それからあとは、大変だった。
まず、病院に連れて行けない。→悪魔を連れて行っても大丈夫な病院を知らないし、ましてや、保険証がない。
教会のほうに運んでいったら、拒絶反応が起こるのか、がたがた震える。
いまにもご臨終しそうな気配のため、家のほうに連れて行く。
治癒の呪文を使えれば、それほどの苦労をしなかったのだろうが、神様の力を用いることは、彼のみを助けるよりも、損なうほうに強く働くようで、今回は使えなかった。
物理的に、人と同じような治療法を用いる他はない。
だいたい、うちの書庫に、悪魔の治療法を書いた本などない。悪魔を治療するという発想自体が欠けている。
そのいつもは感じない、片手落ち感・偏りに舌打ちしつつ、風呂場に担ぎ込み、水の張っていない風呂桶の中に楽な姿勢になるようにおいた。
それから、やけどの一般的な治療法、冷水で熱をとる、という作業を行ない続けた。
ようは、冷水をシャワーでかけ続けるだけだ。
水が、すぐに血で濁っていく。
あまり近づけて水をかけると、その水の勢いで、焼けた皮膚が崩れるのか、すぐに排水溝が詰まる。
溝につまった皮膚をかきだすが、風呂桶の中で作業することの限界にすぐに気がつき、洗い場のほうに場所を移す。
まだ、水の流れが排水溝が大きくていい。
風呂桶に寄りかからせ、注意深く、水をかけながら、どのくらいでやめたらいいかの、やめ時を見計らう。
熱はとらないといけないが、体温を奪わないように、などというのはえらく難しいのだ。
とにかく、はやく、作業を終えないといけない。
だいたい、こんな方法で大丈夫だとは思えない。
ただ、この悪魔の生命力に賭けるしかない。
遠慮会釈なく、水をかけられながら、うめき声一つ上げない。
意識を失っているのも、彼にとっては幸いだろう。
これで意識を取り戻したら、さぞかしひどい苦痛が彼を襲うだろう。
それを思うと、おそらくこの悪魔は嫌がると思うが、神様に少しでも痛みが少なくなるような配慮を、と祈らずにはいられなかった。
あらかたの熱をとった後、体に軟膏を塗りこんでいく。
そうした作業を終えると、することがなくなる。
ベットに横たえた悪魔をみながら、枕元のところに椅子を持ってきて見守る。
なんか、いろいろ一晩のうちにめまぐるしく起こって、なぜ、悪魔を看病することになったのかと、不思議に思う。
おそらく、いまなら、何の労もなく、強制送還も抹消も楽に行なえるに違いない。
生殺与奪は、確実に俺の手の中にある。
なのに、こうして、必要もないのに、手当てをして、回復を祈っている。
それは、きっと、神の教えが、弱きものを救うように説いているからに違いない。
仮に彼が、なにかを欺くためにこうしてわざと弱い姿をさらしているとしても、それを糾弾するのは、元の状態に戻ってからでも遅くない。
そう思いながら、見守る。
あの、美しく輝いた白い肌も、闇夜に濡れて光る羽も、今は見る影もない。
それを、ひどく惜しく、もう一度、元に戻った姿を見てみたい、と、そう思うのだ。
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