (11)

 進は母親の言葉に、はっとして身を固くした。まさかこんなところで、この二人からヤマトという名が出てくるとは思いもしなかったのだ。

 (なぜヤマトなんだ?)

 進の顔がこわばった。だが当の二人は後ろにいる進の存在は無視したまま、話を続けている。

 「ええ本当よ。だから心配しないで……」

 母の優しい言葉と頭をなでる手に、少年は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 「うん……」

 子供の口元が僅かに緩むと、母親はさらに穏やかに微笑んだ。

 「どう? お腹もよくなってきた?」

 「うん、ちょっと痛いけどもう大丈夫みたい」

 「そう、よかったわ……」

 母親は少年にニッコリと笑顔を向けて頷いてから、やっと思い出したように立ち上がって後ろにいる進を振り返った。それから、軽く頭を下げた。

 「すみません、もう大丈夫みたいです。お気遣いありがとうございます」

 「あ、いえ……」

 母子に穏やかな笑顔を向けられた進は、余計なことをしてしまったようでなんとなく気恥ずかしくなりながらも、ねぎらいの言葉をかけた。

 「たいしたことなくて、よかったですね」

 「はい、ふふ……この子には薬よりもヤマトのほうが聞くんです」

 母に笑顔でそう告げられた子は、ちょっと頬を染めてからへへへ、と小さな声で笑った。

 ヤマトの名が、こんな小さな子にも安心感を与えるということは、進の想像を超えた出来事だった。

 (ヤマトには、こんな力もあったのか……?)

 ごく普通の人々にとっても、地球を救った艦(ふね)ヤマトは大切な存在なのだ。それは進にとっても素直に嬉しいことだった。

 (12)

 進は少し元気を取り戻した少年に微笑みかけた。

 「そうなんだ、君はヤマトが好きなのかい?」

 「うん! だって僕らを救ってくれたんだもん! 今はアクエリアスで眠ってるけど……」

 少年はまず元気に頷いてから、次に少し悲しそうに微笑んだ。進の胸にその言葉がズキリと響く。

 (そう…… ヤマトはもうないんだ。ごめんよ……)

 だが意外にも、少年はすぐに気を取り直して、しっかりとした視線を進に向けた。

 「でもきっと、もしもまた何かあったら、きっとヤマトが来て助けてくれるんだよ!」

 さっきまで腹痛を訴えていた不安げな声とはまったく正反対の元気な声だった。

 「そっか…… そうだな」

 進は少年にはげまされているような気がした。すると、少年は目を輝かせながら、さらに尋ねた。

 「お兄ちゃんもヤマト好き?」

 「え?…………ああ、もちろん大好きだよ」

 (好きなんてもんじゃあない……! 俺にとってはヤマトは父であり兄であり……最大の友だったんだ!)

 ヤマトを思ってそう叫びたい衝動に駆られながらも、何とか少年を満足させるための返事を搾り出した。この母子は、進が誰なのかなど知る由もないのだから。
 進の答えに満足した少年は、満面に笑みを浮かべた。

 「わぁ、よかったぁ! ねぇ、お母さん、お兄ちゃんに僕のヤマト見せてあげてもいいでしょう?」

 「え?ええ……でも……」

 今であったばかりの見ず知らずの人に対しての子供の提案をどう扱っていいのかわからず、母親が当惑したように進の顔を見た。進はすかさず少年に目線を合わせると大きく頷いた。

 「ああ、是非見せてくれるかい?」

 「やったぁ!」

 「じゃあ、取りに行ってらっしゃい。あそこのかばんの中にあるんでしょう?」

 「うん、僕取りに行ってくるね。待っててね、お兄ちゃん!!」

 少年は喜び勇んで、母親が指差した遠くに見えるシートの上の荷物目指して一目散に駆けていった。

 (13)

 少年を見送った母親は、振り返って進に軽く頭を下げた。

 「すみません、見ず知らずの方に、子供の相手なんかさせてしまったりして……」

 「ああ、いえ、暇ですからいいんです。けどよかったな、すぐに治って……」

 「ええ、ありがとうございます」

 母親は進の笑顔に安心したように微笑を返した。全く見ず知らずのはずなのに、その人懐っこい笑顔の青年に、初めて会ったような気がしなかった。いつかどこかで見たような気がしてくるのだ。

 実のところ、彼女は彼の姿を何度となく目にしていた。TVの画面で、新聞や雑誌の写真で、ヤマト艦長古代進の姿を……
 だが、映像で見る防衛軍の制服姿の進と、今ここに立つシャツ姿の進との、あまりにものギャップの大きさに、彼女は目の前の彼が、古代進であるということに、全く思い至らなかったのである。

 母親は、再び視線を走っている子供に向けた。進も同じように少年を見た。
 その走る姿は、さっきまで苦痛に顔をゆがめていた子とは思えないほど元気よさそうに見える。

 (そう言えば腹を痛める前も、元気よく波と遊んでたっけな。それからだよな、あの子が腹痛を起こしたのは…… 確か戦闘機の轟音が響いた直後だったな? しかし、あんなに急に具合が悪くなって、あっという間に治るなんて……?)

