2003(平成15)年6月の日記


6月30日(月)

 バイト終了後は研究室へ。昼食は理工レストランでグリーンカレー。

 研究室の人たちはテニスへ行くようなのだけど、僕はあいにくテニスをやらない。。。先生がテニスをなさるのでテニス人口も多いのだろう……ボーリングだったら喜んで行くのだけど(^^;;)。

 16時過ぎに研究室を出てBIGBOXへ。待ち合わせをしていた門内研5期のK島くんと清龍へ。僕とK島くん共通の知り合いである早稲田祭運営スタッフのI川くんも同席。最近の研究動向について19時半ごろまでだらだらと話す。I川くんは運営スタッフの仕事で中座。

 中央図書館近くの家へ帰るというK島くんと西早稲田バス停あたりまで一緒に歩き、僕は学生会館へ。遊興局の面々と椿山荘へ蛍を見に。行きはタクシーに分乗、帰りは早稲田まで歩き。その後「おかあちゃん」で夕食。A定食500円。現役運営スタッフの様子を見ていると、元気だよなぁ、若いよなぁなんてまだ24歳なのに思ってしまう。学内で24なんていったら相当なトシだ。そびえていた2学は跡形もなく、ワセ弁付近から2号館が見えるなんて、ずいぶん寂しくなった。さっさと大学出ないとなぁ、と思う。

 23時ごろ早稲田を後にして家へ帰って、教えてもらったスタッフ向けサイトを見ると、「したくスタッフ」の頃からのメンバーの名前を2つ見つけた。さっきの思いとは一転、悔しい気分にもなる。0時過ぎ就寝。


6月29日(日)

 起きると6時半。フツーの大学生からすれば相当な早起きだろうけど、こんな時間まで寝ていられるのは休みの日ならではである。

 10時ごろまでネットやら風呂やら朝食やら新聞を読むやらして過ごし、父とともに東京ビッグサイトへ。……なんでも今日は「Comic City」なる同人誌即売会も開催されているらしいのだが、今回のお目当てはそんなのではなく、伊藤忠のファミリーセール。まだ持っていなかった夏物のスーツと、確か高3の1月に買って以来ずっと履いていた革靴がすっかりみすぼらしくなったのでもう一足買いに。

 スーツは、父の仕事の関係先の会社のブースへ。サイズ直しなどを考えると後日店へ行ったほうがよい由。革靴はちゃんとしたのを買うのかと思いきや、アシックスのブースで限りなく運動靴に近いのを購入。…でも、今まで履いていた“通勤快足”より格段に履きやすい。

 しかしまぁ、スーツといい、革靴といい、今思えばよくもまぁあんな他人からタダでもらったボロスーツ(ところどころ破れかかっている)と6年以上履いてカカトが磨り減ったどころかあちこちキズだらけの革靴にユニクロのブリーフケースで就職活動をして、NHKでは最終まで行ってJRからは内定が出たものである。

 父の買い物にも付き合い、16時ごろビッグサイトを後にする。ちょっと高い買い物もしたので父がそのクレジット払いの申し込み用紙を書いているあいだに、隣で同じのを書いている女性のが見えてしまったのだが、「勤務先:株式会社電通 **局(伏字にしました) 年収:1600万円 勤続:30年」には心底驚いた。本当のことを書いているのかどうかは分からないけれど、年収1600万円といえば某社でいえば部長クラスである。それをこのおばさんが……ということは、傍らにいるご主人(と思しき人)も少なくとも同程度は稼いでいるとして、たぶん電通(ウー)マンなら子供もいなさそうだし、可処分所得は相当大きいんだろうなぁと想像する。

 父に話すと、「お前みたいにあちこち受けて、いろんな会社から『来てください』って言われるならともかく、やっとのことでJR東日本から一つだけ内定をもらう程度じゃ、ダメだな」なんて言われてしまった。うむ。……そういえば今日のセール開場は、およそ3ヶ月前には日経新聞の筆記試験会場でしたっけか。


6月28日(土)

 休みの日だけど、ちゃんと朝5時台には目が覚めてしまう。(笑)

 午前中はのんびり過ごしていたらあっという間に12時。有意義にのんびりできたらいいのに、とか相反することを考える。

 午後は日記をつけたりしていたら、いつのまにか16時。あわてて準備をして出かける。……新浦安駅前郵便局でお金をおろし、駅でSuicaにチャージをする。武蔵野線の電車まで10分ほどあったのでNEWDAYSでサンドイッチを購入(178円)。10分くらいあれば家で昼食の残りのおいなりさんくらい食べて来れたのになぁ、と180円たらずといえども無駄金を使った気分。そういえば総武線沿線へ行くというのに携帯ラジオを持ってくるのも忘れた。あわてているとこういうことになる。

 西船橋で総武線に乗り換え、新小岩で降りて江戸川区文化センターへ。途中でモスバーガー東小松川店を偶然発見して思わず履修。せっかく履修してもすぐに帰ってしまうのでは印象に残りにくく、できれば食べていきたいのだけど時間がなかったのでテイクアウト。

 18時開演の「東京六大学応援団連盟吹奏楽部・チアリーディング部第29回合同演奏会」は、なぜか招待券が送られてきていたもの(去年見たときにアンケートに記入したからだろうか)。2階席でK内やT田くんと見ていたら、隣に座っていた人たちがどうやら早稲田大学応援部の吹奏楽団OB・OGだったらしく、あとから草鹿研OBのS本さんがやってきて奇遇。

 終了後は六旗会の方々と新小岩駅まで歩き、帰る方が多かったのと、東京行きの武蔵野線があるうちに帰りたかったのとで、「さくら水産」で飲んでいく人たちとは分かれて下りの総武線各駅停車に。ちょうど21時をまわったところで、いちかわエフエムはいま「温故知新」やってんだよなぁ、と思いながら本八幡駅を通過する。

 電車の時間を調べないで西船橋へきたわりには、1時間に3本の東京行きはすぐにやってきて、21時台のうちに新浦安へ。……サンドイッチしか食べていないのでお腹が減っており、飲み代を使わなかったのだから、と、フーデックスでにぎり鮨(この時間なので200円引き)とヱビスビールを買って帰宅。飲み代は827円。(笑)

 家にあったモルツも空けて酔った頭で就職活動関連のBBSを見ていたら、NHKの秋採用は春受けた人は受けられないとかいう情報が書き込んであって小さくないショックを受ける。……秋採用受験なんて半分冗談みたいに考えていたと自分では思っていたのだけど、このショックの小さくなさ(というのも変な表現だが…)はなんだろう。(別に大ショックというわけでもない)

 また今夜もいちかわエフエムをつけっぱなしにして寝るも(でも今夜は布団に)、「LIVE CLIP」が終わったらすぐに寝に入ってしまったらしく、次に気が付いたのは3時の放送終了アナウンスだった。


6月27日(金)

 夜寝て、朝起きるとまた憂鬱な気分。夕方になってやっと活動的になって朝はダメだなんて北杜夫みたいだなぁなんて、新浦安駅まで歩く道すがら、思ってしまう。とはいえ、今朝のは尋常ではなくすっかり思いつめて、大学院やめるかぁ、なんてことまで考えてしまったりする。秋の採用でどこか既卒で入れるところを受けて(現在の内々定先は院修了が採用要件)……なんて。バイト中もなんだかあちこちで置いてあるものにつまづいたりして注意散漫気味。よくない。そうかー、明日は土曜日かー、解放されるなぁ、なんてわけのわからないことまで考える。(う〜む)

 10時半ごろ着いた研究室ではメールに返信したり。混む前に理工レストランで昼食(グリーンカレー250円+ライス大盛り60円+サラダ60円=370円)。3限の「社会調査法」では最後のほうに少しだけ寝てしまう。。。

 終了後は研究室でコピーなどをして西新橋のITS-Japanへ。先々週末に行った「まめどり」のすぐ近くにある、予想とは大違いのこぢんまりとした、でも整然としたオフィスを訪ね、非常勤講師の石先生とNTTデータから出向されている方から山のような資料と人の紹介を受ける。……「その人のとこ行く前にもっと勉強してから行ってね」とは言われたものの、もらったり紹介してもらった資料は僕から見ればまさに“宝の山”で、憂鬱な気分はどこへやら、急にうれしくなってしまう。

 新橋といえば「まめどり」とともに清龍新橋店であり、前回は履修しそびれたので、こんな気分だし飲んで帰りたい衝動に駆られたが、一人なので仕方なくまっすぐ帰宅。……夕飯後にチェックしたメールには「こんど近日中に『清龍』で…」なんて誘いが書いてある。惜しい。

 いちかわエフエムの「サコラジ!」を聴きながら、あー疲れたぁ、と、床に横になったが最後、毎度のように寝てしまって気がつくと2時半。つけっぱなしのラジオから「よろず音楽堂」(金・土は3時まで生放送している……自分でやっていたころはなんとも思っていなかったけど、離れてみると本当にすごいと思う)が流れており、布団を敷いてあらためて横になって聴いていたつもりがやっぱりすぐに寝てしまったらしく、放送終了のアナウンスは覚えていない。だいたいこういうときは、寝ていながら放送内容を断片的に覚えているものなのだけど、23:45からのニュースにも気づかなかった。


