ラランドの白い花

Chapter7

 (1)

 7月も半ばを過ぎた。南部は月の初めには地球に戻っているはずだが、今のところ、進が依頼したナギサの父親について何の連絡もなかった。
 もちろん当のナギサは、南部がそんなことを調べようとしていることなど、全く知る由もなかった。

 そのナギサはというと、この一ヶ月余りで雰囲気ががらりと変わった。まず何が一番変わったかというと、男達の言葉を割合素直に受け止められるようになったことである。誉め言葉、お世辞、賞賛の眼差し、それら全ては、昔ならどれもこれもよからぬ事を求める下司な男の下心なのだと、腹を立てたものだった。
 しかし、今はまず一旦そのままの言葉で受け入れることを覚えた。それはナギサ自身が、自分の変化に驚くほどであった。

 (いつからかしら? 不思議なほど素直になれるようになった。今までは、どうしてあんなに男性の言葉と言うだけで、身構えていたんだろう……?)

 今となっては過去の自分が信じられないくらいだ。素直になってみたら、とても楽なのである。もう構える必要がないとなると、いろんな点で心も穏やかになった。

 そんなナギサの変化を、司令部の同僚達も皆歓迎した。それがナギサにも好影響を与え、さらにナギサの心を開いていくことになった。

 (もっと早くこうすればよかった…… でも……それもこれも、あの父のせいだわ。あの人がもっと誠実な人だったら、私も母ももっと違った人生を歩いていたはずなのに…… それともあの人にも何か事情があったというの?)

 今は知ることもできない父の本当の姿を思い、その父への不信感だけは、まだ完全に取り除かれていないナギサだった。

 その点において、進の読みはまさに的を得ていたことになる。

 (2)

 ナギサの変化の原因は何か…… それはいまさら語る必要もないが、古代進という男に出会ったということに違いなかった。

 古代進は、良きにつけ悪しきにつけ常に言動が正直な男である。正しいことは正しいと述べ、間違っていることは、それが自分の上司であろうが相手が専門家であろうが、絶対に譲歩しない。
 この数ヶ月それを目の当たりにしてきたナギサには、彼が口に出す誉め言葉に決して嘘がないことを、十二分に理解できた。

 ただそれだけなら、権藤もそんな人間である。ナギサはこれまでも彼だけには警戒をせずに付き合ってきた。
 だが、権藤の場合は最初から、ナギサにとって忌み嫌うタイプの『男』として認識されていなかった。だから、なんの意識もなく、気の置けない友人と言う地位を、互いに確保することができたといえるだろう。
 逆の意味で、ナギサは権藤を性としての『男』として認識したことがなかったのだ。

 それが初めて進に対しては、『男性』というものを意識してしまった。なぜなのか……

 外見上、何もかも手にしているエリートと見受けられる古代進という男が、ナギサの会ったことのない父と重なった。だからこそ、そんな進がナギサの尊敬に値する人間だったということが解った時、ナギサの中の父親に対する疑念がほんの少しだけ揺らいだのだ。
 そんな不安定になった女心に、古代進という男の存在がするりと入り込んでしまった。

 だが、古代進には既に一生を共に生きると固く誓い合った妻がいる。そして二人の間にはかわいい愛の結晶達もいるのだ。

 (あの人のことを意識するのはやめよう。ただの尊敬できる上司として、付き合っていくのよ。あと半年すれば、地球に……奥様のところに帰ってしまう人なんだから)

 ナギサは進への気持ちが本物になることを、必死に抑えようとしていた。その感情の境界線を越えるきっかけになったのは、やはり後日届くことになる父親の消息であった。

 (3)

 一方、進の方はというと、南部のせいで意識する羽目になったナギサの存在であったが、ナギサの努力の甲斐もあって、最近はそれが自分の考え過ぎだったと思うようになっていた。

 (やっぱり、俺の思い過ごしだったんだ。南部の奴が大層なこと言うから悪いんだ。俺が意識してどうする! 俺は、18,9の青二才じゃないんだぞ。もうやめやめっ! 余計なことはもう考えないぞ)

 せっかく良好になった二人の関係を崩すような言動はしないと、自分の心に、そして机に飾った家族写真の中で、美しい笑顔を見せている妻にも強く誓った。

 そんな時に限って、ナギサが笑顔でお茶などをいれて持ってきたりする。

 「副司令、紅茶が入りました。どうぞ」

 「あっ…… ああ、ありがとう」

 着任当時は見たことのなかった柔和な笑顔でカップを差し出されると、進とてドキリとしてしまうのである。心の鎧を解いて、若さと美しさを十分に発揮するようになったナギサは、進にとってはやはり眩しい存在だった。

 (4)

 そんなある夜のこと。進は珍しく残業になってしまい、すっかり疲れて帰って来た。仕事の内容が、来週のラランド星基地で行われる全体会議の資料作成などという、進の一番苦手な作業なだけに、疲れも激しい。それも明日中には仕上げたいのに、まだ先が見えないのだ。