 進は、待ち時間のあいだに、そのことを尋ねてみることにした。

 「あの……お伺いしてもいいですか?」

 「は?」

 母親は、息子に向けていた視線を進に向けた。

 「さっきのあの腹痛は、もしかすると、あの飛行音が原因だったんですか?」

 母親は、驚いたように目を見開いたが、すぐにその顔に悲しそうな笑みを浮かべた。それから再び少年の方を向いた。
 少年は荷物のところまで到達して、置いてあるかばんの中を懸命に物色している。
 それを確認すると、彼女はほぉっと小さなため息をひとつついた。

 「ええ……そうなんです。あの子のお腹の痛みは、精神的なもので…… だから落ち着けばすぐに治まるんですけれど」

 「そう、なんですか…… でもどうして飛行機音で?」

 やっぱりと思いつつ、進がさらに問うと、母親は今にも泣き出しそうな顔をしてうつむいてしまった。
 進ははっとして、何か聞かれたくない事情があることを察した。

 「あ……すみません。余計なことを聞きました」

 だが彼女は、首を小さく左右に振った。

 「いえ、いいんですよ。あんな場面に出くわしたらびっくりされますよね。その上、けろっと治ったりして……」

 「いえ、すみません、変なことをお聞きしました。もういいんです」

 ここ数年の出来事を思い出せば、地球上でも多くの悲劇が起こっていることは火を見るより明らかだ。言葉の片隅から、この母子に辛い過去があったらしいと察した進は、もう一度それ以上の説明をやんわりと断った。

 だが、彼女はそれにもかかわらず、事の次第を話し始めた。
 彼女は、見ず知らずの青年に話すべきことではないと思いつつも、なぜか話てみたくなった。何かこの青年に感じるものがあるのかもしれない。その答えを、また他の何かを求めらているような、そんな気さえしてくるのだった。

 「あの子は……飛行機の轟音を聞くと、辛い思い出が甦ってくるんです……」

 彼女はそこで言葉をつまらせたが、しばらしくて目を潤ませたまま進を振り仰いだ。

 「両親を宇宙からの来襲で亡くしたものですから……」

 「えっ?」

 二人の会話から、彼女らが親子だとばかり思っていた進は、その意外な言葉に驚いた。

 (14)

 「でもさっきもお母さんって?」

 「ふふ…… ええ、そう呼んでくれてますけど、私は本当の母親ではなくて叔母なんです。私の姉があの子の本当の母親で……」

 女性はそこまで説明してから言葉を止めると、こちらに向かって走り出している少年の方を愛しそうに見た。実の母ではないにしても、あの少年にたっぷりの愛情を注いでいることは、はっきりと伝わってきた。
 だが一方で、あの少年も自分と同じく両親を戦いの中で亡くしてしまっていたという事実に、進は少なからず驚いていた。

 「そう……だったんですか。そうか、あの子も……」

 「え? あの子もって?…… もしかして、あなたも?」

 彼女はびっくりしたように、進の顔を大きな瞳を開いて見つめた。その問うような視線に、進は素直に頷いた。

 「はい…… 僕も小学生の頃、両親をガミラスの遊星爆弾で……」

 両親を一度に失った辛さと、自分ひとり生き残ってしまった辛さが思い起こされる。そしてあの少年は、自分よりもずっと小さなあの体と心で、そんな体験をしてしまったのだと思うと、進の胸がずきりと痛んだ。

 「まあ、そうだったんですか。それはお気の毒に……」

 彼女は、同情をこめた視線を進に送ってから、

 「そうですよね。今の時代、本当に大勢の人たちがそんな辛い思いをしてるんですものね」

 自分自身に言い聞かせるように、一言一言をゆっくりと丁寧に口にした。
 それから何かを考えるようにしばらく黙っていたが、進が少年と同じく幼い頃に両親を亡くしたと言ったことが心に響いたようだった。
 彼女は、ゆっくりとした口調で続きを話し始めた。

 (15)

 「そう、あの子が両親を亡くしたのは、2年前の……暗黒星団帝国の首都来襲の時でした……
 私達とあの子の両親は、その頃東京メガロポリスの中心部に住んでいたんです。その時宇宙からの侵略者の攻撃にあって…… 私達のマンションは運良く攻撃を逃れたんですが、姉達は……」