6月26日(木)

 雨ばかりだからか何なのか、憂鬱な気分。そんな日はバイトから帰宅後ゴロゴロしてしまいがちなのだが、3月に買った『まちづくりの発想』(田村明 岩波新書 参考)を読み進める。なんだかんだで3ヵ月半たっても読み終わらない。本当はこの手の本はM1のうちに読んでおくはずだったのだが…。第5章の「実践の思想」あたりから急に面白くなってくる。

 午後はコーヒーを飲んでから昼寝。20分くらいで起きることができ、PCに向かう。とにかく思いついたことからテキストにおこしていく。……などと書くと格好よく聞こえるが、3時間ほどかけて書きあがったのは、朝のバイトの引継ぎマニュアル。う〜ん。しかし、読む人が分かっているので、そういうのは書きやすい。憂鬱だからと何もしないよりいいだろうか。

 早めのお風呂に入って、夕食を取り、17時に出るつもりが駅に着いたら次の電車は17:35。いつものNHK-CTIにはだいたい教室に一番乗りなのだが、これでは一番乗りどころか遅刻しそうである。新橋ならこの時間でも間に合いそうだが、今日は振替で渋谷教室なので、新木場からりんかい線か…と思い巡らせた末、東京駅から地下鉄を使う。山手線で行けば乗り越し運賃130円のところ190円だから60円は急行料金みたいなものか。。。それでも、赤坂見附で銀座線がちょうど出て行ってしまい、次の銀座線が来る前に丸ノ内線の次の電車が来てしまうなど、やきもきする。18:22ごろに渋谷に着いたのはいいが、精算機が長蛇の列で、2枚投入可とはいっても京王と違って回数券とパスネットで精算をしてくれない自動改札がうらめしい。

 そんなことをしているうちに便意まで催してしまい、教室のビルまで走ろうとするも、渋谷の歩道は人だらけでとても走れない。車道を走って教室へたどり着き、トイレに駆け込んだのは18:30ちょうど。あーあ、遅刻か……と思いきや、部屋に入るとどういうことか来ている生徒は1人。4人くらいになるまで、いつもは18:30までやっている発声練習。

 7週目のテーマは、「きく」。2人ペアになって相手に「私の好きなこと」について話してもらい、聞いた側があとで前に座って話し、講評を受けるというもの。そういえば、2〜3年前の新歓で新入生に間違われた僕はアナウンス研究会の人から「ちょっとインタビュー受けてみませんか?」言われたのだが、彼らはそういう練習もしているのかと納得。

 アナ研、放研といえば、月曜に湾岸道路の渋滞にハマっているときに聴いた、いちかわエフエム「College Station」(千葉商科大学の放送研究会による番組)でも、何かテーマを設定してのフリートークではここで教わったように話しているので、あーやっぱ放研だなぁなんて思った。でも、いきなりそういうのから入るのと、まがりなりにも4年にわたって現場にいたうえで体系的に学ぶのとでは、後者は後者なりの利点があるだろう。(似たような話として、いったん社会人になってから大学院へ行く人もいる)

 ……講評のとき「あなたはよい話し手にもなれれば、よい聞き手にもなれる」と言われたのだけど、本当にそうなのかなぁと複雑な気持ち。よい話し手でありよい聞き手って、要するにアナウンサーじゃんか。。。仮に僕がNHKの新人アナウンサーだったとしても、このレベルでそういうふうに言ってもらえたのだろうか、それとも、なんだかんだいってお金を払って受けている“お客さん”だから、そう言ってくれるのだろうか。。。。。。


6月25日(水)

 3時半に目覚ましが鳴り、45分には起きてお風呂に入る。牛乳とバナナを口にして5時前には家を出る。いつもどおり新聞を持っていこうとしたのにまだ配達されていない。

 何か固形物を……と思って新浦安駅前のローソンに寄ったら、冷凍庫で凍ったペットボトル入り烏龍茶を売っているのを見つけて購入(お茶は昨晩買ったのに…)。あと、サンドイッチ。新聞も何か買おうかと思ったけど新書を一冊持ってきていたので見合わせ。早朝に始発待ちの駅前でコンビニで朝食を調達、なんて、夜行列車を降りたときや駅ネの朝くらいなもので、なんとなくいい感じ。高校生の頃に『海がきこえる』を読んであこがれていた一人暮らしの気ままさだろうか。。。

 始発電車は103系。空いている車内で持ってきた新書を読んで過ごす。新聞ではなく新書を読むなんて久々。……高校生の頃、よく車内で本を読んでいたのは、新聞を家でしか読んでいなかったからだろうか。本に熱中し始めると、東京駅での乗換えがもどかしい。

 中央線もまだ各駅停車で、11分間隔に驚き。8分も待たされるのか……。そうして着いた新宿のバイト先では6時過ぎから仕事。普段は7時半からなのだけど、今日は株主総会の日なので総会へ持っていく用に7時までに完成させる由。普段は2人で作る切抜きをおよそ5〜6人体制で作り、7時過ぎには終了。。。社員の方が淹れてくれたコーヒーをいただいてまったりし、「もっとゆっくりしていきなよ」と言われつつ8時には会社をあとにする。

 研究室へ行こうかどうしようかと一瞬思ったけど、家へ帰る。帰宅は9時過ぎ。当たり前だけど、午前の9時である。

 机の後ろの棚を若干整理。机の上もだいぶ片付いた。そして昼食・昼寝。

 午後は切り抜きに目を通す。以前は、番組のネタ集めのためにもずいぶんしっかり読んでいたのだけど、最近はそうでもなく、目を通すだけという感じ。先週は一回だけ「日々雑感」の中にまとめたけど、なんだか張り合いがない。それでいて近日の切り抜きは枚数が尋常でなく膨大。読み終わった頃には雨が上がり、時計は16時になっていた。

 母がケーキを買ってきたとかいうのをあとでと言い残して泳ぎに行く。日曜日に飲んだときK島くんに「泳ぐ時間が30分くらいだと700〜800メートルくらいですかね」というようなことを言われ、もう少し泳いでいるんじゃないのかなぁ、と月曜日は何往復したか数えようとしたのだけど途中で分からなくなってしまったので、今日は200メートルを1セットにして泳いでみる。ちょうど5セットやったところで30分。1キロである。不動前から目黒まで泳いだ計算になる(厳密には、プールだと25メートルごとに水ではなく壁を蹴ることができるのでイコールではないのだけど)。もう100メートル泳いで上がる。

 帰りはセブンイレブンや新浦安駅前のダイエーに寄り道。ダイエーの書籍売り場でいろいろ並んでいる雑誌を眺めながら、高校生の頃は学校の帰りにこうして本屋に寄り道をしてはいろいろ見てたっけなと思い出す。ダイエーでは乾電池を購入して、帰宅したのは19時半。夕食の時間はとっくに終わっており、一人でもそもそとお中元で少し華やかな食事。魚がそのまま送られてきたので、スーパーで刺身にしてもらった由。500円でやってくれたとか。

 さっき食べなかったケーキを食べる。……気楽な暮らしをしていそうにも見えそうだが、修論指導のときに先生から「君がやっていることは風太郎でもできることじゃないか」と言われたのが気になって頭を離れず、憂鬱な日々でもある(憂鬱な要因は他にもあるけど)。しかし、逆にいまの学内(特に理工)の状況を“教育”と言うなら、それは社会人でもできることではないか、と思うのである。いくら企業が即戦力を求めている時代と言っても、少なくともそれなりの企業なら最初の10年は教育期間である。社会人なら給料は出るし、住む場所は提供されるし、様々な福利厚生もある。それで給料とはとても見合いそうにない仕事をしながら勉強をさせてもらうのだ。大学院では修士号がもらえると言ったって年額70〜80万円のお金をこちらから出すのだから、新社会人の年収およそ300万円(手取り月給18万円×12ヶ月・ボーナス5ヶ月分)を機会費用とすればマイナス380万円である。2年間で760万円だ。片や600万円もらって、片や600万円の収入機会を捨ててなおかつ160万円を出して似たようなことをやるのか。否である。少なくとも私なら、2年間の学生生活全体を760万円で買ったと考える。確かにこのような生活は無職、もしくはフリーターでも不可能ではないかもしれぬ。しかし、同じことをするのでも早稲田(特に西早稲田)という場所で自然と生じるつながりでするのとではまったく違う。じゃぁ、これらの経験は世間の基準に照らすと評価されないのかといえば、少なくとも人気企業ランキングでかなりの上位に入る会社から内々定が出たり、内定寸前まで行くような評価を受けるのだから、あながち間違いだとも思わない。

