2003(平成15)年10月の日記


10月13日(月・

 朝からほとんど何も食べずに昼になり、出かける。外は小雨で、バスで浦安駅へ。東西線と有楽町線で池袋へ行く途中、大江戸線の飯田橋駅へ立ち寄ってA4版の路線図をもらう。(先日、リビングの引き出しに入れてあるのを見たら半蔵門線押上開業前のだった)

 池袋駅西口「びゅうプラザ」前に集合……と思いきや、来たのはN須野だけ。外は土砂降りの大雨で、雨宿りもかねて20分ほど待っていたけど他には来ず、2人で土佐っ子ラーメンを久々に履修。

 終了後は東口のシネマサンシャインへ移動して、W田やH部と合流して某宗教映画を見る。僕は前作を見ていないのだが、少しはなしがスケールダウンしているのではないかというのが他の面々の評。僕は、アリサなる登場人物の振る舞いがK田が描くマンガに出てくるキャラに似てるな、等々の印象。

 あとはA川も合流して清龍池袋南店、パセラ池袋西口店を経て、池袋駅を22時半ごろ解散。再び有楽町線と東西線で浦安へ。今回はちゃんと葛西で起きる。

 もう雨は上がっており、自転車に乗って帰ろうと思ったらカギを忘れており、ちょうど終バスが2分ほど前に出たところで、「浦安鑑定団」などに立ち寄りながら25分ほど歩いて帰宅。

 千葉県内には「○○鑑定団」(○○は地名)なる、おそらくグループ企業と見られる古本やグッズの店があり、浦安鑑定団はその一つ。テレビ番組を連想させる名前とは裏腹に、魅力的な品揃えかというと僕にとってはそうでもない。


10月12日(日)

 二日酔いの朝。4回くらい吐く。汚い話だが、2回目からは固形物が出なくなり、吐いていて液体が緑色をしているのに驚く。清龍の「酒ライムロック」(一杯160円)のあの色ではないか。。。

 12時ごろには起き上がれるようになり、昼食。しゃきっとしない頭で夕方まで過ごし、新浦安17:44の武蔵野線に乗って本八幡へ。9月で退職したいちかわエフエムの宇佐美ディレクターの送別会。昨日のフリーマーケットにはリスナーの方も何人かいらっしゃっていたとかで、「枠もないのに知名度があるなんてねぇ」と口々に言われる。専務からも「こないだの特番聴いたよ」と。。。

 1次会が22時に終わり、2次会が終了したのは0時。当然浦安へ帰れる電車はなく、他の3人のボランティアスタッフとともに上川さんのクルマで送ってもらう。……というより、送っていただけるという話だったのでこの時間まで残っていた、というほうが正確。


10月11日(土)

 輝玉祭の日。目当ては母校の展示内容というより旧友との再会で要は夜に飲めればよく、八幡駅前の「パティオ」のフリーマーケットの日だから昼間はそっちへとも考えていたけど、同級生の一人が午前中しか顔を出せないというので、9時半ごろ家を出て東西線と南北線(目黒線直通)で不動前へ。

 去年まであった旧校舎は3分の1を残して取り壊され、イマイチの出来の新校舎がメイン会場。お父さんが早稲田大学総合学術情報センターを設計し、自身も建築を学んでいる同級生と落ち合い、ぶーぶー文句をたれながらひと通りまわって、校庭で販売部門の焼きそばを食べて別れる。

 教員室では、今年から同級生が一人教員になっており、ずーっとしゃべりながら終了間際の16時まで過ごす。さすがに卒業して7年目となれば来る同級生もほとんどなく、来ていなかった玉社鉄研の同期を呼び出し、さすがに二人は寂しいので早大鉄研の同期のK田やH田を交えて高田馬場の清龍。