 彼女の話が途切れた。その時のことが思い起こされたのか、ぐっと唇をかんで涙を堪えている。

 「私と主人が姉の家に行った時には、二人とももう…… ただあの子だけが姉にかばわれるように胸に抱きかかえられていて…… 亡くなった姉の胸の中で泣いていたの」

 話し終わった彼女の閉じた瞼から、一粒の涙が零れ落ちた。
 少年の出会った悲劇が、進の瞼の奥にも思い浮かぶ。あの少年は、自分の目の前で両親の死を見てしまったのだ。それも進よりもずっと小さかった頃。そのショックのほどは相当なものに違いない。

 「では、その時の敵襲の音が……?」

 「ええ、そうなんです。その時の空から来襲してきた敵機の飛行音が、あの子の耳について離れなくて……
 それがトラウマになって、飛行音を聞くと頭が痛くなったりお腹が痛くなったりするんです。PTSDっていうんですよね? 辛かったり恐かった記憶が思い出されて、体に支障をきたすんだって、お医者様から言われました。
 あの子だけじゃない……大勢の地球の子供達がそんな病気を背負ってるんですものね、今は……」

 少年の傷心の様子が、進自身の少年時代と重なっていく。両親を亡くしてしまった悲しみ、一緒にその場にいられなかった悔しさ、一人でいることの辛さ…… その全てが自分の胸にどっしりとのしかかっていたのだ。

 「僕も両親を亡くしてからしばらくの間は、ほとんど眠れませんでした。夜寝れば遊星爆弾が落ちてくる夢を見て、何度飛び起きてしまったことか……」

 「そうよね、そうなるわよね……」

 彼女は、同情を込めて進を見た。それは同時に、彼が少年の辛さを理解できる人間だったことで、彼女に安心をもたらしたようだった。
 その後の彼女の口調が、さらに親しみを増したものに変わった。

 (16)

 「それでもね、今はずいぶん良くなったのよ。少しずつ明るさも取り戻してくれて……
 両親を亡くしてから、私達夫婦が引き取って実の子のつもりで育ててきたの。その甲斐あって、この頃あの子も私のことをお母さんって呼んでくれるようになったし、もうすぐ生まれる子のことも、とっても楽しみにしてくれててね。僕はお兄ちゃんになるんだから、しっかりしなくちゃって……」

 彼女が大きなお腹を愛しそうにさすりながら、うふふと笑った。子を慈しむ母の笑顔は、いつも美しい。

 「でもまだたった2年しか経ってないんだものね。十分には治りきっていなくて当然よね。あんなに小さいんだもの……」

 再び彼女が眉を潜めた。

 今もなお、さっきのように飛行機の轟音を聞くと、体にいろいろな変調をきたしてしまうことが、しばしばあるのだろう。あんなに小さな体で耐えているのだから、仕方がないことだ。
 大の大人で宇宙戦士として鍛えられた進でさえ、こうして沖田の死とヤマトの消滅に戸惑い深いショックを受けて、一人ふらふらと旅をしているのである。
 今の地球は、そんな辛い思いと戦っている人々が何千何万人といるに違いなかった。

 (辛い思いをしているのは、自分だけじゃないってわかっていたけれど……)

 嬉しそうに何かを手に握ってこっちのほうへ駆けて来る「息子」を見守りながら、彼女は再び話し始めた。

 「いつかは時が解決してくれるのかもしれないけれど、しばらくはまだ……ね?」

 節目がちに同意を求めるような視線に、進は黙って頷いた。
 そう、少年の心の傷を癒すのは、「時」しかない。それがはるか遠いところにあろうとも、いつか必ず……そう信じるしかないのだ。そして進もまた、同じその「時」を待ち続けている一人だった。

 進は、こちらに向かって再び走り始めた小さな少年の姿をじっと見つめながら、彼の小さな心が少しでも早く癒えることを切に祈った。

 「だからね、今はあの子を慰めるのにヤマトに助けてもらってるの」

 母親は、進を振り返ってニッコリと笑った。

 「ヤマト……ですか?」

 進の心臓がドキンと大きく脈打った。そうだった、さっきの少年を癒した言葉は確かにヤマトだった。

 (17)

