再び二人は並んで横になった。進が横を見、微笑むと、雪も微笑を返した。進には、妻の顔が輝いて見えた。胸がズキンと鳴る。やさしい妻の笑顔がなぜかさっきの母親の顔と、そして自分の思い出の中の母の姿と重なってくる。それは、全てを包んでくれる慈愛の笑みだ。
雪は見た。自分を見つめ返す彼が、まるで母を慕う少年のような幼い澄んだ瞳をしているのを。そのすがるような視線を、雪はゆっくりと受け止め、両手をそっと開いた。
進は、その広げられた手の中に体をもぐりこませ、その胸元に顔をうずめた。雪がその進の髪をそっとなでる。ゆっくりゆっくり慈しみを込めて愛を込めて、柔らかな手が進の髪をなぞっていく。
ぞくりとするほどの快感が進の心と体に広がっていった。
胸に押さえていたものが、押さえきれなくなってとめどなく湧き上がってくる。進の戸惑う気持ちを押しきるように、とめどなくとめどなく…… センチメンタルな今夜の想い。
「ううっ……」
進は我慢できなくなって嗚咽をあげた。雪が驚いて進を見おろした。雪には進の頭しか見えないが、進の頭が微かに震えているのが解った。
「どうしたの? 進さん……?」
やさしい言葉をかけられればかけられるほど、進の胸に込み上げてくるものは止まらなくなる。
「ああ…… あう……」
とうとう、進は声を出して泣き始めた。雪はちょっと困ったような顔をして、進をさらに強く抱きしめた。
「本当にどうしたの? あなた…… 具合でも悪いの?」
「ごめん……雪。違うんだ。違……う……んだ…… うっく…… ただ……ただ……」
進が何か説明しようとするが、言葉がでてこない。
その時、雪はふと、進はただこうやって泣きたいだけなんだと気がついた。孤独な彼がそれを訴えるように、ただただ泣きたいんだ……と思った。彼は過去に長い間ずっと……孤独だったから。
「そう……なの。進さん…… いいの、いいのよ。思いっきり泣いて……いいのよ、進さん……」
(by ミカさん)
雪のやさしい言葉に答えるように、進が首を縦に振り、その泣き声はさらに大きくなった。泣いて泣いて、涙がかれるほど、進は泣いた。そんな進を雪はただひたすら抱きしめ続けた。もう慰めの言葉もいらない。ただ、ぬくもりだけがうれしかった。
どれくらい経っただろうか。進は静かになった。涙ももうでてはいなかった。それでも雪の胸元に顔をうずめたまま、じっと……じっとしていた。雪も進の髪をゆっくりとなぞり続けていた。
そして、それからまたしばらくして、進はやっと顔を上げた。
「ありがとう……雪」
「あなた……」
「かあさんを……思い出してた」
「そう……」
「雪は……あたたかいね。いつも、あったかいよ」
「進さん、はじめてね、私があなたに出会ってから、こんな風に泣いたのは。私、うれしい……」
「えっ?」
「だって…… あなた、いつも頑張ってたもの、いつも無理してたもの。悲しくても涙を飲みこんで、辛くても唇をぎゅっと噛締めて…… だから、こんな風に弱さを見せてくれたのが……私、とてもうれしいの」
「雪……」
「私の前では泣いてもいいのよ、弱音を吐いてもいいじゃない。思いっきり嗚咽したっていいじゃない。だって……夫婦なんだもの、ね。私だって……そう、するわ」
「……ああ、ありがとう。そうだね、夫婦だもんな。雪には甘えてもいいんだよな」
進が照れ笑いする。そして、言い訳のようにつぶやいた。
「ここ何日か雪がいない部屋で過ごして寂しくなったのかなぁ? それにあんなテレビを見たからかな?」
進はさっき見たテレビの話をして聞かせた。
「そう……それでおかあさんのことを。ねえ、またいつか連れて行ってね。おかあさんとの思い出の海へ……」
「ああ、行こう。あの海へ……子供の頃の思い出がいっぱいつまった、あの海へ君と一緒に……」
「ええ、あなた」
今度は雪が進の胸にそっと体を摺り寄せた。進はそれをしっかりと受け止め抱きしめる。強く……心をこめて……
――ありがとう、そして、おやすみ、雪。僕の最愛の女(ひと)、最愛の聖母(マドンナ)――
進と雪は一つに重なったまま、ゆっくりと安らかな眠りに入っていった。
(背景:Atelier paprika)