9月30日(火)
かなり早く寝たのに、起きたのは6時前。
9時に郵便局が開くと同時に昨日書き損じたハガキを交換してもらう。ホームカミングデーにあわせたキャンパスツアーガイドのOB・OG会のお知らせのハガキを作成。昼食を済ませてから出しに行く。早稲田へ行くなら飯田橋から地下鉄かとも思ったけど、高田馬場から歩く。途中の「伊勢屋」でラーメン(500円)。玉社時代の友人とのBBSのなかでここのラーメンがうまいと久々に話題になり、昼もずいぶんたくさん食べたのだけど、15時だし、おやつ代わりに。
いったんガイド室に寄り、早稲田大学前郵便局から消印を風景印に指定してハガキを発送。御徒町や秋葉原へ行こうと思っていたけど、16時を回ったばかりで、いったん鉄研の部室に立ち寄る。……結局18時ごろまでいてしまい、それから地下鉄で御徒町へ。多慶屋では買おうと思っていた物が品切れというハマリに遭う。秋葉原まで歩いて、ゲームの店やら書籍の店やら中古PCの店やらのぞいて、帰る。
帰宅後、メールをチェックするとリクルータの方から来ていて、明日の内定式で提出書類を忘れないように、というくだりを見て、成績証明書と卒業証明書を学部事務所でもらっておくのを忘れてたと思い出す。
9月29日(月)
10時半ごろまで寝ていた。午前中に電話を受ける約束をしていたのに寝坊してしまい、電話を見るとちゃんと着信履歴があった。申し訳なし。
夕飯のとき、前に買ったままになっていた「キリンハートランド」を1本空ける。で、さっさと寝た。
9月28日(日)
6時半ごろには目が覚める。ほかの5人はまだ寝ており、なるべく静かに洗面道具を取り出してトイレへ。菅平セミナーハウスは各部屋に洗面所があるので、本庄のように部屋の外に洗面所がない。まさかみんな寝ているところで水を出して顔を洗うわけにもいかず、こういうときは困る。
7時ごろに草鹿先生が帰られるのに出くわし、アトリウムで新聞を読む。なぜかその日の朝刊を置いておらず、地元紙やスポーツ紙の古いのがある中で一番新しいのは『しんぶん赤旗 日曜版』。バイト先でよく読んだ新聞だが、政党の機関紙がなぜ大学のセミナーハウスにあるのか謎。7時半から朝食。草鹿研の学生はぼつぼつ起きてきていたが、同室の面々はまだ。8時を過ぎても部屋では誰も起きておらず、8時半のバスに乗らないと次が大変なので、書き置きだけ残して出発。
羽根尾バス停8:31の上田駅行きバスに乗ったのは3人。バスが出発してしばらくするとうち一人の社会人学生の方の携帯電話に先生から電話。朝食が8時半までなのに食堂で姿が見えないのを心配したらしい。さっさと食べて出発済みなのだからいないのは当たり前である。
上田駅から9:47発「あさま510」。ほかの学生の車で送ってもらったという人もいて新幹線組は4人。面々はみんな窓口で指定席をとっており、僕はこの時点で指定券が手に入るなら自由席で充分……と改札を入ると、8両編成中自由席が3両しかないことを知ってあ然とする。まぁ、長野新幹線なんてガラガラでしょ〜、とタカをくくっていたら大間違いで、入ってきた電車の自由席は大混雑。困ったことに、後の駅から乗ってくる知人か何かの分をすでに押さえている人もいて、何もツテを持たずに途中駅から乗ると空席を目の前にして立たざるを得ない。しかたなく指定席に移るとこちらはガラガラ。空席に腰を下ろし、車掌がまわってくる。指定席の車内改札は、乗車駅で指定券を自動改札に通したデータが車掌の端末機に表示されて、指定された席に座っていれば省略されるシステムになっている。僕のように、本来座っている人のいない席で座っていると車掌にはすぐ分かる仕組みで、僕にだけ声をかけてくる。自由席からの変更を申し出ると「とりあえず4号車の2番ABCのどこかに座っていてください、空いてますから」と言う。調整用の席だろう。もちろん窓際のAに座る。
佐久平、軽井沢と停車し、軽井沢から乗ってきた夫婦がいきなりBC席に座ってきた。調整用の席の指定券を持っているわけがなく、なんだろうと思っていると、どうやらご主人は4号車の1番・2番の計10席が調整席だと知っていたらしかった。奥さんはどこかのセメント会社の軽井沢保養所の領収書を持っており、軽井沢にはちょくちょく来ているようだ。
軽井沢を出ると指定席もあらかた埋まり、これだけ人が乗っているのに車掌は一人乗務のようで、行ったり来たりはしているのだけどなかなか指変券を売りに来ない。高崎ではもっと人が乗ってきて、いくらなんでも輸送力不足だ。「コストを増やさずに輸送力を増やす」という言葉は内々定以来何度か聞いたけど、これはひどいではないか。連休というわけでもないのに長野駅から乗らないと座れないなんてのはもってのほかで、それなら長野からの自由席特急料金だけ大幅値上げすべきだ、なんてことを上田駅から乗ると思ってしまう。
高崎を出てやっと車掌が指変を売りに来て510円払う。しばらくすると列車は減速して工事中の本庄早稲田駅を通過。大宮を出たあたりで眠くなり、気がつくと上野地下駅。東京駅に11:16着。
「中央線の工事が延びているため、中央快速線は三鷹までの折返し運転です」というアナウンスが流れるなか大手町駅まで歩き、地下鉄で早稲田へ。JR東日本はいつも線路切替くらいで早朝の列車を運休させるのもどうかと思うのに、おまけに工事が延びるなんて何考えているのかと思う(あとでニュースを見たら大変なことになっていたらしい)。
松屋で「レバー焼定食」(490円)の昼食。今日はオープンキャンパスがあるほか、早稲田高校の学園祭でもあり、高校生だらけ。12:10からの応援部デモンストレーションを見て、キャンパスツアーのテントへ。13時から勤務。7月に続いてまた玉社で教育実習をしていたときの生徒を発見。そういえばオープンキャンパスの仕事は今回が最後なのだ。
勤務終了後はミーティングののち、4人で「松の湯」へ行ったあと、飲み会。キャンパス内で昂揚会からゲタを買ったり何だかんだとお金を使ってしまい、1次会が終わった時点で財布の中身は243円。2次会には行かず山手線に乗る。
新宿駅で乗り換えるのが面倒で東京駅まで乗って行こうか、と思ったけど新宿駅で総武線がすぐ来たのでそれに乗り換え、こんどは東京駅での乗り換えが面倒になって御茶ノ水では降りずにそのまま終点の西船橋まで乗った。西船橋駅に新しくできたエスカレーターはシンガポール並みの高速運転で、その代わり「エスカレーターは駆け上がらないで下さい」のアナウンス。22:50の東京行き武蔵野線に乗って新浦安へ。……帰宅後はだらだらと3時半ごろまで起きていた。
9月27日(土)
4時の目覚ましで起きて荷物をまた詰める。ただでさえ荷物は出発時より膨らむのに、昨日本を数冊買ってしまったのでスーツケースはもういっぱい。5時過ぎには部屋の片づけも済み、40分ほどゴロゴロしてから5:50ごろにセミナーハウスをあとにする。大久保山は散歩に来ている人が大勢いて、「来るものを拒まない社会に開かれた大学」の体面は一応守っているようだ。昨日自転車で来た道を本庄駅へ向かって歩くと、同じ方向へ帰る地域の人から話しかけられたりして、あっという間に駅近くのコミュニティセンターが見えて本庄駅に着く。横川まで820円のきっぷを買って7:07の横川行き。
この電車は高崎で25分停車するので20分後の電車でも高崎で追いつくのだが、早朝の高崎駅でぜひ手にいれたいものがあった。「だるま弁当」で有名なたかべん(高崎弁当)の「上州の朝がゆ」である。名前の通り朝だけ個数限定で販売されるこの駅弁はなかなか手に入らず、一度食べてみたかった。高崎駅に着き、目の前にあったたかべん経営のそば屋のおばちゃんに朝がゆの売り場を聞き、コンコース上にある駅弁売り場へ。土曜日だからか7:30になってもまだ残っていた。350円。
上野からやってきた10両のうち後ろ5両の切り離しが済んだ車内へ戻ると、中学生だらけになっていてびっくり。この辺りは中学も学区制がないのか、面々がつけているバッジを見ると2〜3校の名前が確認できる。とはいえ、混んでいるのは階段付近の車両だけなので、引き続き席には時刻表を置いて確保し、別の空いている車両へ移ってさっそく食べる。駅弁は走っているうちに食べるのがいいのは分かっているけど、ロングシート車なので車内が揺れ始める前にさっさと食べてしまいたかった。
食べおえて席へ戻ると、中学生が座っている。新聞や雑誌を席に置いた程度では席を取っておいたことにならない場合があって心配だったのだが、予感が的中してしまった。その割りには付近に置いておいた時刻表が見当たらないので座っている中学生に聞くと、尻の下から取りだしてよこした。なかなか頼もしい連中ではないか。
電車は安中までにガラガラになって、終点横川へ。ガラガラとは言っても5両編成で出口から一番遠い車両に乗っていたから、ホームに降りてみると結構降りている。この駅に来るのは6年ぶり。あのときは夜行急行「能登」だったので、昼に来るのは小学生以来のはずだ。しかも、駅を出るのは初めて。構内や駅前はすっかり終端駅に造りかえられていて、信越・北陸方面への特急・急行をはじめ全ての列車が機関車を連結して峠に挑んでいた頃の面影はまったくない。
「おぎのやはJRとともに歩んで110年」という「峠の釜めし」のおぎのやの看板にうさんくささを感じつつ、軽井沢行きJRバス。運賃箱はついておらず、運賃は軽井沢で受け取ると運転手に言われる。途中の停留所がないらしい。駅前には結構人がいると思ったのだけど乗客は14人で、これなら鉄道を維持しても仕方がない数字ではある。バスの損益分岐の目安は1台あたり14人程度だから、トントンだろうか。…でも、全員定期券外の客だし、先日値上げもしたし(460円→500円)、収益は上がっていそう、、、とはいえ、1運行7000円と思うとタクシーと同じくらいなんだなと思う。JRの幹線運賃なら230円だから、機関車を連結するか専用電車を造るかして運行しても3000円強しか収入にならず、JRが存続を嫌がり、地元もとても赤字を負担しきれないと廃止に至ったのも無理はない。
おぎのやは「峠の釜めし」だけではなく、「峠の○○」という弁当をいくつか作っている。釜めしなんか買った日には荷物になって仕方がないので「峠のおむすび」でも買おうかと思ったのに、売店には「釜めし」しか積んでおらず、「他のは9時半にならないと入りません」というつれない返事。おぎのやは現在はすっかりドライブイン業者で、駅売店では朝食時間帯だというのにおにぎりすら並べずになにが「JRとともに…110年」だと言いたくなる。だいたい、JRは発足からまだ16年しか経っていないのだから無知にも程がある。100歩譲って、書くなら「鉄道とともに110年」「信越線とともに110年」であろう。本当は「ドライブ向けに鞍替えして○年」と書いてほしいくらいだ。
JRバスは廃線跡に沿った国道17号ではなく碓氷バイパスを走るので、めがね橋などは車窓に見えない。軽井沢駅へ30分ほどで到着。
しなの鉄道は1本遅らせて、駅前をぶらつく。新幹線開業とともに立て替えられた駅舎のデザインは悪くないものの、駅前の景観は最悪。まず大手不動産屋の看板、そして飲食店の看板看板……最近の開発では看板類が極力押さえられるのも分かる気がする。何の臆面もなく「おいし〜い釜焼きピッツァが食べたい」なんて看板を出しているのを見ると、地元民向けならともかく、本当に食べたいと思う人は東京駅から新幹線で軽井沢へ来るのではなく、東京の専門店で食べるか成田から飛行機でイタリアへ行くだろうと思う。
駅構内には「FMかるいざわ」のスタジオがあり、放送も聞こえるのだがスタジオには誰もおらず生放送ではないようだ。待合室に無線LANのフリースポットがあったので、早速InterLinkと無線LANカードを取り出してメールなどをチェック。こういうこともあろうかと旅行のときはLANカードをいつも持ち歩いていたが、使ったのは初めて。困るのは電源で、拝借できそうなコンセントが待合室のどこにもなく、普通に使っていても2時間ほどで切れてしまうInterLinkのバッテリーで無線LANをやるのはつらい。
10:22のしなの鉄道に乗るべく改札を抜ける。169系3両編成で、車内は新幹線のリクライニングシートが並ぶ。すでにJR線内では急行型電車の定期列車がなくなったけど、ここではまだ現役なのだ。「日本国有鉄道 長野工場 昭和61年改造」とあるから、このイスは0系の廃車発生品だろうか。ただし、リクライニング機構は殺してあるのか背もたれは倒れない。HISからやってきた杉野社長の奮闘ぶりとJR東日本を悪者視しているかのような姿勢がよくテレビで流されるしなの鉄道だが、運転室をのぞくと、運転席の座席には「JR東日本」の刺繍が入ったままになっている。テレビで流れているのがもし事実で、あれだけJR東日本が憎いのなら、切り取るか塗りつぶすかしそうなものだ。
この駅ができたのは杉野社長がやってくる前の話だが、新幹線の改札口は立派で思わず社歌を高らかに歌って愛社精神を昂揚させたくなるほどなのに対して、しなの鉄道は本当に地方ローカル私鉄の駅という感じ。上田交通の上田駅も新しくなったが、あれに似ている。券売機も料金ボタンがアクリルの丸いタイプだったりずいぶん懐かしいもので、バリアフリーなど微塵も感じない(エレベータはあるけど)。テレビでは、朝礼か何かで運動部顔負けに「ありがとうございます!」と何度も大声で連呼させている様子が流れていたが、改札係の愛想は特に他社と大差なし。これで少しでもシャキッとしていればJRもすこしは見習ったらどうかと思うが、とんでもない。電車が発車して車掌が車内を巡回し始めても、客室に入るときと出るときにお辞儀をするわけでもない(JR東日本もやらないが、JR西日本は律儀にやっている)。なんだ、社長はずいぶんわめいているけど、現場のサービス実態だけを見るとたいしたことないじゃないかと言わざるを得ない。
「小諸もすっかりさびれたわねぇ」という乗客の誰かがつぶやいていた小諸で長野行きに乗り換え。フル規格の新幹線は小諸から小海線でしばらくいった佐久平に駅ができてしまい、沿線でほぼ唯一ミニ新幹線を主張していたはずだ。長野行きはJRからの乗り入れ車。小海線とのレールが切られているのがやはり印象的で、上田には20分ほどで到着。この駅で降りるのは、従姉妹が上田に住んでいた小学生のとき以来だと思うが、こんな駅だったっけと思う。駅舎があった場所には新幹線ができたし上田交通は高架になって、しなの鉄道のホームだけが昔のままである。
上田交通の改札近くにある「おぎのや」のそばスタンドで天ぷらそば(450円)。立ち食いスタンドでも、生そばをゆでて提供するのは感心。駅前に出てモス上田駅前店でジャスミンチャを購入し、西菅平行きのバスを待つ。やってきたJRバスは何と高速バス仕様のハイデッカー車。菅平セミナーハウスの最寄バス停を「羽根尾」ではなく「羽根田」と勘違いして、思わず「ハネダに停まりますか?」と運転手に聞いてしまい、「空港行きじゃないですよ」と言われる。「菅平の羽根尾ですか? それなら停まりますけど」と続けて言われ、そうだ、ハネオだったか、と恥ずかしくなりながら乗り込む。……高速バス仕様のバスにスーツケースを持って乗ってきた輩からハネダヘ行くかと聞かれれば、当然、この客は空港へ行きたいに違いないと運転手は思うだろう。
羽根尾で下車。大学の菅平セミナーハウスがあるはずの方向へ歩いていくと、どこかの企業の保養所のようなものが見え、大学のはもっと先だなと思っていたら果たしてそれが早稲田大学菅平セミナーハウスだった。追分や本庄のセミナーハウスしか知らなかった僕には衝撃。
13時から、研究室の学部生による中間発表。場所が大久保キャンパスから菅平に引っ越してきただけで、盛り上がらなさ加減は同じ。発表を聞いた学生から質問が出ないので、先生が「一つ前に発表した2人が、次の発表で必ず質問すること」なんていう毎度のことをやり、質問する人が発表者に「何質問したらいい?」なんて事前に聞いているありさま。
18時半までには終わり、カレーライスとサラダの夕食(これで1000円!)をさっさと済ませて風呂へ。風呂の時間は本庄と同じ16時から20時までで、30人以上いる学生のほとんどを占める男子学生(女子学生は3人だけ)が夕飯を終えて20時までの間に風呂に入るのだから混むのは明白。さっさと入りに行く。本庄と違って循環式の浴槽は本庄ほどぬるくはなく、快適。きっとどこかの企業の保養所を譲り受けたのだろうと思う。
20時から食堂で飲み会。同じく合宿をしている政経の別府ゼミも同じフロアで飲み会。0時ごろには部屋に戻って1時までには寝に入る。
9月26日(金)
2回ほど目を覚ましたが、ぐっすり寝て4:40の目覚ましで目を覚ます。10分後にもう一度鳴り、のんびり5時半ごろ起き出す。外は雨。昨晩の天気予報では雨はあがる話だったのに、と、天気予報を聴こうとラジオをつけると地震ニュースをやっている。4:50ごろに北海道で大地震があったと告げていて、東京でも震度2だったという。4:50といえば2度目の目覚ましが鳴った時間だけど、揺れたのには気づかなかった。
NHKや在京AM各局は地震ニュースばかりだったのでNACK5に合わせると、こんどは天気予報を流さない。日記をつけながら延々聞きつづけてようやく天気予報が耳に入ったのは6:50だった。
8時から朝食。結構な量を食べ、精算。夕食代と合わせて税込み1680円。宿泊料の2倍。