 進がヤマトと言う言葉に大きく動揺していることに気付かないまま、彼女は話を続けた。

 「ええ、ガミラスの時からずっと、ヤマトが私達を救ってくれたでしょう。それからも何度も…… ヤマトがいなかったら、今頃地球はどうなっていたことか……」

 彼女は遠く海の彼方をじっと見つめた。

 「暗黒星団の侵略から地球が救われたとき、あの子に教えてあげたの。両親を殺した敵をやっつけて、地球から追い出してくれたのは、ヤマトっていう艦(ふね)なのよってね。
 そうしたら、あの子ったら、何かに取り付かれたようにヤマトに夢中になって…… それからのあの子の世界は、しばらくはヤマト一色だったわ。
 両親を亡くした辛さや悲しさを紛らすためもあったのかもしれないけど、一心不乱にヤマトの特別番組を見続けて…… 幼心にヤマトの活躍が強く焼きついたみたい」

 彼女は苦笑まじりに進を見つめた。

 「だから……あの子にとっては、ヤマトは憧れの的で救いの神で、そして生きるための大切なよりどころになったってわけ」

 まさかヤマトの元艦長に向かって言っているとは思いもよらない彼女である。しかし、今の進にとって、その言葉は、ありがたい気持ちよりも重苦しいものを感じさせられた。

 自分の言葉に渋面を作ってしまった青年を見て、彼女はいぶかしげな顔をした。

 「あなたは、ヤマトが嫌いなの?」

 「いえ、そういうわけじゃ…… ただ……」

 「ただ?」

 言いよどむ進を、彼女は怪訝そうな顔で見た。

 「ヤマトは絶対の存在じゃあないって思いませんか? 決して神なんかじゃないし、地球を守るためとはいえ、その代償にヤマトは大勢の人の命を奪ってしまったんだ」

 進は今、その失った命の重さに耐えかねている。苦悩の表情を見せながらうつむく進に、彼女はひどく驚き、一瞬、ぽかんと口を開けてから、わざとらしい笑みを浮かべた。

 「あなたって、ずいぶん地球の英雄にずいぶん批判的なのね? もしかして無抵抗主義の反戦論者?」

 「…………」

 はっとして顔を上げた進の何事かを訴えるような視線に、彼女は申し訳そうな顔を返した。

 「あら、ごめんなさい。あなたの気に触ったのなら許してね」

 「違うんです、すみません。そうじゃなくって……」

 進がまだ続けて何か言おうとしたとき、『ヤマト』を取りに行っていた少年が、二人のところに戻ってきた。

 「お母さん!!持ってきたよ。ほら、お兄ちゃん、見て!」

 (18)

 少年の声に、二人は視線をそちらに向けた。少年は、手に30センチほどの大きさのヤマトのプラモデルを持って、それを高く掲げて進に差し出して見せた。

 進は差し出されたプラモデルを手とって、ゆっくりと眺めた。プラモデルは、少年のような小さな子供が作るにしてはとても精巧なものに見えた。
 最初に進の目にとまったのは、やはり第一艦橋だった。小さいながらも中にはクルーたちの座席も見えた。かつて自分が座っていたその席に、進は目頭が熱くなるのを感じた。
 それから下のほうの甲板の主砲や前面にある波動砲の発射口へと視線が動き、最後に再び視線を上げて艦長室を見た。

 (沖田さん……)

 進の心に再び様々な感情が湧き上がってきた。いやと言うほど目に焼きついているヤマトの最期の雄姿が心の中でクローズアップされた。

 進が何も言わずあまりにも真剣な眼差しでプラモデルをじっと見つめているのを、少年はしばらく嬉しそうに目をきらめかしながら見ていたが、とうとう黙っているのに我慢できなくなったらしい。

 「ね? お兄ちゃん? かっこいいだろ?」

 その声に、進ははっとして我に返った。

 「あっ、ああ、すごいな。君が組み立てたのかい?」

 「うんっ! あっ…… 少しだけ、おじ……お父さんにも手伝ってもらったけど……」

 少年はそう答えると、照れくさそうに今は母となった人をちらりと見た。さっき女性が言ったとおり、彼がこの女性とその夫のことを、お母さん、お父さんと呼ぶようになったのは、ほんの最近のことなのだろう。
 母親が静かに微笑んで頷くと、少年も安心したように微笑んだ。

 その光景が、進の目には、とても優しくそして温かく感じられる。実の両親を失ったとはいえ、この少年にはまた新しい温かい家庭ができた。それが進には自分のことのように嬉しかった。

 「そうか、大事にしろよ!」

 「うん!」

 進は、少年にプラモデルを返してから彼の頭をくしゃくしゃとなでた。少年はプラモデルを大事そうに抱きしめながら、くすぐったそうに肩をすくめた。
進の手が離れると、少年は再び顔を上げて進の顔をじっと見つめた。

 「ん? どうかしたかい?」

 「ねぇ、お兄ちゃん?」

 「ん?」

 「僕、さっきからどっかでお兄ちゃんを見たことあるなぁって気がしてたんだけど……」

 少年が得意そうな顔に変わった。

 「お兄ちゃんって、着てる服も違うしひげも生えてるけど、本当はヤマトの古代進でしょう?」

 (19)