 いつのまにかとなりのテーブルには早大鉄研の面々がいて、散々飲んだ。

 馬場で飲んだときはどんなに酔っていてもなんとか帰れるのが大したことのない自慢の一つだったが、馬場から東西線に乗ったはよかったものの、無意識のうちに大手町で降りて京葉線に乗り換えようとしているのに気づき、昨日から浦安までの定期を買ったんじゃないか、と引き返し、東葉勝田台行きに乗る。

 寝過ごさないようにPHSの目覚ましを仕掛けてから座って眠りに落ちたのだが、ブルブル震えるのを電話と勘違いして、こんなに酔っているのに出られるかと無視してしまい、ふと気がつくと原木中山。西船橋で降りても引き返す電車はもうなく、家のクルマで迎えにきてもらう羽目になった。

 東西線の乗り越し190円、自転車を浦安駅の駐輪場に置いたままなので次回はバス代140円(おさんぽバスなら100円)も必要だし、せっかく東西線の定期代が安くても、これで足が出てしまうのではないかという気がする。。。まぁ、東葉勝田台(乗り越し運賃800円、家からクルマで1時間以上)まで行ってしまうよりましだったろう。


10月10日(金)

 少し早めに家を出ることにし、自転車で浦安駅へ。駐輪場の月極利用の申請は11月分からのしかできなかったので、短期利用(その月限り)ができる浦安駅第9自転車駐車場(駅から少し離れたところ)で利用券を買ってシールを自転車に貼る。

 駅から少し遠い駐輪場だけど、かつて東京ディズニーランドゆきのシャトルバスが出ていたバスターミナル跡で、駅までの道はあまり退屈しない。あまり駅に近い駐輪場だと駅周辺で寄り道をしたいときに面倒だけど、ここなら電車を降りて自転車に乗るまでの道すがらだから、気が楽だなとも思う。

 JRの旅行センターのような趣の定期券うりばで定期券を購入し、東西線の快速電車で早稲田へ。三品で赤玉(560円)の昼食を済ませ、理工へ歩いて3限の「社会調査法」。終了後は14:35の理工バスで学生会館へ。

 たまには飲みたい気分だったが、弟が話をするとか聞いていたので夕飯までには帰る。

 弟の話は「大学は出る」というたった一言で終了。それだったら飲んでくればよかった。


10月9日(木)

 今の定期券最後の日だが、特に外出するでもなく夕方に。母親のお遣いで近所のスーパーへ行った程度。

 ついでにアトレ一階の酒屋で、銀河高原ビールやキリン「まろやか酵母」とオリオンを購入。300mlのビンに入った銀河高原やキリンはワンウエイびんで空き瓶を回収しないとラベルに書いてある。瓶のよさはリサイクルではなくリユースできるところにあるはずで、するとワンウエイびんが缶に比べて有利なのはどの点なのだろうかと思う。


10月8日(水)

 午前から外出する予定だったが、家の中の雑務をこなすうちに昼になる。父は仕事で弟は部屋でゴロゴロし、母は旅行で妹も外出中である。結局家を出たのは13時半。

 10月から東京支社管内の駅のスタンプが新しくなったという掲示を土曜日に千駄ヶ谷駅で見たので、定期は明日までだし、行けるうちに行けるところは行ってみたかった。他にも用事はあるけど、ひとまず置いておくことに。

 京葉線の各駅停車を越中島駅で降りてまず1つ目。京葉線の各駅停車は本数が少ないのでさっそく待ち時間発生。終わるのはいつだろうか、と次の各駅停車に乗り、山手線に乗り換えて神田。そして秋葉原。……秋葉原にも新スタンプがあるはずなのだが見当たらず、記憶違いだったかな、と、工事の進捗で月末には閉鎖される昭和通り口の大階段を写真におさめて総武線で御茶ノ水へ。

 さっさと次へ進んでもよかったが、5月にメガネを作りに来たときに湯島聖堂を素通りした(日記)ままだったな、と寄り道していくことにする。が、湯島聖堂は受験生のときか何かに来たことがあり、今日は曇空だしちょっとのぞくだけにして、初めて行く神田明神へ足を伸ばす。