 無論、今の暮らしがまったく問題なしかと言えば、大間違いである。何が大間違いかと言えば、それはアウトプットの少なさだろう。インプットの量は膨大である。朝起きてまずご飯を食べながら10数分見る「おはよう日本」、電車内で読む東京新聞、バイト先で僕が目を通す日刊工業新聞、日本工業新聞、日経産業新聞、日経流通新聞、日経金融新聞、Japan TimesにFinancial Times、しんぶん赤旗、聖教新聞の各紙に加えて職場で常時ONのNHK総合(仕事中は「おはよう日本」)、そして出来上がった切抜き、バイト先を出ればWeb上の定期巡回先、コンビニで立ち読みする週刊誌(4〜6誌)、さらにいろんなところで見つけてくる文献、その他見るもの聞くもの嗅ぐもの触るもの食べるもの………e.t.c。去年までなら週1回、番組という強制的な締め切りがあって、およそ45分程度の音声(1分のスピーチ=原稿用紙1枚→45分=18000字)という形にまとめてアウトプットしていた。が、今はせいぜいこの日記くらいだろうか。

 月に1回ではない、何らかの締め切り、そして、それを聴いて(見て)レスポンスを返してくれる人の存在。本来都市系の先生に共同で指導していただくはずの話が、いつのまにかどこかへいってしまった私は、確かにある意味定職どころか住処すら定まらぬ辞書のとおりの風太郎(参照)なのかもしれぬ。


6月24日(火)

 バイトは9時で切り上げさせてもらって研究室へ。9時半ごろからITS Japanの石先生にお会いする話になっており、B4の学生を待つもなかなか現れないので9:40ごろになって研究室を出たらちょうどやってきて、ともに教員ロビーへ。

 1週間何やってたんだよぅ、という気が自分でもするのだけど、話をうかがうというより指導していただくという感じで約1時間が過ぎる。石先生ではなく普通の人だったら怒り出すところだろう。

 バスに関するITSについて人を紹介するけどバスと一言でいっても相手は何を話してよいか分からないだろうから何をやろうとしているのかA4用紙1枚くらいにまとめておいて下さい、という話になり、明日は本庄に行こうかと思っていたけどそれに充てることにする。

 午前中は研究室で本庄バスの話についてテキストファイルにまとめはじめる。そういや、あの資料どこやったかなと思って棚を見ると家に置きっぱなしだったりするのに気づいたりして、拠点が2ヶ所あるとその点が不便。

 12:45の理工バスで西早稲田へ移動し、昼食はワセ弁の「ナスカラ」(ナス丼唐揚げ増し:330円)。その後ツアーガイドの新人研修。終了後は三品で赤ミックスの夕食。800円。前から三品へ行きたいと言っていたS井さんと。疲れた。

 帰りは早稲田から東西線に乗って、そのまま浦安まで乗ってバスで帰る。ペットボトルのお茶の買い置きがそろそろなくなっていたはずなので、フーデックスで「ココカラ」を購入。

 3時半に目覚ましをセットして21時に寝る。


6月23日(月)

 バイトが終わったらヨドバシで買い物して帰ろう、と思っていたのにまっすぐ中央線に乗ってしまい、四ツ谷からいったん引き返す。SCSIケーブル(部屋の模様替えに合わせてスキャナの置き場所を変えたら、ケーブルがほんの少し届かなかった)と、CD-Rメディアを購入。

 帰宅したらもう11時半。散らかり放題の机の上を整理し始めたと思ったら、もう昼ごはん。自宅にいると、食事がタダだとか黙っていても出てくるとかメリットもあるけれど、だいたい決まった時間に食べなくてはいけないというフレキシブルのなさもある。昼食はビビンバ。ごはんに温泉玉子と母が生協で買ってきたナムルをのせてかき混ぜて食べる。

 14時半ごろまでだらだら過ごしてしまい、引き続き片づけをしたり日記をつけたり。16時半になったところでクルマで出かける。

 まずは当代島にあるビクターのサービスセンターへ。フタが閉まらなくなってしまったInterLinkを修理に出す。同じ建物に工場があるとのことで、部品が届き次第直して連絡がくる由。そしてスポーツクラブへ行って40分ほど泳ぐ。小学校高学年〜中学生あたりのかなり上級クラスのスクールが6コース中4コースを使っている中で、残り2コースの片方で泳ぐ。さすがに水がいつもに比べて濁り気味。(これでも、このスポーツクラブができたときにセントラルスイムから移った小学生の僕は水の透明さに感激したものだが、、、)

 スポーツクラブでは風呂に入らず18:20ごろあとにして、湾岸道路に乗って千鳥町のユニデイへ。すでに下りの湾岸道路は大渋滞で、30分ほどかかって到着。電車なら新浦安〜市川塩浜の所要時間は4分。

 ユニデイでの買い物を済ませ、再び湾岸道路でららぽーとへ。先ほどに比べて若干流れるようになったとはいえ、着いた頃には19時半をまわっていた。100円ショップでスタンドファイルボックスを4つほど購入し、無印良品ものぞいてみる。100円ショップに比べて5割増だけど段ボール製のほぼ同じものを購入。

 その後、スーパー銭湯常盤殿に浸かったあと、ブックオフ船橋競馬場駅前店をのぞく。目当ての本は1冊しかなかったのにあれこれ買ってしまい会計は735円也。家を出るときは財布の中に3000円くらいあったはずなのに、あやうく足りないところだった。(^^;;;)

 ブックオフをもう一軒はしごしようかと思っていたけど、財布の中身のこともあり、湾岸道路をまっすぐ帰る。家に着いたのは22時を少しまわったところ。ずいぶんかさ張るものをいろいろ買ったのに、助手席に載せたほかはトランクをほんの少し使っただけ。就職して地方勤務になったら買う車は絶対スマートK(参照)だよなぁ(さもなくばスズキのツイン(これ))と思う。……就職していきなり新車なんか買えるのかという気もするけれど。


6月22日(日)

 昨日が遅かったこともあり、起きたのは9時半。ネットに興じて昼まで過ごす。

 台所に作ってあった焼きそばで昼ごはん。のんびり過ごしていたらあっという間に15時になり、ぬるめのお風呂に入り、出かける。

 17時に新宿駅東口で門内研5期の面々(1つ後輩に当たる)と集合し、「水の賦」(公式サイト)にて。先週行った西新橋の「まめどり」に似た雰囲気の店で、メニューで豆腐を「豆富」と書くところも同じ。もちろん雰囲気だけでなく値段もよく、2時間ほどいて1人4000円弱。

 もう一人加わって場所を「つぼ八 新宿中央口店」に移す。安い店だけあって騒がしいが、普通の席が満席とかで1フロア上のカラオケルームを使うことができ、静かでお得。1000円強。

 何か冷たくて甘いものが食べたいなぁと外へ出たものの、スターバックスくらいしか見当たらず、僕はここで別れて帰路に。すでに22時で駅構内の店もほとんど閉まっており、新浦安に着いてからオリエンタルホテル内のローソンでアイスクリームを買って食べながら帰る。……この店、ディズニー帰りの宿泊客と思しき人で混雑しており、23時半近いというのに店員がレジに6人と店内に1人の体勢。バックヤードにも数名いるに違いなく、ローソンの中でもかなりの優良店であろう。


6月21日(土)

 朝5時ごろに起きる。風呂に入って、部屋の配置を少し直したりして7時。朝食を済ませ、今晩の「ブロードキャスター」のタイマー予約をして、さてでかけるか、と、充電しておいたInterLinkを取ると、どうもおかしい。フタが緩くてきちんと閉まらない。……よく見ると止め具のツメが折れており、折れた止め具も見当たらない。ACアダプターに次いで、またかよ〜という気分。フタの開け閉めが電源のON・OFFになっているのでひとまず弁当箱用のゴムバンドをはめておくことにする。

 大手町から地下鉄経由で西早稲田は大隈会館内のガイド室へ行き、戸山ツアーの見学。よく考えたらガイド室は先週の金曜以来だ。

 ひさびさのガイド室だったので、見学終了後も15時半まで居座ってしまい、昼食も食べずに帰る。……よく考えてみたら、中央図書館で鶴見和子の本を借りようと思っていたのをすっかり忘れていた。

 一旦帰宅してぬるめのお風呂で汗を流したあと、新浦安17:28の武蔵野線に乗り、本八幡へ。いったん局へ顔を出し、ハタビル3階(元ハタシネマ跡)の甘太郎へ。いちかわエフエム金曜班+αの飲み会。しゃぶしゃぶ食べ放題だったのだけど、2卓に分かれたうちのこちらはすぐにお腹いっぱい……というより、すぐにくどくてイヤになってしまったのだけど、宇佐美ディレクターと中山さんのほうは食べること食べること……お代は3000円。こういうのは強力な鍋奉行が一人いると、よいのかもしれない。。。

 2次会は歌広にて。1100円。23時近くになっており、新浦安駅行きのバスって何時までだったっけ……とバス停まで行ってみたら22:25で終了しており、西船橋から武蔵野線の南船橋経由で帰る(東京行きは西船橋22:50で終了)。

 歌広で飲んだアイスコーヒー2杯が効いたのか、3時ごろまで起きていた。録画しておいた「ブロードキャスター」で、就職先の副社長が取り上げられているのを見る。


6月20日(金)