 少年のその言葉に、二人の大人は同時に大きく反応した。

 「あっ……」 「え?」

 母親が少年と同じ目で進をまじまじと見つめた。

 「いや……僕は……」

 進は激しく動揺した。ヤマトの話題が出たときに、ちらりと自分の素性が知れるかもしれないと思ったけれど、母親の口調からそんな様子が見られなかったので、すっかり安心していたのだ。
 ヤマトのファンだという少年は、その乗組員達の写真も持っていたのだろう。しかし、進としても、こんな格好で、しかもこんな小さな少年にそれを指摘されるとは、思いもよらないことだった。

 自分が古代進であることを意地でも隠し通そうと思っていたわけでは決してない。ただ今の自分には、あの「ヤマト」の古代進として、人と対峙できる自信がなかった。ただの放浪する一青年であるほうが、精神的に落ち込んでいる今の進には、心地よかったのだ。
 しかし、こんな風にまっすぐに少年から尋ねられたのに、「違う」と嘘をつくことも、進はしたくなかった。

 意を決して答えようとした時、隣にいた母親が笑い声まじりに話し始めた。

 「うふふ、もう、やぁね、この子ったら。すみません、突然変なことを言って」

 母親のほうは、少年の指摘があった後も、彼が古代進であるということに全く気付いていないらしい。彼女だって進の写真くらい見たことがある。しかし素直に見えたものを見るという子供と違って、大人の良識の中では、あの新聞などに載る防衛軍制服姿の古代進と、この目の前にいる無精ひげ姿の青年が一致しなくても不思議はなかった。
 彼女は、少年の両肩にそっと手をやって諭すように優しく語りかけた。

 「貴史、お兄ちゃん、困ってるでしょう。このお兄ちゃんは古代さんじゃないのよ。古代さんはまた地球のために新しいヤマトを作るんだって、あなた言ってたじゃない。今頃きっとそのお仕事してるわ。だから、こんなところでふらふらしてるわけないでしょ?」

 母親は、少年を諭すのに懸命で、後ろにいる青年に少々失礼な言葉を使ってしまったことに気付いていない。進はそれを聞きながら、心の中で苦笑していた。

 (そうだよな、古代進がこんなところでふらふらしてるわけ……ないよなぁ)

 だが実際はふらふらしている自分が、やけにおかしくて、少しばかり情けなかった。

 (いい加減、もう、帰らないといけないよな。雪も心配してるだろうし、これからのことは、雪と一緒に考えてもいいんだから……)

 進が黙って見ていると、母親の説得にもかかわらず、少年は頭(かぶり)を大きく左右に振った。

 「違うもん! 絶対古代進だもん! 僕何度も写真やテレビ見て、古代進の顔見てるもん! 絶対間違ってないもん! ねぇ、お兄ちゃん!! お兄ちゃんは古代進だよねぇ!」

 少年が真剣な眼差しで訴える横で、母親は当惑気味に少年を抱きしめた。

 「これ、やめなさい、貴史……」

 必死に訴える少年の瞳と、とそれを抑えるように抱きしめる母親の背中を見つめながら、進はとうとう自分のことを認めることにした。

 「あ…… あ、ああ、そうなんだよ。貴史君よくわかったね、僕は古代進だよ」

 そう答えたとたん、少年の瞳はぱっと輝きを増した。対してその母親のほうは、呆然とした顔で振り返った。

 「やっぱり、そうだったんだぁ!! わ〜い、やった!! 古代進だ、古代進に会えたんだぁ!!」

 少年は、大喜びで万歳しながら飛び上がっている。彼にとってはまさに憧れのヒーローが目の前に現れたわけなのだから。
 ただ、進としては、今はまだ胸を張ってその少年の期待の眼差しにこたえられないような気がしていた。胸にずっしりとのしかかる重石。失ったものへの思い。それを考えると、少年の喜びがかえって痛かった。

 (20)

 「あっ、ねぇ、古代さん! ちょっと待っててねぇ!」

 目をキラキラと輝かせた少年は、進にそう言葉を投げかけると、答えを待つまでもなく、再び荷物のあるほうへと駆け出して行った。

 進はその後姿を複雑な思いで見送った。それが顔にも出ていたのだろう。進の困ったような悲しげな様子に、母親が何か気付いたように、ああっと小さな声をあげた。それから進のほうを気遣わしげに見た。