 神田明神横にあの列車食堂で有名な聚楽の本社と思しきこじんまりとした建物を見つけ、その横の大きな階段を下りればもうそこは秋葉原の片隅。ジャンク屋などをひやかしながら秋葉原駅へ戻ると、新スタンプはみどりの窓口にあった。

 総武線で飯田橋へ。東西線に切り替えても唯一降りられる駅である。そして千駄ヶ谷、新大久保でスタンプ帳に押せば、今の定期で行けるところは全部来たことになる。御茶ノ水界隈で1時間ほど散策した割には、電車が頻繁にやってきて効率よくまわれて時計は17時過ぎ。

 まっすぐ帰ってもよいが、新宿でヨドバシカメラや「とらのあな」へ寄り、その後神田駅前にあったはずのモス直営「上海市場」を探して神田界隈をうろつく。やっと見つけたと思ったら、9月末で閉店してモスの新業態店舗へ改装中だった。


10月7日(火)

 午後から西早稲田へ。今日のキャンパスツアーのお客さんは、シンガポール行政当局の若手官僚。彼らを日本に招聘したのは外務省だが、今日は留学経験のある学生に丸投げして東京を案内させているとか。税金の無駄遣いだと言う人もいる。将来のシンガポールを背負って立つ人に国のお金でお近づきになれるチャンスととらえることもできるとは思うが、

 終了後、新目白通りを馬場まで歩くか〜、とそちらへ向かいかけたあとで、JR経由の定期も明後日までだし千駄ヶ谷まで都バスに乗ってみるか、と引き返す。が、千駄ヶ谷経由渋谷駅ゆきのバスは停まっていたがまだ運転手が来てなくて乗れない。発車は10分後で、ちょっと待っていたけど、ああそうだ鉄研の部室か研究室に顔出すか、と再び歩き始め、夕飯は要らないと家へ電話すると、浦安駅近くで外食するから早く帰って来いと言う。明々後日からなら東西線の定期で直接行けるのに間が悪い。結局早稲田通りを馬場まで歩いてまっすぐ帰宅。

 夕飯は父の行きつけの店。母は旅行で妹は外出中なので3人。母がいないから食事を作るのが面倒というのもあったろうけど、他にも目的はあったに違いない。


10月6日(月)

 外出の予定だったが、弟が久々に帰ってきて話をしたいとか言っているので聞いてやれ、と父に言われ、家にいることに。

 昼ごろ来るとかいう話だったのに、結局やってきたのは夕飯前で、話が始まったのは20時過ぎ。大迷惑である。……結局0時過ぎまで、弟の戯言につきあう。

 別にどんな職業を選ぼうと構わないが、生活できなくなったときに泣きつかれるのは困るのである。大学を卒業して定職につくよう説得する家族に対して弟は「家族のために生きるのは嫌だ」と抜かす。同様に、将来、僕が弟の生活のために可処分所得を減らす道理もない。雇用での年齢差別が続く限り、13年後、弟が35歳になればパート・アルバイトの求人も激減するはずだ。身分の不安定なフリーターの増加は犯罪の増加を招き、社会も不安定化させることは国民生活白書でも指摘(参考)されており、その点でも不安は尽きない。

 聞く耳を持たないなら心配するだけ無駄で、さっさと縁を切ってしまったほうがいいと思うが、わが国は血の繋がった家族の縁を切ることを認めていない。そうである以上、説得するしかない。10〜30年前のテレビドラマや、数年前の京成スカイライナーのテレビコマーシャルじゃあるまいし。


10月5日(日)

 午後から神宮へ。家を出たのが13時ごろで少しのんびりしすぎたかなと思ったのだが、第一試合の慶應−東大戦で大波乱があったらしく、神宮についた頃はちょうど第二試合のスターティングメンバーの発表が聞こえ、妙な雰囲気の塾生が多数球場から出てくるところだった。(後で調べたら、あの東大が9回に3点差を逆転してサヨナラ勝ちしていた……慶大が東大に負けたのは7年ぶり)