9時前に事務所で自転車を借り、出発。3段ギアつきの軽快車。まず本庄駅とは反対側へ走り、美里東児玉郵便局。そして本庄市側へ戻り、本庄キャンパスがある大久保山の南側から本庄児玉ICへ出る。高速道路の向こう側の山にも早稲田大学名の看板が立っていて、大学の敷地だと知る。……で、高速バスのバス停があるはずだ、と、高速道路をまたぐ橋の上から見渡してみるがそのようなものは見えない。時刻表を見てもこの辺りで本線上に停車する高速バスはないのだが、先生が「土木の先生があるって言ってた」と言うのでこんどはICにもっと近づいてみる。辺りはラブホテル街で「朝食無料サービス」の看板が目立ち、ルームサービスじゃなくて食堂で食べるスタイルだったら笑っちゃうよなと思う。
インターチェンジ周辺にもそのような構造物は見当たらないし、入っていく道もない。電話ボックスの電話帳に本庄児玉料金所の番号が載っていたので公衆電話からかけ「このあたりに高速バスのバス停はありませんかねー」と聞くと、「本線上にはありませんね。降りたところにあるらしいと聞いていますがこちらでは把握していません」と言う返事。使われていないだけじゃなくて、バス停の設備もないのですかと聞くと、ありませんと言う。“降りたところにある”バス停は、関越交通と千葉交通の共同運行の成田空港行き高速バス「アザレア号」のバス停で、これは知っている。……一連の公団問題があるからか、電話の応対は丁寧。
また移動してLPGバスを走らせるのに必須なLPGスタンドを確認していると、学院生が自転車で大久保山のほうへ向かってゆく。もう10時半を過ぎており、盛大な遅刻だろうか。
南大通りに出て、沿道のロードサイド店をいくつかひやかし、本庄東富田郵便局を履修。そして本庄駅前へ出る。11時半で、朝食をしっかり食べはしたけど早めの昼食にしようと思う。北口へまわり、「耳耳」(みんみん)という中華料理屋へ。餃子定食(600円)。まだ12時前だったから僕一人だったけど、じきに常連客と思われる人が2人ほどやってきて、呑み始める。話を聞いてみると、この店はもう営業して40年になるそう。店のおじさんは話好きに見え、本庄学院の学生に校内誌か何かで紹介されたこともあるとか。昨日行ったBLALAは以前サティだったが、その前も3回ほど店が変わっていること、ベルクも以前は忠実屋だったがその前も別な店だったこと、もちろん以前はこの辺りは栄えていて、向かい側も駐車場じゃなくて人が住んでいたが大家が駐車場にしてしまったこと、今はのんびり店をやっている由。本庄キャンパスがある大久保山は、早稲田大学が大学を建てると言うので市役所が仲介して地主が安い値段で売ったのだが実際にできたのが高校だったので一悶着あったこと、学校ができるというのでアパートを建てた人がいっぱいいたが、学校側がホームステイしか認めなかったので当てが外れた人が少なくなかったこと、そんな話も聞けた。話が違うといえば、第二学生会館があった場所の稲毛屋の話が記憶に新しい。大学当局はあちこちでそんなことをやっているのだろうか。……もっとも、本庄は20年以上たって少子化が叫ばれるようになった今になってやっと大学院をつくるので、あながち違う話ではないけれど。
「大学院で何かやるときは1週間前までに電話をくれれば100人前だって何人前だって餃子を作って持っていくよ」という言葉に見送られて店を出て、さて、床屋でも行こうかと思う。明後日はオープンキャンパスなのに髪が伸び放題だったので、どこかで切らなくてはいけない。近くに980円の店があったが、最近東京から来た店で自分は行かない、と耳耳のおじさんが言っていたので、数本奥の道にあった「たかはし」という床屋に入る。客はおらず入口脇のイスで新聞を読んでいたおじいさんが立ちあがって奥へ行き「おーい○○さん、、、先生! お客さん!」と叫ぶ。出てきた女の人がやってくれる。いろいろ話していると、この床屋さん一家の身の上話を聞くことに。おじいさんの息子の一人は一応プロゴルファーをしている、自分も早稲田に行きたかったが床屋を継ぐので床屋の学校に行った、何番目かの息子はアメリカの公認会計士の資格を取って外資系の会社にいる、などなど。いま髪を切ってくれているのはお嬢さんだそうで、目白短大の英文科を出たんですけど使ってないと英語はだめですね〜と言う。実はすごいインテリ一家ではないか。おじいさんは今でもなじみの客が来ると自分でハサミを持つそう。買い物場所について聞いてみると、だいたいアピタとか、深谷のイトーヨーカドーとか、場合によっては高崎の高島屋を利用するとか。このあたりはすっかり高齢化が進んで、小学校では自分が小さいころは5クラスあって中学校は周辺の小学校を出た子も来るのでもっと多かったのが、今は中学で5クラスくらい。実は私もここに住んでいるのではなくて通っているんですと言う。隣は美容院で、おばあさんがやっているそう。散髪が終わった後もお茶と梨が出て引きとめられて結局14時半ごろまで話していた。この辺りの中学から15人ほど、それぞれの中学の上位3人ほどが本庄学院に推薦されるのだが、親の都合で通えない子も少なくないと言う。近年の不況で高校に通えなくなる家庭が増えつつあるとは聞いているけど、そんなにいるものだろうか、と疑問に思っていると、本庄学院は学費が大学並みなのだと聞いて驚く。大学は学費も年々上がっていて慶應=お金持ちのイメージとは裏腹になりつつある一方で大学当局も奨学金の充実をPRしているが、高等学院はとんだお坊ちゃま学校だったのだ。上武大学の学生はバカに違いないがつき合いやすい、学院の学生はどことなく冷たい、なんていうセリフが聞こえてくるようでは、早稲田は本庄の地でどうなっていくのだろうと思う。
3000円を支払い、「また遊びに来なさい」と言われて店を後にし、市立図書館へ。本庄市に関する新聞記事を調べる。浦安ほど郷土資料コーナーは充実してはいないが、ここでも市内に関する新聞記事のスクラップは作っていて、本庄新都心についての記事をコピー。
次は市役所内の教育委員会。本庄の歴史についての小冊子、小学校の郷土学習で使う『わたしたちの本庄市』という副読本を入手。それから都市計画課で都市計画図を手に入れる。
ふたたび図書館で17時ごろまで過ごしたあと、本庄駅北口のモスバーガーで夕食。ディナーセットのC。飲み物もつけたので税込み976円と、セミナーハウスの夕食と大差ない出費になってしまった。モスはしっかり食べようとすると思いのほかお金がかかる。18時半ごろ店を出て、本庄キャンパスへ。辺りはもうすっかり真っ暗で、途中から街灯もない道になる。新幹線駅建設にともなってこの辺りは通行止めの道も多く、こんな真っ暗なところで行き止まりになったら嫌だな、と思っていると向こう側から坂道を猛スピードで降りてくる自転車とすれ違う。本庄学院の学生で、どうやら道は合っているらしい。
セミナーハウスに戻ると、入口にシーツが積んであって「大聖研究室 4名様」と書いてある。部屋のカギを受け取りながら聞いてみると、「大聖研の人達のチェックインはいつも23時過ぎですね」という。明日は6時ごろに出発することにしており、どうやらすれ違いになりそう。で、早朝の本庄駅までの足だが、もちろん早稲田バスはない。大久保山の東側の道に寄居からのバスのバス停があるが1日5便で始発は7:24とある。このバスは廃止されたという話も聞いた(家を出る前に調べた埼玉県バス協会のWebサイトの検索にも引っかからなかった)が、どちらにしろ使えない。西側は6時台からバスが頻繁に走っているが、大久保山の本当の山の部分を抜けていく以外に直接出られるまともな道がなく、地図を見るとぐるっとまわってバス停に出るのと、本庄駅まで歩くのとあまり大差なさそうだ。大聖研の人が来ているならクルマだろうし送ってもらうのも一つの考えだが、早朝に起こすのも気が引ける。目的地は同じだからいっしょに高速道路で、と誘われそうな気もする。ただ今回は横川・軽井沢のバスやしなの鉄道を使って行きたいので、それは却って困る。タクシーを呼ぶとこれもまたずいぶんかかりそうだし、早稲田バスで110円、バス停まで相当歩くとはいえ一般バスで180円のところに1000円くらいかけるのもばかばかしい。それに宿泊料は税込み840円なのだ。アクセスでそれ以上かけたのではアホらしい。……本庄キャンパスと本庄駅は直線距離で2km程度で、山を降りれば道はほとんど直線だし、そのくらいなら祖母宅から新発田駅までいつも歩いているじゃないか、それに今回はキャスターつきのスーツケースだし、と歩いていくことに決める。
9月25日(木)
23:45からのいちかわエフエム読売新聞ニュース・天気予報に続いて0時から「夜もラジオぼーや 天井裏には何がある」最終回。いつものパーソナリティー宇佐美ディレクターのほか、いわさき氏や上川さんと3人で4時10分くらいまで延長しているのを最後まで聴いていた。……先週金曜の話題が結構多かった。
聴きながら出かける準備をして5:20くらいに一度床につくことにする。寝すぎても困るので茶の間で寝ていたら、1時間ほどして父が起きてきて目を覚ます。7時には朝食を食べ始めて7時半には家を出る。インフォシークの乗り換え案内だと東京・上野経由で高崎線快速「アーバン」だけど、この時間の上りは混んでいそうなので下り武蔵野線(7:48発)に乗って南浦和・浦和で乗りかえることにする。
総武線や常磐線沿線の学校の生徒らしい人達でいっぱいの電車はやかましい。千葉だなと思う。南越谷を出た当たりから混み始め、東川口を出るころには京葉線の上り快速電車より混む有様。8:42南浦和着。8:45の京浜東北線に乗れて浦和から8:58の快速「アーバン」。武蔵野線の駅は、快速や中電の停車駅と一駅ずれているところばかり(西船橋→船橋、新松戸→松戸、南浦和→浦和)で、乗り換え駅といってもエスカレーター完備の駅はまだ少なく、小さいながらもスーツケースなんか持っていると煩わしい。
快速「アーバン」の車内は、スーツケースが網棚に目立つ。在来線快速で遠出する人も多いのか、と思いきや、徐々に降りていってしまう。上野8:39発だから、飛行機からの乗り継ぎとも、夜行列車・夜行バスからの乗り継ぎとも考えにくい。夜行バスなら大宮辺りからでも全国各都市へ便が出ているはずだし、謎。車内が空いてきて端の席に座れ、寝る。本庄9:53着。
駅のコインロッカーに大きな荷物を納め、身軽になって駅南口10:21発の本庄市無料循環バスに乗る。数分遅れてやってきたのだが、遠くのほうに一旦バスがやってくるのが見えたのに左折して税務署などをまわってくるのでもどかしいことこの上ない。乗客は僕一人。前回乗ったときもほかに乗客はなく、その日は月曜日で老人福祉施設「つきみ荘」や本庄周辺の組合立の温浴施設「湯かっこ」が休みで、普段は1便平均10人は乗っているという市役所の説明だったのだが、話が違う。その後途中で2人乗ってきただけで、「湯かっこ」に到着。
「湯かっこ」は児玉郡市広域市町村圏組合立のクリーンセンター隣にある組合立の余熱利用温浴施設。「組合立」とはずいぶん珍しいひびきだが、本庄市と周辺町村で合併が協議されており、新しいクリーンセンターと余熱利用施設はその流れを先取りしたのだろう。1階がプール、2階が大広間、3階が風呂になっており、大広間は来月末までほぼ毎日市町村主催の敬老会が開かれていて使えない(バスの運転手さんにも言われた)。だからバスの利用者が少ないのだろうか。あの2人も「今日はすいとる」と乗ってくるなり口に出していたのを思い出す。プールがあるとは知らず、風呂道具しかもってこなかったのを後悔する。大広間が使えないので特別料金400円(普段は600円)。
3階の浴場は、この辺りで言えばちょっと小さめのスーパー銭湯のような雰囲気。千葉県内の「常盤殿」や「笑がおの湯」に比べると小さいが、北海道内の温浴施設とだいたい同じくらいだろうか。サウナが充実しており、ミストサウナもある。それにしては利用者が少ない。「常盤殿」など平日昼間に行っても、お前ら仕事は? と言いたくなるくらい人が来ているのだが、お年寄りがぽつぽついる程度。周辺に競合するスーパー銭湯があるのかどうか調べていないが、夜は21時終了(入館は20時まで)は早いような気がする。……道内では普通だけど。
1時間ほど浸かってからあがり、1階へ降りる。2階の大広間は着飾ったお年寄りが行きかい、カラオケが聞こえる。役所が高齢者事業として地域の人を温泉(ここは温泉じゃないけど)に連れて行って大広間の食事とカラオケで過ごしてもらう……これは道内でよく見た光景だ。お年寄りが温泉と大広間のカラオケで過ごす施設、というイメージができてしまうと確かに若い人は寄りつかない。趣向が比較的年寄りに近い僕だって江戸川区にある「湯の郷」には行かない(高いというのもあるけど)。あるいは逆で、誰も使わないから役所のほうでお年寄りをかき集めて送りこんでくるのだろうか。
プールと大浴場の間に大広間がある(更衣室も別)んじゃいちいち着替えたりして面倒だなぁと思っていたら、1階からは水着を着たままで3階へあがる人の姿も見られた。なるほど。
2階の大広間が使えないので1階のプール見学スペースが開放されており、そこでゴロゴロ。プールは10人足らずが泳いでいるだけだが、監視員が3人もいる。大浴場では常に清掃員がいて掃除をしていたし、よほど人が余っているに違いない。浦安の公共施設にもほぼ同じ傾向が見られる。「小さな政府」論議が出てくるのはこういうケースが多いからだろう。
広間では簡単な食事もでき、何か食べている人もいたが、30分ほどまどろむ。循環バスの時間が近づいてきたので外へ出て、施設全体の写真を撮ろうとかなり離れたところまで歩く。その途中、美里町の循環バスとすれ違い、ずいぶん人が乗っているのに驚く。玄関前に戻って「JAひびきの」の売店をのぞいて、13:34の本庄市循環バス。こちらは比較的乗っていて、ここで3人降りて僕を含めて4人乗り、1人乗り通した。くるときと逆のルートを戻るのだが、あちこちグルグルまわることまわること。本庄市文化会館に至っては、敷地の中まで入っていって戻ってくる(乗降客なし)ありさま。同乗の乗客が「こんな道順を覚えられるなんて、運転手さんよほど頭いいんだねぇ」なんて運転手に話しかけている。本庄駅南口まではおよそ30分だが、歩いても同じだったかもしれない。
本庄駅前ではまず北口に出て、駅前の書店で本庄市の地図を購入。650円。それから昼食を求めて本庄銀座(地名も“本庄市銀座”)をぶらつく。中山道のもと宿場町で栄えた本庄銀座は去年末に「都市システム解析」のレポート取材で来たときと同じように寂れている。それでいてクルマ通りは多くてとても歩いて買い物できる雰囲気ではない。あのとき話を聞いた店はまだ営業しているのが救い。……ここいいなぁと思っていた店は、ひととおり歩いて戻ってきたときにはすでにノレンがしまわれていた。もう15時近い。ミスタードーナツは明日から全品100円だそうで、結局駅南口にあるまずそうなラーメン屋へ。ラーメン400円。まずそうだけどこぎれいなのでどこぞのチェーンだろうか、と思ったが、お品書きには「目に言う」とか書いてあったり、10年くらい前によく見た100円占い機が置いてあったり、そのセンスからしてどうやら個人経営のようだ。食べているうちに15時になり、この店も暖簾をしまう。
本庄セミナーハウス行きのバスまで1時間ほどあり、雨なので駅南口前の「本庄BLALA」に入ってみる。以前SATYが入っていたビルだ。入口前では群馬県沼田市の人たちが10人くらいで「沼田のりんごでーす」と言って配っているが、人通りもなければたまに通る人も10人で攻勢を受けるので足早に通りすぎてしまう。沼田側から来たのかBLALAが呼んだのか、どちらにしろ気の毒。
店内は1階2階にパチンコ屋が入居(今日は休み)しているほかは惨澹たるもので、3階のダイソーだけが充実しているものの客はいない。4階は歯医者やパソコン教室が入居していて本八幡のPATIO7階のような感じだが、大半のスペースは空いていてガランとしていて電気もついていない。2階には保育所があって「365日保育」をうたっているのに「本日休園」の文字。おそらく午前中に預けに来る人がいなければ閉めてしまうのだろう。1階にあった食品スーパーは「改装のため」休業。そうはいっても7月11日から休んでおり、店跡は囲いがしてあるだけで工事もしていない。ファーストフードも5月から「休業」していて電気のついていない店内でガラの悪そうなお兄さんが1人腰かけている。モータリゼーションの進展によるインナーシティ問題に悩まされているのは旧来の商店街だけではなくこの大規模施設も同様だとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。本庄は高崎や伊勢崎までクルマで10〜20分だから、この施設の競合相手は本庄銀座ではなく高崎や伊勢崎のショッピングセンターなのだ。……こんなビルが駅前に余っているなら、早稲田大学も大久保山でオオタカの巣を追い出して新校舎を建設したりせず、ここに新大学院を入居させればいいのにと思う。
駅に戻ってロッカーから荷物を引きだしていると、南口から本庄学院の学生に見える集団ががやってくる。本庄キャンパスからのバスが着いたらしい。大学野球部が乗っているのと同じ早稲田ベアーのバスに乗る。16:10発。今日のセミナーハウスはあなた一人じゃないかな、という運転手にバスについていろいろ聞く。大半の学生は自転車で通学している。朝は5便運行しているが、始発は2〜3人しか乗らないし、一番混む8時半ごろの便でも乗っているのは15人くらい。ただ、今日のような雨の日は大勢乗り、朝は1便増便する。たまに来る大学の先生が「このバスはシジュウカラ(=始終空)」だと言う。セミナーハウスは改築して寮にするらしい。新設される大学院には教員や職員も合わせて600人ほどの規模になるとか。本庄早稲田駅ができると地域のバス会社がシャトルバスを走らせるだろうし、このバスもいらなくなるのではないか。まだ何も決まっていないので何も聞かされていないが、学校側で「通学用にこのバスを指定する」と学生に強制でもしない限りそうだろう。………そんな話を聞いていると、「昨日までいた学生さんはアリの研究をしていると言っていたよ」と言われたときに、ここで来年からバスを走らせようという内容の修論を書くんです、とはとても言えない。
