あなたをユ・ウ・ワ・ク




 部屋を出た二人は、受付の士官に軽く会釈をした。その後も、廊下を何人かの職員達とすれ違う。特に変わりのないいつもと同じ光景である。

 いつもと同じだから、雪はごく普通に通り過ぎていく。ところが、進はどうしても妻の姿を他人の目から隠したくなってしまう。自然と、雪を壁側に押し付けるように歩いていた。

 別段彼らが変わった反応を示しているわけではないのだが、他の男が妻に視線がいくだけで、胸の中がもやもやとしてしまう。彼女の服の下がどうなっているのかは、自分だけしか知らないというのに……

 そんな夫の姿に、雪は体中に走る不可思議な感覚に酔っていた。自分が今職場の中で、密かにではあるが、ある意味ふさわしくない格好への恥ずかしさというものもある。けれど、その恥ずかしさと同時にある種の快感を感じるのだった。

 エレベータホールに着くとすぐにエレベータは来た。乗り込んでから、地下駐車場のボタンを押そうとする進の手を、雪が制止して1階のボタンを押した。

 「今日は1階でいいの。あなたの車置いて帰ってもいいでしょ?あさっては、私の車で一緒に出勤しましょ」

 「君の車?」

 妻がここまで来るのに、てっきり車で来たものと思っていた進は驚いて尋ねた。

 「あ、今日はエアトレインで来たの」

 さらりと答える雪に、進は思わず声を荒げてしまった。

 「えっ? そんな格好でエアトレインで来たのかっ!?」

 進の声があまりにも大きくて、雪は顔をしかめた。こんな時でも、雪は結構冷静なようだ。

 「しっ、声が大きいわよ。あのね、エレベータ内は監視カメラが付いてるの知ってるでしょ? それに、そんな格好って何よ!」

 「うっ……」

 雪に言われて、進は斜め上をちらりと見た。個人の事務室と違って、共有スペースであるエレベータの中は、常に監視カメラの目が光っている。もちろん音声付で。そんなところで、きわどい会話をするわけにはいかないのは、当然のことだ。

 「食事したらワインでも飲みたいじゃなぁい。だから、今夜は車はやめにしたの。でも心配しないで、こっちに着いてから……支度したから」

 とニッコリ笑う妻に、まったく悪びれるところはない。

 「支度って、一体どこで!?」

 「うふふ……」

 雪はほんのり頬を染めて笑うだけでどことは言わなかった。

 ――ってことは、司令本部の更衣室かどこかで下着を……!?  それに脱いだ下着は、もしやそのバックの中に!? うおっ、だ、だめだ……

 進の視線は、雪が肩にかけた少し大きめのショルダーバックに向けられ、その脳裏には当然その下着を○○する妻の姿が浮き上がってくる。
 となれば、もちろんまたまた、男古代進、やばい状況へと変化していく。

 ――俺、家に帰り着くまでにどうにかなっちまいそうだよ……

 進は頭を抱えたい気持ちになった。とその時、エレベータは到着を示すチンという音を立てた。

 「ほら、着いたわ。行きましょ!」

 「おいっ、待てよっ、雪っ!」

 1階に到着するなり、すたすたと先に歩き出した雪を、進は慌てて追いかけた。すぐに追いついて、二人並んでエントランスを抜けて司令本部から外に出た。

 進は隣で目をキラキラ輝かせている妻を見ながら、やっぱりこのまま、無理やりでも家に連れて帰ろうかなどと思ってしまう。だが、雪は夫の思惑など、まったく気にもとめていない様子だった。



 表通りへと歩みを進めと、進は再び周りが気になり始めた。妻をかばうように寄り添って歩く。きょろきょろと辺りを見回しては、妻の耳元でつぶやいた。その様子はいかにも挙動不審だ。

 「なぁ、早く買い物済まして、帰ろうぜ」

 「もう、やぁね、あなたったら。さっきから早く帰ろう帰ろうって……」

 涼しい顔で肩をすくめる雪を見ていると、進の焦りはさらに膨らんでいった。

 「なっ、わかってんだろ? 君の今日の格好は確信犯だぜ。そんな姿で隣を歩かれてみろ、俺はもうどうにかなっちまいそうなんだよ。それにもしここで何か事故にでもあったら、どうすんだよ!」

 妻の姿への妄想と同時に、他人が溢れている街中でそんな格好で歩いている妻を腹立たしくも思えてきてしまう。

 「まあ、大げさねぇ〜 誰もなんとも思ってないわよ。ほら、別に普通の格好よ」

 雪が腕を大きく広げて、姿を見せた。

 「さっきあんなに見せびらかしてたくせに、どこが普通なんだよ……」

 ふてくされた顔でつぶやく夫を見て、雪はまたおかしそうに、うふふと笑った。

 「見せびらかしてたって、あなた、何見たの?」

 「な、なにって……あっ、くそっ」

 進が顔をしかめる。何と問われれば、もちろんさっきの妻の白い肌が目に浮かぶ。そしてやはり欲求不満気味の体は、すぐに反応を開始するのだ。
 ところが、雪はさらに進を刺激した。

 「うふふ、今日のこれはね、あなたをユ・ウ・ワ・クするためなのよ」

 雪はすっかりこの『演技』を楽しんでいる。最初下着を全部脱いでしまった時は、さすがにとても気恥ずかしい気持ちになったし、体もなんとなくスースーするような感じがして、落ち着かなかった。
 だが、夫に会ってからはそんな気持ちがどんどん薄れていった。自分のちょっとした行動一つで、大きなリアクションをする夫の姿を見るたびに、楽しさと快感が湧き上がっていった。

