腹が減っては戦はできないのである。
それ以前に、生きるためのエネルギーというのが完全に欠乏していた。
だいたいいる場所が悪い。
神様の僕の家だ。
神様にとっての清浄さは、悪魔にとっては耐え難い。
若干汚れ気味のほうが落ち着くのだ。
いままでは、街の雑踏にまぎれて、無数にいる人のむやみやたらに過剰に溢れているエネルギーのようなものを漠然と街を歩いているだけで摂取できたのだが、ここはいかん。
何しろ、人がいない。
いるのは、神様の犬と、助けた猫だけだ。
自力回復を望もうにも、肝心のエネルギーが枯渇している。
助けた猫が、その礼とばかりに、少しばかりの命を提供してくれようとするのだが、助けてもらったからといって、自分の命をささげていたら、収支が合わないと説得する。(猫語もたしなむのだ。)
となると、もう一人いる、神様の犬の方から奪うしかないのは、選択肢がないために仕方がない。
そんな訳で、腹が減っているために、しようがなく、”魅了” を仕掛けてみたのだが、実は、初めてなのだ・・・
悪魔の中でも、生来の徳か何かで、なんもせんでも”魅了”の技を発動できるものもいるのだが、私は、悪魔の職業訓練学校の中でも、この教科はだめだった。
性に合わん。
靡かせて、操る。
それはいい。それはうまくいくのだ。
が、なぜか、女性に効かない。
呪いでもかかっているのかと思うくらいの効かなさで、中には、老若男女問わず、オールマイティーな悪魔もいるというのに。
そのため、この技を私は学校を卒業してから、一度も使ったことがない。
まあ、背に腹は代えられない。
この腕も上がらないような体力では、他にやりようがない。
”魅了”発動→速攻エネルギーチャージ→ここからさようなら。
この計画で行く。計画というほどでもないが。当面動けるだけの力を奪って、出て行けばいい。
神様の犬には悪いが、とりあえず、シマを代えるということで勘弁してもらうか。
しかし、ずいぶん追い立てまわされて、何度かひやりとさせられたが、こうして怪我をすれば手当てしてくれるのだから、神様の教えというのは、やさしいというかお人よしというか。白いものと黒いものを何がなんでもはっきり、きっちり分けようとごり押ししてこなかったら別段こっちとしては、構わないのだが。むこうの方では、そんな灰色な思想は、受け入れてくれないだろう。
出て行くときに、礼の一つでも言っていくか。
などとのんきに考えていたのが甘かったのか、それとも、体の調子が悪く、加減が効かなかったのか、それとも、相手が神様の犬という事がまずかったのか。
“魅了” を発動した瞬間に、正直パニック。
訓練学校で訓練時に使った「魅了サレルゾウ君」と「魅了サレルコちゃん」は、”魅了” が効くと、
「ミリョウサレマシタ。私の名前は、ミリョウサレルゾウデス。」
と自己申告してくれ、そのあとはとても神妙だ。後は、技のかかり具合と、指示をどれだけ実行させることができるか、ということが訓練の主眼だった。(ちなみに、年齢設定の変更も可能だ。→魅了サレルゾウ・サレルコは。)
が、この神様の犬は、魅了されたともいわないし、自分の名前を言うこともない。
あろうことか、人の上にのしかかり、自分で丁寧に巻いてくれた包帯を崩すように、無造作に体の上を撫で付けてきたり、あまつさえ、包帯の巻いてある間に手を差し入れ、包帯を解こうとする。
まだ治りきっていない体を撫で回されたら、痛くてたまらない。
なんで、“魅了”が効かないのだ。
つうか、なんで、こんなに中途半端に“魅了”されてるんだ。
言う事を聞かないで、こんなに勝手なことをされても困る。
当初の目的が果たせないではないか。
急に思い出す。教本に書いてあった文言の一文だ。
「人間は、四六時中、盛りやすいので、“魅了”発動時には注意が必要。」
・・・・・・・・・・・。
いや、他に手段と選択肢がなかったから仕方がない。
だいたい、あの教本読んだときに、いまいち「盛り」の意味がわからなかった。隣にいた高杉に聞いたら、あいまいに笑ったあと、人に聞かずに自分で調べろといわれて、そのまま放置してしまったのだが。これが、その「盛り」か?
その回避方法を思い起こそうとしたが、自分が使えない技だと思っていたために、まじめに教本を読まなかったせいか、思い出せない。
いかん、今思い出さないと、なんか、大変なことになりそうな気がする。
ふいに、首に顔を埋められ、舐め上げられる。
やめろ。傷にしみる。
相手が、動物が傷口を舐めて癒そうとするという行為とは別の目的で、何かしようとしている。
それだけはわかる。
やばい。
これを人は、返り討ちにあうというのではなかろうか。
腹が減ってたから、ちょっとエネルギー分けてもらおうと思っただけなのに。
これでは自分が何かを奪われかねない。
本当にパニックに陥った頭にひらめく。これも教本の文言だ。
「“魅了”は、相手の欲する、という気持ちを最大限に増幅させ、理性・常識的判断等を鈍らせる技である。中には効きが悪い場合も多々あるが、そうしたときは、さらに強い“魅了”を畳み掛けるように掛けること。」
畳み掛けるように。
そうだ。効いていない訳ではないのだ。
何しろ、今は、眼力しか使えないような状態なのだ。
気合と根性だ。ガッツだ、坂本三四郎!
負けずに奪うんだ。勝利は目前だ。
私設応援団を自分で作って、自分を盛り上げながら、
「私が欲しいのか?」
と聞いてみる。
「欲しい。」
と即座に返事が返ってくる。
よし。効いているぞ、私の“魅了”。
しかし、男にしか効かないのか、やっぱり・・・
「望むものをすべて与えるから、契約を。」
これは、悪魔が契約を結ぶときの決まり文句だ。
本当に望むものがこの契約によって与えられた例は、すこぶる少ないそうだ。
結んだ契約で双方で満足した結果は、少ない。どちらかが一方的に不満が残る結果が多いようだ。
それが人間側にあるか、悪魔側にあるかの統計はとれていないようだが。
とりあえず、この神様の犬と契約を結んで、当面の体力回復を図り、そんでさようならだ。
相手が、契約する、という言葉を紡ぎだせるように、熱心に眼を見つめる。
相手の口が、きっと私の望む言葉をつむごうとしたときに、邪魔が入った。
くそ・・・
もう一押しだったのに。
つづく。
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