「おはようございます。坂本本部長。」
朝から、さわやかに板橋氏が、声を掛けてきた。
こういうところは板橋氏は昔からとても礼儀正しい。
いかにも元気いっぱいで、見ているほうにも元気をくれるような、そんな感じだ。
おはよう、と声を返して、今日の予定を確認し始める。
最初、呼び名について、昔の通り、「坂本さん」のままで別にかまわないといったのだが、けじめがつかない、と会社にいる間は「坂本本部長」「板橋君」と、それ以外の場所では昔の通りのままで、ということで折り合いがついた。だいたい、坂本氏は「本部長」などというがらではない、と思っている節がある。まあ、坂本氏の年で役職を鼻にかけだしたら、周りから総スカンに違いない。ただ、役職に伴う責任の多い仕事については、とてもやりがいがあるため、坂本氏は現状に満足しているようだが。
が、週明けの今日はなんとなく、いつもやる気に満ちている坂本氏も、若干くたびれ気味で、板橋氏も気にして、
「坂本さん、くたびれているみたいですが、大丈夫ですか?」
と、仕事中はいわないようにしている呼び名で、尋ねてきた。そんな板橋氏の気遣いに、
「いや、土曜日が見合い、日曜が接待ゴルフだったんでな・・・」
と重い口を割った。実際、毎週そんな感じで、休みという休みがつぶれているため、仕事が趣味といっても差し支えのない坂本氏も体力的には無理が生じているらしい。
「せめて見合いがなければ、いいんだがなあ」
とえらくくたびれたようにつぶやく坂本氏に、板橋氏は苦笑いを浮かべつつも、深追いはしない。ここで聞き手が別の人物なら、見合い相手はどんなだったのか、なぜ結婚しないのか、などと聞かずにはいられないだろうが。板橋氏がそれ以上踏み込んでこないことを知っているため、そういう風に坂本氏も愚痴をこぼせるのだが。
だいたい、見合い相手も、最初のうちは、えらく勢い込んでいたりするのだが、次第に、「あなたの目には私が映っていない」やらなにやら言い出してくる。見てるから映ってないわけないだろう、とつっこみたいところだが、相手のほうから断ってくれるのでこの場合はいい。問題は、相手が乗り気の場合だ。やはり男の側から断るのは相手の外聞が悪いため、相手から断ってもらいたい。が、相手があせっているか、釣書きを見て異様に乗り気の場合はなかなかに断るのにも技術がいる。仮に、心に決めた人がいると回答した場合には、なぜ、見合いをしたのかという非難がついてまわってくる。当然だ。それで、婉曲に、あなたは私にはもったいないほどの人で、もっと似合ったステキな人が出てくるはず、などという断りをしようものなら、逆解釈されて、逆切れされそうになる。かといって、正直に、誰とも結婚するつもりはない、と強く両親に言って見合いを回避しようとしても、会うだけだから、などといってごり押しされてしまうのである。断る理由をひねり出すだけでも一苦労で、並大抵の努力では足りないのである。断り文句文例集があったら、大枚はたいてでも購入したい、というか、いっそ、文筆業をしているという等々力氏に発注して、当たり障りのないものでも書いてもらおうかと、思ってしまうくらいである。
そんな訳で、土曜日の見合い相手の断り文句を考えるので頭が痛く、口から出るため息が、月曜日の朝とは思えないくらい重いのである。どうせ、同じ相手と2回も見合いをすることはそうそうないのだから、おんなじ文句で断り続ければいいのだが、そういうところは妙に律儀な性格なため、生真面目に相手を傷つけないような文句を考えるのである。
「気分転換というわけではないですが、本部長、このテストに回答してもらえないでしょうか?」
といって、板橋氏が、およそ30ページくらいにわたる心理テストのようなものを手渡した。
「研究所で、回答のサンプリングを集めていて、全社員対象に行なっているものなのですが。」
ぱらぱらとめくると、他愛のない質問がびっしりと紙面を埋め尽くしている。
黙々と、テストに答え続けているうちに、いつの間にか板橋氏は席をはずしたらしい。
他愛のない、この回答によってどんなことが導き出されるのか、正直判然としないのだが、何かのマーケティング調査も兼ねているのかもしれない。
だか、四季で一番好きなのは?やら、犬が好きか、猫が好きか、飼い主がいない犬や猫が箱の中に入っていて「拾ってください」と書いてあったら、拾うか?など、意味がわからない。たいていの心理テストの法則からは若干外れているのか、被験者の精神状態を問うものではなく、回答のサンプリングと板橋氏が言っていたため、どの回答に票が集まるかによって、全体的なバランスを見たいのかもしれない。
Q103:夢は願い続ければ必ず叶うと思う。 Yes no ・・・・・・no。
夢などもう見ない。
Q104:叶えたい夢がある。 Yes no ・・・・・・no。
そんな夢があったことすら思い出せない。
Q105:眠るとよく夢を見る。 Yes no ・・・・・・yes。
Q106:眠ると夢見が悪い。 Yes no ・・・・・・yes。
Q107:あまりよく眠れない。 Yes no ・・・・・・yes。
だんだん、ナーバスになってきた。月曜日からまじめに答えるものではない。というか、この回答を分析したら、カウンセラーのお世話にならないといけなくなるのでは。そう坂本氏は思い直し、回答を消して穏便な方向へ修正しようとしたが、回答にはボールペンを使うように言われていたため、消せない。アメリカで売っていた、ボールペンの字が消せるミラクルな消しゴムは、自宅の引き出しに入ったままで、仕事場には持ってきていなかった。
もういっそ、腹をくくって、正直に平たく答えて、カウンセラーの世話になって、見合いやら何やらがえらく精神状況を圧迫していると証言してもらって、しばらくほおって置いてもらえるような作戦で行こうかと考える。両親も、医者の言をさすがに無視することもないだろう。そう考えると、気持ちも若干落ち着きを取り戻してきた。
あまり、意味をなさないと思われる回答に時間を掛けて、業務時間を短くするのもまずいと、あとは機械的に、かつ、正直に回答していく。結局、出題者の意図など、理解したところで、自分の気持ちが変わるものでもないのだ。それに、もうあと少ししたら、来客の予定があるのだ。こんなテストを宿題のように残しておくのも、気分が悪いと、しゃかりきに丸をつけていく。
ようやく、最終ページまで来て、やれやれようやく終わりだと、息を抜きかけた最後の設問に、手が止まった。
Q360:黄泉返りを信じる。 Yes no
信じられたら、どんなにいいか。
そう思いつつ、回答に丸をつけて、テストを閉じた。
つづく。
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