 ――誘惑するのって、楽しいものなのね〜

 もちろん、夫が隣でいてくれる安心感もあるのだろうが……

 その夫はといえば、既にいつもの倍以上も神経をすり減らしている。

 「誘惑って……あのなぁ」

 誘惑ならこんなところでしなくても、家の中でやってくれと思うのだが、雪には雪なりの理由がある。

 「だって、この間の旅行では、あなたに散々焦らされたじゃなぁい?」

 「あ、あれは…… 君も楽しんだだろ?」

 思い出すと胸がキュンとなるくらい甘い夜だった。雪の言うとおり、進は雪を思い切り焦らし、失神してしまうほど熱く燃えさせた。二人とも満足の夜だった。

 「それはそうだけど、でも後で考えたら、なんだか私ばっかりで悔しいの、だからそのお返し!」

 「だから……それは君も」

 楽しんだだろ?と続けようとする進の言葉を、雪は遮るようにきっぱりと言い切った。

 「い〜い?今日は思いっきり焦らしてあげるわ!」

 「ゆきぃ〜〜」

 懇願するような夫の口調にも、雪は聞く耳を持たない。

 「今夜はあなたは私の言うなりね。うふふん」

 雪は艶やかな笑みを浮かべると、進の腕を取って胸にぎゅっと抱きしめた。進の上腕部が雪の胸にぐいと埋もれるような格好になる。すると、ワンピースの薄い生地にしか覆われていない妻の豊かな胸の柔らかさと弾力が、そのまま進の腕に伝わってきた。

 「っなっな〜〜〜〜 くぅっ……」

 進の体中に、再びこそばゆい刺激が走り、その快感は進の股間へと移っていった。
 本部を出るとき既にそれなりの硬さになりつつあったものは、妻の妖艶な誘い文句を聞くたびに、その硬さを増して、スラックスを強く押し上げている。下手すればそこから暴れ出しそうな勢いだ。
 進は引き起こされる刺激から逃れようと、手のひらをぎゅっと硬く握り締めた。

 夫の奇妙なしかめっ面を横目でみながら、雪は楽しそうにこれからの計画を口にした。

 「最初はお買い物ね。お家で食べる酒の肴を少し買いたいだけなの。それからレンタルディスク屋さんに寄って、帰ってから見る映画を選びたいわ」

 「わ、わかったよ。もう十分俺は焦らされてた。降参する! 頼むから、できるだけ早く済ましてくれよ」

 「うふふ、だぁ〜めっ! 夜はまだまだ始まったばかりなんだもの」

 「うぐっ……」

 妻を街に一人残すことができない進の負けである。夫の願いはあっさり却下されてしまった。

 ということで、二人はまず、近くの食料品の店に向かって歩き始めた。
 程なく食料品店に到着し、雪は品物を物色し始めた。いつもなら、進は雪から離れて、自分が欲しいつまみや酒を探して歩くのだが、今日ばかりは雪にぴたりとくっついて離れようとしない。

 「あら、どうしたの? あなた今日は欲しいものないの?」

 「君を一人にさせられるわけないだろ! もし知らない男が君の隣に来て、胸の隙間でも覗こうとしたらどうすんだよ!」

 「あら、大丈夫よ、今はスカーフしてるしぃ〜 でも暑いわね〜やっぱりとっちゃおうかしらぁ」

 進はスカーフにのばされた妻の手を、進は慌てて握り止めた。

 「お、おいっ、だ、だめだぞ、絶対に取るな!!」

 「うふふ、わかりました」

 進が焦るたびに、雪は嬉しそうにくくくと笑って、そして媚びるような甘い視線を送ってくる。そのたびに、進の頭とそして股間の部分は爆発しそうになってしまった。

 ――いい加減にしてくれよぉ〜〜 家に帰る前に、俺、どうにかなっちまいそうだよ〜

 そんな進の泣き言まがいの心持を知ってか知らずか、雪は相変わらずご機嫌な様子で食材を物色し続けた。

 雪が買い物に満足して食料品店から出てきた頃には、進は既に疲労困憊気味、買った物を入れた包みを持ちながら、がっくりと肩を落とした。

 「なんか、今日はすごく疲れたよ。はぁ〜〜」

 「あらぁ、いつもみたいに自分の買い物は全然してないのに、変ねぇ?」

 「君が言うか!?」

 噛み付きそうな顔で叫ぶ進を見ても、雪は笑うばかりだ。

 「うふふ、それじゃあお腹すいたでしょ? レンタルディスク店に寄る前に食事にしない?」

 「え〜〜!? やっぱり外で飯食って帰らないといけないのか!?」

 もう家に帰りたい!と言外に訴える夫であったが、もちろん妻は許してはくれなかった。

 「ええ、食べて行きたいの!! あなたが行かないのなら、私一人で……」

 夫の手を軽く振りほどこうとする妻を、進は腕をつかんでぐいと引き寄せた。

 「わ、わかった、行く、行くからっ!」

 「うふふ、ありがと!」

 はい、また負けました…… 情けない声で、進は行き先を尋ねた。

 「で、どこがいいんだ?」

 「この間友達から聞いたインド料理のお店が近くにあるの、それでい〜い?」

 「ああ、いい。なんでもいいぞ。で、そのどこにあるんだ?」

 「ここから見えてるわ。ほら、あのビルの3階よ」

 「ああ、わかった。よしっ、早く行くぞ!」

 いきなり勢いづいたように、進は雪の手を引いて、目的のビルに向かって足早に歩き始めた。

 「もうっ、あなたったら、今日はずいぶんせっかちなのね、うふっ」

 夫の手に少々引っ張られ気味に歩く雪は、手から伝わってくる夫の熱気に、またもや胸がわくわくするのを感じていた。

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(背景:Four seasons)