 「明日で終るんだろうか。明日は誰かに手伝ってもらうとするか…… とすると、やっぱりナギサ君に頼むのが一番手っ取り早いんだが……」

 ナギサの資料の把握度や管理能力は、進がとても及びそうもないくらい高い。いつも進はそれに助けられていた。今回こそは自分一人でなんとかしようと思ったが、期限のある仕事だけに意地を張り続けているわけにもいかないだろう。
 ただ南部に指摘されてからは、ナギサと二人きりになることを極力避けてきた。だから進としては、彼女に残業の依頼をするのがためらわれるのだ。

 「あくまでも仕事……なんだからな!」

 誰に言うわけでもないのに、進は強い口調でそう叫んた。

 それから、帰るといつもしているように、自分のパソコンの電源を入れた。そして個人宛のメールをチェックする。
 明日の仕事の段取りの事をぶつぶつと口走りながら、手だけで作業を続ける。
 すると新着メールの中に、南部からのものが1通入っていた。タイトルは、「例の彼女の件について(遅くなってすまん!)」となっていて、添付ファイルが2個ついている。

 「おっ、南部からだ。もしかして、あのことがわかったのか?」

 中身をあけて見ると、やはり進が予想していた通りナギサの父親についてだった。

 『古代、元気か? 連絡が遅くなって悪かったな。ちょっと野暮用が重なって、調査依頼が遅くなってしまったんだよ。
 やっとこの前、例の彼女の件をオヤジの会社の暇なやつらに調べさせた。割合すぐにわかったよ。
 ただ……非常に残念なことなんだが、彼女の父親は既に他界していたよ。
 だが、ひどい男ではなかったらしい。というよりその逆で、彼女の母親を心から愛していたようだ。生きていればきっと娘のことも探し出して愛しただろうにと思うよ。
 とにかく詳しくは付けてある添付ファイルを読んでくれ。
 残念だったが、彼女には、そこんところうまく説明してやれよ!

 ところで、俺のところにも2人目が生まれたぞ。女の子だったよ。まあ、それが野暮用のメインなんだがな……(笑)
 俺が地球に帰った次の日、俺の帰りを待ってたように生まれたんだ。賢い子だろう。それに、ものすごく美人だぞ。将来は、お前のところの愛ちゃんに負けないくらいモテルに違いないさ! といっても、娘をいいかげんな男にやるつもりもないがな! ってことで、娘の写真を添付しておいたから見てくれよ。

 じゃあ、元気で頑張れよ! また次の寄港の時にも、メールボーイしてやるからな!
 それから、あんまり羽目をはずしすぎないように! あんまり彼女に肩入れしていると、ややこしいことになっても知らんぞ。俺がフォローし切れなくなるような事態にだけはなるなよ! お前は、変なところで真面目だから心配なんだ。

 じゃあ、またな!             南部 康雄』

 「まったく、南部の奴、好き勝手言いやがって! しかし……そうか彼女の父親は亡くなっていたのか…… かわいそうに……本当に天蓋孤独だったんだなぁ」

 進は複雑な思いで、そのメールを読み終えた。

 (5)

 二つある添付ファイルを眺める。ナギサのほうの資料は長そうだ。それに内容も濃そうなので、その前に南部の娘の方の顔を拝ませてもらうことにした。

 「さてと、先に南部の方を片付けるか。南部め、すっかり親バカになってんだろうな。息子が生まれた時も大騒ぎだったが、今回もすごかったんだろうなぁ。なにせあそこにも、両親の他に張り切ってるジジババが二組もいるからなぁ。もうベビードレスとかが、タンス一杯になってんじゃないのかぁ」

 進はその様子を思い浮かべながら、苦笑いした。写真のファイルを開くと、まだ生まれて間もない赤ん坊が現れた。小さな体の幼子を見ると、進も数年前の自分の子供達のことを思い出した。

 「生まれたての赤ん坊ってこんな顔してたんだなぁ…… しっかし、これじゃあまだ親父に似てるんだか母親に似てるんだかわかんねぇだろうが、まったく!」

 写真を見ながら、くくくっと一人で笑った。だが進も、自分だって人のことを笑えない親バカだということも、よくわかっていた。

 「南部、娘はまた一段とかわいいだろう。お前の気持ちは俺にもよくよくわかるぞ!」

 (6)

 「さてと……問題はこっちだな」

 進は写真ファイルを閉じると、次にナギサの父親についてのファイルを開いた。

 その『ナギサ・ライアティア嬢の父瀬戸省吾氏についての調査結果』というファイルは、南部が依頼した調査員からの報告書ファイルをそのまま送ってきたものだった。
 ナギサの父親の生まれや家族、そして日本へ帰国してからの経緯などが詳しく書かれていた。それを要約すると以下のようになる。


 瀬戸省吾、2156年生まれ、神奈川県の出身。湘南海岸のすぐ近くの素封家の次男として生まれた彼は、何不自由のない暮らしの中で成長、成績優秀で将来を嘱望される。
 2175年東京国際大学建築科(現地球連邦大学東京校の前身)入学、2178年優秀な成績で卒業後、武島建設に入社。主にホテル関係の設計に携わる。
 2182年、26歳で6つ下の由香利と結婚。
 2193年8月、空港へ移動中に、三浦半島付近でガミラスの遊星爆弾の直撃を受け死亡。