 バイト後、研究室で午前中を過ごし、午後は「社会調査法」に出席。2回の休講と1回休みをはさんで約1ヶ月ぶり。昼食は理工レストランでサンキューセットA(390円)。鉄研のH山くんを見つけ、話しながら食べる。

 「社会調査法」終了後は、研究室で1時間くらいまったり過ごし、帰途に。15時から“遊興局”の面々の集まりがあるようなのだけど、理工バスの時間も逃し、帰ることにする。

 帰宅後は泳ぎにでも行こうかと思っていたのだけど、17時ごろに急に疲れてきて、部屋で横になったらそのまま寝てしまった。晩ごはんも食べず、「フトンくらい敷きなさいよ」と母が言うのを夢うつつに聞いて、気がつくと午前2時。また寝る。


6月19日(木)

 昨日寝るのが早かったので3時半に目覚ましを鳴らし、4時半には起きる。教員免許取得について調べてみる。科目登録のときも少し調べたけど、再度。

 バイト終了後、今日はまっすぐ帰宅し、洗濯機をまわしながら先週の金曜に手をつけた部屋の模様替えの続きをする。散らかった部屋を片付けるために本棚の中の時刻表をダンボールに入れて押入れにしまい、その跡に散らかっている鉄道雑誌を押し込む。そして、タンスと机、PCラックなどをズルズル引きずって動かし、あらかた出来上がってきた。まだ棚に収まらないものが床においてあったり、PCラックの配置ももう少し手直しがいるかなぁ、と思いつつ、暫定的に配線をしなおしてPCを立ち上げる。

 部屋が少し落ち着いたところで、千葉県教育委員会に電話して教員免許取得について教えてもらう。教職課程を教育実習も含めて終えているので、放送大学や玉川大学の通信課程で補えば高校理科一種は取得可能と言われる(以前、放送大学に相談したときは「何かしらの科目の免許を出身大学で取得していないとダメです」なんて言われたのだが…)。何も無理して早稲田大学で単位をそろえる必要はないのだ。……しかし、玉川大学の通信教育課程で理科の免許は取れないんじゃなかったか(参考)、、、という気もする。もしかしたら電話に出た人が無知だったのかも知れぬ。。。近いうちに電話ではなく面と向かって相談にのってもらう必要がありそうだ。


6月18日(水)

 バイト後、中央理容専門学校実習室の予約を入れ、研究室へ。11時半ごろ研究室を出て昼食はラーメン二郎で「小豚」(ヤサイニンニク、700円)。その足で中央理容専門学校へ。今日の人はずいぶん要領が悪くて普段2時間のところを2時間半くらいかかってやってくれたけれど、仕上がりはなかなか悪くない。

 ブックオフに少し立ち寄って研究室に戻ったのは16時過ぎで、久々に「生物学A」に出席。どのくらい久々かというと、この日以来。2年前・3年前に履修したときは教育学部の中村先生が見づらいOHPを使って延々とDNAについて話し、評価は期末の試験一発勝負という科目だったのに、どうも去年からおなじく教育学部の加藤先生が加わった2人体制になって試験も2回になり、すでに中村先生ぶんの試験は終了した由。「どうして出席しないの!」などと加藤先生に言われてしまうけれど、こっちだって履修は3回目だし、好きで履修しているわけではないのだ。「どういう行動を取ったらよいか、よく考えてごらん」と言われる。期末の試験だけ受けるはずが大誤算である。

 教員免許取得は大学入学前から考えていたことだし、この期に及んで諦めるのか、という想いもよぎったけれど、加藤先生の試験も持ち込み不可でアミノ酸の二文字表記を書かせるような問題を出すみたいで、いまさら勉強したくもない事柄で変な丸暗記なんかしたくないし、別に中村先生に頭を下げて(ツーか、そもそも2年前の試験の採点に疑問がある)余計な仕事増やしてまで教員免許取る必要ないんだよな……介護等体験や教育実習など、有意義な体験はちゃんとやったし、と帰路の電車で考え始める。

 19時過ぎに家に着き、夕飯を食べて、若干ネットをして20時半には床につく。

 ……昨日遅かったからか、バイト中から眠くて仕方がなく、研究室でもウトウトし、散髪中もほとんど寝ていた。今日の新聞切抜きを見ていたら、自分が抜いた記事でミスを見つける(記事の続きがあるのに切り抜き忘れている)。「生物学A」のこともあり、不調な一日。


6月17日(火)

 午後にITS Japanの方にお話をうかがうことになっていたので、バイト後は研究室へ。10:40からその方が「自動車工学」で講義をされることになっており、その準備をしていたM1のTAから「プロジェクターからPCの画面が出ません」と電話がかかってきた(前任のTAが僕なので)ので様子を見に行ったときに、「なるべく早く戻りたいので、来週の授業前にしませんか」という話になる。

 どうも先生からは「相談にのってやって欲しい」と頼まれ、僕は「歩行者ITSの話を聞いておいて」と言われただけなので、お互いによく分かっていなかったようだ。

 そんなわけで研究室にいる必要もないのだけど、16時ごろまでいる。途中、早稲田祭運営スタッフのM田くんが、以前頼んできた数値計算ソフトを受け取りに来た。……学部生のころに実験などで使ったソフトをなぜ文系の人が? と思って何に使うか聞くと、彼の友人が東工大の学生でその人が使う由。

 新大久保の銭湯「万年湯」に浸かり、新大久保のてんやで「夏天丼」(割引券使用で619円)の夕食を済ませて山手線で新橋へ。NHK-CTIの6回目。10回講座なのでここから折り返しである。すっかり慣れてしまって最初のころのような緊張感もなく、ノートもあまり取らなくなってしまった。よくないよなぁと思う。知人の性格について紹介する、という課題ではさてどうしたものかなぁと思案したとき、応援部のリーダー紹介を思い出し、だいたいあれに従ってやったら評判がよかった。……でも、それじゃあんまり自分のスキルアップにならないよなぁ、と反省しつつ帰宅。

 でも、よく考えてみたら応援部の連中がやっている“他己紹介”は「まず全体を一言で言い」(=「この男、バカでございます」など)、「あとで詳しく紹介する」(=「先日ぅ、授業を受けていたときぃ、……」)のフォーマットにしっかり従っているわけで、ほかにも応用がききそうである。


6月16日(月)

 バイト後、研究室で昼まで過ごして西早稲田へ向かう。昼食は鉄研の新入生やA川くんと三品の赤ミックス(800円、新入生分を2人で割ったので1200円)。その後、部室に顔を出し、図書館へ。中央図書館へ…と思っていたけど、学生会館からなら戸山図書館が近い。まだ行ったことがなかったので、そちらへ行ってみる。

 中央図書館で借りた本をここで返し、15時半には東西線に乗って帰途に。早稲田からこの時間に地下鉄に乗ると、学習院や早稲田の中学・高校生でにぎわっている。よく考えてみれば、7時半にはバイトという形だけど朝刊各紙に目を通すところから始めているのだから、この時間に帰途につくのって、ある種適正だよな、なんて思う。

 家には16時半ごろに着き、夕飯前にひと泳ぎ…と思っていたけど、18時半ごろまでネットに興じてしまう。夕飯を食べたが最後、外に出るのがおっくうになってしまうのはこれまでの経験ですでに判明しているので、夕飯はあとまわしにして19時ごろ家を出る。外は小雨。自転車に乗れないほどではないが、帰りにもっと降っていたら話にならない。クルマで行こうか、とカギを持って家を出たあたりで、やっぱり歩いて行くか、と思いなおし、玄関と家の前を何度も行ったり来たりする。

 15分ほど歩いて着いたプールで30分ほど泳げば、これが10ヶ月のブランクなのか、もうヘトヘト。更衣室に隣接するお風呂になんとか入って帰途に。雨はすっかり上がっており、歩いてきたときに限ってこれだもんなぁ……と萎える。

 マイカーで来るところだったから、帰りは“乗合自動車”、つまりバスに乗って帰る。140円(バス共通カード利用)。浦安市内でバス路線を展開する東京ベイシティバスの2番系統はもっとも主要な路線で、20時台でも10分おきにやってきて便利。……のわりには大型バスの車内は7人しか乗っておらず、こんなんでいいのかな、最近増えている小型バスでもいいんじゃないかな、なんて思っていたら新浦安駅北口で15人だか20人くらいがばーっと乗ってきて立席まで出た。じっくり見ていたわけではないけど、乗ってきた人で定期券を持っていたのは3人くらいで、あとは現金かバスカード。浦安のバスは、鉄道駅が東西線の浦安駅しかなかったころの名残で、「浦安駅入口」で3扉を全部開放して乗客を一斉に降ろす、ということを今でもやっており、均一運賃でもないのに運賃は前払い。同じく、浦安駅一極集中がだいぶ薄れた今でも、浦安のバスは3扉。(ずっと浦安で育った僕は、終点のバス停でドアが全部開くのは当たり前という感覚だったので、都バスの学02系統が終点に着いても中扉しか開けないのを長いこと不思議に思っていた)

 モルツ350ml缶を空けて21時半には寝る。よく眠れそうだ。


6月15日(日)

