9:Kriegserklarung ―宣戦布告―










「……しかし、この人数の中から探し出すのは……」


「女生徒は三分の一くらいだろ?一人ひとり尋問するのは無理でも、

 とりあえず、雰囲気が違うヤツを探し出せばいい」


「……エド、さらっと言いますが、それがどんなに大変なことか……」



ナオジは痛み始めたこめかみを、軽く指で押さえた。

オルフェレウスとフリーデリカの元から連れ出された彼は、

エドヴァルドに犯人の捜索を持ちかけられていた。

犯人の捜索自体には賛成だったのだが、やり方に問題があった。

どうにもエドヴァルドの言うことは、直感的過ぎるというか。

証拠もない上に、作戦も何もない。

とはいえ、ナオジにしてみても良い案が浮かんでいたわけではない。

さて、どうしたものかと彼が考えあぐねていると。





「何をコソコソとやっているかと思えば……」






「……ルーイ!」



いつからそこにいたのだろう。

シュトラールの一人、ルードヴィッヒが二人の背後に立っていた。

まるで彼の周りだけ異世界のように感じてしまうのは、

彼が侍らせている取り巻きの雰囲気の所為か。

それともやはり、彼自身の持つオーラに因るものなのか。



「……浅はかな女の愚行如き、放っておけばいいものを」


「……そんな話はしてなかったと思うけどな?」


「では『そう』なのだな?」


「……ちっ……」


「まあまあ、ルーイ、エド。今は二人睨み合っても、何も解決しません」



エドヴァルドがルードヴィッヒに掴みかかるのではないかと、ナオジは内心ひやりとしたのだが。

幸いにも、そういった展開にはならなかった。

それにしても、『浅はかな女の愚行』とは厄介なことだ、とナオジはため息をつきたくなった。

なるほど、だからエドヴァルドの行動には作戦がなかったわけだ、と。

確かに、それが犯行の動機なのであれば犯人は絞れない。

属する自分で言うのもなんだが、シュトラールに対する多くの女生徒の感情は、

もはや、恋慕や憧憬といえるものではない。

執念にも近い『嫉妬』が動機では、女生徒全員を尋問する必要があると言っても過言ではない。

しかも今は、彼女がオルフェレウスと踊っていることで、内心穏やかでない者も多いことだろう。

そんな中では、それらしい人物など、何人(何十人かもしれないが)見つかるか……

そこまで考えて、ナオジは軽く肩をすくめた。



「あの女が、この程度のことで屈するものか」


「……ですがルーイ。彼女とて人の子。悪意に一人で立ち向かうのは、あまりにも……」


「ナオジの言うとおりだ。皆が皆、お前のように強いわけじゃねーだろ。

 それに、あのお嬢さんは…………いや、やっぱやめとくわ」



そこで、歯切れ悪くエドヴァルドは言葉を切った。

正直なところ、彼は厄介な人物に話を聞かれたな、と思っていた。

ルードヴィッヒが、補佐委員とはいえ、一女生徒の事に首を突っ込むとは思えなかったし。

まして、彼が手を貸すなどありえないと思っていたからだ。

まあ、邪魔もしないとは思うのだが。

しかし、この後、ルードヴィッヒのとった行動に、

文字通り『その場にいた全員』が驚かされることとなる。





「…………ならば、こうしてしまうのが一番早いではないか」





「なっ……ルーイ!?」



曲が終わると、ルードヴィッヒはナオジが制するのも構わずに、一人バルコニーへと降り立った。

その姿はまるで、国王が民衆の前に君臨するが如く。

しかし、国王にはなりえない彼が、そのように振舞う様子を見たナオジの背筋に、

冷たい汗が流れた事を、彼自身以外には誰も気付かなかった。





「生徒諸君」





おもむろにバルコニーから生徒達に呼びかけた。

重厚で、威厳のあるルードヴィッヒの言葉に、会場は一瞬で水を打ったかのように静かになる。

音楽家も、次の曲を始めようとしていた手を止めた。


会場のほぼ全ての視線が、彼に注がれる。

彼はそれが当然であるかのように、微塵も動揺しなかった。

彼にとっては、その場に居る者たちの全てが、一粒の水滴のようなものだ。

一粒ではその場に留まることすら叶わず、掻き消えてしまう者たち。


ふと、そのとき。

彼は、ホールの中で他の生徒達と同様、自分を見上げるフリーデリカに気付いた。


彼女は、違うのだ。

彼女は一滴の水ではありえない。

ではなんと形容すればいいのか、彼にもまだ考え付かないでいたのだが。

一滴の水ではない彼女の姿は、群集に埋もれたりはしない。

今も、強い眼差しで、彼を見つめていた。





「今宵の宴、存分に楽しんでいることと思う…………だ、が。

 どうやら、それに水を差す無粋な輩もいるようだな……?」