 妻由香利は、母方の従姉妹にあたる幼なじみだった。由香利はきわめて病弱で、生まれた時から20歳までは生きられないと言われていた。
 そんな娘が不憫で、短い人生の幸せの為に、由香利が20歳になった時、由香利の両親が省吾に仮そめの結婚を懇願した。
 由香利は、幼い頃から省吾に憧れ恋心を抱いていたが、省吾のほうは彼女に対し妹に対するような愛情は抱いていたものの、女性として愛しているわけではなかった。
 しかし、伯父伯母にあたる二人の切ない頼みと生来の優しさ故に結婚を承諾する。もしも本当に好きな人ができた時には、別れてもいいという約束で。

 結婚後も、ほとんど床を離れることのできなかった由香利とは、正式な夫婦としての契りは交わさぬままだったが、それでも二人は穏やかな愛情で結ばれ、由香利は省吾の存在だけを生甲斐に、その命を細々とつないでいた。

 月日がたち、2189年省吾の携わったホテルの建設がタヒチで始まり、省吾はタヒチに長期出張する。そこで、ナギサの母イボンヌ・ライアティアと出会い、省吾は恋に落ちる。
 2年後、省吾がイボンヌとの結婚を本気で考え始めた頃、ガミラスからの遊星爆弾の影響でホテル建設が中止となり、省吾は日本に帰国することになった。その時には、イボンヌは既にナギサを身ごもっていた。
 帰国する寸前に、省吾は自分が実は結婚していると告げる。事情ですぐに別れられないことだけを告げ、必ず片を付けて迎えに来ると言い残して、イボンヌと別れた。

 省吾は、日本に帰国後両親にイボンヌのことを話す。両親も省吾の希望通りにしてやりたかったが、その当時、由香利の容態が悪化しており、省吾も両親もすぐに離婚を切り出すことが出来なかった。そうなれば、彼女はすぐにも命を落としかねなかったからだという。

 そんな中、日本にも遊星爆弾が飛来し始め、通信網や交通網が乱れ、さらに地下都市の建設のために、省吾は多忙を極めた。
 既に生まれているであろう我が子のことを思いながらも、仕事に追われ、妻の容態を気遣うなかで、タヒチとの連絡を取ることができぬまま1年が過ぎた。

 2193年5月、とうとう由香利が亡くなった。由香利はタヒチで省吾に愛する人ができたことに薄々感じていたようで、最後まで省吾の配慮に感謝し、自分亡き後はきっと幸せになって欲しいと言い残して逝った。
 そして省吾は、無事に妻を送り百日の法要を終え、やっとイボンヌを迎えに行く決意をする。
 2193年8月25日、既に地下都市に避難した両親たちに「妻由香利の墓に参った後、その足でイボンヌと生まれた我が子迎えに行く」と言い残し、省吾はエアカーにて空港へ向かった。
 それが、両親が省吾に会った最後だった。

 省吾は、その日墓を出て空港に行く途中、三浦半島付近に落ちたガミラスの遊星爆弾によって死亡。

 その後、瀬戸家を継いでいた省吾の兄一家も遊星爆弾によって死亡し、省吾の両親はたった一人の肉親であるまだ見ぬ孫が生きているのならば、是非会いたいとの伝言を依頼された。

 そして資料の最後に、一枚の女性の写真が添付されていた。説明によると、両親の元に残された遺品の中にあったイボンヌの写真だという。褐色の肌の女性の写真だった。その裏には、『イボンヌ』とだけ書き記されていたという。

 (7)

 「ふうっ……」

 進は長い調査資料を一通り読んでから、大きなため息をついた。そして、資料の最後についていた写真を見つめる。長い黒髪に白いティアレの花を飾った美しい娘は、ナギサに生き写しだった。

 「まさか彼女のお父さんもあの遊星爆弾で亡くなっていたなんて……」

 ガミラスの遊星爆弾によって引き裂かれてしまったナギサの両親の人生に思いを馳せると共に、ナギサの父省吾が進の両親と同じ日に同じ遊星爆弾で死亡したことに、不思議な縁を感じた。

 ナギサの母イボンヌが日本に行った時には、既に省吾は他界していたということになる。白色彗星からの攻撃がされず、もう何日かイボンヌが生きていたら、省吾の墓に辿りついていたかもしれないと思うと、進はまたやるせない思いに捕らわれた。

 「少なくとも彼女は、深い愛情で結ばれた両親の間に生まれたことだけは確かだ。しかし……」

 この資料をナギサに見せていいものかどうか、進は迷った。両親の愛が本物であったことは伝えたい。だが、父親が既に20年も前に亡くなっていたということは、予想外のことだった。いや今まで探しにこなかったということを考えれば、想像できうる結果だったのかもしれない。
 例え憎んでいるといっても、父の死はやはりナギサにとっては大きなショックに違いないだろう。彼女の悲しみを思うと、進の心は重くなった。

 (8)

 翌日出勤した進は、ナギサの父に関する資料をプリントアウトして持ってきていたが、まだこれを彼女に伝えるかどうか迷っていた。
 朝からいつも通り業務をこなすナギサに、ちらちらと視線を送りながら、進はまだ決めかねていた。

 そんなこととは露とも知らないナギサはというと、なぜか今日は自分の方へ頻繁に、それもやけに深刻そうな視線を向ける副司令の様子が、気になってしょうがなかった。

 (やだわ、今日の副司令変だわ。どうしてあんな顔で私を見るのかしら? ああっもうっ! 変なこと考えちゃダメよ、ナギサ! 何でもないんだから!)