 「あの……ごめんなさいね」

 「え?」

 「あの子に話をあわせてくれたんでしょう?」

 「は?」

 進は一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。そして一瞬考えて、合点がいった。彼女は、進自らが自分は古代進だと名乗ったにも関わらず、やはり進のことをどこにでもいるごく普通の青年だという念から離れられなかったのだ。
 彼女の顔から、さっきの驚愕の顔は消え、それまでの穏やかな笑みが戻っていた。

 「言われてみれえば、あなたどことなく、あの古代進さんに似てるわね。あの子が間違うのも仕方ないわ」

 「え? あ、ああ、はぁ……」

 「だって新聞で見た古代さんって、もっと恐そうな顔してたもの。あなたみたいな優しそうな笑顔してなかったわ。それにあんな有名な人がこんなところに一人でいるはずないじゃない。あの人達は地球の英雄よ、私達一般庶民と違うもの」

 進の顔をまじまじと見つめながら、彼女は微笑んだ。

 進は、なんと答えていいのかわからなかった。元々写真やカメラの苦手な進は、どうしてもそういう類のものを向けられると、渋い顔になってしまう。任務時の取材などだとなおさらだ。おそらく彼女が見たのも、そのような写真だったのだろう。

 それにしても、今の自分が、写真に写っていた任務時の自分とは似ても似つかない格好をしていることも原因しているのだろうと思う。
 だが一方で、ここで強く「自分は古代進に間違いないのだ」と訴える気にもなれなかった。やはり彼女達にとって、古代進という人間は特別な存在であり、いつも強くなければならないのだと思うと、今の自分はどう考えてもふさわしくなかった。

 (だが、あの子は僕のことを古代進だって信じてくれている…… あの子にはなんて言えばいいんだ?)

 進は、離れたところにあるかばんの中をごそごそしている少年のほうを見た。

 (21)

 進がどう答えようかと考えあぐねていると、彼女はさらに言葉を続けた。

 「でもお願い! このままあの子には、あなたが古代さんだって思わせておいてくれないかしら? だって……今のあの子には、あなたが古代進だと思っていられるほうが幸せかもしれないし。これがあの子が元気になるきっかけになるかもしれない気がするの。ね、いいでしょう?
 あの子には、物事がわかるようになったら、私からきちんと言って聞かせるから」

 彼女が拝むような視線で進を見た。

 「それは……」

 なにやらややこしいことになったな、と進は困惑する。自分が自分の振りをする、というのは、どういうことになるのだろう。だが、彼女はその案がとても気に入ったように、さらに強く進に訴えた。

 「大丈夫よ、あなたに迷惑かけることないわ! それに古代さんだって自分の代わりに子供一人励ましてくれたくらいで、怒りはしないわよ、ねっ」

 「それはそうですが……」

 確かにその通り、少年が元気になれるのなら、それに越したことはない。だがまだ歯切れの悪い進の受け答えに、彼女の顔色が少し曇った。

 「それとも、ヤマトに批判的なあなたが古代進さんの振りするなんていや?」

 「批判的だなんて、そんなことは……」

 「あら、そうだった? だってさっき言いかけてたでしょう? ヤマトは大勢の人の命を奪ってしまった、とかって」

 「それは……」

 再び返答に詰まる進に、彼女は訳知り顔で何度かコクコクとうなづいた。

 (22)

 「確かにねぇ、戦争ですものね。私も女だから争いは嫌いよ。戦争なんて大っきらい」

 あっさりとそう言い放つ彼女の言葉に、進の胸はずきりと痛んだ。

 「戦いさえなければ失われずにすんだ命がたくさんあったのよね。それに例え敵だといっても、命は命。地球の人たちも敵の星の人たちも、大勢の人の命が失われたことはとても悲しいことだもの」

 その罪の意識に、進は沈んでいるのだ。戦うべきではなかったのかということ、そして少なくともこれ以上は戦わないほうがいいのではないかということ。

 「でも、ヤマトや地球防衛軍の人たちが戦ってくれて、私達の命を救ってくれたことは確かじゃない? 攻めてくる敵から地球を守るには、それしか仕方なかったじゃないの」

 確かに攻めてきた敵から地球を守るための戦いではあった。だからといって……

 「けど、仕方なかった、ですませていいんでしょうか? 失った命への贖罪はなにもしなくてもいいって思いますか?」

 進のすがるような眼差しに、彼女も目を大きく見開いた。さらに進の話は続いた。

 「もしかしたら、ヤマトの……古代進という男も、そのことで悔やんでいるかもしれない……」

 自分のことを客観的な表現で言いながら、進は再び重くのしかかってくる思いに、顔を曇らせた。顔が自然とうつむき加減になる。
 すると、しばらく黙って聞いていた彼女が、穏やかな笑みを浮かべ、大きなお腹をさすりながら話し出した。