 目覚ましをかけなかったのに、5時台には起きることができ、神宮に着いたのは8:40ごろ。早稲田大学−日本文理大学戦。こともあろうに、延長10回表に勝ち越し点を許してしまい、敗退。

 慶大鉄研のK山くんとホープ軒で昼食(ラーメン、650円)ののち、まっすぐ帰宅。 家には誰もおらず、ひとまずお風呂にかなりぬるい湯を張って入り、洗濯。

 夕方までゆったりすごし、自転車でケーヨーデイツーへ。浦安の臨海地区はイトーヨーカドーに続いてケーズデンキ、ベビーザらスなどなどが続々と進出して、ずいぶん様変わりした。ケーヨーデイツーでは、去年のモスの日にもらった「黄色いトマト栽培セット」の芽が大きくなってきたので植え替え用に鉢植え用の土を購入。いろいろ種類があってどうもよく分からないのだけど、たずねる店員もおらず、一番安いのを買う。

……浦安は、通過交通を市街地とは隔離した湾岸道路(国道357号)で分離して、市内にクルマがあまりあふれないようなまちづくりが進められてきたように思うので、湾岸道路に隣接しない場所にこうした比較的広い駐車場を備えた店舗がいくつかできてしまうのは、いかがなものかと感じた。子連れの客が子を叱る様子を見ていると、その口ぶりからなんとなく客層もよくないなぁなんて思ってしまう。

 買った土を自転車の後ろカゴに入れて、ちょっとヨロヨロしながら家に帰り、さっそく物置から使っていない鉢やプランターを持ってきて植え替え。どうも本当は鉢やプランターの底には石を敷き詰めるようなのだけど、なにせこういうことは小学生でアサガオやホウセンカ、ヒマワリ、ヘチマを育てて以来だから、難しい(結局、直接土を入れてしまった)。栽培セットにまいた種のうち、3本の芽が出てきていたので、一番大きいものを鉢に、残り2本はプランターに植える。引き抜かずに土ごとスコップですくって植えかえるのだけは小学生の理科で覚えており、そのとおりにやり、たっぷり水をやって終了。……これをほかの草花の脇に置いておけば、母が水をやるときに自動的にメンテナンスされるという算段である。以前、何度か自分で花や観用植物を育てようと挑戦したことがあるけれど、いずれも水やりを忘れて挫折している。(^^;;)

 夕食は、恐ろしく早くもらったというお中元で少し豪華。


6月14日(土)

 起きたのは7時過ぎ。風呂には入らず、朝ごはん。

 10時ごろまで日記をつけたりして過ごし、およそ10ヶ月ぶりだかに泳ぎに行く。いままで行こう行こうと思っては、いったん家に帰ってきたときはもうヘトヘトだったり、今日こそはと思ったその日にカゼをひいたりで、長い月日であった。

 30分ほど泳いでお風呂に入って着替えていると、小さい子どもを連れたパパ達がいっぱいやってくる。土曜日だからそういう教室があるのだろう。……しかしなぜまたパパばっかり? ここを写真に撮って「父親はちっとも子育てを手伝わない」と言っている人達に見せてあげたい気分だが、よく考えてみればここは男子更衣室だからであって、女子更衣室に行けば子連れのママがここ以上にいっぱいいるのだろう。ところで、パパに連れられていっしょに歩いてくる子はほんのわずかで、たいていはだっこされてやってくる。中にはまだ寝ている子までいて、長いすに寝かされて着替え始めたころに起きるなどという有様。まだオムツの取れない子が少なくないとはいえ、歩けない子が泳ぎに来るとも思えず、いかがなものかと思う。……さらに、オムツの取れない子が泳ぎに来るのはもっといかがなものかと思う。スポーツクラブは競争が激しいから、そういう子でも集めてスクールを開かないと致し方ない面があるのかもしれないけれど、、、

 昼ごはんを食べて家を出、日比谷公会堂へ。この暑いのに東京駅から日比谷公園まで歩くなんて……と思ったものの、京葉線の東京駅から東京国際フォーラム・地下鉄有楽町駅・地下鉄日比谷駅、と、地下道が延々とつながっており、出口を出れば日比谷公会堂はすぐそこ。都営地下鉄の日比谷駅は数年前から製薬会社の三共をスポンサーに壁面を鮮やかなイラストで飾っており、歩いていて楽しい。

 15時からの「六旗の下に」を六旗会の人たちと楽しんで、終了後は新宿へ行くという彼らと別れる。別口で来ていた鉄研の3人と、西新橋にあるモスフード直営の「まめどり」を履修して、帰りは京浜東北線で帰途に。


6月13日(金)

 バイト後、研究室へ寄り、大学の図書館で借りた本や昨日複写してもらった資料を自分で読む用にコピーする。

 午前中に「お先に」という雰囲気ではないのでやりにくいのだけど、研究室を抜けて11:35の理工バスでまずは西早稲田へ行く。三品で赤玉(560円)の昼食ののち、いったんガイド室に寄ってから地下鉄とJRで東京国際フォーラムへ。ITS Japanの年次総会シンポジウム(参考)に。

 東京国際フォーラムでのイベントは初めて。7階にある会場(ホールB)へ行くのにエスカレータしかないのにびっくり。しかしまぁ、こんなの都庁の跡地いっぱいに作らなくたってよかったのにねぇという印象は強く持った。東京ビッグサイトでは都心から遠いから都心にもこのような施設の必要性はあるだろうけれど、それにしても大規模すぎる。……よく有楽町から京葉線の東京駅へ出るのに歩くときは、広々とした空間で居心地のよいところでありがたい面もあるけれど。

 ITSというと、もっぱらマイカーばかりが取り上げられるけれど、バス会社(奈良交通)や鉄道会社(JR東日本)の人のプレゼンがあったりして、割りあい興味深い内容。しかし、JR東日本のように今のところは状況のよい会社はともかく、そうではないバス事業者などの場合、ITS化の費用を誰が負担するのか、という問題にはまだ誰も答えを見出していない。

 じゃぁ、ひるがえって今の研究はどうなのかと考えてみる。先生から断片的に聞いた話を自分なりに解釈すると、研究室で作る電動バスを走らせたいというのがそもそもの発端なのだ。そこへ、早稲田大学の本庄開発がちょうどよいタイミングでやってきたので、ちょうど新幹線の駅もできることだし、本庄の地で、というだけに過ぎないのではないか(推測)。本庄市役所でお話をうかがった限りでは別に本庄市当局がコミュニティバスを欲しがっているわけではない。それ以前にそういう構想を研究室側で持っていることも把握してないんじゃないのかという雰囲気さえある。白井総長のお墨つきがあるといったって、別に何らかの支援があるわけではなく、オール早稲田のプロジェクトでもない。交通計画系の先生がプロジェクトに加わっているわけでもないし、逆にどうも次々と断られているのではないかというふしさえ見られる。

 コミュニティバスといっても、民間事業者が完全独立採算でやっているケースはきわめてまれであって、たいてい自治体による年間数千万円の財政支援で運行されている。本庄市役所にそんなお金はあるのか。先進的なシステムにしようとすればするほどコストはどんどん高くなる。来年4月には新幹線が本庄早稲田に停まるのでそれに合わせて運行開始したいと先生は言うけれど、残り10ヶ月でどうやって調整するのか。……研究室側で一方的に計画をたてるには学生の尻をたたきさえすればよいかもしれないが、「地域コミュニティ交通」というからにはそれは無理ではないのだろうか。。。それに、計画などソフト面の話がある程度分かるのは僕だけで、その僕にしたってプロならともかく、ほんのわずかな期間を複合領域で過ごしただけで、本当は院には計画系の先生のもとについて学ぶつもりで来たペーペーなのだから。

 休憩時間に研究室OBであり「自動車工学」でも教壇に立っていらっしゃるITS Japan専務理事の方にお会いする。先生から「石さん(=ITS Japanの方)に会って歩行者ITSの話聞いておいてよ」なんて言われ、いつのまにか17日(火)の午後でセッティングされてしまったのだけど、「何をお話したらよいですかねぇ、火曜までに考えておいてくれますか」と逆に聞かれてしまう。やれやれ。。。

 2つ目のセッションは「テレマティクス」(マイカーの情報化ということらしい)についてのパネルディスカッションで、まったく興味なく公共部門の話が終わったら帰るんだったと反省。17時半を少し回って終了で、東京国際フォーラム直結の京葉線東京駅から電車に乗って帰る。

 夕飯のあとは、今朝読んだ先週末の「日経プラス1」に載っていた「SOHO 便利で心地よく」に触発されて、部屋の模様替えに手をつける。PC2台に加えてADFつきのスキャナなどを備え、当然ながら常時接続環境の整った自室は完全なSOHO空間である。……が、寝る空間と仕事の空間が混在して(机から本棚へは布団をまたがないといけない)いたりして、いまいち機能性に欠けていた。

 急には無理なので、ひとまず本棚とテレビを動かす。もともと子供部屋だったこの部屋はじゅうたん敷きだから重い本棚(=もと食器棚)をズルズル引きずっても大して困らないのはありがたい。