 ナギサは進を避けるように、バタバタと仕事をし始めた。

 一方、進の仕事の方もはかどらない。今日中に完成させないとならないのに、思った以上に資料を探してまとめるという作業に手間取ってしまう。

 あいにく、今日は中津やランバート達も自分で持っている仕事がたて込んでいたし、定時後は労働組合の会合で二人とも出かけることになっていて、男性陣も頼れないのだ。
 ナギサが暇なら手伝いを頼もうかと思うのだが、忙しそうに立ち回る彼女を見ていると、それが言い出せなくて言いそびれているうちに、時間だけが過ぎた。

 とうとう夕方近くなって、自分だけでは間にあわないと観念した進は、ちょうど自分の席の前を足早に通り過ぎようとしていたナギサを呼び止めた。

 「ナギサ君、ちょっと頼みがあるんだが」

 「は、はいっ! なんでしょうか?」

 微妙に意識している今日、ナギサはびっくりしたように立ち止まって進の方を振り返った。声のトーンもいつもより高い。
 しかし、進がそんなナギサの思いを察するはずもなく、ストレートに仕事の依頼をした。

 「例の会議の資料作成が間に合わないんだ。悪いが、今日残業して手伝ってもらえないか?」

 「あ……はい、構いませんが……」

 ナギサの声が落胆したような、さっきとは逆に低いトーンになった。

 (やだ、副司令、もしかして朝からずっと私に仕事頼みたくていたの? それならそうと早く言ってくだされば良かったのに、ああもうっ!)

 自分の自意識過剰に腹が立って、それが顔に出てしまった。すると、ナギサの不機嫌そうな受け答えに、進が慌てて言葉を加えた。

 「あっ、いや、もし予定でもあるんならいいんだぞ」

 「いいえ、別に予定なんかありませんわ!」

 久々にぴしゃりと言われて、進の方が慌てた。実は言ってしまったナギサのほうも、少しばかり焦ってしまう。
 こう言う時は、下手に逆らわないのが得策と―これは妻とのやりとりで会得した進の対女性対策の知恵だった―進は遠慮がちに頷いた。

 「そ、そうか、すまんな。飯でもご馳走するから……」

 「あら?ご馳走してくださるんですか?」

 進の懐柔策?の提案に、ナギサも機嫌を直すきっかけを見つけ、一気に笑顔になった。すると進も安心したように笑い出した。

 「あはは、ああ…… だが食事に行く時間はなさそうだから、食堂のテイクアウト食べ放題っていうので、だめかな?」

 「なぁんだ。でもまあいいですわ。ただし、デザート付きですよ!」

 「OK! 定時過ぎたら、なんでも好きな物好きなだけ買ってきてくれていいぞ。ついでに俺の分も適当に頼む」

 「わかりました」

 とりあえず、気持ち良く残業に付き合ってもらえることになって、進はほっと一安心した。

 そんな二人のやりとりを見て、中津とランバートは何やら目で語り合っていた。

 (9)

 定時後、中津達が出かけると、進とナギサは、ナギサが買い込んできたサンドイッチやチキンフライなどをつまみながら、本格的に資料作りに入った。
 思ったとおり、ナギサに手伝ってもらうと、進が一人でする倍以上の早さで作業が進んでいく。そして意外なほど早く資料は完成した。

 「ふうっ、やっとできた!! 助かったよ、ナギサ君。ほんとにありがとう!」

 プリントアウトしたばかりの資料をトントンと揃えながら、進は満面に笑みを浮かべて、ナギサに礼を言った。

 「い、いえ……」

 ナギサの心臓が外にドキンと大きく高鳴った。それは、音が漏れるのではないかと思うほどだった。実は、最近のナギサは、この笑顔にとても弱いのだ。答える言葉もうまく出てこない。

 「ん? どうかしたのか? 疲れたんじゃないのか?」

 心配そうな顔で見つめる進の視線に耐えられず、ナギサは窓の外へと顔を背けた。
 何を見るともなしに窓の外を眺めると、すっかり暗くなっていたが、窓のすぐ外に最近植えたばかりのラランドティアレの木が花をつけているのを見つけた。

 (あっ、ここでも花をつけたんだわ……)

 ナギサは自然と窓際に歩き出した。一つ二つ、薄ぐらい中でも白く光る可憐な花は、ナギサの心和ませた。
 それに見惚れていてふと気が付くと、すぐ後ろに進がやってきていた。