 「私ね、この子を授かった時に思ったの。おなかの中で新しい命が息吹いてくるっていうことは、本当にすばらしいことだって……」

 進は顔を上げ、彼女の腹部を見た。ぽってりと大きく膨らんだお腹には、間違いなく新たな息吹が芽生えている。進は黙って小さく頷いた。

 「でしょ? ふふ…… それで私思ったの。ああ、ヤマトは私達を救ってくれただけじゃなかったんだって。この子も、それからこうやってこれから生まれてくる何千何万という人たちの命も助けてくれたんだって」

 はっとして顔を上げた進に、彼女はなおも話し続ける。

 「そう思うでしょう? ヤマトが平和をもたらしてくれたから、これから無限に生まれてくる宇宙に一杯広がる全ての未来の命を助けられんだって……
 失った命は悲しいしもう戻ってこないわ。でもそれを悲しんでるだけじゃだめよ。私達にはヤマトがつかんでくれた無限の未来があるんだから」

 「……未来……」

 未来の命…… その言葉に進は胸打たれた。

 (俺のやってきたことへの贖罪は、未来の命が行ってくれる?)

 黙ったまま自分をじっと見つめる青年を見て、彼女は突然恥ずかしそうに頬を染めて、手を振って笑い出した。

 「あら、やだっ! ごめんなさい! 私ったら、全然知らない他人のあなたに、こんな演説しちゃうなんて…… でもね、最近自分に言い聞かせてたことなの。何かとっても辛そうなあなたを見てると、なんだか言いたくなっちゃった! うふふ……」

 「いえ、ありがとうございます」

 彼女の笑いにつられるように、進も微笑んだ。すると、彼女は安心したように再び穏やかな笑みを浮かべた。

 「うふふ…… ねぇ、あなた、やっぱり古代進さんに似てるわよね?」

 「そ、そうですか?」

 「あなたがどこのどなただかは知らないけれど、なんだか、本当の古代進さんみたいに思えてきちゃったわ」

 「えっ? どうして?」

 進はドキリとする。だが今更、私が本当に古代進ですとは、恥ずかしくて言えそうもない。

 「だって、古代さんもあなたみたいに、ごく普通にいろんなことに悩む人ならいいなって、あなたを見たら思えてきちゃったのよ。それならなんだか嬉しいななんて……うふふ」

 「そう……ですか?」

 「きっとそうよ。きっと彼も……おんなじよ。だってみんなおんなじ人間なんですもの!」

 彼女が大きく頷づいた。

 進の心が和んだ。進のことを雲の上の存在のように語っていた彼女が、古代進と言う男もただのごく普通の人間であって欲しいと言ってくれたことが、なぜかしら嬉しかった。

 (23)

 その時ちょうどさっき荷物のところに走って行った少年が、息を切らしながら戻ってきた。

 「はぁはぁ、古代さん!!」

 キラキラ目を輝かせる少年に驚いた進に、彼女が隣でまじめな顔で小さく頷いた。それは、さっきの依頼の通り、このまま古代進を演じて欲しいという訴えであった。進はそれに同じく小さな相槌を返してから、少年のほうを見た。

 「何をとってきたんだい?」

 「えっとね、これ…… 古代さんの写真!」

 少年が差し出したのは、週刊誌かなにかを切り取った進の写真だった。それは一月ほど前、太陽の異常増進を無事に止めて帰還したときの記者会見記事らしかった。ひどく真面目な顔をした防衛軍制服姿の進は、まさにヤマト艦長古代進であった。

 (確かにこの姿と今の俺じゃ、普通は同じに見えないよな。でも逆に言えば子供の目って言うのは、すごいもんだ)

 進は変なところで感心しながら、少年からその写真を受け取った。

 「これに、サインしてくれませんか?」

 少年の屈託ない依頼に、隣の母親が不安げな顔をしているのも構わず、進はなぜかとても素直に頷いていた。

 「ああ、いいよ」

 進の了解にほっと安心して少年が差し出したボールペンを、進は受けとって、写真の下のほうへ、少年の名と自分の名前を書き込んだ。

 『貴史くんへ 未来に向かってがんばれ! 古代進』

 「ありがとう、古代さん!!」

 少年は、書かれた文字を嬉しそうに眺めてから、満面の笑みを浮かべて礼を言った。それから、さらに期待を込めた視線を進に向けた。

 「ねぇ、古代さん?」

 「ん? なんだい?」

 「これからも、地球を守っていってくれるんだよね?」

 「え? あっ、ああ……それは……」

 進が一瞬それに答えあぐねていると、わき腹をつつかれた。ちらりと横を見ると、母親が頷くようにと視線で促している。
 それに押されるように、進は再び少年のほうへ顔を向けて、膝を折って少年の目線の高さにしゃがんでからこっくりと頷いた。