 ……こんなことやっていると、よけい研究室には顔を出さなくなってしまいそうである。が、「職住近接のコンパクトシティ」とか抜かしている奴が、既存ストックを活用して自宅に作業場を作るのは悪い話ではないだろうと思う。もともと2人用の子供部屋だから、一人で使うには非常に贅沢なほど広い(10畳ある)のである。


6月12日(木)

 2日も研究室を空けるのはよくないんだろうか、などと思いつつ、バイト後はまっすぐ国会図書館へ。一般研究室(実際に行ってみたらさすがに個室ではなかった)の利用証をもらい、前回後日受け取りで頼んだコピーを受け取り、バス専門誌のバックナンバーと格闘。

 昼食は館内の喫茶店「フェリカ」(Suicaにも採用されたソニー製ICカードのような名前)の日替わりランチ(520円)で昼食。早稲田界隈の量に慣れていると物足りないけど、定食系はこれとカレーセット(サラダつき、520円)しかないなかで女性にこれは多いんじゃないのかなぁという程度の量。………国立の施設内とはいえ、永田町のど真ん中に店を構えてこの値段で提供するにはメニューを絞り込むしかないのはわかる気もするけど。。。そのわりには健康増進法施行後だというのに灰皿がちゃんと置いてあってタバコを吸う人もちらほら。

 15時には帰ろうと思っていたのがなんだかんだいって16時を過ぎてしまい、永田町から普通回数券で有楽町へ出て、明日来る東京国際フォーラムを歩いて京葉線で帰る。本屋に寄り道したりして帰宅は18時過ぎ。


6月11日(水)

 研究室へ行こうかとも思ったけれど、部屋が散らかり放題なのをなんとかしたくて、バイトが終わったら帰る。久々に昼に在宅なのでついだらだらしがちだけど、なんとか洗濯だけはする。昼食は父が打ったそば。…クリニック職員の方や製薬会社の方にもふるまったらしい。

 この暑いのに、と思いつつスーツを着て14時半ごろ家を出、再びJR東日本本社へ。16時から適性検査(SPIの性格検査。久々に受けた)を受けて、18時からは社員食堂となりのレストラン「東雲」で機械系採用の内々定者と機械系採用社員の懇親会。乾杯の音頭を取った取締役運輸車両部長の方は、前の広報部長で、「内々定者じゃなくて2〜3年目の奴がいるなと思った」などと言われながら常務などに紹介していただく。……入社前からこんな方々に顔と名前を覚えられているなど、NHKだったらありえなかった話。

 20時ごろには会が終わり、どうもメールを読み間違えたらしく22時までだと思っていた僕は2次会へ参加。新宿駅新南口の「GOODTIMES」にて。ここでは学生から1000円。

 なんだかんだいって帰宅は0時。さっさと寝る。


6月10日(火)

 バイト終了後、午後からの神宮まで間があるので、いったん研究室へ。モス千駄ヶ谷店で時間をつぶすのも一興だったけど、公式サイトの店舗情報をプリントしてくるのを忘れた。

 12時前に研究室を出て、「めとき」の中華麺で昼食。800円。13時半からのはずの全日本大学野球選手権1回戦、早稲田大−旭川大は第一試合が延びて14:20から。全国大会になると、各リーグで応援団の流儀が違うのも楽しみのひとつ。第一試合の仏教大学−日本文理大学は、仏教大のリーダーが坊主・サングラス・ヒゲ・長ランに加えて太っている、と、『こち亀』にでも出てきそうなステレオタイプの要素満載の風貌。対する日本文理大はなんと白ラン。早稲田に対する旭川大は応援団がなく、エール交換では野球部の補欠と思しき人が指揮台に上がる。試合は、中盤まで0-0が続いてハラハラしたものの、終わってみれば6回ウラに1点を取ったあとの7回に一挙6点の猛攻でコールドサヨナラ勝ち。

 終了後、銀座線で新橋へ出て、銀座金春通りにある「金春湯」(公式サイト←BGMが出ます。ご注意)という銭湯でさっぱりしてから、NHK-CTI教室へ。

 今回で5回目だけど、いろいろ悩み事があったからなのか、試合なんか見たあとだからか、風呂なんか入っちゃったからか、いつになく緊張感のない回。先週教わったことをすっかり忘れていたりして、、、、通う以上、これではいかん。


6月9日(月)

 バイト終了後、忘れ物を取りに家に一旦帰る。往復2時間、とんだ時間のロスになってしまった。昼食は行きがけに新大久保駅近く「とくの屋」で冷やしかき揚げそば大盛(100円の割引券使用で400円)。いつも食べ始めてから後悔する味なのだけど、いいかげんに僕の通学途上に、西葛西の「やしま」のような安くておいしい立ち食いそば屋ができないものか。

 研究室に着いて、しばらくしてB4の卒論指導とあわせて僕の修論指導。「研究以外の活動(=課外活動)は何とか減らせないのか」と言われる。「どうしてもというなら指導の上でも考えがある」と、僕が数日前に考えていたのとまったく同じセリフが先生の口から出て、こちらからも思っていることはそれなりに伝える。……僕が同じセリフを吐いたところで僕から次に出てくる言葉は「辞める」しかないわけで、それはさすがに僕の一存で、しかも即決できる話ではない。学費を負担している両親に相談は、内々定はどうする、等など。

 昨年に比べて信じられないくらいに課外活動は減らしたし、そんなに研究活動に支障が出るほど精を出しているつもりはないのだがなぁ(要はメリハリの問題)、と、鬱な気分で研究室でしばらく悶々とPCに向かう。学部時代の教授との共同指導という話だったから特に考えずにこの研究室にやって来たけれど、その話もウヤになった(鉄研用語で「無しになった」の意)し、こんな話ならやっぱり西早稲田にある社研やア研に進むんだったかなぁ、、、でも今さらどうやりなおすのさ、もう一度修士課程に入りなおしてさらに2年学生生活を余計にやるのか? それとも博士課程か?? そんなことして将来何がしたいんだ、JRでは不満なのか? NHKなら満足なのか?

 ことあるごとに、中学・高校時代のほんのわずかな期間と、学部2年後期〜3年のころは楽しかったなぁと思う。しかし、中学・高校時代にほんの少しだけ味わって、受験生活突入とともに失った生活は大学に入っても戻ってくることはなかったし、学部3年のころにようやくやってきたと思った充実した学生生活は長続きしなかった。

 TODOメモを付箋紙に書いてノートの裏表紙に貼り、16時過ぎに研究室をあとにして帰りの電車の中でもずっと考えていた。……新浦安駅を出て、ちょうど家の門をあけようとしたその時、何の脈絡もなく、ふっと、「ああ、また放送やりたいなぁ」という言葉が頭に浮かんだ。

 CMが終わって、放送時間までのカウントダウンが始まり、あと10秒、9秒、8秒………というあの緊張感。「こんばんは」の第一声。一週間の自分の生活のこと、鉄道のこと、北海道のこと、旅のこと、を60分にわたって電波に乗せてラジオのスピーカーの向こうにいるはずの人に、話す。話す。話す。……惰性で続けていた時期もあったことは否定しないけれど、学生生活の中で最も長続きして、そして、一番充実していたこと、それはラジオパーソナリティーをしていたことだ。

 ……昨年末に一旦終わらせて、自分にあった表現メディアというものを考えるつもりだったけど、結局ここへ戻ってきてしまうのだろうか。


6月8日(日)

 合宿の場ではめずらしく、僕が起きたのは一番最後。またお風呂に浸かり、朝食。9時過ぎにO野くんのレンタカーで奥大井湖上駅へ通じる遊歩道の入り口まで送ってもらう。“レインボーブリッジ”のど真ん中にあるこの駅と接阻峡温泉の間は遊歩道があって所要40〜50分、と昨日の車内放送で聴いていたのだけど、遊歩道の大半は県道(=車道)と共用で、遊歩道入り口から奥大井湖上駅までは、“レインボーブリッジ”上の通路を通っても10分ほどで、まもなくやってくる井川行きに乗って引き返すことにする。

 やってきた電車は客車を5両もつないで車内はかなりの乗車率。昨日の3人貸し切りが嘘のよう。「○○ツアーと××ツアーの方は、次の接阻峡温泉で下車です」という車内放送まであり、これならこの路線も収益をあげていることだろう。接阻峡温泉では僕と入れ替わりにH男くんが乗り、井川へ向かっていった。

 もう一度湯に浸かり、宿をあとにして10:52の井川行き。この電車もツアー客まじりで結構乗っており、車掌さんはベテランらしく観光案内もこれまでと違ってユーモアにあふれて楽しい。終点の井川から先、旅客営業をしていない区間もあって見に行きたかったけれど、1時間ほどの滞在時間では難しく、次回来たときにおあずけ。駅前に並んでいる自転車を見て、あー、この自転車をかっぱらって行ければなぁ、などと不届きなことを考えていると、実はそれは貸し自転車で1回200円で利用できると判明。しかし、気づいたときはもう遅く、折り返しの発車まで20分ほどしかなかった。