 「おっ! ここのも咲いたんだな!」

 「はい…… 副司令もご存知じゃなかったんですか?」

 「ああ、昨日までは咲いてなかったと思ったなぁ」

 「そうなんですか…… じゃあ、今日咲いたんですね」

 嬉しそうに振り返ったナギサに、進は目を細めた。

 (この花のことになると、彼女はほんとにいい笑顔をするな……)

 そんな優しい眼差しに、ナギサは再びドキリとした。ドキドキ……ドキドキ…… 仕事中の事務室内だと言うのに、進と二人きりだということが、ナギサの胸を高鳴らせる。

 (もしこのまま後ろから、彼にぎゅっと抱き締められたらどうしよう……)

 あの温かくて大きな胸のぬくもりを思い出して、ナギサの胸の鼓動は早くなるばかりだった。

 じっとラランドティアレの花を見るナギサの後姿を見つめながら、進は例の資料のことを思い出していた。

 (いつかは知らなければならない事実だ。それなら少しでも早い方がいいんじゃないだろうか…… あの花が今日咲いたというのも、彼女の母親がそのことを彼女に知らせて欲しいと言っているように思える……)

 進は、とうとう父親のことを切り出すことに決めた。

 (10)

 「ナギサ君……」

 「は、はいっ!」

 後ろからの進の声に、ナギサは後ろ向きのまま答える。

 (もしかして……まさか……!! 違うに決まってる!)

 とても複雑で大きな期待と不安が入り混じって、ナギサの答える声が上ずった。

 「実は……君に話したいことがあるんだ」

 「えっ!?(どうしようっ!)」

 どうしていいかわからないまま、ナギサはくるりと振り返った。すると、進はいつになく深刻な顔をしている。
 その顔を見て、ナギサの胸の高鳴りが最高潮に達した時、進は口を開いた。

 「君は本当にお父さんのことを知りたくないのかい?」

 「えっ……!?」

 ナギサの心臓が別の意味で、ドキリと鳴った。期待していた?事ではなかったことに加えて、憎んでも憎みきれない父親の話題に、ナギサの顔が一気にこわばった。

 「……あんな人のこと…… 知りたくもないし、会いたくもありません! あんな人、もう死んじゃっていればいいんわ!!」

 激しい口調でそう叫んでから、ナギサは進を押しのけて、自分の席に走った。

 「仕事はこれで終りですよね! 私、帰らせていただきます!!」

 ナギサは、自分のバッグを手にすると、小走りに部屋を出ようとした。

 「待ってくれ! ナギサ君!! これをっ! これを読んでみて欲しいんだ」

 慌てて叫びながら、進は自分の机の引出しからあの書類を取り出してナギサを追いかけ、腕を掴んだ。その勢いで、ナギサがくるりと振り返った。そして、進が開いている方の手に持って突き出している書類の表の文字が目に入った。
 書類のタイトルには、『ナギサ・ライアティア嬢の父瀬戸省吾氏についての調査結果』とあった。

 「これは…… 父の……!?」

 ナギサの大きな瞳が開くだけ開いて、その書類をじっと見つめた。とりあえず進を振り切って逃げる気配はなさそうだ。
 進はそれを確認してから掴んでいた手を離した。そして、静かに説明を始めた。

 「ああ、この前来た第七艦隊の南部艦長に頼んで調べてもらったんだ。ちゃんとしたところが調べたものだから間違いはないと思う」

 「どうしてこんなこと……」

 驚愕の眼差しでそれをじっと凝視したまま、ナギサは呟いた。

 「勝手にしたことは謝る。が、いいからとにかく読んでみてくれ!」

 進は頭を下げながら必死に訴えた。しかし、ナギサはまだ微動だりしないし、口も開かなかった。

 「…………」

 (11)

 しばらくの間沈黙が続いた。進は黙ってナギサがその気になるのを根気よく待った。そしてとうとうナギサは意を決したように、ゆるゆるとその書類に手を伸ばした。

 「わかりました……」

 ナギサは書類を手に取ると、すぐ横の応接セットのソファに座った。進もその向かいに座って、読み始めたナギサを黙ってじっと見ていた。

 一枚一枚読み進めるうちに、ナギサの瞳はだんだんと涙で潤み始めた。書類を持つ手が少し震え始める。
 そして、読み終わった時には、その涙がテーブルの上に、ぽたぽたと何粒か落ちた。最後まで読んでも、ナギサは何も話そうとはしなかった。目を見開いたまま、こみ上げてくる感情を抑えようと必死に唇を噛んでいる。
 その様子を見ながら、進は何も言うことができなかった。

 しばらくするとナギサは、書類をテーブルの上に置くと、ゆっくりと瞼を閉じた。瞳の中の涙がぽろぽろと落ち、書類をぬらす。それから再びゆっくりと瞳を開けると、進を見上げた。

 「父は……もうずっと前に……私が……3歳の時に亡くなっていたんですね? そんな前に……」

 とぎれとぎれにナギサは話し始めた。それは、父と母の真実を彼女が知った瞬間だった。
 進はそれにこくりと頷いた。

 「ああ、君のお父さんは、お母さんのことを心から愛していたんだ。本気だったんだよ。ただ、いろんなしがらみがあって、すぐにお母さんを迎えに来れなかったんだ。だからお父さんは君のこともずっと気がかりだったと思うよ」