本庄セミナーハウスに詰めているのは大学職員ではなく、ビル管理会社の社員。心なしか愛想もいい。夕食の18時まで部屋で寝て、食堂へ。入口には見慣れた「一言カード」が置いてあって大学生協が運営していると分かる。広い食堂に僕一人。厨房のおばちゃんが一人ぶんの食事を持ってきて、あれこれ世話してくれる。夕食代に1000円も取るなんてどんな食事が出るんだろう、と思っていたが、サービス料なんだろうかと思ってしまうほど。「それじゃ、明日の朝に片づけますから」と言っておばちゃんは帰ってゆき、テレビの前で食事。メニューだけを見るとこれで1000円? という内容。ただ、ごはんはお替わり自由……というか僕一人のために3合くらい炊いてあったのを残すのもどうかと、久々に満腹になるまで食べた。
その後、風呂。入浴は16時〜20時とあり、入りに行くとずいぶんぬるい。追い炊き機能がないので16時に湯を張ってからは冷える一方なのだ。広々とした浴槽をひとりじめしていると、学費を少しは取り返したような気がする。別にこんな形で学費を還元されてもあまり嬉しくないのだが。
風呂あがりに事務所へ行って、食堂も風呂も使い終わりました、と告げる。ついでに、貸し自転車って駅前の自転車さんに行かないとないですよねー、と聞いてみたら、ここでも貸している由。「今からどこか行くの?」なんて聞かれ、外は真っ暗なのに何言ってんだと思ったらそれも道理でまだ時計は20時過ぎなのだ。……そんな場所に来年4月には新幹線の駅ができる。
部屋に戻ったらさっさと寝る。同じフロアにはバス運転手さんの控え室があって、21時ごろに足音が聞こえた。泊まり勤務なのだろうか。
9月24日(水)
起きるのはやっぱり6時を過ぎてから。午前中はPCのバックアップを取ったりして過ごす。内容別ではなく毎月別のフォルダに保存するようになった2000年9月から2002年3月までの19か月分がCD-R1枚に入ってしまったのに、その後2002年10月までの7ヶ月で1枚、2003年3月までの5ヶ月、6月までの3ヶ月、と、1ヶ月平均の情報量は増える一方。特に5月にデジカメを買ってからがすさまじく、今月分はすでに708MBに達している。
午後は散歩や母の遣いもかねて美浜公民館図書室へ。公民館ではきょう乳がん検診をやっていて、ついでに寄ってみた感じの女性の方がちらほら。以前『鉄道ジャーナル』が雑誌コーナーにあったと思ったのだけどいまは入っておらず、『日経ビジネス』を見つけて7月28日号の「早稲田の苦闘 慶応に負け続けた10年を取り戻せ」特集を読む。表紙からして期待していたのだが、奥島前総長と白井総長のインタビューが載っているだけでがっかり。
帰宅して、妹が新しく買ったら」しいマッキントッシュ用の無線LANアダプタの設定をしたり、メールの返信をしたり。
夕飯後、一旦寝るかーと部屋で横になったのだが眠れず、悶々として過ごす。その間、明日から出かけるキップについて思い巡らしていた。明日本庄まで行って2泊、土曜日にJR在来線・しなの鉄道経由で上田まで行って、日曜日に新幹線で帰ってくる。従来方式(新幹線=在来線の線増扱い)で新幹線が開業していれば、単純に東京山手線内から上田ゆきの往復乗車券で学割証は1枚だし4日間有効でまったく問題ないのだが、東京山手線内から(信)横川ゆき片道乗車券は2日間しか使えないので土曜日に本庄から先へ行けない。本庄までの片道乗車券を買うなら高崎までのを学割で買ったほうが安いが、今年度は学割証が不足気味でこれに1枚使ってしまうのももったいない。……あ、横川・軽井沢のJRバスをつければ、乗車券の有効期間が1日延びて(JR鉄道線とJRバスにまたがる乗車券は、鉄道部分の有効期間+1日有効)これは使える、と起き上がってPCを立ち上げて連絡運輸について検索してみると、JRバス関東とJR鉄道線の連絡運輸は去年の7月1日で廃止されていた。JR化後1年間は鉄道線と同じようにキップが買えたのと隔世の感である。おとなしく新幹線で往復すればちゃんと往復乗車券になる(あるいは逆のルートなら上田→東京山手線内・東京山手線内→(信)横川の連続乗車券になる)のではあるが、、、
21時ごろになって茶の間の畳の上に移り、ようやくウトウトできたと思ったら父が折り詰めを持って外出先から帰ってきて起こされる。22時半。お風呂に入って、屋根裏部屋から明日出かける用のバッグなどを取り出してから0時からのいちかわエフエム「夜もラジオぼーや 天井裏には何がある」最終回を待つ。
9月23日(火・祝)
5:50に目を覚ます。秋分の日だからほぼ夜明けの時間だなと思っていたら二度寝してしまい、6時半に起きる。二度寝のときはたいてい夢を見るのだが、なぜか玉社の教室(もちろん旧校舎)で布団を敷いて寝るという不可解な夢。寝ながら寝る夢を見るのだからのんきなものではある。
朝食はパンと牛乳の簡単なもので済ませ、午前中は木・金の2日間に本庄で何をするか考える。先日買った地図のうち2万5千分の1「本庄」を机のうしろに貼る。こうしてみると、ずいぶんまぁ変なところに本庄キャンパスがあってよくこんなところに新幹線の駅を造るもんだと思う。
昼前、母から電話があって折り返し電話をする。すると「ただいま混みあっております…」のアナウンス。母は数日前にアステル関西のPHS「待っtel」(=僕がかつて使っていた着信専用PHS)からドコモの「らくらくホン」に替えている。電話屋ではいかにPHSが使い物にならないか散々吹き込まれたらしいのだが、僕や母の生活圏の場合、使い物にならないのは携帯電話のほうだ。
午後は2時間ほどだらだら過ごし、母に頼まれていた買い物に出かける。ピーコックで牛乳を購入し、アトレ新浦安2Fの有隣堂で鉄道雑誌を立ち読み。そういえばビールを切らしているのを思い出し、1Fにある酒屋に「キリンハートランド」(500mlビン)が置いてあるのを2本だけ購入してみる。1本税抜き272円。空瓶は1本5円で引き取る由。
夕飯を終えて、なるべく早く寝ないとなぁと思いつつ22時過ぎまでPCに向かってしまう。床についてもなかなか眠れない。
9月22日(月)
今日も起きたのは6時半。メールをチェックし、Web上を巡回して、朝刊を読む。切抜きの仕事をやめてから1ヶ月以上たって(引継ぎのため今月頭に6日間だけ勤務したのから数えれば2週間)案の定目を皿のようにして新聞を読まなくなってしまった。切抜きをするにも、家でとっている新聞だからどんなに早くても夕方以降、あるいは翌日でないとできない。その頃にはすっかり新聞のことなんか忘れている。それに、我が家は比較的広い部類に入るはずなのだがバイト先のように新聞をいっぱいに広げられるスペースがない。
午前中、先週読み始めた『都市計画 利権の構図を超えて』(五十嵐敬喜・小川昭雄著 岩波新書)を読了。最初のほうは地価上昇のしくみが分かりやすく書いてあって面白かったのだが、途中から単なる自民党政権批判に終始していて残念。
昼前から午後にかけてメールの返事をせっせと書き、幕張のバスについてメモをまとめる。
小泉第2次改造内閣の布陣をNHKニュースで見る。選挙用の内閣にしか見えないけれど、新法務大臣が元国鉄マンと知って、明日の切り抜きは後任の1年生(新聞もテレビのニュースもあまり見ていないはず)で大丈夫かなぁと不安になる……が、カレンダーを見ると明日は祝日だ。なぜ国鉄出身者、しかも土木屋さんが法務大臣? と思ったら、この人は憲法調査会の会長をしていたと自民党Webサイトには書いてある。謎。
9月21日(日)
昨晩比較的早く寝たわりには、起きたのは6時半。気温は低く、肌寒い。こんな日は露天風呂日和である。久々にららぽーとのスーパー銭湯「常盤殿」へ。
クルマを運転しながらCDをかけていてふと思った。車にオーディオをつけるのは間違いではないのか、と。もちろん、ラジオから流れる交通情報は前近代的なカーナビの役目を果たしてくれるが、それ以外は娯楽目的でしかない。例えば鉄道の運転士やバスの運転手がヘッドホンステレオで鼻歌でも唄いながら運転していたら(会社によっては日常茶飯事のような気もするが…)、問題視されるはずである。なら、なぜマイカーはOKなのか? バスや電車は乗客を乗せているからか? しかし、クルマの事故は自損だけではない。歩行者にとって撥ねられて死んでしまえば運転していたのがプロだろうがマイカーの一般人だろうが関係ない。マイカーだろうと不特定多数の命を預かってハンドルを握っているのに変わりはないではないか。
常盤殿には1時間半ほどいて、船橋市場前のブックオフで本を3冊ほど買って昼ごろ帰宅。古本を購入してもちゃんと著者に印税が入る仕組みが確立されるのはいつだろうと、いつも思う。一方、チェーンの古本屋は新古本の在庫処分に使われている印象がぬぐえず、岩波新書の黄本なんか『都市と交通』『バナナと日本人』など大学の参考書にも指定されるような本がほぼ新品のまま1〜2年前に100円で大量に叩き売られていたと思えば、もう見かけなくなってしまい、特に『都市と交通』は版元品切れで手に入らなくなってしまった。売り場に占める岩波新書の黄本や青本の分量もずいぶん減った気がする。
昼食後、30分くらい昼寝……と思ったら2時間寝てしまった。今日買った3冊のうち『ラストニュース』第7巻(猪瀬直樹作・弘兼憲史画 小学館)と『パソコン「超」仕事法』(野口悠紀雄著 講談社文庫)はこの日のうちに読了。後者は『「超」整理法』『「超」整理法 時間編』(中公新書)に書いてあるのとほとんど同じことしか書いてなくて、がっかり。
9月20日(土)
前日の16時半ごろに無理やり床につき、実際に寝たのは2〜3時間ほどだけど20時半には布団を抜け出して、お風呂に入ってからあれこれバッグに詰め込んで22時前に家を出る。クルマでいちかわエフエムへ。そういえばクルマを運転するのは先月末以来だと思い出す。
22時半には局入りして、0時から開局5周年特番。まぁ事前にはあまり聞かされていなかったけど、毎度のことながら僕の役回りは深夜にもかかわらず外からの中継。八幡近辺の公園を7か所まわり、最後の中継地点には午前2時半だというのにリスナーの方が駆けつけてくださって差し入れまでいただく。
その後スタジオに戻って4時半まで番組があり、5時半ごろ帰宅。あーそろそろこういうおバカなことやるのも終わりだなぁと思う。
で、PCを立ち上げて今回撮った写真をディレクターに送ろうとしたらOutlook Expressのエラーが出て送れない。……あれ? アカウントの設定を見ても変なところはないし、プロバイダの障害やメンテナンスもない。ひとまずWebメールを使って送信し、その後よく見てみると「送信済みアイテム」が表示できなくなっているではないか。
>フォルダを表示できませんでした
>このフォルダを開けませんでした。
>考えられる原因 :
>・空きディスク容量が不足しています。
>・メモリ不足です。空きディスク容量の不足、って、60GBのHDDを積んでいてまだ4分の3は残っているのにそれはおかしい。メモリ不足もおかしいなと思いつつ一旦PCの再起動かけても同じ。googleでこのエラーメッセージを検索してみると、どうやら「送信済みアイテム.dbx」の破損が原因らしい。ならば、と、スキャンディスクをかけても結果は同じ。
そこらに出ている対処法は「送信済みアイテム」の初期化。まいったなぁ、とバックアップを取ってからひとまずやってみる。6月中旬にバックアップを取ってあったのでそれを取り込んだが、3ヶ月間の送信メールが消えてしまったのは何とかならないかと思う。破損ファイルの修復法は……と検索してみると、トップに出てきたのはデータ修復会社のサイト。破損した.dbxファイルの修復も手がけていて代金は20000円〜50000円とある。こんな対価を支払ってまで取り戻すデータじゃないよな、とは思うものの、修復は不可能ではないらしい。googleの下のほうに引っかかったものに、vectorに.dbxファイルを.emlファイルに変換してくれるソフトがあるのでそれで試してはどうかという話が書いてあった。
そこに挙げられていた「OutlookExpress-To - OE5/6 Multi Converter」をインストール。見事に破損したはずの.dbxファイルから6月以降の送信済みメールが出てきた。そのまま送信済みアイテムに移し、一件落着。
へ〜こんなのあったんだ〜、他にもあるのかな、と、vectorのメール用ユーティリティーのページを見ていたら、「DbxRescue」という「壊れたDBXファイルからメールデータを救出」してくれるまさにそのままのソフトがあった。こっちはインストールの必要もなくて(「桜時計」みたいな感じ)こっちのほうがよかったなぁ、と、こちらでも試してみる。するとこっちのほうがメールが10通ほど多い。あれーおかしいな、と思ったが、1850通近いメールの中のおよそ10通くらいだったらどれがその10通なのか今探す緊急性もないか、と思ってやめた。「Outlook重複メール削除アドイン」という重複するメールを自動的に削除してくれる便利なソフトもあるのだが、Outlook専用でOutlookExpressには使えなかった。
その後昼過ぎまで寝て、あーそろそろ1時だなぁと布団のなかでぼーっとしていたそのとき、ゴゴゴゴゴゴゴゴ………と部屋が揺れ始めた。瞬時に噂の直下型大地震が脳裏をよぎるものの、前揺れが長いから直下型じゃないな、と思っていたら大きくきた。本棚から本が数冊落ちたほかは特に何もなかったけど、部屋にあるラジカセ2台、テレビ1台のリモコンやスイッチ(テレビはリモコンがない)にすぐ手をのばし、いちかわエフエム、NHKラジオ第一、NHK総合テレビをつける。スタジオが揺れたことをいち早く告げていたのはいちかわエフエム。NHKラジオは台風情報、NHKテレビは連続テレビ小説が流れていて何も出ない。。。。が、この揺れが地震だったことを伝えたのはNHKテレビの字幕速報が一番早く、次いでNHKラジオ、ずいぶん時間が経ってからいちかわエフエムが伝えていた。放送局はスタジオが揺れても「地震です」と勝手に放送してはいけないので、しかるべき機関から情報を収集して流すまでの速さはたいていNHKに軍配が上がってしまう(でもごくまれにいちかわエフエムのほうが速いこともある)のだが、地震とは明言できないにしろとにかくスタジオが揺れたと真っ先に告げてくれると何事もなかったかのように番組が続いているより安心する。
地震そのものはあまりたいしたことなかったようで、どの局も15分ほどたつと地震情報は終わった。
9月19日(金)
昨晩は結構夜更かしして起きたのは7時半。9時半ごろには家を出る。
まずは地図専門店の武揚堂をめざす。道路地図以外の本庄周辺の地図をまだ持っておらず、地形図だったら大きめの本屋でも売っているけど、先日テレビで放映していた、武揚堂で鉄道マニアの店員がどんなにマニアックな場所の地図でも店の奥からすぐに取り出して持ってくるのを見て、武揚堂はもともと地図専門店として有名だし買うならそこにしようと思っていた。……御茶ノ水で下車し、確かこのあたり、と行ってみるとそこにあったのは地図専門店ではあったけれど内外地図という会社。
あれれ、違ったっけ、と、近くの電話ボックスで調べると武揚堂は日本橋。う〜ん、と考えた末、国土地理院の地形図は公定価格だからどこで買っても同じ値段だし、地図専門店とあるのだから大丈夫だろうと店に入る。ずいぶん愛想のない店員だったけど、いくつか地図を出してもらってあれこれ思案。そんなことをしているうちに次のお客(女性)がやってきて、「ちょっとお願いします、2万5千分の1の○○と××と△△」「ハイ」、なんてやり取りをしていてびっくり。地名は忘れたけど山がありそうな場所の名前で、山をやる人は地形図なんて鉄道マニアの時刻表みたいなものだろうけど、あまりに手馴れていてすごいなーと思う。……で、僕も購入する地図を決め、5万分の1「高崎」「寄居」、2万5千分の1「本庄」を購入。850円也。店員さんはすごくテキパキと地図を丸めて包み紙でくるんで渡してくれる。一連の動作を見ていると、鉄道マニアにもよくいそうな人だなぁ、と思い、ずーっと前に小倉昌男さん(ヤマト運輸会長、障害者雇用の第一人者)の「私の履歴書」(日本経済新聞)で「自閉症の社員は宅急便の営業所コードを驚くほど暗記している」とかいうような感じのくだりを読んだのを思い出す。包んでくれた地図は機械で包装したかのようにピシッとなっており、機械顔負けの精度といえば日本の(特に中小企業の)モノ作りで、日本を支えるのって本当はこういう方たちなんだろうなと思う。
一つ衝撃的だったのは、地図屋さんの入口にあった地形図の新刊情報。2万5千分の1「音類」の図名が「浜里」に変わったとあり、注に書いてあったのはなんと「音類という地名がなくなりました」の文字。音類、浜里といえば北海道幌延町の地名で、過疎もここまでくるとすさまじく、新旧並べて貼ってあるうちの新しい「浜里」では本当に地図上から「音類」という地名が消され、一帯には建物を示す記号が何もなくなっている。わずかに新しく記載されている「オトンルイ風力発電所」にその地名の名残を残すのみである。