 第二試合の早稲田−立教戦は、早稲田が初回から5点取るなどワンサイドゲームで、9-0で終了。「秋の日は釣瓶落とし」とはよく言ったもので、16時過ぎには薄暗くなり始め、8回から照明がつき始めた。ナイターになると主審以外の審判は白い手袋をつけ、線審2人が出てくる。

 終了後は、六旗会の人たちは歌舞伎町へ行き、鉄研の面々は「明日授業がある」とか数年前なら考えられなかったセリフを残して帰ってしまい、池袋での同人誌即売会に行っていたK田は新幹線で大阪へ向かってしまったとかで、おとなしく帰宅。

 20時から日本シリーズの電話予約受け付けに電話をかけつづける。いつの間にN須野がダイエーファンになったのかよく分からないが、2時間ほどかけてあきらめる。「こちらはNTTです ただいま大変込み合っていますので」のアナウンスが流れつづける中、一度だけ「ナビダイ……」と聞こえたのだが反復的にフックボタンを押してしまったのが悔やまれる。

 ナビダイヤル(参照)につながっても、チケット業者が直接の電話番号に大挙して電話をかけているのでその先がつながらない、という噂も聞くし、たぶん無理だったろうと思うことにする。


10月4日(土)

 土曜日だとのんびりしていたらあっという間に9時半になってしまい、朝食もそこそこに神宮球場へ。途中、東京駅の無印良品COMキヨスクで「スイートポテトバウム」(税別150円)を購入。

 11時からの早稲田−立教戦は一時逆転されるなどハラハラしたが、終わってみれば4-6で5連勝。こういう試合のほうが学生席にいる甲斐がある。

 終了後は、H田やH田のお父さんと途中まで歩き、バスで早稲田の「メルシー」へ行くと言う2人とは別れてホープ軒で食べて帰る。


10月3日(金)

 11時ごろに昼食を食べて出かける。3限の「社会調査法」の前に事務所へ寄って先日の印紙を払い戻す書類を出す。後日銀行口座に振り込んでくれるそうだが、控えなどをくれないので本当にやってくれるのか不安。この調子では振り込み手数料など平気で差し引きそうである。

 3限終了後は14:35の理工バスに間に合ったので西早稲田へ。中央図書館で新聞のバックナンバーを捜す。毎日新聞7月5日付夕刊に目当ての記事を見つけてコピー。ついでに『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』のバックナンバーも探す。こういうマニアックな雑誌も創刊号から全部そろっていて、バックナンバー書庫へも自由に入れるのが早稲田大学図書館のすごさである。

 一旦ガイド室に顔を出してから地下鉄に乗り、飯田橋乗り換えで秋葉原へ。定期券でこの駅に降りられるのも来週の木曜まで。御徒町まで歩いて前回品切れの憂き目を見た買い物を済ませ、新しくできたモスバーガー秋葉原末広町店で夕食。ディナーセットは本庄店で食べたのと違うラインナップで、後で調べたら今日から新しくなったそう。「えんどう豆のスープ(ニョッキ入り)」は姿を消しており、「まろやかビーフシチューセット」。税別680円。

 その後秋葉原をうろつき、マウスの調子が悪かったのでこの際前からほしかったアレを、と、クレバリーでマイクロソフトのインテリマウスエクスプローラーを購入。税別3599円。以前は19時でだいたいの店が閉めていたのに、20時ごろまでいてもほとんどの店が営業しているのはヨドバシ進出予定の影響だろうか……と思っていたら、ヨドバシはとうとう新宿西口本店の営業時間を22時までにしたとか。

 なんだか今日は一日いろいろアイデアが出てノート3ページ分くらい書いてしまったが、果たして日の目を見るかどうか。


10月2日(木)

 日がな一日家にいる。ふとしたことから古い日記を見ていたら、こんなのを見つけ、「今日みたいな休日の過ごし方」が最近多いんじゃないか、とドキッとする。

 学部3年のときがピークで特に院進学後は加速的にキバを抜かれつつあるとはうすうす感じていたが、学部4年の2月末と比べてもずいぶん堕落したもんだと思う。


10月1日(水)