 ナギサの瞳に再び涙が溢れ始め、進をすがるように見つめた。

 「じゃあ、私は今までずっと父のことを誤解してたんですね…… 母のことを心から愛してくれていた父を……」

 「もっと早く君たちを迎えに行けばよかったんだろうが、お父さんは最後までその病弱な奥さんにも誠意を尽くされたんだと思う。君たちには気の毒だったかもしれないけど、僕にはお父さんの気持ちがよくわかる…… お父さんは本当に優しい人だったんだと、僕は思うよ」

 進の言葉に、ナギサが嫌々をするように激しく首を振った。やはり許せないのか? 進がそう思ったとき、ナギサの心の奥底の言葉が口をついて出てきた。

 「私……私…… 本当は……本当は、どんな父でも生きていて欲しかった……んです! 恨み言を言う相手でも……生きて…… ああ、それなのに、それなのにっ! それもこんな素敵な人だったのに……!!」

 ナギサは立ち上がると、進の目の前に来て叫んだ。

 これがナギサの本当の気持ちだろう。父を恨みながら、彼女はその父を激しく求めていたに違いないのだ。その父親が、実は心優しくすばらしい人物であった上に、もうずっと前に死んでしまっていたと、今初めて知ったのだ。ナギサの心には今、大きな衝撃が走っているのだ。

 進はソファからゆっくりと立ち上がり、ナギサを正面から見た。父の死を初めて知って傷つく娘に、激しい同情を感じる。

 (この表情…… 昔見たことがある……あれは……)

 そうあれは、兄守の死をその娘サーシャに告げたときだ。ナギサはあの時のサーシャと同じ顔をしている、と進は思った。進は自分も泣きたい気持ちになるのを堪えながら、ナギサをじっと見つめた。

 「こう言う時は思いっきり泣いた方がいいぞ」

 目の前の恋しい人―ナギサは、まだ自分で気付いていなかったが、この時初めて進を恋しいと思っていることを素直に認めた―の優しい言葉に、ナギサの感情は爆発した。

 「あ……ああ…… あぁぁぁぁぁ…… うぅぅぅ……」

 ナギサは大きな声で泣きながら、進の胸に飛び込んだ。進の胸に顔を擦りつけながら、さらに大きな声で泣きじゃくる。掴んだ進の両腕を握る手にも、力がこもっていた。
 進はナギサの背にそっと手を差し延べ、ふわりと抱き締めた。

 (12)

 ひとしきり泣いてから、ナギサはやっと顔を上げ、進を見上げた。

 「大丈夫かい?」

 そのナギサを見つめる進の瞳は、いつか見たあの妻や子のことを思い話すときと同じだった。

 (私のこともそんな目で見つめてくださるんですか? 古代副司令……)

 ナギサは胸がきゅんと締め付けられるような気持ちになった。もう一度進の胸に顔を埋め、その温かさを感じる。

 (私…… この人が……どうしようもなく好き……)

 だがそれと同時に、母とは立場の違う自分の位置も十分に理解していた。

 (私の想いが通じないことも、答えてくださらないこともわかっています。でも……そっと心の中でだけ、あなたのことを愛していていいですか?)

 そんなナギサの心を知る由もない進だったが、父を亡くして悲しみに暮れる娘を、ただ守り見つめていてやりたかった。

 (13)

 同じ頃、組合の会合が終った中津とランバートは、進たちもよく行く行きつけの居酒屋にきていた。
 ひとしきり食べて飲んでから、中津がおもむろに話し始めた。

 「なあ、今日のNちゃんとKさん変じゃなかったか?」

 小さな基地の中の店のことなので、中津はわざとイニシャルで話し始めたが、ランバートにもすぐにそれが誰なのかわかった。

 「ああ、二人ともなんかそわそわしてたよな。でもって、残業の約束してからどっちも機嫌が良くなって……」

 「うん、怪しいよな」

 「ああ、絶対怪しい……」

 「やっぱりさぁ、Nちゃんが変わったのは、やっぱりKさんの影響だよな?」

 「ああ、僕もそう思う。なにせ、Kさんはいい男だしNちゃんには優しいからなぁ」

 「そうだな。確かに二人並んでると絵になるしなぁ、美男美女で……」

 「けど、Kさんってすごい愛妻家だろ? 奥さんは美人だし、Nちゃんだろうが誰だろうが、他の女性には全く興味ないって気がするけどな」

 「まあな。それはNちゃんもわかってるだろ? 本気でKさんのこと好きかどうかだけどなぁ」

 「どうかなぁ? でも今のNちゃんの雰囲気なら、ひょっとして……?」

 「そうだよなぁ…… ああ今ごろ何してんだろうなぁ、あの二人!」

 中津とランバートは顔を見合わせてニヤリと笑った。

 (14)

 そんな二人の会話をすぐ後ろの席で聞いていた人物がいた。権藤である。権藤は空間騎兵隊の仲間数人と飲みにきて、偶然中津達の後ろに座ったのだ。中津達は後から来た権藤達の存在に気付くことなく、そんな噂話を始めたのだった。

 (NちゃんとKさんって、司令部のやつらならやっぱりあの二人のことに違いない……!)