御茶ノ水から再びJR。各駅停車はちょうど行ったばかりのようで5分待つ。飯田橋で東西線に乗り換えると、ちょうど目の前で行ってしまい、また5分待つ。御茶ノ水から早稲田へ移動するだけでも10分余計にかかるんだなぁと思う。
早稲田ではまず学生会館へ行き、来週行くことにした本庄のセミナーハウスを予約。本当は3週間前までに予約を済ませないといけないのが、閑散期なので事務所の4営業日前までに緩和される由(でもあとで数えなおしたら20・21日と23日は事務所が休みなので3日前だった)。なんだかユースホステルと比較してもずいぶん融通効かないんだなぁと申し込みをし、誓約書やら何やら結局3通も書類を提出(役所顔負けに3枚とも捺印)させられる。それでいて学生証の確認をしないのだからお笑いである。1泊800円とドヤ街並みの値段だからって、21世紀なんだからもう少し手続きが簡素にならないかと思う。宿泊料は銀行の窓口振込みだけど、銀行だって1680円(2泊分消費税込み)の振込みをわざわざ人手で手数料無料でやらされるのも迷惑ではないか。振り込む側も、平日の午後3時までに行かないと銀行窓口は閉まってしまうのだから(今日は別にどうということなかったけど)不便ではないか。
ガイド室に一旦立ち寄り、早稲田松竹へ。「幸福の黄色いハンカチ」12:45からの回。学生料金1100円。実は早稲田生活6年目でここに来るのは初めて。一度閉館したけど一部学生中心の団体の働きかけで営業を再開したので一回は来ないとと思っていた。受付ではパンフレットの白黒コピーを無料でくれ、壁には「当日中は再入場できます」の文字。お客にとっては嬉しいけどやっていけるのかなと心配。お客に出来るのはせいぜい通ってあげることくらいだろう。………映画はストーリーよりもつい背景にある光景に目が行ってしまう。網走駅だ、旧型客車だ、おわー、木造の陸別駅だ、池北線だ、とか、セリフの中に出てくる足寄だとか士幌だとか留萌だとか美唄だとかいう地名に一人興奮。帯広から夕張を目指すのに新得・狩勝峠を経由しているのを見て、そうかーまだ日勝峠の石勝樹海ロードが開通してなかったのかー、とか思い、ついに映画はクライマックスへ。ちょうど2週間前(日記)に訪れたロケ地が出てくる。そうそう、そこの角を曲がって踏切を渡って坂を登るんだよなぁ……なんですかこの人家の多さは! しかも北炭の工場のところを左って、そこを直進すれば今は「ユーパロの湯」があるんだよなぁ、、、あっ、こんなところに踏切! あー、それじゃ2週間前はあの場所に専用線跡があったことになるなぁ、うかつだったなぁ、それにしてもどうしてこんなに人がたくさん住んでるの! と、たぶん、他の人とはまったく違う見方をしていた。まじめな話、あの場所があんなに栄えていたなんて、今の夕張の様子からは想像もつかない。
映画の冒頭で登場人物の一人が列車の車内販売嬢をやっているシーンがあって、そういえば小さい頃は混んでるときって肘掛けに座る人いたよなぁ、と思い出す。あとで調べたらこの映画は1977年のもので僕が生まれる1年前の作品だから、僕が幼稚園児のころだったらそれほど社会情勢も変わらないはずだ。
映画は14時半過ぎに終わり、まっすぐ帰宅して、部屋の雨戸を閉めて真っ暗にして16時半には無理やり床につく。
9月18日(木)
6時過ぎに起きる。午前中は定期巡回先をまわったり書き込みをしたり。昼食後、久々に大学へ。ガイド室でホームカミングデー(後の飲み会)の打ち合わせ。
16時になってしまい、確かまだ夏期休業期間中なので事務所は16時までのはずで、セミナーハウスの予約などは明日来なくてはならなくなった。面倒。……三品で夕食でも、と思ったら営業しておらず、鉄研の部室へ。ずいぶん前にもらったJR東日本の小旗を寄贈し、現役会員数名とラーメン二郎へ。今まで食べたことがなかった大ぶた(750円)。学生会館からの道すがら、早稲田松竹に北海道で見た黄色いハンカチのモニュメントがあり、もしかしたらと演目を見たら「幸福の黄色いハンカチ」。上演は明日までとのことなので、明日こっちへくる用事ができた。
高田馬場から山手線に乗ろうとしたら「京葉線遅延 潮見駅での人身事故のため……」と改札上のスクロールが流れていた。が、走っているのなら、と、JRで帰ることにする。帰宅ラッシュ時ではあったけれどそれほど混んでいるわけでもなく遅れも10分程度で、難なく帰宅。
9月17日(水)
夜更かししたせいか、7時半ごろまで寝ていた。朝食のとき何気ないことから両親の語気が荒れるのを聞き、午前中はずっと滅入っていた。
午後は出かけることにし、コンビニで立ち読みをしたりショッパーズプラザへ。実は初めて足を踏み入れたベスト電器のあとダイエーのおもちゃ売り場を見ていたら、プラレールに「JR北海道スペシャルセット」なんてのがあり、「スーパー白鳥」「ノロッコ号」となぜか「急行利尻」。最後のは明らかに対象が“大きいお友達”向けではないか。ダイキャストNゲージ(もどき)のとなりにはバスの模型があり、このあたりを走っているバス会社の模型はよいのだが、北海道中央バスなど誰が買うのかと思う。仮に買ったとして、実物を知っていて子供に買い与える親の顔が見てみたい。……とかく、一見子供向けに思えるコーナーはマニアックになりすぎの観がある。
さらにそのとなりにはトミカのコーナー。今までちっとも気づかなかったのだが、実はスケール(縮尺)が一定ではなく、ヴィッツやフィットも大型トラックも全部同じ大きさなのにはびっくりした。……にしても、並んでいるのはトヨタや日産やホンダやごく一部の商用車ばかりで、外車やスズキの軽などがない。なんだよーつまんないのーと思いつつチョロQのコーナーへ行くとスマート(これ)のチョロQがあり、思わず色違いで2つ購入してしまった(←ばか)。誰かスズキのツインのトミカなど商品化してくれないだろうか。
同じ売り場で売っていたトミカタウン「吉野家」(これ)で、看板に「牛丼並盛400円」と書いてあったのには苦笑。
夕飯後、眠くなったのでさっさと寝るかーと布団にもぐりこんだはよいが、こんどは逆に眠れず、起きてPCに向かって何か書くことにする。……まぁあさっては盛大に夜更かしするのだし、一時的な夜型生活もいいかなと思う。23時就寝。
9月16日(火)
6時前に起きる。そろそろ秋分の日なので、日の出の時間に合わせて起きるのは悪くないことだが、バイトをやめてから5時前に起きることが減った。
10月以降の定期券について考えてみる。JRの6ヶ月定期はまず必要ないとして、地下鉄の定期券はどうか。大学入学直後の数ヶ月は浦安駅まで自転車で行って東西線で通っていたが、梅雨の時期は大半の日に自転車に乗れずバス利用だったし、暑くなってくると駅への行き帰りだけで汗だくになり、それに東西線の混雑は尋常でなく、以来ずっとJRだった。…が、10月になれば秋雨の日はいくらかあるにせよ、暑くもないはずだし、朝のラッシュ時に乗ることなどまずないだろう。定期代は6ヶ月25440円で、JRに比べて格段に安い。朝のバイトをしていたころは高田馬場〜新宿往復に毎日260円かかる(あるいは通勤定期購入)ことを考えるとJRのほうが安くあがったが、今はその必要もない。それにしてもJRだとほぼ最短経路で買っているのに、秋葉原も、信濃町(神宮球場)も、御茶ノ水(神保町書店街)も、新宿も定期で降りられたのに対し、東西線だとどこも乗り換えて乗り越し運賃を払わなければならないのは、JRが実はかなり遠回りになっている(特に中央線は都心で大きくS字を描いている)証左でもある。
で、地下鉄の定期を買ってみるとする。1ヶ月に10回往復しないとモトがとれない。それも冬休みや春休みを含めてコンスタントにだ。週2回でも回数券のほうが得ということになる。JRだと片道運賃が地下鉄の倍(浦安→高田馬場230円に対し、新浦安→高田馬場は450円)ということもあって月8回でモトがとれる。しかも、週末に神宮へ行くのにも、(あまり行かないが)神保町や秋葉原へ行くのにも乗り越し運賃が要らない。これは定期を買わずに回数券でこなすのが賢明なのだろうか? 地下鉄の回数券は金額式だから、浦安から早稲田や高田馬場へ行くのにも、外苑前(神宮球場)へ行くのにも、何にでも使える。6か月分の定期代で230円区間の回数券が11セット買える。11〜14枚つづりの回数券が10セット以上あれば困らないような気がする。……これが研究室に毎日詰めるようになったりすると話はまったく変わるのだが、実験系のテーマではないから締切間際になればなるほど往復の2時間がもったいなくなるはずだ(その割には現時点での時間をずいぶん無駄にしているような気もするが……)。唯一の欠点は、浦安駅からのバスが23時過ぎに終了で、呑んだ帰りは自転車に乗るわけにも行かないところ。
午後になり、自転車で出かける。浦安郵便局で旅費に使った分を貯金から引き出し、千葉銀行でバイト代を引き出す。そして浦安駅前の原勝書店跡をのぞいてみると、セブンイレブンに衣替えしていた。大変残念。で、新しく外商を扱ってくれることになったという書店を見に行ってみると、本当にこの書店で大丈夫なのかと不安になってしまった。不動前の中野屋書店と同じくらいの狭い店内は、本の背表紙の大半が色あせていたりすすけている。それに入口付近のエロ本の山は、そうでもしないと客が来ないことを物語っているようなものだ。……逆に考えれば、外商である程度の得意先があれば実店舗はこの程度でよいとも言えるが。。。とはいえ、初老の夫婦で切り盛りしているようだし、配達や集金は誰がするのだろうと思ってしまう。
浦安駅前にできたスターバックス浦安店へ行き、昨日読み始めた『クルマから見る日本社会』(三本和彦著、岩波新書)を一気に読了。威勢がよい割りには、東京都庁で道路を管理している部署を建設局ではなく交通局と勘違いしてその職員の多さを批判していたり(交通局は都営交通を運営する公営企業で、バスの運転手や地下鉄の駅員なども全員職員だから大所帯なのは当たり前……19ページ)、1997年の本なのに写真が古かったり(21ページの写真)、第1章から岩波新書のくせにうさんくささ満載の本で、こういうのに限ってスイスイ読んでしまう。。。主張には共感できる部分がかなりあったのも確かだが。
途中、店員が新商品の試供品とかで小さなカップに入ったコーヒーをくれたりして、結局3時間ほど滞在していったん帰宅。夕食を済ませ、一休みしてから20時前に再び外出。泳ぎに行こうにも20時を過ぎてしまうと面倒になって寝てしまうのが毎度のパターンだったので、ひとまず外に出ればさすがに寝てしまうということはなかろう。かといって食後2時間はあけたいのでサイゼリヤでも…と思ったら案の定混んでいて、有隣堂で立ち読みなどして過ごす。
久々に1時間ほどスポーツクラブで過ごし、帰りにサイゼリヤへ寄ってみる。ドリンクバーはいつの間にか100円になっていて、ドリンクバーだけ注文するのは気が引けなくもなかったが、「混雑時のドリンクバーのみのご利用はご遠慮ください」とあり、混雑時でなければよいのだなと思う。22時以降は深夜料金で10%増し、とあるけど、100円の10%増しは別にどうということはない。うるさかったり服が一発でタバコくさくなってしまうのが難点だが、100円で広いテーブルとフリードリンクが供されるのだからK田がよくサイゼリヤで漫画を描いていると言うのが分かる気がする。早稲田と違って新浦安はどちらかと言えば夜の人口のほうが多い場所だから22時近くなっても店内が人だらけなのと、早稲田のサイゼリヤは4時までやっているのに対し新浦安は2時で閉店など、いろいろ差異はあるが、InterLinkじゃなくてノートパソコンを持ちこんで(持ってないけど)作業をしたらはかどるのかもなぁ、と、ふと思う。……すぐに電源の問題に当たってしまうのは明白だが。。。(それに夜更かしはあまり得意ではない)
そんなこんなでずいぶん夜更かしして1時半ごろ就寝。
9月15日(月・祝)
7時半ごろだかに一度目を覚ましたが、また寝て10時ごろ起きる。外は快晴。家に閉じこもっていたら体に悪そうだ。……ボーっとした頭でいろいろ考え、午後は出かけることにして風呂に入り、洗濯。
昼食を終え、そろそろ出かけるかと思ったら、父が昨日買ってきた水槽(熱帯魚か何か飼うつもりらしい)の組み立てを手伝わされる羽目に。あっという間に14時、15時と時間は過ぎてゆき、明日にするしかないかと思う。……しかし、そろそろ25になるというのに平日の昼間に市内で外をウロウロしているのは結構恥ずかしいのである。。。しかも明日の天気予報は曇。自転車で市内を出歩くぶんには曇天のほうが却って快適かもしれないけれど。
9月14日(日)
切り忘れていたPHSの目覚ましが4:40、4:50にたてつづけに鳴り、目を覚ます。ともなく玄関がピンポーンと鳴る。そういえば父が昨晩「明日は4時起き」とか言っていたからゴルフ仲間だろうか。……4時に起きたにしてはしばらくしてまたピンポーンと鳴ったから、寝坊したのだろうか。
テレビをつけ、ニュースや落語を見ながらPCを起動し、6時半ごろまでネットにふける。知人の日記にブックマークを整理(=大半を削除)した話が載っていて(でないと、際限なく巡回してしまう)、それもひとつの手だなぁと思う。とはいえ、ブックマークはディスクの容量を食うわけでもないし、『「超」整理法』的観点からは放っておいてもよいのだが。。
冷凍ごはんやみそ汁を暖め、冷蔵庫にマグロのヅケがあったので食べる分だけ皿にとり出し、トマトジュースをコップに注いで朝食。久しぶりに泳ぎに行くかと思ったのだが、食べ終わったら急速に眠くなって1時間ほど寝てしまう。毎度このパターンだ。
近いうちに5日くらいかけて本庄に滞在しようと思っていて、それに合わせて折りたたみ自転車を買おうか、と、“トレンクル”について調べてみたら、あまりの高さに驚く。ついでに本庄セミナーハウスについて大学のWebサイトを見たら、10月から長期閉館とあって唖然とする。早ければ今月中に行こうと思っていたのは確かだが、今週と来週は祝日があるし、さらに今週は予定を入れてしまった。……本庄には研究室の分室があるから、そこに泊まれないわけではないとおもうけど。
今月末に菅平セミナーハウスで中間発表の合宿があり、13時から発表なのと、翌日はオープンキャンパスなので勘案して時刻表をめくる。駅に近いセミナーハウスでやってくれると始発が早かったりして帰りが楽なのだが、菅平は上田駅からバス。行きも帰りも不便で、行きは横軽のJRバスとしなの鉄道で行こうとすると、13時までに着けばよいのに上野6:07。帰りは、始発のバス(菅平高原8:30)に乗っても早稲田着が昼前になる。
そんなことをあれこれ考えながら10時半になり、かなり早いけど昼食。11時半には出かける。9月9日のカーネルの日キャンペーンだが、締めきりが15日なら結構先だなと思っていたら、もう明日。しかも必着とある。……宛て先は朝日ビル内郵便局留めで、調べてみると特定局。明日は祝日だから特定局は休みのはずで、さらに普通郵便は日・祝の配達がないから、実質的な締め切りが一昨日だったのか、明後日なのか判然としない。朝日ビル内郵便局は京橋郵便局の集配地域で、出すなら同じところがよいだろうと京葉線を八丁堀で降りてポストに投函。ちょうど15分後に集配車がくるとポストに書いてあり、なんとなかるかも。
神宮に着いてみれば12時半はもう過ぎているのに第一試合の立−慶戦はまだやっている。暑いので近くのam/pmでかき氷(税込み61円)を買ってきて食べていたらスローテンポの「若き血」が聞こえてきて、どうやらまだ7回表らしい。昨日もほとんど投手戦だったのに1試合あたり約3時間かかっており、第2試合の試合開始予定を第1試合開始の2時間後と予告するのは、見なおしたほうがいいんじゃないかと思う。
14時過ぎに始まった試合は、早稲田15-0東大で終了。終了後は、六旗会の人たちとしばらく球場前でまったりしたあと、別れて馬場の清龍へ。鉄研OB・現役数人と呑む。鉄研内でひそかにブームになっている「酒ライムロック」が品切れだとか言われ、池袋の清龍へ移動。六旗会からK内もやってきて23時過ぎに解散。……1年生2人が土佐っ子ラーメンを知らないと言っていたので、食べてもいいなぁと思ったのだが、僕が帰れなくなりそう(1年生は駒込・池袋在住)なので見送り。
帰りは土休回数券を買い、有楽町線に乗る。まだ新浦安〜高田馬場の定期券を持っているので、飯田橋で下車。フラフラ歩きながら中央線、京葉線を乗り継いで帰る。定期がなければ70円足して新木場まで寝て帰ってもよいのだが…。そんなことがあったので、10月以降の定期券をどうするか、酔った頭で考える。JRの定期代は6ヶ月42020円。朝のバイトはやめたから新宿を通る定期券は必ずしも必要ではないし、10月になれば神宮も数えるくらいしか行かない(=信濃町を通る定期も要らない)だろう。
1時半ごろ就寝。
9月13日(土)
雨戸を閉めて寝たので朝になったのが分からず、8時まで寝ていた。風呂に入って朝食を済ませたまではよかったけど、PCに向かって少しゆっくりしてしまい、家を出たのは10時半。神宮球場へ。
東京六大学野球オフィシャルカードの特典である“観戦フリーパス”がまだ届いていなかったので6番入口前にあるNICOSカードの出店で受け取るなど手間取っていたら、入場して応援グッズを受け取って階段を上ったところでちょうどエール交換が始まってしまい、待たされる羽目に。早稲田−東大戦は意外にも東大が強く、1-5で早稲田の勝利。この日の東京の最高気温は34.3℃。鉄筋コンクリートのスタンドは暑いどころの騒ぎではなく、最前列のチアにも明らかにバテているのがいた。僕も熱中症対策に帽子やポカリスエット(500mlPET)は用意してきたが、ポカリスエットはあっという間になくなる。普段の対東大戦のように10点以上取っていたら絶対スタンドで数人は倒れていたろう。
