追われている。
何に追われているか、なぜ、自分が逃げなければならないのか、それについては全く理由がわからないのに、はやる心を抑えることができない。
恐怖、などというのはないのだが、急がないと、と思う心が強く、息が上がって苦しく、休みたいと思うのに、止まったらだめだ、と自分をせかす声が頭の中に響く。
ものすごく走っているというのに、何を目指して走っているのか、ゴールがあるのかもわからない。
ようは、捕まらなければいいのだと、そう理解するのに時間はかからない。
ずっと逃げ続けるということ。
それはなかなかに容易なことではない。
いつまでも走り続けていられるわけではないのだ。
隠れる場所を探さないといけない。
隠れられる場所。
この、前も後ろもわからない霧の中、自分は隠されているのではないだろうか。
そう思って、一息つこうとすると、急にほんの数秒だけ、霧が晴れて、荒れた溶岩の冷たく固まっている様や、そんな環境にまけずに生えている草など見えたりするが、自分のいる場所の全体像を把握することは、すぐに霧で覆われてしまうため、できないのだ。
だから、ただ、霧の晴れている場所に行きたいと、そう思って、山道を、あせってはいけない、と自分をなだめながら走り続けるのだ。
しかし、こんなに走っているというのに、えらく寒い。
この登っている山が思っている以上に高いというのだろうか。
こんなに走っているのだから、体が燃えるように熱くなってもおかしくないというのに、息が切れて、心臓は激しく脈打っているというのに、血液は、どんどん動けば動くほど冷えて、激しく体の中を冷やすために循環しているように感じられる。
もし、走ることをやめたら、今度は外気からの寒さで凍えてしまうに違いない。
内からも外からも凍えていく。
止まったら、きっと凍えて冷えた彫像になるに違いない。
この寒さから逃れたい。
暖かいところに行きたい。
休みたい。
そう考える心が、もうこうして無理して走るより、いっそ止まって、凍るだけ凍って、最後の眠りをむさぼったほうがいいのでは、と、ささやきかけてくる。
いっそ楽になれる。苦しいことはなくなる。がんばったから、もういいのでは。
なんと甘いささやき。
うっとり眼をつむって、身をゆだねたい。
が、自分に向かって、人に向かって行なう甘いささやきを発動してどうしようというのか。
何たる、心の弱さ。
自分の心から発せられているとは思えない。
許しがたし。
そう自分の心を叱咤しつつも、なおかつ、自分にも有効なこの甘いささやきが他者に働きかけたときの威力は絶大だろうと、一人ほくそえむのだ。
じっちゃんの名にかけなくても、この坂本三四郎様は、自分に誇りを持っているのだ。←だいたい、じっちゃんがいないです。
だから、そう簡単に命をどぶに投げたりなぞは絶対にしないのだ。
そうして、まだまだ走り続けると、急に霧が晴れて、自分が、火口の周辺を走っていたということを知る。
いまにも噴火しそうな、赤くうねるようにして照りつけるマグマを魅入られたように見つめる。
その熱で、あれほど寒いと感じていたのを瞬時忘れる。
地鳴りがすることで、ここにいることの危険を思い出し、この場から離れようと、進む道を探そうと振り返ると、霧が意志を持ったように押し迫ってくる。無駄だと思いつつ、羽根を羽ばたかせることで、押しやろうとするが、霧が触れたところの羽根が消滅してしまった。
冷たい。
寒さの塊だ。
その霧に、ジリジリと押しやられて、火口の淵ぎりぎりまで来てしまい、足場がなくなる。
逃げ場がなくなり、寒いより、暖かいほう、とばかりに、マグマの中に身を躍らせた。
最後に感じたのは、自分が赤く燃えて溶けようとしているのと、暖かいが熱いに替わってしまった、というところまでだった。
つづく。
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