鳥がけたたましく鳴いている。森中に朝を報らせるために。
光のほとんど入らぬ小屋から外へ出ると、真っ白な陽光が輝の目を射抜いた。
反射的に目を閉じたが、さすがに数分もするとなれてしまった。
夜が明けてから、随分と時が経った。
太陽は、朝日がもつ、あの独特の焼けつくような光を、今はもう放ってはいない。
それでもとうとう、男が輝の前に現れることはなかった。
体のあちらこちらが痛んだが、新座村に帰るだけの体力は十分にあった。
それでも、輝はしばらく小屋に出入りし、小屋の周りを巡り、沼地の隅々まで目を走らせたりした。
しかし、彼女の探し物……正確には探し人だが、手がかりの一つも見つからなかった。
結局、あの男が何者だったのか、今の輝には知る由もない。
彼が村人の言う鬼婆の正体なのか……少なくとも味方ではないだろうが。
正直に言って、輝が覚えていたのは、あの冷たい鉄の刃の感触と、同じくらい冷たいあの男の声だけだった。
至近距離まで近づいたとはいえ、彼の顔は上手く闇が覆い隠し、はっきりとは見ることができなかった。
一度は自分を殺そうとした者に、わざわざ面会を請うわけではなかったが。
輝の頭の中ではたくさんの、本当にたくさんの事が渦巻いて、あの男をただ放っておく事もできなかったのだ。
しかし、輝の頭の中で渦巻いているはずの物事の多くは、輝自身が覚えていない事の方が、実際は多いのだった。
昼が近づく頃、輝は諦めて新座村への帰路についた。
昨日はあれほど気味悪く感じられた森の中の道も、今日はそれほどではなかった。
木漏れ日は適度に暖かく、ぬかるんでいた道も、幾分歩きやすくなっていた。
新座村へ着くまでの間、輝はあの男が何をしたかったのか。
何故自分が生きているのか。
そして。
あの時、男に剣を突き付けられた時に頭の中で響いた声は、誰のものだったのか。
輝は、ずっと考えていた。
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「「「輝!」」さん!」
村へ着いた途端に、輝は三者から熱烈な歓迎を受けた。
今の輝にとって唯一の知り合い、薫、弥彦、左之介、である。
一人は安心のあまりに泣き出し、一人は心配のあまりに最初から最後まで悪態をつき、そして最後の一人だけが、冷静だった。
「なんにせよ、無事でなによりだったわ」
「……剣もロクに振れないくせに、一人で突っ走るからだ、馬鹿!」
「弥彦!無事だったんだから……今はそんな言い方しなくても良いでしょう?」
「そうやって薫が甘やかすから!」
「……ご、ご心配をおかけしました……」
聞けばあの直後、輝に事の全てを話した老人が、馬を飛ばして薫達を呼び寄せたのだという。
その老人も、輝がとりあえずは無事に帰ってきた事に、安堵の表情を浮かべていた。
てっきり、そのまま東京に戻るのだろうと考えていた輝だったのだが。
話は思いがけない方向に進行していた。
「ねえ、輝さん。一人で何もかも背負おうなんて、ちょっと水臭いんじゃないの?」
「……は?」
「困ってる人を見て、いてもたってもいられなくなった気持ち、それを別に責めるわけではないの」
「……はぁ」
「でも、一人で出来る事には限界があるわ。ねぇ、私達をもっと頼って?」
「えぇと……」
「それとも私達じゃ、やっぱり……信用できないかしら?」
「そんな!!薫さん達は本当に、とてもよくしてくださっています!そんなことを言っては罰が当たります……」
「なら!」
「一緒に鬼婆を退治に行きましょう!!」
「……へ!?」
輝を待つ間、あの老人は薫達にも、輝に話して聞かせた内容と同じことを話していたのだ。
しかも、新たな目撃情報まで既に掴んでいた。
「まぁ。そういうこった」
自分の頭より、高いところから、大きな手と、大きな声が降ってきた。
その手は片手で軽く輝の頭を掴み、わしわしと撫で回した。
「嬢ちゃんの癖に、お前は火をつけちまったって事だよ」
「癖……」
「付き合ってやるしかねぇって事だよ。どうせ、お前も同じ事考えてたんだろ?」
「あ、あの……」
「あーあー、わかってるよ。うぜぇからごちゃごちゃ抜かすのは無しだ。いいな?」
「は、はい」
言いたい事は……尋ねたいことも含めて文字通り山ほどあったが、輝には首を縦に振る以外の選択肢は用意されていなかった。
そのうえさらに、輝の選択肢は限定されていたのだった。
普段であれば、誰よりも周りの人物の体を気遣うはずの薫も、新たな使命に燃えていた為、その注意は散漫だった様だ。
「じゃあ皆、準備は良いわね?目指すは鬼婆の谷よ!」
実は眠気と疲労を少なからず感じていた輝は、自分の意識がこのまま途切れて欲しい、と切実に願っていた。
しかし、現実にはそんなことが起こるわけもなく。
輝の心の叫びは届かぬまま、そして実際に声に出す暇も与えられぬままに、四人は鬼婆の谷へと向ったのだった。
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