六旗会会長のT光さんに連行されて第2試合の立教−慶應戦も見ることに。各大学が新チャンスパターン(応援曲)をつくってきていて、早稲田も「ファンファーレサンダー」があったし、立教も「サウスポー」なる新CP、慶應も何やら聞きなれない曲が流れている。立−慶戦は5回の立教側チア曲が終わったところで球場を後にする。球場の外では、立教の応援団員が一人倒れて介抱を受けていた。……あんな変なところに寝かさないで救急車を呼んだらどうかという気もするが、呼んだら連れて行かれる先は間違いなく信濃町の慶應義塾大学付属病院だろうか。
ひとまずam/pmでみかんジュースを購入して一気に飲み干し、昼ごはんを食べていなかったのでホープ軒へ。16時過ぎだったので1階もすいていたけど、イスもあってクーラーが効いている2階へ。ラーメン(650円)がくるまで冷たいお茶(この店はジャスミン茶のポットが置いてある)を何杯も飲む。ラーメンを食べていたら店員が階下へ降りていってしまったので、空いたペットボトルにジャスミン茶を拝借。千駄ヶ谷駅からJRで帰宅。
帰宅後は風呂にプールの水よりちょっとぬるい程度の水をはり、つかる。数時間球場にいただけなのに両腕はすっかり日焼けして、水は結構冷たいのに、水の中で腕を触ると他の部位と比べてかなり暖かい、というか熱い。本当に日焼けは火傷の一種なんだなと思う。
9月12日(金)
水曜の夜も、昨日の夜も、布団を敷かずに寝てしまった。
残りの洗濯物を片付け、ひたすら日記をつける。書けたところからアップしてたら知人から「よくあれだけ書けるな」というメールが来た。
21時に寝ようと布団を敷いたものの、急に腹痛に襲われ、トイレへ。汚い話だが、金曜から水曜までの間にトイレは1回しか行かなかった(しかもほとんど出なかった)し、その後も、約1週間の間に口に入れたものが腹に残っている割には出るものが少なすぎないかとは思っていた。トイレの中で読もうと、ずいぶん前に読んだきり押入れにしまってあったマンガを3冊ほど出したら、布団に戻ってからもつい読みふけってしまい、寝ようとしたのが23時半。3日ぶりに布団に寝た(自分の布団には8日ぶり)からかどうも落ち着かず、0時半くらいまで悶々としていた気がする。
9月11日(木)
すっかりよく寝て、起きたのは10時半。金曜以来の洗濯物を洗うことにしたのだが、とても一度で済みそうになく、半分は明日へ持ち越し。風が強くて早く乾いたのはよかったが、別に干したワイシャツが風に飛んでベランダの床に落ちており、どうも生乾きの状態で落ちたようでところどころ真っ黒。ハンガーはちゃんと物干し竿に残っており、ちゃんとボタンをとめておけばよかった。。。
9月10日(水)
5時過ぎに目を覚ます。5階にある風呂・サウナは終夜営業なので、さっさと入りに行く。チェックインしてすぐにガウン姿に着替えさせられるのは、サウナのフロントで風呂だけの客なのかカプセルの客(宿泊料に風呂・サウナ代込み)なのか見分けるためだろう。風呂は温泉で、地下1000メートルから汲んでいるとか。温泉の名前の由来が疑問だったけど、成分分析表を見て社長の名前と判明。前のバイト先の課長が見たら嬉々として何か言いそうな名前で、漢字2文字の名前はおそらく韓国や香港や台湾の名前で、日本でこういう雰囲気のつくりだとあれと思うけど、韓国やら香港を旅行中にこういうところに来たら確かにこういう雰囲気もありだなーと妙に納得。
タオルやガウンやデカパンは使い放題でシャンプー・ボディーソープ(僕は備え付けのを使わないけど)、カミソリや歯ブラシも備え付けのが使える。宿泊料3200円の割には気前がいい。いちおう“露天風呂”もあり、1時間ほど入ってあがる。休憩ロビーで朝刊に目を通したり、再びカプセルで30分ほどゴロゴロして、休憩ロビーに戻って朝食を食べる。洋朝食450円。ここで払うのかと思ったらカプセル番号を聞かれ、帰る際に精算する(僕の場合は昨晩もらった食事券を渡す)由。
意外とのんびりしてしまい、大阪から電車に乗ったのは9:27。まずは桜島行きで桜島へ。工場地帯への通勤線からUSJへのアプローチ路線へ大変貌を遂げ、安治川口からはルートも変わった桜島線は、新しくなってから乗るのは初めて。かつては国内に数箇所しかなかった鉄道の可動橋もあったが、僕が中3のときだったかに初めて乗った時点ですでに可動橋下の運河が埋め立てられていて橋はあったが橋としては機能していなかったし、今となってはあれがどこにあったのかも分からない。終点の桜島駅もすっかり新しくなって、従業員送迎用の企業の自家用バスがひっきりなしに出入りしていた光景はなく、意外にも若い人が結構降りていてどこかへ散ってゆく。
ひと駅戻ってユニバーサルシティ駅で降りる。西九条から桜島線に入った時点で、薄汚い工場地帯が車窓に広がり、これじゃテーマパークへのアプローチ路線として失格ではないかと思ったのだが、駅を降りるとそんな気分は吹き飛ぶ。なかなかよくできている。が、こんなところ男一人で歩いていてもつまらないので、モスバーガーユニバーサル・シティウォーク大阪店で買いモスして次の電車に乗る。ここのモスのユニフォームはオリジナル。お台場のヴィーナスフォート店(すでに閉店)のオリジナル商品だった「グランバーガー」がここでも扱われていた。
大阪環状線は相変わらずいろんな電車が走っていて、いまだにどういう系統の電車が乗り入れているのかわからない。山手線と違って貨物線がないから他線区からの乗り入れ列車は全部貨物線を走らせる芸当ができず、環状運転する列車はほとんど来ない。やれ関空快速だとか大和路快速だとか特急「はるか」「オーシャンアロー」がどんどん環状線上を走り、環状線電車でも京橋どまりだとか、おまけに桜島線直通も現れたから、おのぼりさんには分かりにくいの一言に尽きる。……手元にある『JTB時刻表』7月号の表紙はUSJスタイルの103系電車の写真だが、実はこの電車は西九条〜桜島を往復するだけで大阪駅にはやってこない。大阪駅から直通するのは環状線と同じオレンジ色の103系で、屋外広告条例などとの兼ね合いがあるのだろうが、むしろいろんな電車がやってくる環状線にこそ、ひと目でUSJ行きと分かる電車を走らせるべきではないかと思う。運転面でも西九条では新大阪・京都からの特急や快速が環状線の外回り線や桜島線を平面で横断する構造になっていて、一度遅れが出たら大変だと思う。
東京駅に貼られているUSJのポスターにある「大阪駅から直通10分」というフレーズを見ていつも思うのだが、東京圏から関西へ行く場合、新幹線なら新大阪駅で乗り換えだし飛行機なら伊丹か関空だから、大阪駅からの利便性を東京でアピールしてもちっとも意味がないのではないか。高速バスは大阪駅発着だけど、USJへ直通する便も多い。様々な不祥事に加えてこういうちぐはぐさがUSJ不振の一端にあるのではないかという気がする。
大阪は朝9時までラッシュ時の女性専用車(しかも、編成の端ではなく、真ん中)があり、もっと早くチェックアウトしてそれを見たり、あるいは大阪市交の“赤バス”を見たかったなと思ったのだが、下調べをせずに来てしまったし、それに外は雨だし、10:30の新快速に乗って大阪をあとにする。JR神戸線・JR京都線・琵琶湖線(=東海道線)は信号機故障の影響でダイヤが乱れており、幸い僕が乗った新快速は4分遅れだったが、隣のホームに寝台特急「あかつき・彗星」が停まっており、3時間以上の遅れだ。7:18に着くはずが10:30になっても特急料金しか返ってこないんじゃお客さんは腹立つよなと思う。
米原から乗り継いだ大垣行きは2両編成。相変わらず混んでいる。大垣駅手前でノロノロ運転になって2分遅れの12:30に着いたが、乗るはずだった12:31発豊橋行き快速のホームへ行くと電車は影も形もない。乗り継ぐ客が多くいるに決まっているのに出してしまったのでは……と思ったが、電車が行ったばかりにしてはホームに人が多すぎる。こちらは雨の影響でダイヤが乱れているようだ。駅のアナウンスも二転三転してやれ4番線だ、1番線だ、5番線だとあちこち移動させられて、「岐阜までの方は5番線、名古屋方面の方は4番線です」というアナウンスと「名古屋方面の方は5番線です」というアナウンスが交互に流れ始め、ついに改札口で駅員に詰め寄る人が出始めた。5番線の電車は岐阜よりも先へ走るという話なので、とりあえず5番線の電車に乗った。12:43発。車掌のアナウンスや方向幕によれば普通電車の豊橋行き。
時刻表を見てもこの時間帯に大垣始発の豊橋行き普通などなく、その割に車掌は「名古屋で後からの新快速を待ち合わせます」と言っている。なんだろうかと車掌が持っている行路表を見ると「回168F」とある。168Fといえば岐阜始発の豊橋行き普通で、どうやら12:31の快速を運休してこの岐阜への回送電車を客扱いすることにしたようだ。確かに岐阜からの普通電車は名古屋で大垣12:48発の新快速を先行させるダイヤになっている。が、この新快速がちゃんと走るかどうか謎だ。
本当は大垣から12:31の快速に乗っても12:48の新快速に乗っても豊橋から先は同じ列車になるので、まずは快速に乗って名古屋で降り、ホーム上にあるきしめん屋で昼食……と考えていたのに、期待に反して後続の新快速はちゃんとやってきて名古屋での待ち時間はなく、全てがフイになった。
名古屋からの新快速は313系4両編成。この地区の快速・新快速電車はダイヤが乱れていなくてもいつも混んでおり、JR東海が在来線に対してやる気のないことを一番感じるところである。JR西日本が新快速を221系から223系に置き換えたとき、ドア間の転換クロスシートを6列から5列に減らし、ドア付近の混雑緩和を図ったのだが、その代わり閑散時には補助席を使えるようにして補助席を出すと座席数はむしろ221系より増えるというなかなかうまい設計をした。一方、JR東海が新快速電車を311系から313系に置き換えたときは同様の設計変更がなされたが、313系は補助席がなく、もとから乗客を立たせることしか念頭に置いていないのがよく分かるのである。東海ではないが、月曜日の役員懇談会でも取締役が「いかに増発などコストを増やすようなことをせずに混雑緩和を図るか」話していたから、立席を増やして名目上の定員を増やすのは民営化会社の方策としては正しいのかもしれない(それに、いま線増などをしても、完成する頃には少子化が進んでいて長期的には輸送量は減る見込み)。とはいえ、すでに10〜15両編成の電車が行き交う首都圏各線と違って、名古屋圏の東海道線は4両編成だから明らかに短すぎではないか。
沿線のモスを履修しながら帰るわけだが、21時には家に着きたいのでなかなか食いモスをする余裕がない。すっかり腹をすかせ、浜松行き新快速を新所原で下車。名古屋では4分遅れだったのに、ここでは8分遅れになっていて14:24着。20日前にここで天浜線に乗り換えて駅前の郵便局を履修したのだが、実は500mほど離れたところにモスがあったと知って新所原は再履である。本当は次の電車まで20分ほどあるはずだったのに、次の電車はほぼ通常運転で、モスから戻る途中で僕を追い抜いて行ってしまった。……次の次の電車になるなら食いモスもよかったのに、買ったのはジャスミン茶のPET。腹は減る一方。しかも、この先のモスを1箇所あきらめなくてはならなくなった。
いや、しかし、浜松では10分もあればテレホンオーダーを使って履修可能だ、と思いきや、予定していた電車だと浜松で11分あるのに、次の電車だと浜松で2分しかない。さすがに「浜松駅南口より南西へ徒歩1分」(byモス公式サイト)でも無理で、浜松は新幹線も停まるし遠州鉄道も未乗だからまた来るだろう、と、あきらめる。
浜松で熱海行きに乗り継ぐ。もともと2分しかないところへ、浜松行きが3分遅れたので到着してすぐに発車。せめてキヨスクでパンでも…と思ったのに買う余裕はなかった。2分遅れの15:22発。この先、モスがあるのは富士、沼津、三島の各駅。浜松から富士まで1時間半以上かかるのだけど、そこから先は沼津まで19分、三島まで5分、と、テイクアウトしたものを車内で食べている余裕はない(だから本当は浜松で食事を調達したかった)。
113系3両編成の車内は相変わらず混んでいて、それどころか駅の案内表示を見ると次の静岡行きは2両編成などと書いてある。名古屋圏の新快速・快速に313系を投入して新快速の311系ばかりか快速の117系も313系に置き換えたのだから、4両編成の117系を浜松以東へ持ってきたっていいじゃないかと思うのだが……。それに、運転席にある詳細な時刻表を見ると各駅の停車時間は初めから15秒しか設定されておらず、最高速度の100km/hで走って遅れを15秒くらい縮めても、どの駅でも停車時間が30秒ほどかかってちっとも遅れが回復しない。乗務員交代があって時刻表上では2分停車の静岡でようやく遅れを回復。
17:04着の富士でモス富士店を履修。17:19の電車で沼津へ移動。17:37に沼津に降りた時点で三島一番町店へ電話して注文、沼津駅前店をつぶして17:57の電車で三島へ。三島には18:02に着き、キヨスクで酒を調達して三島一番町店で注文しておいたフィッシュバーガーとモスチキンと電話代の10円を受け取り、18:19発東京行きに乗る。やっと食事……とはいってももう夕食の時間だ。
丹那トンネルに入る前に見えた月がずいぶんきれいだなと思ったら、モスの袋に入っていた「モスごよみ」を見ると明日が十五夜。中秋の名月の1日前の月で、どうりできれいなわけだ。熱海を出ると雲に隠れてしまい、一昔前の僕が他の鉄道マニアと一緒に乗っていたら「JR東日本のせいだ」とかわけのわからんことを口走っていたに違いないが、24にもなってさすがにそんなことは考えず、ボックス席を占領して一人で乾杯。E231系が東海道線にも投入されることが決まっており、こんなことができるのもあと数年だろう。
東京駅から京葉線に乗って帰宅。「トリビアの泉」ではまたJR西日本に関するネタをやっていて、これで3回目じゃないかと思う。
9月9日(火)
18きっぷ消化の旅。1:01着の小田原では、すでに「ムーンライトながら」の列ができている。入線してきた「ながら」は空席がちらほら見えた。510円の指定券はキャンセルしても200円しか返ってこないから満席でも実際には乗らない人が少なからずいるわけで、なんのことはない、行列の場所が東京・品川から深夜の小田原へ引っ越しただけなのだ。僕は当然席に座れず、デッキで時刻表を座布団にして床に座る。静岡でデッキが若干すいたので、思い切って横になることにした。
未明の豊橋からは各駅停車で、ふと目を覚ますと通勤客が僕をまたいで立っている。6時ごろに名古屋へ着き、空席に座って寝不足を補う。大垣からの網干行きは113系のリニューアル車で、転換クロスシートにゆだねてまた寝る。で、米原からは新快速なのだが、運の悪いことに隣に座ってきた人が“裸の大将”も真っ青の風貌でひどい悪臭を放っており、とても眠れず。しかし転クロ車は座ると立つとでは雲泥の差なので、新聞を読みながら新大阪まで座っていた。
新大阪では50分ほどあり、少し歩いたニッセイビル内にある「キッチンモスニッセイ新大阪ビル店」で朝食。モーニングプレートA(350円)に120円のドリンクをつける。以前のモスはセットメニューとなれば単品では味わえないものが出てきたりしたものだが、今回はトーストとスクランブルエッグくらい。メニューには「皮つきポテト」なんて書いてあるけど、どう見ても通常のフレンチフライポテトだ。……意外と早く食べ終わったので、メルパルク大阪郵便局も履修。
50分後の新快速で姫路へ。姫路では5分乗り継ぎで三原行きに乗る。ひたすら西へ向かう旅行者を乗せた「ながら」から順当に乗り継いで行くとこの列車になる三原行きは3両編成で当然車内は大混雑。「青春18きっぷ」は各地の普通列車がガラガラだった21年も前に企画されたきっぷで、どう見ても見直しが必要な商品に違いないのだが、これほど定着してしまうと見直しも難しいだろう。
岡山では2時間ほどあり、岡山の路面電車に乗ってみることにする。中3のときに少し乗ったことがあったが、完乗しておきたいし、新型の「momo」も見たい。運賃は均一140円(ただし岡山駅周辺だけ100円)で、一日乗車券は500円。路線は岡山駅前−東山、岡山駅前−清輝橋の2系統だから最低4回乗るので、駅前の案内所で一日乗車券を購入。電停へ行くと時刻表の脇にLRV「momo」の時刻表も貼ってあった。日替わりで東山線と清輝橋線で走り(ただし木曜は運休)今日は清輝橋線の日。1時間に2本の運転(清輝橋線は片道12分だから、これでもピストン運行していることになる)でちょうど行ったばかり。まずは東山線で終点の東山まで。岡山東山郵便局を履修して、一つ岡山駅前寄りの門田屋敷電停から引き返す。東山線と清輝橋線が分岐する柳川で降りると、「momo」が乗ってきた電車の一つ前を岡山駅に向かって走っているのが見え、それが折り返してきた清輝橋行きに乗る。
せっかくのLRVなのに、終点の清輝橋電停は電停と歩道のアプローチが歩道橋しかない(横断歩道がない)など、ちぐはぐな点も見られたけど、岡山駅前行きに途中から乗ってきた親子連れは「この子がどうしても乗りたい言いましてなぁ」と周囲としゃべっており、岡山駅前に着いたときには「ほんま、ええ電車やわぁ」と漏らしているのを聞くと、鉄道マニアとして嬉しい。