 9時を過ぎて理工学部事務所へ電話。学部時代の書類でもすぐ発行できることを確認して、11時ごろ家を出よう……と思っていたら11時半になってしまう。

 先に書類を受け取ろうと思ったものの、急におなかが減って飯田橋から東西線で早稲田へ出て、三品の赤カツ。760円。子供がうろうろしており、今日は都民の日だったっけと気づく。

 理工まで歩いて事務所で学部時代の成績証明書と卒業証明書を発行してもらう。相変わらずカウンターの職員は愛想が悪く、「卒業生なんですが、学部の成績証明書と卒業証明書をいただけますか」「この書類に記入してください、1通300円です」と、ここまではよかったのだが「1通300円ということは、成績証明書と卒業証明書を合わせて600円ということですか」と聞くと、そんなことも分からないのかという顔をされ「1通300円です」と繰り返される。

 印紙発行機で600円の印紙を買い、貼り付けたあとで、発行書類の選択欄に「成績証明書」「卒業証明書」の他に「成績・卒業証明書」というのを見つける。「あの、この成績・卒業証明書って1枚になっているものは300円で済むんですか?」と聞くと、完全にあきれた顔をされて「1通300円です」ともう一度言われる。思わず「それなら先に(1枚にまとまっているのがあると)言ってくれればいいのに」と口にしてしまったが、職員はそ知らぬ顔で黙っている。これで300円を余計に大学当局に納めるのも癪で、「印紙を買ってしまった600円はもう払い戻してもらえないのですか」と言うと、一言も謝らずに「この書類に記入してください、銀行口座に振り込みます」。こちらから言わないと払い戻しができることすら教えない態度と、さらに役所顔負けに書類に記入させる姿勢に、父だったら絶対雷を落としているに違いないがのれんに腕押しなのは目に見えており、もらう書類をもらって事務所をあとにする。

 廊下にある自動証明書発行機で大学院ぶんの「成績・修了見込証明書」を出す。タッチパネルを押して最後にお金を入れるだけで発行され、200円。変に職員なんかにやってもらうより余程気分がいい。Web上で確認した成績ではAとかBとかFとかHとか盛りだくさんだったのだが、証明書を見てみたら全部「優」になっていて驚く。AとBはひっくるめて「優」だし、F(不可)やH(否)は証明書には記載されないのだから、あたりまえといえば当たり前だが。

 新大久保から山手線で新宿へ出て、少し早く着いてしまったので元アルバイト先の広報部におじゃまする。30分ほどいてJRホールに移動。内定式。簡単なリハーサルや書類の回収などがあり、本番は30分ほどで終了。3月までに「内定者通信」なるものを発行するらしく、各採用系統(事務・機械・電気・土木・建築・生活サービス)ごとに編集委員を2人ずつとか言うので、引き受ける。

 配布物の『JR時刻表』をはじめ、ビューSuicaの申込書や「えきねっと」のパンフレットに会社案内と社会環境報告書のダイジェスト版に混じって、新宿〜池袋の回数券が1枚入っていて、それを使って懇親会会場のホテルメトロポリタンへ移動。懇親会では、都市対抗野球のときにもらった応援旗を振っていると他系統の人たちから話し掛けられる。懇親会なのに系統ごとに固まってしまっている中、これは成功だったと個人的には思う。そんななかに、早稲田祭運営スタッフの人がいて、「あーやっぱり高橋さんだなと思いました」とか言われた。……しかし、機械系のほかの面々からは他系統の人に「機械ってあんな人ばかりなの?」と聞かれたとかで大不評。

 懇親会は終了し、機械系の面々と2次会。池袋駅西口の天狗。内定者の一人が地方勤務がイヤだと延々と語っているのを端で聞いている分にはたのしかった。

 山手線と京葉線で帰宅。


2002(平成15)年9月の日記


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