その問いかけは、おそらくフリーデリカに向けられていたのだろう。

彼女は頷きもしなかったが、露骨に視線を反らすような真似もせず。

ただ静かにルードヴィッヒの次の言葉を待っていた。





「本日、ある女生徒の部屋が荒らされた。

状況から判断して、この学園の生徒の仕業だろう」





途端に、静かだったホールのあちらこちらから、ざわめきが沸き起こった。

このことはまだ、教師の中でも一部の者しか知らない。

当然、ほとんど全ての生徒達は知るべくもない。

それにも関わらず、ルードヴィッヒは誰の許可を得ることなく、ここに公言してしまったのだ。

何人かの教師が校長に詰め寄っていたが、彼は相手にしていなかった。

それどころか校長は、まるでルードヴィッヒに次の言葉を催促するような視線を投げかけていた。

ルードヴィッヒも、彼の背後に控えていたエドヴァルドとナオジもその視線に気付いていた。

そしてそれが、事実上の許可だと悟ったのだ。





「この事件は、この学園都市を統べる、我々シュトラールに対する反逆である。

 我々はこれを、宣戦布告とみなし、この名の下に犯人の糾弾を行う!」





予想だにしていなかったその言葉には、フリーデリカも、シュトラールの面々も驚いた。

ルードヴィッヒは、あろう事か、シュトラールの名の下に犯人を糾弾すると明言したのだ。

当然、この展開にホールは再び、しん、と静まり返った。



だが。

突如として沸き起こったのは、爆発のような拍手。



おそらくある程度は、ルードヴィッヒの支持者が仕掛けたことだろう。

だが、それは津波の如く、瞬く間に一般の生徒達を飲み込み、全体に広がった。

まるで地鳴りのような、彼への賞賛の拍手の渦中で。

オルフェレウスとフリーデリカは立ち尽くしていた。



「……とんでもねーことしやがった……」



未だ拍手の鳴り止まぬ中、エドヴァルドはため息とともに呟く。

そうして、ルードヴィッヒのいるバルコニーに背を向けると、彼は歩き出した。



「エド?どこへ……」


「……ちょっとテラス……俺は、この空気の中にはいられねーわ」



このとき、エドヴァルドもまた、先ほどのナオジと同じ感情でいたのだ。

そう、この光景に、背筋が冷たくなるのを、確かに感じていたのだった。










ルードヴィッヒの演説は絶大な効力があった。

彼がバルコニーを離れ、その姿が見えなくなっても、しばらくの間、拍手は続いていたし。

その後も、誰も事件の真相を知らないにも関わらず、多くの生徒達の話題に上った。

彼は、フリーデリカの名こそ出さなかったが、噂とはどこからか漏れるものだ。

いずれ、『件の女生徒』が彼女であるということは明るみに出るだろう。

しかし彼がこの事件を『シュトラールクラスへの反逆』であると演説中に明言したことで、

彼女に新たな危害が及ぶ可能性は、かなり少なくなったことだろう。

たとえ、犯人がどんな名家の出身であろうと、シュトラールを相手にしようとは思わないはずだ。

特にルードヴィッヒの実家、リヒテンシュタイン公爵家は、現国王家と深い繋がりがある。

その彼の言葉だ。

わざわざ危険を冒してまで、彼女を再び襲うことは考えにくい。


正直なところ、フリーデリカの胸中は複雑だった。

当初には、予想だにしないほどの大事になってしまったのだから。

だが、不思議と今朝のような感情はもう沸いてこなかった。

それが、彼らへの信頼からなのかは、彼女にもまだ判断できない。

なぜなら、彼女はまだ、人を信じるということがどういうことなのか、

本当にはわからないでいたから。

長い間閉ざされていた彼女の心は、今ようやくほんの少し開いただけなのだから。



「……エリカ君、大丈夫か?少し、顔色が優れないようだが……」


「……ご心配いただき、ありがとうございます。少し、熱気に当てられたようです……」



それは、本当のことだった。

先ほどの、爆発音のような拍手の音が、フリーデリカの耳の奥で止むことなく響いていたから。

不快と言うほどではなかったが、新しい空気を吸いたい気はした。



「そうか……なら、共に……」


「オルフェ様、私ならもう大丈夫です。

 それより、他の女生徒達が、オルフェ様と踊りたがっているみたいです」



正直なところ、オルフェレウスはフリーデリカと一緒にいたかったのだが。

彼女のことを考えれば、その言葉を尊重すべきのような気もした。

女生徒の視線、これが今回の事件の要因の一つでもあるわけだから。

苦笑を浮かべながら、オルフェレウスは再び人波に紛れていった。










[8へ]        [10へ]        [戻る]


2008.12.25