 井川に着いたときに帰りの東京都区内までの乗車券(これも硬券)を学割で買ってあったのに、再び駅に戻ると「すいません、それ、発行替えします」といわれて硬券から出札補充券にされてしまった。どうも学生証番号の記入がどうとかで硬券では書くのに小さすぎるということらしい。なんだよー硬券じゃないのかよー(出札補充券での学割乗車券はすでに持っているし)とがっかりしたものの、裏面の特定都区市内駅に関する注意書きに「その区間内にある国鉄線各駅で下車できます」という文字を見て、ちょっと納得する。そういえば発行日も「昭和」の上からスタンプで「平成」と押してあるではないか。

 井川12:25発の電車に乗れば、あとはもう電車を乗り継いで家へ向かうだけ。車掌さんのアナウンスどおり、帰路の電車はほとんどの乗客が夢の中で、僕も接阻峡温泉から長島ダム駅まで寝てしまい、レインボーブリッジのあたりはすっかり夢の中。千頭で金谷行き急行に乗り継ぐと、昨日乗ったのと同じビスタカーの電車。昨日のとは別なのに乗りたかったなとも思ったけど、ちょうどデジカメのバッテリーも切れてしまったからもう写真も撮れないし、おとなしく乗る。

 金谷では思っていたより2本ほど早い電車に乗れて、静岡では1時間20分ほど余裕があった。東京まで特急「東海4号」で、と思っていたのだけど、時刻表の料金欄を見ると、指定席が2610円、自由席でも2100円で、新幹線(指定2920、自由2410円)と310円しか変わらないのがバカバカしく思えてきた。乗換えがないのとリクライニングシートで快適、というのがあるけど、普通列車だって沼津と熱海の2回だけ(沼津からの東京行きもある)だし、東京行きならグリーン車もある。……特急「東海」は新幹線から乗り継げば半額なので、何らかの機会に新幹線に乗るときに使ってみようと思う。

 というわけで静岡16:10発の沼津行き。沼津から乗り継いだのは品川行きで、品川・東京で乗り換えるよりは、と、熱海始発の快速「アクティー」に乗り換えることにする。せっかくだからグリーン車にしようか。……と思ったら、湯河原〜熱海でちょうど100キロを超えている。グリーン料金は100キロまで950円、150キロまで1620円と、とんでもない格差があるので、品川行きは湯河原まで乗って、そこで乗り換える。東海道線のグリーン車に乗るのは高3の箱根合宿の帰り以来というのも、グリーン料金をケチって湯河原から乗ったのも同じく7年ぶりだ。データイムグリーン回数券なら1枚あたり500円、昨日の往路でA川くんがグリーン車に乗ったというから、回数券を買えば安く済んだし、100キロを超えるか超えないかを気にする必要もなかったのだが。。。

 2階建ての階下で4人分を占領して、湯河原駅のNEWDAYSで買った「氷結」を飲みながらInterLinkを広げれば、東京まではあっという間。京葉線に乗り継いで帰宅し、20時台だったけどメールチェックもせずに寝ることにする。本当に有意義な週末だった。


6月7日(土)

 ほとんど寝ないまま外が明るくなってきて、5時台には家を出る。新浦安駅で、次の電車まで余裕があるなとホームのベンチで少しのつもりで目を閉じたら寝こんでしまい、やってきた電車の発車ベルで目が覚めてあわてて乗り込む。

 東京駅のみどりの窓口で金谷までの乗車券を買い、ホームへ行けば乗ろうと思っていた沼津行きはまだ入っておらず、1本前の小田原行きが停まっていた。6:18発の185系で運行される電車である。沼津行きでずっと寝ていこうと思っていたのだけど、入線はこの小田原行き発車のあとなので、小田原行きに乗ることに。この電車は中学生・高校生のころ、試験で朝早く学校へ行く(なぜか試験の日は朝早く行っていた)ときに何度か乗って以来ではないか。

 当時とは変わってリクライニングシートになった車内でシートを倒して目を閉じるも、しばらくは寝つけず、藤沢まで何度か目を覚ましたけど、そのあとはすっかり熟睡して、気がついたのは小田原に着いて「終点ですよ」と起こされたときだった。

 品川駅でポイント故障があってこの1本前の熱海行きが大幅に遅れている(その割には乗ってきた電車は定時に着いている)アナウンスがなりひびくホームにいると、伊豆箱根鉄道のホームが目に入る。そういえばあの電車はまだ乗ったことがないんだな、と時刻表を見ると片道20分ほどなので、乗ることにして改札を出、8:00発の大雄山行き。自動改札になっているのにびっくり。JRの「小さな旅」のウォーキングイベントがあるらしく、それらしい格好をした中高年の人達に混じって大雄山駅の改札を抜け、折り返しのきっぷを買ってひき返す。券売機に連絡きっぷのボタンがあったので早川まで買ってみると、なんのことはない、首都圏で売っているのと同じ「小田原→140円区間」と書いてあるだけでがっかり。車内で車掌が売っている車補が穴あけ式なのを見て、あれがよかったなぁと思う。

 小田原で8:52発の電車に乗ればこれも185系。東京7:24発の電車で、これは高3のころ毎日品川まで乗っていた電車だ。熱海まで行っても乗り継ぐ電車は同じなので、一度降りてみたかった根府川で下車。天下の東海道本線、しかも東京近郊区間なのに無人駅という稀有な駅。Suicaの簡易改札機を初めて見る。

 次の電車を熱海で乗り継ぎ、吉原で下車。岳南鉄道に乗ってみることに。小田原の伊豆箱根鉄道と違ってここのきっぷ売り場は手売りだけで、しかもすべてが硬券。10:20発の岳南江尾ゆきは、吉原祇園まつりがあるとかで浴衣姿の子どもがちらほら。吉原本町で降りてゆく。終点の岳南江尾は本当に何もないところで、3分後に折り返す電車に乗って今度は日産前で下車。来るときの電車内からモスバーガーの看板が見えた気がして、家で調べたときはこんな場所にはなかったと思うんだけどなぁと思いつつ、行ってみることに。……しかし、そこにあったのは、遠目にはモスと極めてよく似た別な看板で焼肉屋だった。おなかも減っていたので、付近にあったいくつかのチェーン店のなかで「すき家」を選び、サラダセットの昼食(380円)。すき家は馬場以外行ったことがなかったのだけど、馬場が食券式なのに対し、ここは吉野家に似た事後精算式。

 約40分後の電車で吉原へ戻り、再び東海道線車中の人に。しかし、それも30分ほどの清水で下車。今月下旬オープンの橋上駅舎を横目に仮設駅舎のを出て、まずは駅前のローソンで道路地図を購入。それを見ながら静岡鉄道の新静岡駅へ。

 静岡鉄道は地方の中小私鉄にしてはかなり先進的な電車・バス共通のSFカードを売っており(名鉄ですらまだ実現していないのに)、データイム専用のプレミアム額の大きい(1000円で1300円分)のにも惹かれたが、静岡市・清水市合併記念の絵柄だった通常の(1000円で1100円分)を購入。電車は6分おきにどんどん出ており、12:36発の電車に乗って御門台で下車。モスバーガーみかど台店を履修。時間に余裕があるので食いモス。テーブルにクロスのかかったモスバーガーは初めて。ほかのファストフード店ではこんなことはありえず、こういうところがモスの魅力でもある。ガラス張りで開放的な店内と合わせてかなり気に入った店舗だった。

 再び静岡鉄道で新静岡駅に着き、徒歩で静岡駅へ。ちょうどA川くんから電話ががかってきて、ホーム上でI北くんともども合流。14:09発の電車で金谷へ。

 大井川鉄道の運賃の高さに驚愕しつつ、15:06発の千頭行き。もとビスタカーの電車で、せっかく高い運賃払ったのだから、と起きていようと思っていたものの、どだい無理な話で、金谷の次の新金谷あたりから記憶がなく、終点の千頭でA川くんに起こされる。

 大井川鉄道には二つの顔があり、ひとつは千頭までの路線。ここはSLをはじめ、特に関西私鉄の旧型を集めて運行している“動く博物館”。もうひとつは、千頭から先、終点の井川までの“ミニ列車”井川線。これは井川ダム建設資材を運んだトロッコ路線を引き継いで営業しているもので、車両の大きさは各地で保存されている森林鉄道並みに小さい。

 井川線のりばでその電車――正確にはディーゼル機関車と客車――の小ささにまず驚く。そして、1両の機関車と3両の客車に乗客が我々3人しかおらず、乗務員が運転士と車掌、そして車掌の見習いの3人というマンツーマン状態なのに驚く。こんな非効率でどうやって維持できるのだろう、と心配になる。

 乗客が我々だけでも見習い車掌はきちんと観光案内をしながら電車は進む。アプトいちしろ駅で後部にアプト式電気機関車を連結。アプト機関車は車高が客車やディーゼル機関車の2倍近くある。それに押されて90パーミルの急勾配を上って、ひと駅目の長島ダム駅でもう切り離し。このアプト区間を含めて接阻峡温泉駅までの区間は、長島ダム建設時の線路つけ替えで、つけ替え費用は全額をダム建設者の国が負担してできた新線。トンネルの銘板が「中部建設局」になっているのですぐわかる。ダムが満水になると沈むという廃線跡を見ながら“レインボーブリッジ”という名のダムをひとまたぎにする橋を渡り、この電車の終点、接阻峡温泉到着。17:46。終点の井川まで行く電車も、引き返す電車も今日はもうない。