 権藤にも、ナギサがここのところ急に雰囲気が変わったのに驚きながらも、非常に複雑な思いで受けとめていた。
 なぜなら、ナギサの変化が間違いなくあの古代副司令によるものだと言うことを、権藤はよく知っていたからだ。

 自分が2年以上も付き合っていて、変えることの出来なかったナギサの強固な態度を、あの副司令はたった2ヶ月で変えてしまった。

 権藤は、ナギサの父親のことの詳細や思いを進から聞いた。ラランドティアレの花で激昂したナギサの気持ちを落ちつかせている過程で、偶然聞いたのだと進は言ったが、詳しい状況までは聞いていない。どんなところでどんな風にナギサが話したのか気になってしかたなかった。
 それにナギサの中のわだかまりがわかったことは嬉しかったが、あのナギサが進にだけ素直に話したという事実が、権藤の心をひどく落ち込ませたのだ。

 その上、最近のナギサを見ていると、ふと見せるナギサの女らしい視線の先には、いつもあの副司令がいるということに、いつもナギサを見ている権藤が気付かないはずがなかった。

 進との会話に目を輝かせるナギサ。土をいじって真っ黒な顔で笑う進を、眩しそうに見つめるナギサ。ふと何かの拍子で進と手や体が触れ合った時に、恥らうそぶりを見せるナギサの初々しい姿。

 (あれは…… まるで…… 初心な娘が初めて恋をしたときのようだ……)

 権藤はそう思って、自分の想像にはっと驚いてしまった。

 (まさか……)

 何度も否定して見るが、その度にまた見せられるナギサの仕草、あの視線。やはり心がズキリと痛む。

 (だが…… 副司令は気付いていない? いや、気付かない振りをしているのか?)

 そう、進はナギサに対しても、そして他のどの女性に対しても、変わらぬ接し方をしている。時折、ナギサに対してとても優しい視線を送ることはあるが、それはとてもナギサを女として見つめる男の視線には見えなかった。

 (なんたって、副司令には奥さんと子供がいるんだ。あの人が浮気なんてするはずがない。ということは、ナギサちゃんの片思いか? 彼女、本気なんだろうか?)

 中津達の会話を聞きながら、権藤の心はさらに深く沈んでいた。

 (15)

 深夜、帰宅した進はベッドに大の字になって、今夜のことを考えていた。

 あれから落ちついたナギサは、恥ずかしそうに自分の泣き顔を収めると、進の胸を借りて泣いたことを謝り、礼を述べた。
 進も何をどう言っていいか言葉が出ず、ただ勝手に調べたことを謝り続けた。

 「いえ…… 副司令が調べてくださらなかったら、私はきっとまだ自分の気持ちに素直になれなかったと思います。だから、本当に感謝しています。南部艦長にも良くお礼を言ってください」

 殊勝にそう話すナギサは、既にいつものしっかりとした娘に戻っていた。

 進は、そのことを思い浮かべながら、これで良かったんだと思うと同時に、抱き締めた時に感じたナギサへの、どう表現していいかわからない複雑な心境を、自分でも分析できずにいた。

 「俺は一体、彼女に何を感じているんだろう……」

 妻の雪への愛情とは違うと思う。現に雪への想いは今も深く、揺らぐことはない。だが、確かにナギサへ何らかの想いがあるのは確かだ。しかしそれが何なのか、進にはどうしてもわからなかった。
 そして、そんな訳の分からない思いは、完全に捨て去るべきだという結論に達した。

 「彼女の気持ちも解きほぐせたんだ。これで一件落着じゃないか…… 俺が彼女に余計な感情を抱くなんて…… 彼女だって迷惑するはずだ! もう、これ以上彼女に個人的にかかわるのはやめよう」

 進は、明日からは、ナギサに対して特別な感情は、決して持つまいと固く決意した。
 それはちょうど、進への自分の気持ちを初めて認め、心密かにではあるが、進を想うことを決めたナギサとは正反対の心境だった。

 翌日から、進とナギサは、互いの想いを秘めたまま、相手の想いを知らぬまま、何事もなかったように上司と部下としての付き合いを再開した。

 (16)

 一方地球では、そんな二人の複雑な感情のやりとりを全く知る由もない進の妻、雪がいた。
 だが、どれだけ離れていても心が通じ合えると信じあっている二人のことである。進のことで、雪の中に何かもやもやしたものが生まれた始めたのも事実だった。

 あの進とナギサの一件があった数日後のことだった。雪は一人自宅で、先日の進の淋しげな訴えのことを思い出していた。

 (あの人…… こっちに来れないかだなんて、あんなこと言う人じゃないのに、どうしたのかしら? 気になるけど、あれからは電話で話しても、そんなことは言わなくなったし……)

 先日の電話の内容を思い出す。それは毎回続けている週一の定期通信だった。
 その夜は地球から送信することになっていた。残業で遅くなった雪は、子供を寝かせつけてから進に電話を入れた。
 数回コールすると、進はいつも通り電話に出た。画像も映し出され、そこにはいつもと変わらぬ進の笑顔があった。