岡山駅構内の「めりけんや」で昼食。JR四国の関連会社で、去年からJR東日本の駅構内にも出店していて、おいしいのだが高い。高いのは東京だけかと思っていたら、こちらも値段はほとんど一緒(一部トッピングの値段が違った)。
14:23発鳥取行き「いなば3号」に乗る。昼食後&寝不足で上郡までウトウトしてしまい、今回の旅行の目当てはこの列車なのに、と、上郡での3分停車の間にホームの自販機で缶コーヒーを購入。明治乳業の「鉄道浪漫COFFEE」なるものがあり、話に聞いたことはあるけどまだ売っていたのか、とそれにする。オマケに鉄道車両が描かれたメダルがついてくるのだが、実はじゃまなだけということに気づく。
智頭急行線に入った特急「いなば3号」は期待していたほど飛ばさない。確か智頭急行線が開業した当初はキハ181系はこの線内で120km/h運転をすると聞いていたのだが……新大阪から乗った新快速が130km/hで飛ばすのを運転席の後ろで見ていたのがいけなかったのだろうか、あるいは上り坂で飛ばせないのだろうか(でも時刻表を見ても岡山行きと所要時間は同じ)、乗車券と特急券で5000円近く払ったわりには少々物足りなさが残った。それはそうと乗車券と特急券は岡山駅で買ったのだが、よく考えてみたら先週の金・土にマルスが入っていないけど補充券で指定券を売っている清水沢・新夕張を訪れていた(しかも新夕張駅は窓口営業時間中)のだから、そこで買えばよかったと後悔。3日後に特急に乗ることはもう決めていたのに、なぜ新夕張でぼけーっとしている間にここで指定券を買おうと頭がまわらなかったのだろうと思う。
智頭急行線は国鉄智頭線として建設途中に廃止対象になり、第3セクターが引き継いで工事を続けて開業させた路線で、去年訪れた北海道の美幸線と境遇がほとんど一緒。美幸線はそのまま列車が一度も走ることなく廃止になってほとんど完成していた高架橋や築堤やトンネル(砂利も敷き終わってあとはレールと信号設備を敷くだけだった)は撤去されたり山奥に放置されているけど、高架橋の手すりだとかトンネルの形だとかほとんど同じような形をしているところを特急列車に乗って外を眺めるのは、やはり打ち捨てられたものを見るのと違っていい気分。
智頭から因美線に入ると速度がガクンと落ちて本当に特急かというスピードになる。時刻表を見ると大阪からの特急「スーパーはくと」(新型車両で運転)もこの区間の所要時間は同じ。智頭急行が開業するまで、岡山から津山線・因美線経由の鳥取行き「砂丘」というローカル急行があったが、因美線内のスピードはどうやら変わっていないようだ。
鳥取に着いて、ここから引き返し始める。まず浜坂行き普通列車。外は雨が降っているが、鉄道に乗って移動するだけの旅行なのでちっとも関係ない……と思っていたら、東浜から雨のため30km/hの運転規制とかでノロノロ運転になってしまう。それでもトンネルの中ではスピードを出すので、運転規制というのは明かり区間だけなのかと知る。で、運転士に浜坂で2分乗り継ぎの豊岡行きに乗れるか聞くと「問い合わせてみます」という返事。こういうのは乗客側から言わないと指令室に問い合わせてくれないのである。じきに「豊岡行きには接続いたします」というアナウンスが流れる。
浜坂には10分遅れの17:24に到着。向かい側に停まっていた豊岡行きに乗るも、動き出さない。16分遅れの17:32に発車。豊岡では9分乗り継ぎなので、10分遅れなら何とかなりそうだったけど、16分となると怪しくなってきた。しかも、列車交換待ちでさらに遅れは延びる一方。ホームを歩いていた運転士に声をかけ、豊岡からの福知山行きの接続はどうか聞いてみる。しばらくして運転士が僕の席までやってきて、まだ分かりませんと言ってくれた。こちらは運転規制がさらに厳しく列車がまったく動かない状態が続いていたそうで、却って恐縮。某社のように「後でお知らせします」と言っておいてずーっと放ったらかしにされた挙げ句、長岡駅到着間際になって「水上行きは接続いたしません。越後湯沢行きをご利用ください」などとほざくのとは大違いだ。
さらに後になって、「大阪、新大阪方面へお乗り継ぎのお客様いらっしゃいませんか〜」と運転士が車内を回ってくる。時刻表を見ると城崎で2分乗り継ぎの新大阪行き特急「北近畿20号」がある。こちらは、「北近畿」ではないが同じ福知山線の普通列車で大阪へ向かうことにしていたのを、姫路駅に玉社時代の同級生が勤務しているのを思い出してそちらをまわっていくことにしていたが、豊岡で予定していた列車に接続できないと、姫路をまわったのではその日の内に大阪には着けず、福知山線を利用しても快速電車が終わっているので相当遅くなる。特急利用なら待ってくれたのだろうか。。。
結局、豊岡での接続もちゃんと確保されて、27分遅れの18:52に豊岡へ到着、福知山行きは20分遅れの18:54に発車。この電車は113系のワンマン仕様。鉄道雑誌で見たときはずいぶん不恰好だったのだけど夜だったし乗り継ぎも急かされたのでよく分からなかった。和田山での乗り継ぎは30分あったので、20分遅れなら余裕。
和田山からの播但線はキハ47を両運転台改造してワンマン化したキハ41。国鉄時代の車両は民営化直前のキハ32・キハ54を除いてワンマン化なんか考えていなかったので、運転台と出入口はかなり離れていてワンマン運転はずいぶん無理がある気がするが、それをやってしまうところがJR西日本である。もう外は真っ暗だし、ボックス席でエビ寝をして過ごす。
寺前からは電化区間。電化開業に合わせて改造された103系2両編成。4ドアの103系でワンマン運転してしまうところなど、ローカル私鉄も真っ青な芸当だ。……とはいっても、207系並に車内がリニューアルされた車内は快適。しかも2両編成とはいえオール電動車、さらにJR西日本の103系は限流値増が定位なので、すこぶる性能がよく、発車するとこれが本当に103系かと思うくらいグングン加速してあっという間に90km/h、100km/hに達する。こんな103系を見てしまうと、JR東日本が103系を次々淘汰してE231系に置き換えているのがもったいないようにふと思える。……103系の消費電力はE231系の2.17倍なので、播但線のような閑散線区はともかく首都圏では置き換えたほうがよいのだろう。。。。。。と思うのだが、実はE231系の製造過程でライフサイクルアセスメントを考慮していないらしいことが最近の新聞に載っていてびっくりした。消費電力の大きい103系をスクラップしてでも、新型車両をわざわざ製造して投入するのがよいのか、にわかには判断できないことになる。
で、姫路駅に到着。もう21時を過ぎているし、この時間のシフトに入っていなければ駅にはいないわけで、どうかなーと思いつつ、改札やみどりの窓口をのぞくと確かにいない。そこで改札の駅員に「ここの駅員でSさんという方いませんでしたか」と聞いたら「あー、彼ね、やめよったよ」……は? 「えっと、それは、別なところへ移ったというのではなくて……」「Sってあの若い子やろー? JRをやめたよ。一度なー、別なところへ移動したんやが、そのあとやめよったようやよ」(関西弁表現はうろ覚え)
何はともあれいないとなれば姫路駅に用はなく、さっさと新快速に乗って大阪へ向かう。しかしまぁ、東大を出て、JR西日本をやめてまで、彼は今何をしているのだろうか、と思う。……これは同じことが僕についてもいえるわけで、もし仮に転職を考えるとするならば、今の内々定先の企業をやめてまで何をするのだろうと考えなくてはならぬ。そういう視点で見ると、あの会社は離れるに離れられなさそうな気がする。
大阪に22:19着。駅を出て、予約しておいたカプセルホテル方面へ向かう。昼食にうどんを食べて以来食事をしていないので何か食べたいなぁと、松屋やケンタッキーを見つけ、たまには、と、ケンタッキーに入ったら22時以降は深夜料金20%増しとかで850円も取られてしまった。何だよー損したなぁ……と思っていたら、トレーに敷いてある紙に「9月9日(火)は『カーネルズ・デー』 当日のレシートでご応募ください 超限定!『ファーマーカーネル』キーホルダーを抽選でプレゼントします」とある。幸い、会計のときにレシート下さいと言ったので手元にはレシートがある。確かケンタッキーはレシートは言わないとくれないから、今日付けのレシートを持っていて、さらに持ち帰ってハガキに貼って送ろうなどという人は少ないはずだ。別にキーホルダーなんか持ってても使わないだろうけど、これで当たれば損した気分はたぶん消えるだろうと思う。
で、23時ごろカプセルホテルにチェックイン。前もってWeb上から予約しておいたので500円分の食事券がもらえた。……が、Web上の予約システムはSSLにもなっていないところで住所や電話番号を書かせるし、従業員の態度は決して悪くないが、妙な雰囲気を感じる。
カプセルホテルは初体験で、びっくりするくらい小さなロッカーに服やショルダーバッグを収めてガウン姿に。館内はこれでブラブラしてよいことになっていて、どうりで男性専用なわけだ。ロビーとは防音扉で区切られて静かな部屋に並んでいるカプセルの中は荷物の置き場所がなく、今回は1泊2日だから荷物が小さいけど普段のようにボストンバッグを持っていたらどうしたろうかと思う。また、カプセルの中にはコンセントがなくInterLinkやデジカメの充電ができない。以前乗った寝台特急「彗星」の個室寝台「ソロ」で遭遇したのと同じハマリだ。いちおうテレビは見放題でアダルトチャンネルも無料だが、たいして面白くなく、0時過ぎには寝に入った。
9月8日(月)
4時半の目覚ましでひとまず目を覚まし、5時前には起き上がって風呂に入り、ネット上を巡回して朝食を済ませてバイトへ。今日が正真正銘最後の日……なのだが、着いてみると新人君はすでに社員の人と仕事をしており、来ることなかったかもなぁと思う。後任が1年生と3年生の2人いるうち、1年生のほうは今日で3回目になるものの、木曜日に新聞をひとつ読み忘れたのに続いて今日も記事をひとつ見落としたり、どうもこころもとない。返事だけは立派なのだが。。。僕の名前と顔写真が入った「JR東日本本社ビル出入証」は「持ってていいよ」と言われたものの、このくらいはちゃんとしたほうがいいだろうと思って返すことにし、ビルを出たあと(ビルを出るのにも出入証が必要)明日返すよう後任にあずける。
いったん家に帰り、早めの昼食をとってスーツに着替え、再び新宿へ。内々定先の役員懇談会。「集会・横断幕禁止」という札を掲げた警備員が多数待機していて物々しい雰囲気の中、朝と同じビルにこんどはゲストカードで入り、会議室へ。警備員だらけだったのは、先週、労働組合の事務所に立て続けにガサ入れがあったから、組合が集会をやるとかいう情報でも入ったのだろうか。ちなみに家宅捜索の容疑は組合員がビラまきにマンションへ立ち入った不法侵入。ビルの入口で用件を聞かれたけど、ここで「不当逮捕された仲間の即時釈放を要求しにきました」とか言ったら面白いことになりそうだと思いつつ、正直に答える。
役員懇談会は役員1対学生7で、いまでこそ「懇談会」だけど以前は面接だった由(ただし内々定後なので落ちる人はいない)。今日の役員は取締役運輸車両部長。この方、前の広報部長で僕が朝のバイトを始めた当時の部長。とはいえ、およそ1時間のやり取りは坦々と終了。リクルータの方から「何か質問を考えてくること」という宿題があったのだが、他の内々定者が聞きそうな(実際に他の日に聞いた人がいたとのこと)今後のSuicaの展開や中国新幹線、その他のプロジェクトについては新聞で読んであらかた知っている。他に聞くことといえば組合対策についてだが、他の内々定者が新津車両製作所の今後についてとか、湘南新宿ラインについてアツい夢を語る中、さすがに聞く勇気はなかった。
終了後、他の面々がボーリング・飲み会へ移動するのと別れて研究室へ。17時半から本庄プロジェクトのミーティング。意外と長引いて帰途についたのは20時前。21時過ぎに家に着き、風呂に入って、だらだら準備をして、22時半ごろ再び家を出る。東京駅で横浜までのキップを買い、23:40発の小田原行きで深夜の小田原へ。
9月7日(日)
目覚ましを切るのを忘れていて5時に枕もとでPHSがブルブル震える音で目を覚ます。旅人宿はユースホステルと同じ男女別相部屋なのでマナーモードにしてあったのが救い。再び寝て、6時にまた目を覚ましたものの、同室の3人はまだ寝ており、朝食の直前までそのままの姿勢で過ごす。
7:20から朝食。8時半に玉入れ選手権の会場へ出発。……車窓に見える景色は紛れもなく北海道のものなのだが、いまいち実感が沸かない。宮脇俊三さんがよく書いていた言葉だが、「体だけが北海道に来ていて、魂はまだ本州を抜けていない」感じ。一昨日の午後に飛行機でやってきて、今日帰るのだから、しかたない。本当は北海道は1週間以上は滞在してしかるべき偉大な場所だと(道民の人が聞いたらあきれるだろうけど)思うのだが、、、
玉入れ選手権会場には塩狩温泉ユースホステルから参加のK内の姿も見えた。1回戦を終え、「ゆきのおと」に同泊のY沢さんのクルマで幌加内の「世界そばフェスタ」へ。去年まで「新そば祭り」だったのだが、今年は規模を拡大して木〜日の4日開催、しかも人口3000人足らずのこの町に1日1万人以上が来たというから驚きだ。Yahoo!地域情報によればこの町の人口密度は3人。それでいてこのイモを洗うような人だかりだから、パッと見た感じでは玉入れよりもこちらのほうが成功しているかに見える。……で、今回僕が幌加内に落としたお金は、お土産用の新そば粉1000円、そばビール2本1000円、ざるそば2杯1000円、計3000円。一方、和寒に落としたお金は、「ゆきのおと」宿泊費(1泊2食)4500円、「ゆきのおと」で飲んだ酒350円、お土産のサッポロクラシック1176円、和寒町営バス370円、フタバ屋ソフトクリーム200円、烏龍茶150円、計6746円。そば祭りは所詮日帰りイベントなのに対し、玉入れ選手権は宿泊を伴うので意外にもお金が落ちるのではないか。……とはいえ、参加者はほとんどが近隣住民だし、集客数はそば祭りの数分の一だろうけど。。。しかし、玉入れは意外にハードなスポーツなので町民の健康増進につながって、、、とか考え出すときりがないのでやめる。
午後の2回戦、2回戦敗退チームの「チャンス一投」が終われば、決勝戦を見ていくのでなければ終了。参加チームは年々減っているようで、今回は中学生以下の参加イベント(玉入れ選手権参加は高校生以上)がいくつか試みられたほか、HBCラジオ・HBCテレビの企画で参加しているチームもあった。類似のイベントが勝手に道外で開催されるようになり(参考)、そろそろ何か手を打たないといけない時期かもしれない。
塩狩温泉ユースホステルの人たちとともに記念撮影を済ませ、決勝まで見ていく人、次の宿泊地へ向かう人、三々五々に散る。「ゆきのおと」のクルマで比布(ぴっぷ)駅へ送ってもらい、比布始発の列車で旭川へ。ちょうど去年にY沢さんがたどったルートで、今年は逆に僕がこの列車で帰途につき、Y沢さんは僕を見送って「ゆきのおと」に宿泊。(去年の日記)
旭川から空港行きのバスに乗り、旭川空港へ。この空港を使うのは初めてで、新千歳に比べるとかなりこじんまりとしている。JAS、ANA、ADOが乗り入れているものの、ANAは全便がADOとの共同運航。ANAとADOの看板を掲げた受付カウンターにはANAの制服を着た人とADOの制服を着た人がいたけどバッジには「道北航空サービス」とあり、この会社は全日空の代理店だからADOの制服を着た人がいるのは微妙。プロ野球のオールスターゲームで他チームのヘルメットをかぶって打席に立つようなものか。
結構おなかがすいてきたのだが、この小さなターミナルに入居しているお店はすべて“空港価格”。「旭風らーめん」なる店に入って、何の変哲もないラーメンを食べる。醤油野菜800円。後で調べてみたら、この店は「旭川ワシントンホテル」(藤田観光のワシントンホテルとは無関係で、こちらは「藤田観光ワシントンホテル旭川」がある)の経営で、旭川市内にも店を出していたのだがそちらは閉店の憂き目を見ている。最悪。
9月20日の「空の日」関連のイベント「滑走路ナイトツアー」の告知アナウンスがあり、行ってみたいという気持ちを押さえて搭乗口へ。待合室で座っていて一昨日来たばかりなのにもう帰るのかと思うと、無性にソフトクリームが食べたくなって売店で購入。別海産のバニラソフトと、ラベンダー味のミックス。富良野が近いからラベンダーはわかるが、なぜ別海なのかと思う。別な売店ではノースプレインファームの「おこっぺ牛乳」も売っているし……。おいしいからいいけど。。
18:40の羽田行きは、来るときに乗ったエアドゥの2号機。各座席に道内212市町村のステッカーが貼ってあり、そういえば来るときは偶然「和寒」の席に当たったんだよなと思い出す。羽田に着くと蒸し暑い。モノレールで天王洲アイルに出て、散々歩かされてりんかい線に乗り換え、新木場からは京葉線で帰宅。今日の東京地方の平均気温は22.8℃で、これでもかなり涼しかったらしい。……道内が涼しすぎたのだ。
9月6日(土)
案の定、寒さで目が覚める。時計を見ると3時過ぎ。コンクリートの床に直接寝袋を敷いているので、体温がどんどん床に吸い取られてゆく感じで体が冷えて寝つけない。登山の人がよく使う銀マットがあると全然違うんだろうなぁと思いながらしばらくガマンしてじっとする。そういえば使い捨てカイロを持ってきているのを思い出し、2つあるうちのまず1つを腹に貼る。……が、効果なし。すでに暖かくなっているのを腹からはがして背中に貼り、もう1つ出して腹に貼るが、いつまでたっても体は温まらず、意を決してベンチの上に寝袋を敷きなおす。ベンチは寝るには短いのだが、寒いのよりははるかにいい。………再び寝に落ちたころに上り夜行特急「まりも」が貨物列車との行き違いでずいぶん長いこと停まっていて発電機か何かの音がうるさかった。