 「ああ、もちろんだよ。これからもずっと地球を守っていくよ」

 「そうだよねぇ〜〜 ヤマトがアクエリアスに沈んじゃっても、古代さんがいるんだもんね〜 他にも大勢のヤマトの人がいるもんね!」

 少年の瞳がどんどん輝いていく。

 「ああ、そうだな、ヤマトの仲間はみんないるよ……」

 進の脳裏には、島、真田を初めとしたヤマトの仲間達の姿が目に浮かんできた。

 「みんながいたら、また新しいヤマトができるんだよね?」

 そこで進はすぐに答えを返せず、大きく息を飲み込んだ。

 (新しいヤマト……本当にいつかそれができるんだろうか? そしてその時自分はそこにいるんだろうか?)

 進にはまだ自信はなかった。それでも今は、ただこの少年の憧れのままである古代進でいてやりたかった。

 「…………ああ、そうだな。新しいヤマトが……いつか、きっと…… そう、きっとできるさ!」

 答えながら、進は自分の体の中に何か熱いものが流れ始めるのを感じていた。進の答えが力強くなると、少年も一層元気が出たようで、これ以上ないほど嬉しそうな顔をした。

 「うん!! じゃあ、指きり!!」

 「ああ、指きりげんまんだ!」

 少年が突き上げた小指だけを起こした右手を、進の右手の小指がしっかりとつかんだ。

 「ゆ〜びきり、げんまん、うそつ〜いたら、はりせんぼん、の〜〜〜まっすっ! ゆびきった!!」

 少年との些細な約束が、進の沈滞していた心を揺り動かしたことだけは、紛れもない事実であった。

 (24)

 それからすぐ後の事だった。浜辺の入り口のほうから、お〜いと叫ぶ声がした。三人が振り返ってみると、そこには一人の男性が立っていた。

 「あ、お父さん!!」

 少年が大きな声でそう言うと、そちらに向かって大きく手を振った。

 「お父さ〜ん! 迎えに来てくれたのぉ?」

 「お〜!」

 むこうからも答えが返ってきた。浜辺に入ってきた父親は、母子の荷物のところまで来て、それを拾い上げていた。
 それを契機に、母親は少年を促した。

 「さ、貴史、お父さんが迎えに来てくれたし、そろそろ帰りましょうか」

 「うん! 古代さん、さようなら。今日はありがとう!」

 「ああ、君も元気で頑張れよ」

 「うん、古代さんも! お母さん、僕走って、先にお父さんのところに行くね!」

 少年は元気一杯に手を振って、父親のほうへ向かって一目散に走っていった。母親はその姿を目を細めて見つめてから、進のほうを振り返った。

 「それじゃあ、私もこれで…… 今日は色々とありがとうございました」

 「はい、いえ、こちらこそ…… 元気な赤ちゃん産んでください」

 「ええ、ありがとう。それじゃあ、あなたも元気出して頑張ってね!」

 母親は会釈してから歩き出し、向こうから迎えに来た父親と、まず少年がそして母親が合流した。そこで何か会話を少し交わしたあと、再び三人は進のほうを向き、そろって頭を下げた。それから子供を真ん中にして手を繋いで帰っていった。

 実の両親ではないにしても、父親と母親に挟まれた少年の背中はとても幸せそうだった。時折ぴょんぴょんと飛び上がる少年の無邪気な姿が、それを如実に表している。

 進は、そんな三人の姿に目を細めた。その姿が進の脳裏の中でいつしか、進と雪と、そして二人の間に生まれた子供の姿へと変わっていった。

 (いつか…… 未来の命が、僕らの間にも生まれてくるのだろうか……?)


 その晩、進はそのままその浜のそばにある小さな洞窟で野宿した。雲の多い夜だったが、その隙間から、星やまだ三日月ほどの月が時々顔を出す。そんな夜だった。
 それはまるで暗澹とした進の心の中に、少しずつ明るさが戻ってきたことを表しているかのようだった。

 それからさらに朝が来て、再び夜が訪れても、進はまだ同じ浜辺にいた。そして空を見上げながら、ただひたすら考えていた。
 これまでの様々なことを、そしてこの数日間のことや出会った人たちのことを、過去と未来の自分のことを、そして雪のことを……

 進が部屋を出てから6日目の夜は、雲ひとつない快晴の空だった。満天の星々が進の頭上に降り注ぎ、ようやく三日月を脱して膨らみ始めた月が輝く夜。
 そして進は、ようやく重い腰を上げる決意をした。

 (明日は……帰ろう…… 雪の待つ僕らの家(うち)へ……)

Chapter8 終了

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(背景:Atelier Paprika)