 「あっ、進さん! まだ起きてた?」

 「ああ、今寝ようとしていたところだ。遅かったじゃないか。今日はこないのかと思ったぞ」

 軽く妻を睨む夫に、雪はぺこりと頭を下げた。

 「ごめんなさい。今日は残業だったのよ。帰ってからバタバタしてて今になっちゃった。それに明日から私ちょっと仕事が忙しくなりそうなの。来週には出張も入ってるし……」

 言い訳をする雪を見ながら、進はふっとため息をついた。

 「そうか、大変だな君も…… けど、体だけは気を付けろよ」

 妻を気遣う夫のやさしい言葉に、雪は嬉しくなった。

 「うふっ、ありがと。でも、仕事は楽しいから大丈夫よ」

 「そうか、それならいいけど。何か変わったことはないか? 子供達は元気かい?」

 いつもの問いである。子供たちが目の前にいないときは、進は必ずこう尋ねるのだ。

 「ん。航がちょっと風邪気味かな。熱もないしたいしたことないんだけど、ちょっと鼻水と咳が出るの。保育園は行ってるのよ」

 「そうか、航は俺に似てちょっと弱いところあるからな。注意してやってくれ。他の二人にも移らないといいがなぁ」

 「あなたに似て!?」

 雪がおかしそうに尋ねると、案の定進はムッとした顔で睨んだ。

 「なんか言いたいのか!」

 「あはは、いいえ別に……」

 「言っただろう。俺は小さな頃はよく熱を出して母さんに心配かけてたって」

 「そうだったわね。でも今じゃ想像できないわ」

 「当たり前だ! ま、俺に似てれば、航もそのうちだんだん丈夫になるさ」

 そんなことを言いながら、進も苦笑いした。これもいつものことである。

 「そうね…… 私も人のこと言えないし……」

 「あっはっはっは…… それこそ信じられないな!」

 進の大爆笑に、今度は雪がおかんむりだ。こんなじゃれあいも恒例行事だった。

 「もうっ!! ママに聞いたことあるでしょう!!」

 (17)

 「ははは…… すまんすまん。あ、そうだ。南部のところに二人目生まれたんだってな」

 ひとしきり笑った後で、進は思い出したように話題を変えた。

 「ええ、あら、どうして知ってるの?」

 「この前、南部からメールが来たんだ。ご丁寧に赤ん坊の写真までつけてな。すごい美人だそうだぞ」

 進がおかしそうに笑う。南部の二人目が生まれたのはまだ2週間ほど前の話だ。そんな生まれたての赤ん坊がすごい美人だかどうかわかるはずがないのに……と雪も思った。

 「うふふ…… 南部君もあなたに負けず親バカぶりを発揮してるのね。だけど奥様に似ればきっとすごい美人になるわ。でも私、忙しくてまだお祝に行ってないのよねぇ。早く行かなくちゃ」

 「ああ、頼むよ。あいつの親バカぶりをしっかり見てきてくれ」

 「うふふ……わかったわ。でも、南部君わざわざメールで送ってきたの?」

 「ん? あ、ああ…… ちょっと別の用件もあったから……」

 雪の問いに、進はちょっと都合の悪そうな顔をした。言ってしまってからまずいと思ったという顔である。それに雪は引っかかった。

 「あら、そうなの? 何があったの?」

 「ああ、たいしたことないよ。ちょっと聞いていたことがあって、それを知らせてくれたんだ。さて眠くなったなぁ。そろそろ切るぞ」

 「え?もう?」

 雪がつまらなさそうに言った。すると進は真面目腐った顔で答えた。

 「無駄遣いはだめなんだろ。それに君も明日から忙しいんだろ? もう寝ろよ」

 それを言われると返す言葉がない。雪は素直に従うことにした。そして恒例のお別れの挨拶である。

 「ん…… じゃあ、最後にいつもの、うふっ」

 「あん? ああ…………愛してるよ。おやすみ……」

 「私も愛してるわ…… おやすみなさい、あなた」

 こんな会話が続いた。何も変わらないいつもの会話だったのだが、どうしてだか雪の心に何かしら引っかかってしまう。なぜかわからないが微妙に違和感を感じるのだ。
 いつもの会話の間に感じる進の僅かな緊張感。南部のメールについての不自然な反応。愛してる、と言う前にあった微妙な間。
 それは、10年近く連れ添った妻だけがわかる「何か」なのかもしれない。

 (進さん、やっぱり疲れているのかしら? それともあっちで何かあったの?)

 しかし、結局はそれ以上のことを掴み切れないまま、雪は仕事の忙しさにその気がかりを紛らわし、月日は過ぎていった。


 そんな雪に朗報が届いたのは、それからひと月ほどたったある日のことだった。
 厚生部長に呼び出された雪は、部長からこう告げられたのだ。

 「森チーフ、来週秋田君と1週間ほど出張して欲しいんだが…… 行き先はラランド星第2惑星基地だ」
 

Chapter7終了

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(背景:Atelier paprika)