あとは結構いい気分で寝ていたところ、5時になって目覚ましが鳴る。寝足りないが、外はもう明るい。東京はこの時間だとまだ真っ暗だけど、緯度が高いと明るくなるのが早い。7時前には列車が来るので、起きて、あたりを片づけて、楓駅の探検。唯一の客扱い列車は新夕張発楓行きとその折り返し新夕張行きが朝に1往復で、あとは特急が通過するか運転停車(=客扱いしない)するだけ。朝の1往復は本線から分岐した3番線を使うので、本線上の1番線・2番線はホームが必要ないのだが、なぜかホームが造ってある。開業以来、3番線で折り返す以外の列車が楓駅に客扱い停車するダイヤは設定されたことがなく、一度も使われることなく廃止になるホームだ(ただし、一部の情報によると、北大鉄研が仕立てた貸切列車が1・2番線のどちらかに停車してドアを開けた、ということはあったらしい)。
1番線は国道から直接階段を上ってホームに出られるが、2番線は跨線橋を渡った先に入口があって階段を降りる仕組み。この跨線橋は美幸線の未成線区間でよく見たタイプで、そういえば建設時期はほぼ同じなんだなと思う。で、2番線への入口は跨線橋を渡る道路から脇道にほんの数メートル入ったところにあって、その脇道が草ぼうぼう。なんとかかき分けてたどりつくと、2枚の扉のうち1枚の扉のガラスが取りさらわれ、比較的荒れている、でも、まがりなりにも営業中の駅構内なのでガラスの破片やらが散乱しているということはなく、それなりの手入れはされている。通路に入っても噂に聞いていたクモの巣はない。2番線ホームで写真を撮り、今度は1番線。こうして見ていると2番線の通路をのぞいてはごくごく普通の駅。駅前には集合住宅もあるし、この駅に停まるのが朝の1往復だけで、しかも来年3月までに廃止になる(おそらく信号場としては残るだろうけど)とは信じられない。
6:54、唯一の客扱い列車が3番線に到着し、マニアが5人ほど降りてきて急ににぎやかになる。8分後の7:02に折り返しが出発して僕もそれに乗ったが、折り返しの乗客は僕ともう一人のマニアの2名だけ。夕鉄バスが7時台と8時台に数本運行しており、残りの人はおそらくもう少しじっくり駅を見てからそれで戻るのだろう。どちらにしろ、列車に地元客は1人も乗っていなかった。
新夕張では2時間ほど時間があり、少しはなれたセイコーマートで雑誌を立ち読みして朝食を調達。駅では、昨日の清水沢駅の駅員さんがすすめていた楓駅の入場券を購入。新夕張の駅長さんが管轄する無人駅を含めた全駅の入場券を発注して販売したところ、楓駅が一番の売れ行きで、残り50枚ほどだそう。無人駅に入場券は本来必要なく、売っている入場券はただのボール紙に過ぎないのに、それが1枚160円で飛ぶように売れるというのだから、JRとして売らない手はない。
新夕張8:57の特急「スーパーとかち1号」で新得へ。新夕張〜新得は青春18きっぷで特急に乗れる例外の区間。車内改札では行き先を聞かれる。新得よりも先へ乗る場合は全区間の乗車券・特急券が必要なきまりになっている。楓駅をあっという間に通過し、オサワ信号場、東オサワ信号場、清風山信号場……と通過してゆく。新夕張と新得の間は108キロほどあって建設時には駅もいくつか計画されていたが人がまとまって住んでいるのは楓、占冠、トマムだけで、この3駅をのぞいた残りはすべて信号場。特急は楓を通過するから、平均駅間距離30キロ以上という新幹線並みの区間である。開業は昭和55年だから線形はほとんどまっすぐだし、当然ロングレールで、しかも最新型気動車で最高速度は130km/hだから、乗っている感覚もほとんど新幹線。
トマムあたりでウトウトし始め、揺れが少し激しくなり、レールの継ぎ目をたたく音が聞こえるようになって目を覚ます。そのうち信号場に停まり、対向列車と行き違い。「広内信号場」と駅舎に書いてあり、地図を見ると根室本線と合流したあとの区間だ。新得には2分遅れの9:56に到着。いったん待合室で待ち、10:13発快速「狩勝」の改札を待つ。キハ40単行の車内はずいぶん混んでいて、ロングシートの部分におさまって、富良野までほとんど寝ていた。外は相変わらず雨。
と思っていたら、富良野の直前で目を覚ますとすっかり晴れわたっていた。富良野では1時間半ほどあるのだが、有名な観光地はどこも駅から離れている。「○○の丘」「○○の木」の類は、3年前にクルマでまわったときにあらかた行ったし、モスバーガー富良野店で昼食。夕張では圏外だったPHSも富良野ではアンテナが立っており、こういうときに限って電話がかかってきたりするんだよなぁと思っていたら、案の定かかってきたが、相手はK内。明日会う人で、ほっとする。こういうときにバイト先だとか研究室などからかかってこようものなら、旅気分台無しである。
富良野小学校の校庭にある北海道中心標を眺める。北海道の中心だとか“へそ”だとかは確か深川もそう主張していたはずで、富良野の場合は何を基準にした場合中心になるのか謎。
13:10発の富良野線旭川行きに乗る。午後の北に向かう列車なので右側に座っていたのだが、景色がよかったのは圧倒的に左側で、残念。
旭川での50分は、買物公園を見たり(今年で開設30年になるらしい)、駅構内のロッテリアで食べたり。スーパーとかちの車内で弁当を食べ、富良野でモスバーガーへ行ったのだが、鉄道の旅は本当に腹が減る。15:06発の快速「なよろ3号」で和寒へ。
和寒でも1時間以上あり、まずはフタバ屋という和菓子屋さんのソフトクリームを食べる。和寒にはもう何度も来ているが、これを食べるのは初めて。で、美深では散々世話になったスーパーマーケットの「みしま」でおみやげ用のサッポロクラシックを購入。少しはなれたホクレンショップなどものぞいたりして、今にも崩れそうな道北バスのターミナルビルで17:00の和寒町営バスを待つ。16:25の札幌からのバス「高速なよろ号」が着き、一人だけ降りてくる。
福原行き和寒町営バスの乗客は僕と「高速なよろ号」から降りてきた人の2人。「なよろ号」の人も「ゆきのおと」のお客さんで、今日は地元客ゼロ。制限50km/hの道をずーっと40km/hで走り、20線バス停に17:33。370円払って降りる。「ゆきのおと」の今晩の客は全員玉入れ目当て。ヘルパーがいる時期を除けば一人で宿を切り盛りしていたはずの宿主の和田さんはいつのまにやら入籍していて、最初ヘルパーさんかと思った人が奥さんだった。「なよろ号」の人はこの奥さんのお友達だとか。
夕食後、今年の3月に閉校した西和小学校跡の体育館で玉入れの予行演習。「ゆきのおと」も福原小学校跡の建物を利用しているので玉入れの道具くらいはありそうなのだが、「全日本玉入れ選手権」は所定のカゴと玉があり、西和は集落でチームをつくって参加しているので小学校に公式のカゴと玉がある。ちなみにカゴは5万円、玉は100個2万円也。……和寒駅から福原までの途中に小学校は三和、西和の2校あったのが、西和小が今年の3月に閉校、なんと来年の3月には三和小も閉校になると知った。三和小はかなり新しいしゃれた校舎だったのに、閉校とは。
練習のあと、剣淵温泉へ。宿の風呂は1人用なので今晩のように6人が泊まると時間がかかりすぎるので外部の入浴施設へ行くことになる。もとより温泉ツアーは望むところ。剣淵温泉「レークサイド桜岡」は420円。『とほ』についてくるクーポン券を使うと半額の210円になるという安さ。
その後は「ゆきのおと」に戻って、0時ごろまで談話室で酒を飲み、就寝。
9月5日(金)
それでも4時半に目覚ましのPHSを鳴らし、起きる。昨晩充電しておいたものなどをバッグに詰め、朝食を食べて普段通りの時間にバイトへ。普段と違うのは大荷物だということ。2泊3日なのに、防寒着など詰めていたら結構な大きさになってしまった。おまけに寝袋もある。さすがに東京駅の連絡通路は普段通りに歩くわけにいかず、中央線の電車は1本遅らせる。一度だけ、北海道からの帰りに「あけぼの」で上野に着いてそのままバイトに行ったときは荷物をそのまま持って行ったが、さすがにボストンバッグにくわえて寝袋をもって本社ビルに入る度胸はなく、新宿駅のコインロッカーに納めて、仕事へ。2人目の新人君の指導。彼は土木科なので交通関係は詳しく(交通工学は土木)、さらにもう3年生なので飲み込みも速いし、頼もしい。
バイト終了後、去年みたいに大江戸線で行こうかとも思ったけど、今回はコスト重視で山手線で品川、京浜急行に乗り換えて羽田空港へ。9時半の山手線は予想したほど混んでおらず、周りに迷惑をかけずに済む。京浜急行は久里浜行き快特が平和島で空港行き急行を追い抜いて蒲田で接続。車内放送でふと気づいたのは「通過駅ご利用の方は普通電車にお乗り換えです、次の普通電車は…」のフレーズ。京浜急行は「普通電車」ではなく「普通車」と言っていたものだが……。
羽田空港は1年ぶりで、その間にAIR DOは経営破綻して全日空傘下になった。日本航空の向かい側にあったブースはなく、カウンターはどこだっけと右往左往。確か全日空のカウンターを利用しているとか聞いたことがあったので行ってみるも、新規参入会社と違ってカウンターはたくさんあり、さてどこでチケットを買って搭乗手続きをするのやらさっぱりわからない。よく考えてみたら、羽田から大手3社を利用するのは小学5年生の家族旅行以来。どうやら搭乗手続きをするカウンターとチケットを購入するカウンターと荷物を預けるカウンターは別らしいことが判明。とりあえずANAのチケット購入カウンターの列につく。係に聞くとエア・ドゥのチケットもちゃんと買えるそう。……ところが、「12:05の札幌行きを、AIRDOスカイメイトで」と言って運転免許証を差し出したら、発券されるまで10分近くかかってしまった。AIRDOスカイメイトは26歳未満なら公的証明書を見せるだけで適用なのに「スカイメイト会員証はお持ちですか?」と聞かれたり、奥にいる人に聞きに行ったり、ずいぶん手間取っていた。発券と同時に搭乗手続きも終了で、席の希望を聞かれて迷わず「窓際」。……NHKの最終面接でも「鉄道マニアって子供っぽいと思いませんか」と言われたが、まったくそのとおりだ。
荷物を預けて身軽になり、Yahoo!cafeで軽い食事。11時までのモーニングセットがあり、パンケーキセット500円。……この程度の食事に、インターネット環境を提供すれば、もうほとんど残っていない鉄道の食堂車もある程度もりかえせるのではないかとふと思ったけど、どうだろう。。。しかし、W杯のときに実験した「成田エクスプレス」グリーン車内での無線LANサービスは相当遅かったらしいし、むずかしいかも。
AIRDOはいつぞやのようにバスに乗るのではなく、ボーディングブリッジから直接。席番は42Gで、もしかしたら一番後ろ(=リクライニングできない)か、と不安になったが、幸い、最後部から2列目。離陸後はしばらく外を見て、南へ向かって飛び立った飛行機が北へ旋回して調度浦安上空に差しかかり、メガネをかけて地上を見たらなんと我が家の緑色の屋根がちゃんと見えた。そのまま北上して、あれが本八幡駅で、中山競馬場も見えるな、などと内心一通りはしゃいだあとは、空港の売店で買った「ビッグコミックオリジナル」に目を通し、寝る。「間もなく当機は札幌、新千歳空港へ向けて高度を下げてまいります」のアナウンスを聞き、もう着くのかーと思ってからが長かった。雲をかき分けて地上が見え、きれいな区画に並んだ農地や、何線だか分からない線路やゴルフ場や道路を見下ろして、着陸したのは時間通り13:35だったのだが、それから空港内を延々と走って、なんとターミナルへはバス連絡。去年と変わっていない。僕はAIRDOのつもりで乗っているからいいけど、ANAのコードシェア便でもあるので、ANAの運賃で乗った人は不満だろう。
それでも、予定していた14:04発の列車には乗れた。ドアが閉まった時に時計を見たら「14:03」。家を出るときにちゃんと合わせてきたはずなのに、おかしいなと思っていたら、しばらくして時計が14:04になると同時に電車が動き出した。以前阪急などがよくやっていたとかいうやり方だが、いかがなものか。南千歳で夕張行きの単行ディーゼルカーに乗り換え。
時刻表ではこの列車の夕張着が16時を過ぎる。新千歳に13時半に着いて仮にレンタカーを借りてもこれじゃ何もできなかったに違いない…、と思ったらとんでもなくて、駒里信号場で15分、十三里で4分、新夕張で9分の待ち合わせ。南千歳〜追分は特急が15分のところを40分かけて走るありさまで、なぁんだと思う。
夕張でめぼしい観光スポットと言えば「石炭の歴史村」か「幸せの黄色いハンカチ思いで広場」だが、どちらも駅から離れていて17時で終了。バスの便があれば行ってもよいのだが時刻表にはちょうどよい便が載っていないし、夕鉄バスはWebサイトを持っていないので調べられなかった。それなら、清水沢駅と鹿ノ谷駅のちょうど真ん中にある「ユーパロの湯」で湯に浸かっていようと思って地図を見るとなんとなく鹿ノ谷のほうが近いような気がして鹿ノ谷で降りる。が、駅が無人駅なのは予想通りだけど、駅前の寂しいことといったらない。荷物はこの駅に置いていく(上り坂ということもあるけどディーゼルカーで12分もかかる距離の半分を、大荷物を持って歩くつもりはない)ことになるが、心もとない。駅前の鹿ノ谷郵便局だけ履修して、夕張で折り返してきた列車で清水沢へ戻る。今度は下り坂で、所要6分。
清水沢は有人駅だけど、旅客扱いは15時で終わり、窓口は閉まっている。コインロッカーもないが、運転扱いの駅員がいるので待合室に置いておいてもまぁ安心だろうと思う。鹿ノ谷から戻る列車がバスとすれ違ったのでもしかしてバスがあるんじゃないか、と駅近くのバス停を見たら、19時台までおよそ30分おきに走っていた。次は17時ちょうど。さっき南千歳から乗ってきた列車は清水沢に16:00に着いたのだが、ちょうど16:04のバスがあった。しかも、大半のバスは「社光」ゆきとあるのだが、地図を見ると「石炭の歴史村」にほど近い場所で、行こうと思えば歴史村も行けたことになる。
やってきた17:00発の社光ゆきは「社光(歴史村東口)」という行き先表示を掲げていて、なんだよーという感じ。10分ほど乗ってユーパロの湯最寄りの「幸せの黄色いハンカチロケ地前」バス停で下車。運賃は300円。JRは鹿ノ谷〜清水沢が210円なので、およそ半分の距離でこの値段とは、夕鉄バスは相当高い。とはいえ、北海道で従業員にまともな賃金を支払って公共のバスを維持するにはこのくらいは普通なのかも。北海道中央バスの運賃はそれほど高くないが、その代わり運転手の年収は相当安いと聞いたことがある。
バス停から坂を上ってゆくと途中でロケ地とユーパロの湯の別れ道があって、せっかくだからロケ地を見に行ってみる。着いてみれば長屋1軒と映画のタイトルにもなっている黄色いハンカチがはためいているだけのこじんまりとしたもので、なぁんだという感じ。この長屋の中が資料館になっていて、入口を見るとカギが開いている。が、「ALSOK」(=綜合警備保障、SOKが名称変更)のシールが貼ってあってやたらに入ると面倒なことになりそう……と思ったら、なかでおばさんが一人掃除をしており、戸を開けて「もう終わっちゃいましたか?」と聞いてみたら「さーっと見ていくのでしたら、どうぞ、5時で終わってますから」とOKがもらえ、本当にさーっと見ておいとま。館内にユーパロの湯の100円引き券があり、もらう。幸運。
道内の映画・ドラマロケ地を見るのは3度目(あまり観光地化していない場所も入れれば5度目)だが、ここが一番小さいなぁと思う。「鉄道員」の「幌舞駅」(根室本線幾寅駅)や、「すずらん」の「明日萌駅」(留萌本線恵比島駅)は駅周辺の街並みもそのまま残してある。ここは本当に長屋が一軒あるだけなのだ。
で、ユーパロの湯。まずはお腹が減ったので食堂で夕食。なんの変哲もないメニューばかりで、五目ラーメン(750円)にする。ずいぶん具が多いなぁと食べていたら、具が白菜・ほうれん草・ニンジン・キクラゲ・肉・イカ・エビ・うずら卵・たけのこ・赤ピーマンにホタテ、と、11種類も入っていた。まぁ、このくらいの五目ラーメンなんて、そこらへんの中華料理屋でも出るけど、あらためて数えてみるとずいぶん入ってるんだなと思う。
いつも行くスーパー銭湯と同じくらい広く、それでいて人が少なく、露天風呂も屋根がないし、いつまでも入っていたいところを1時間くらいであがり、20時過ぎまで休憩室でまったりしてから、もうバスはないので徒歩で清水沢駅へ戻り始める。雨は意外と降っており、濡れながら街灯がほとんどない道を100円ショップで買った懐中電灯の弱い明かりだけを頼りに歩いていく。こういうことをやるのは去年の百ハイ以来だ。……あのときと違うのは、一緒に歩く人が誰もいないということである。
中学・高校生のころは、旅先で暗い道を一人で歩いているとだいたい通りすがりのクルマが停まって乗せてくれたものだが、さすがに大の男をわざわざ乗せてくれるような奇特なクルマなどない。こまったことに途中で歩道がなくなってしまい、クルマがビュンビュン飛ばす道の路肩に出る。カーブで見とおしの悪いところなど、ヘタしたらは轢かれてしまいそうだ。路肩の反射板で後ろからヘッドライトが近づくのが分かると懐中電灯を振ったりしてよけてもらう。そんななか、ちょっとした峠越えがあって、頂上のあたりに祠がある。なんだろうと思って懐中電灯を向けると、ぼやっとした明かりの中に不気味に大きなお地蔵さんが浮かび上がってきた。あたりを見まわすとやたらとクルマに注意を促す標識がたくさんあり、見通しも悪い場所で、どうやら事故多発地帯らしい。……清水沢の集落に着いたときは本当にホッとした。歩いたのは4キロで、ちょうど家からディズニーリゾートくらいの距離なのだが、非常に恐ろしい1時間だった。
清水沢駅に置きっぱなしだった荷物は無事で、待合室でぼけーっとしてたら事務室から駅員が出てきて、「コレ、食べて」とトマトを2コ差しだされた。ありがたく頂戴する。夕張行きが来るころになると「信号扱い見てく?」と言われ、全国的にも珍しくなった腕木式信号機の“てこ”を扱う始終を見せてもらえた。ついでに事務室に招きいれられ、通票箱や、今は使っていない継電盤などなど見せてもらう。旅客扱いの人が15時で帰ってしまうと、運転扱いの駅員は翌朝9時まで一人勤務で、お客もほとんどいないし、駅前はもうほとんど真っ暗だし、話し相手に困るらしい。この清水沢、占冠は新夕張駅の管轄で、いずれもマルスが入っていないのでマニアがよく来るとか。……来年JRに入ったらしばらくはこんなヒマな駅に勤務したいなと思う。
最終列車で新夕張に着き、しばらく歩いたセイコーマートからタクシーを呼んで楓駅へ向かう。楓の集落が近づき、「どのアパート?」「いや、駅へ行ってください」「今月あたりで廃止とか聞いたからカギかかってるかもしれないよ」といったやり取りを経て運転手に1620円のタクシー代を払い、真っ暗な駅舎へ。正面の扉にカギがかかっていて、しまった、と思ったものの脇のドアはちゃんと開いていて無事待合室へ。電気をつけるスイッチは見当たらず、懐中電灯の明かりで寝袋を敷き、寝る。外の雨は結構降っており、カギがかかっていなくてよかったとホッとする。でも、よく考えてみたら、この駅は列車が1日1回しか来ないのだから、カギをかけるとすればそのために駅員が新夕張からクルマか何かで来なければならないわけで、そこまでするわけないよなと思う。
9月4日(木)
新人君2日目。なかなか人に仕事を教えるのって難しい。……帰宅後に重大なミスを発見。しかし、あまり責めたててやる気をなくしてもらっても困るし。。。
明日北海道へ行くというのに、のんきなもの。2泊3日だし、クルマに乗るわけじゃないから道路の下調べもほとんど要らないし、まるでサンダル履きで行くかのような感じ。いいのか、北海道はもっと偉大な場所じゃなかったのか、、、っていっても、3日じゃねぇ……。こないだの奈良・名古屋も3泊4日だったし、社会人になる前から旅行が社会人化している。2ヶ月なんていう長期休暇、育児休暇を除けば会社を辞めるまでまず取れないのに。。。
スズキのツイン(これ)のMT車にパワステ・エアコンつきタイプが出たとか。見てみると価格は65万円。スマートK(これ)の半額以下。相変わらずMT車は白しかないのが不満ではあるが…。パワステのないクルマは去年の夏に1ヶ月くらい乗って、帰ってきたあとに家のクルマに乗ったときのハンドル操作の楽なことに感激したが、別になくてもいいんじゃないかとは思う。しかし、エアコンは微妙な線。タダでさえ地球を暖めるクルマでしかも冷房をつけるなんてよほどのことがない限りやらない(しかも軽自動車でエアコンを使用すると燃費が急に悪くなる)ものの、フロントガラスが曇ったときなどなければないで困る機能ではないのだろうか。以前からあるパワステ・エアコン省略タイプは49万円(←新車の値段です)。16万円の差……。
しかし、自動車所有のコストなんて車両本体価格だけじゃないのは常識。仮に49万円のクルマでも、購入時の諸手数料、税金、保険料(←バカにできない)、駐車場代(地方の寮だとタダらしいけど)、そしてガソリン代を考えると、年間の自動車維持にかかる費用は数十万円単位になるはず。その数十万円でレンタカーを借りたりタクシーに乗っても、むしろお釣りがくるかもしれぬ。あとは使いたいときに使える機動力の問題だ。その機動力はそれだけの投資に見合うのだろうか。スクーターや電動アシストつき自転車では代替できないのか(……内々定先の営業エリアは雪国がほとんどだから無理だとは確かに思うけど)。首都圏ですら、都心から40キロも離れればロードサイド型店が発達したクルマ社会だけど、こうして考えるとクルマ社会ほど不経済な社会はない。
一番よいのは独身寮でカーシェアリングを始めることだけど、国内ではまだ実験段階の取り組みを理解してくれる人がいるといいのだが。
とかどうでもいいことを考えながら、夕飯を済ませ、ようやく旅の準備に取り掛かる。0時半就寝。
9月3日(水)
今日からバイトの後任が出勤。約1年半ほぼ毎日やった目から見ると新人君は手際が悪いように見えるけれど、僕がこの仕事を始めた2年前の11月はこんな感じだったのだろう。……しかし、彼も鉄道マニアのはしくれのはずなのに、東京モノレールがJR東日本傘下だというのを「聞いたことがあるような、ないような……」と言っていて、少し不安。まぁ、一人暮らしを始めて半年にもならない1年生だから、そんなものかも。
バイト終了後は本屋やらコンビニやら寄り道しながら帰宅。昼食を経て、本を読んだり、珍しくNHKのラジオ講座を聴いたり。父が外出先から帰ってきて、2人で膨大な宝くじのハズレ券と格闘。きのうは“くじの日”で、敗者復活の抽選があったのだ。下4ケタ「3444」が当たりなのだが、当たりは1枚もなくて、10枚ひと束で買っているなか「3430〜3439」がひと束と「3450〜3459」がふた束あり、あと一束前後していれば………宝くじなんてそんなもんかと思う。
9月2日(火)
とりあえず今日も朝のバイト。昨日、後任2人を呼んで再度話をした結果、明日から勤務開始になった由。というわけで、今週いっぱいと来週の月曜に勤務、ということになった。つまり、北海道への出発は5日(金)。……名寄・仁宇布へ脚を延ばせないのは残念。北海道へ2泊3日なんて、最短記録だ。
で、昨日あれだけ悩んだのだが、結局レンタカーは利用せずに楓駅で駅ネを敢行することにほぼ決めた。寝袋がかさばりそうだけど、2泊3日と短期だから、いいだろうと思う。これで、石勝線・富良野線に久しぶりに乗れるうえ、18きっぷだけで難なく和寒へ明るいうちに到達できる。……レンタカーだったら、5日の午後にニニウ(参考)や登川、あるいは大夕張方面にも行けるなぁと食指が動くところだけど、あれもこれもと考えると虻蜂取らずに終わりそうである。ただ、5日夜の入浴場所の確保をしなくてはいけない。クルマがあれば、北海道には公営 or 三セクの温泉施設がいくらでもあるから不自由しないけど、鉄道利用だと足が限られる。
そういうわけで、大学生協へ行くのはやめてさっさと帰る。母は留守で昼食にはカレーライスがつくってあったのだけど、12時前に急に眠くなって寝たら1時間半ほど寝てしまい、もうどうでもよくなる。だらけモード全開である。今日は暑い。天気予報では昨日より5℃上がって29℃になるとか。
15時半ごろ、光化学スモッグ注意報が出たと防災無線がなる。
16時ごろになり、ダラダラしてないで泳ぎにでも行こうかと思うのだが、日記をつけていたら夕飯の時間。
夕飯後、再発行されたSuicaを駅へ受け取りに行き(本当は他の駅で受け取って、定期券の発行箇所表示が変わるか見てみたかったのだが…)、ついでに100円ショップや有隣堂で買い物。まだ19時すぎだというのに、外出すると言ったら父から「今ごろ何しに行くんだ」と言われる。すっかり便利になって21時までダイエーだって本屋だって開いているし、一部のファミレスや居酒屋などは未明の2時だとか5時まで営業するようになった新浦安だけど、小学生のころは近隣にはユニマートと美浜酒店しかなく、20時にはどちらも閉店していて(いまは双方とも店名を変えて24時間営業)、夕飯後に次の日学校で必要なものを思い出しては途方に暮れていたのを思い出す。21世紀になって、一億総白痴化ではないけれど、一億総夜更かし化の側面がある。確かに、夕飯後に外出するのをとがめるのは正しい面もあるのだ。
21時半には就寝。
9月1日(月)
後任2人への引継ぎのため、今週1週間だけ朝のバイト復活。……という話だったので7時半に職場にいたのだが、後任がやってこない。結局後任の代わりに僕が普段どおり勤務。なんだそりゃ、といったところなのだが、いろいろ行き違いがあった模様。とりあえず、今週は少なくとも火曜・木曜は出勤して、後任の指導もしくは後任の代わりに仕事をすることになった。
帰宅後は何をするでもなく過ごす。昼食を取り、またPCに向かってだらだら過ごして、15時くらいから週末の北海道行きの旅程を練り始める。
7日(日)に和寒で開催される全日本玉入れ選手権参加と、6日夜の和寒町福原「ゆきのおと」(参考)泊、それに7日中の帰宅はFIX。金曜朝の勤務があるかないかで出発日が変わる。木曜出発にしろ、金曜出発にしろ、朝のバイト後、一旦帰宅するか直接かに羽田空港へ向かい、新千歳に着いたらレンタカーを借りて新夕張へ。駅前に車を停めて寝る。翌朝、来年3月に廃止が決まっている楓駅を列車(早朝の一往復しかなく、しかも日曜運休)とクルマ両方で訪れ、新千歳でクルマを返して和寒方面へ向かう。金曜出発ならそのまま「ゆきのおと」に泊まればよいし、木曜出発ならどこか寄れる(「ゆきのおと」2連泊でもよいのだけど…)。同じ和寒町内の塩狩温泉ユースホステルにも惹かれるが、名寄市日進にある「なよろサンピラーユースホステル」(ここ)もいいところで、しかもそこに泊まれば金曜日に仁宇布(去年の夏に1ヶ月以上を過ごした場所)へ脚を伸ばして和寒へ戻れる。
ネックが2つ。1つ目はレンタカー。木曜出発ならもう3日しかない。予約できるのか。手元の「マル得北海道レンタカープラン」(大学生協)には「原則として8日前までにお申し込みください」とある。「原則として」が気になったので電話で問い合わせたらオリックスレンタカーだけが7日前まで受け付けるのみという。このプランはあきらめざるを得ない。ならば、今からレンタカー会社に直接予約を考えると、生協プランと比べて2000円近くも高くなる。駅レンタカーも、1日単位で借りると比較的安いのだが同じ24時間でも日をまたぐと一般のレンタカー会社と大差ないうえ、新千歳に営業所がない。……まいったなぁ、と思ったところで、生協でもう一つ「レンタカーとく得プラン」というパンフレットをもらったのに気づき、こちらを見ると申し込み期限がない。マツダレンタカーなら「マル得北海道〜」と比べて消費税別になるだけの違いしかないプランがある。もう一度電話すると、「レンタカーは空きさえあれば直前でも申し込めますよ」という。なるほど。明日生協へ行ってみよう。
もう1つのネックは、JR函館本線滝川〜旭川の普通列車の少なさ。18きっぷがあと3回分残っているので新千歳〜和寒(or名寄)の移動で最低1回は消化したい。この区間の不便さは今に始まったことではないが、レンタカーを新千歳で10時過ぎに返して、順当に乗り継ぐと滝川13:11着。次の旭川行きは14:33。1日7本しかない(しかもうち3本は早朝)のに1時間20分待てば乗れるなんて幸運、と思いきや、目的地から逆算すると非常にまずいのである。
「ゆきのおと」泊なら和寒駅17:00発の和寒町営バスが便利。それに乗るには旭川15:09発の「快速なよろ3号」(和寒15:52着)に乗る必要がある。滝川〜旭川の所要時間は特急なら30分。しかも約30分間隔の頻繁運転で、滝川で特急に乗り継げば旭川には14時前に着けて余裕なのだ。……特急で30分くらいの距離なら運賃・料金を別払いしても、、、と思ったらとんでもなくて、滝川〜旭川の営業キロは53.3キロ。たった3.3キロのために特急料金は50キロまでの600円から100キロまでの1100円へ一気に跳ね上がって、この区間の運賃・料金は2140円也。18きっぷ1日分2300円で移動しようというのに、これは割に合わない。おとなしく普通列車で行くと旭川16:33発の普通列車になり、和寒着17:33。お願いすれば迎えにきてくれるし福原までおよそ30分なので夕飯の時間には間に合いそうだけど、宿主の和田さんが一人で切り盛りしている宿だから夕飯の準備の時間に呼ぶのもいかがなものか。玉入れの前の日だから他にも泊まっている人がいるだろう。
「なよろサンピラー」に泊まるとしても、旭川16:33発の列車で行けば最寄の日進駅には18:50着(実は旭川で次の17:06発「快速なよろ5号」に乗るのと変わらない)。ホームページには「日進駅18:50着のJRご利用の方も夕食OKです」とあるけど、夕飯は18:30には始まっているし、そんな時間に着いたのでは日が暮れている。宗谷本線だったら明るいうちに乗りたい。旭川15:09の「快速なよろ3号」に乗れれば、日進には16:40に着けて、何の問題もないのだ。それを、宗谷本線に暗くなってから乗って、明るいうちは旭川までのたいして北海道らしくもない景色の中で過ごすなんて、もったいなさすぎる。
列車がダメならバスがある。道内時刻表が手元にないので、北海道中央バスのWebサイトにある時刻表(これ)を見る。滝川には13:11着で11分前にバスが出ていて次のが13:50発なのがいただけない。さらに深川では到着の10分前に旭川行きが出ており、次の旭川行きは1時間15分後。旭川には16:46で話にならない。
それなら、滝川〜深川・深川〜旭川でバスとJRの特急を交互に乗り継ぐのはどうか。滝川〜深川をバス、深川〜旭川をJR特急利用で1740円。滝川〜深川をJR特急、深川〜旭川をバスなら1410円。特急の2140円に比べれば特に後者は許容範囲というものだ。
まず滝川13:50のバスは深川に14:40着。しかし、JRの特急も14:40発で、これでは乗り継げない。この深川14:40発の特急が旭川15:00着、次の特急だと旭川15:20着になってしまう。乗りたい列車は旭川15:09発だから、惜しい。“敗因”は滝川で40分近く待たされているだけだから、もしかしたら逆なら間に合うかも知れぬ。滝川13:18発のJR特急は深川13:33。しかし、なんと旭川行きのバスが13:30に出てしまっているではないか! 次のバスは1時間後で、旭川着が15:21。………鉄道マニアの間では使い古された言葉だが、まさに「乗るなと言わんばかり」である。
それなら、JRの特急券を滝川〜深川、深川〜旭川に分ければ300円+600円=900円で、通しで買うより200円安くなり、運賃との合計は1940円ということで2000円を切るよな、とか(それでも深川〜旭川は30.2キロだから、25キロまでの300円ではなく50キロまでの600円になるのが癪なのである……それでも以前背に腹はかえられず利用した)いう程度のことは思いつくものの、もはや有効な打開策を見出せなくなってきた。新千歳から函館線経由ではなく石勝線の新得まわりで旭川に出る方法もあるが、こちらも追分〜新夕張がネックになる。夕張にマツダレンタカーの営業所があってそこで返せさえすれば、新夕張10:05発に乗れればよいので余裕なのだが、夕張はもはやそんな都会ではない。
滝川〜旭川に2140円を投資するくらいなら、札幌〜和寒〜名寄の高速バスがある。運賃が和寒まで2350円・名寄まで2950円で、札幌14:10発・和寒16:25着(名寄だと17:15着で日進へ行くには遅い)のちょうどいい便があるうえ、レンタカーを札幌で返すぶんには千歳〜札幌なら乗り捨て料金も要らない。が、18きっぷをいつ消化するのかという問題がつきまとう。先々週に東京〜奈良・名古屋〜東京で充分モトを取ったのだからあのとき奈良〜名古屋で乗車券買うんじゃなかったなぁ、とか、逆に、日進〜美深(=350円)+美深〜和寒(=1230円)=1580円だから18きっぷを使ったら足が出てしまう、とか、複雑な思惑が絡む。とにかく、9月8日はすでに予定があり、9日・10日に無理して2回分使うとしても、今手元にある3回分のうち1回はこの北海道で使わないと、ただの紙屑と化すのである。
そしたら、9月9日・10日は1泊2日でどこ行くかなぁなんて思い始める。東日本エリアの普通列車だったら来年4月以降タダだから何もいま自分のお金で行くことはないし、それなら東海エリアになるけど特に魅力的なところってないんだよなぁ……飯田線にでも乗ろうか。いや、そんな消極的なのに使えない。9月末で特急「いなば」からキハ181が消えるので、それに乗りたいと思っていたところだ。「ムーンライトながら」を乗り継いでいけば岡山14:23発の「いなば3号」に乗れる。鳥取に着いたら引き返し始めて、福知山へ19:40には着ける。泊まるところを問わなければ京都か大阪のカプセルホテルでもよいし、浜坂あたりのユースホステルに泊まっても次の日じゅうに何とか帰ってこれる。これだ。
なんてことを考えていたら、22時をまわってしまった。9月に入れば「ムーンライトながら」の指定券も取りやすいかと思えば、JRサイバーステーションを見ると8日発は満席。まさか、と調べると見事に東京駅9月9日発と10日発で「満席」と「空席あり」がハッキリ分かれていた。当たり前か。……並べば座れたころが懐かしい。ま、通路でもよければ小田原から乗れるし、次の日は乗っているだけだから昼間起きている必要はなく(さすがに「いなば」車中では起きていたいが)、旅程をあきらめなければならないわけではない。
そしたら、「いなば」とセットで周遊きっぷを組んで見に行くつもりだった高知県中村市のデマンドバスはどうしよう、という話になるが、もうキリがないのでやめる。