 すでにクルマで到着していて迎えに来てくれていたほかの鉄研会員とともに、駅前の「接阻峡温泉森林露天風呂」という名前の民宿へ。風呂のあと夕食、宴を経て、今回は平和裏に0時過ぎには就寝。


6月6日(金)

 バイトをして研究室へ行き、修論指導のレジメを書き始める。昼食は生協理工カフェでセット。理工スポーツ大会で休講なので理工レストランは休み。

 夕方には帰宅したろうか。そのあとは21時ごろから4時間ほど電気もパソコンも消さずにとった仮眠をはさんで、溜まりに溜まった今週の残務整理と明日の準備。結局寝たんだか寝なかったんだか分からなかったあの4時間以外は寝ないまま朝を迎える。


6月5日(木)

 バイト後、西早稲田で中学生ツアー。三品で赤ミックス(800円)の昼食。優勝セールで三品グッズが200円引きだったので、ちょうど買い換えようと思っていたキーホルダー(1200円→1000円)を購入。

 地下鉄を飯田橋で南北線に乗り換え、溜池山王で下車。丸の内線の国会議事堂前まで通路を歩き、国会図書館へ。国会図書館なんだから最寄駅は国会議事堂前だろうと、何も調べずに来たら、実は有楽町線の永田町が最寄りだった。……同じような間違いは国土交通省へ行くときもやったことがある(こちらは、霞ヶ関ではなく桜田門が最寄り)。

 はじめての国会図書館でまごまごしているうちに時間は過ぎてゆき、目当ての資料を手にしたのは15時半。即日引渡しのコピー申し込みは16時までで、ひとまず駆け込みで申し込む。後日引渡し分も16時半で受付を終了するので、もうひとつ申し込んでおく。引渡しは6月10日からとのこと。

 17時で閉館なので帰るわけだけど、一般研究室利用者は19時までいられるそうなので申し込みをしておく。明日以降、利用カードが受け取れるとのこと。一般研究室を利用は院生以外の学生では不可だそう。……大学中央図書館といい、国会図書館といい、院生の立場は思った以上に優遇されている。

 次の目的地は渋谷なので再び国会議事堂前まで歩き、赤坂見附乗換えで渋谷へ。国会議事堂の裏側の道路を歩いていくわけだけど、来るときもやっていた“国会前要請行動”はまだやっている。いつもやっているのだろうかと思ったら、あとで新聞を見て有事法制の議決が行われていたのだと気づく。ことの重大さにしては何の迫力もない要請行動である。

 渋谷ではモス道玄坂店でアイスコーヒー(200円)を購入して、火曜日に受けるはずだったNHK-CTIの振替講座。家に帰ったのは22時をとっくに過ぎており、この日も寝るのは0時近く。


6月4日(水)

 明け方より活動…の予定だったけれど、なにぶん寝るのが遅かったので、7時前に始動。近くの水沼駅でN須野くんを降ろして7:00発の間藤行きに乗るのを見送り、僕とA川くんはクルマで先回り。

 宮脇俊三さんの自筆原稿などがショーケースにも入らずに展示(持っていかれないのだろうか?)されている間藤駅は、向かい側にある工場の始業時間が8時なのかラジオ体操の音楽が聞こえてきたりするけれど、7:51着の電車から降りてきたのはN須野くん一人。高校生たちはひとつ手前の足尾で降りてしまった由。

 さっそく、クルマを足尾本山へ走らせる。足尾本山駅跡には今でも管理人がおり、勝手に入ると怒られるのでその人たちが出勤してくる前に……などと考えていたわけだが、この時間になってはさすがに来ている。以前よりも鉄条網が頑丈になった駅の入口から線路跡をたどって間藤駅の手前の鉄橋まで行き、再び線路跡を引き返して廃線活動は終了。9時をすでに回っていた。

 郵便局を履修しながら沿線を南下し、通洞から先ほどと同じようにN須野が電車に乗るのを見送り、沢入駅で拾う。こんどは草木ダムの国道とは対岸に延びるヘロヘロの県道を神戸(ごうど)へ向かう。草木ダムに沈んだ旧線跡の一部が神戸駅から少し離れたところに遊歩道で残っているも見て、神戸駅構内の「レストラン清流」(=東武DRCの廃車体を使って営業している)で「清流カレー」(600円)を食べる。ちょうど12時で、ブランチというには遅すぎた。

 再び局を履修しながら南下し、こんどは水沼駅構内で営業する「せせらぎの湯」で一浴。活動後の温泉履修には早い時間だけれど。

 早稲田を2限後に出発する別動隊(F島くんとH男)は佐野市内で待ち呆けているとのことで、水沼を出た後は、道路沿いに点在する局やモスを履修するだけでまっすぐ佐野へ。佐野郵便局で合流して、N須野くんの誘導で佐野ラーメンを食し、後はひたすら東京へ向かう。ここでA川くんと八男がクルマを交代。いったん群馬県内に入ったところでコンビニに寄り、毎日新聞を購入。4月に卒業して前橋支局で記者をしているW田くんの署名記事をいくつも見つけることができた。その後、F島とA川を乗せた車はあっという間に見えなくなってしまう。

 蓮田でN須野くんが離脱。時計は18時を過ぎており、レンタカーを20時に返すには高速に乗らざるを得なくなってきた。埼玉スタジアム2002での試合関連で混雑する国道122号線を降りて、岩槻ICから東北自動車道に乗り、川口から首都高へ。H男のナビのおかげでなんとか東京駅前のマツダレンタカーへ20時5分前に返却。

 レンタカーを返したあとは飲みにでも行きたいところだったけれど、残り3人は途中離脱などで帰ってしまったし、解散とする。


6月3日(水)

 ちゃんと起きられるだろうかと不安だったけど、目覚ましがなる前に目を覚ます。アルバイト先でもなんだか調子がいい。なんだかんだいって早慶戦を早稲田の2連勝で終えて、リーグ優勝パレードがあれば、心は晴れやかである。

 卒論指導の予定が入っていたので、久々に研究室へ直行。半月前から研究室のPCで使っている理工mseシステムのメール受信機能がエラーを起こしつづけており、理工メディアセンターで相談にのってもらう。昼食は「めとき」で中華麺(800円)。そのうち学部4年の学生も来ていたので声をかける……が、どうも反応がない。聞こえなかったのか、意図的に無視しているのか。。。人と話しているので強い口調で割って入るのもはばかられる。そんな雰囲気のなか、なんとか卒論指導用のレジメを見せてもらう。…先週の水曜には書きあがっていたそうなのになんで見せてくれなかったんだよーと思いつつ、赤ペンを入れる。んーむ。

 書式や用語の使い方がいくつか気になったほかは、特に内容に変なところはなく、今後の研究予定もしっかりしている。なぁんだ、別にこちらがお膳立てしなくたってちゃんと進められるだけの度量はあるのになぁ、と思う。

 前の班の指導が延び、先生にも来客が見え、そうこうしているうちに学部の学生も昼食に行ったとかで席を外してしまう。そのあと先生の時間が空くのは夜だそうで、いやーまいったな、今晩はどうしようかと思いつつ、昼寝をはさんで先日図書館で借りた本を読み始める。夜はA元くんとM藤さんの班の指導がすでに入っており、順当に行けば都市計画の班が先にあるようなところだけど、M藤さんの班は来客の方とともに指導を受けるそうで、そうもいかなさそうである。それに、夜がエンドレスになると僕の都合にも関わってくる。

 いろいろあって研究室を出たのは16時ごろ。17時過ぎに家に着き、あわてて出かける準備。19時に東京駅八重洲口という約束だったのが20時近くになってしまう。マツダレンタリースでA川くんやN須野くんとデミオを借り、一路栃木路へ。……A川くんがメガネを忘れたとのことで、いったん狭山の下宿に寄ったあと、モスバーガーを見つけては寄り、見つけては寄りながら進む。埼玉県には永谷園の和食レストランがあり、そこで夕食にしようという話になったのだけど、A川くんのナビで行った店は既に業態転換していてかなり広い駐車場つきの居酒屋になっており、その隣にあったすかいらーくで夕食。N須野くんがノンアルコールビールを注文し、どんなものかとほんの一口分けてもらう。

 その後ひたすら栃木は渡良瀬渓谷方面へ向かい、その日の晩の目的地「道の駅くろほね・やまびこ」に着いたのは午前2時ごろ。車内のシートを倒してほぼフルフラットの状態にして寝る。


6月2日(月)

 早慶第二回戦。寝不足&応援疲れの体でいちょう並木へ。グーグー寝て開門を待つ。今日の優先入場者の席は最前列の吹奏楽団のすぐ隣。

 8回終了時点で7-2の大量リードで、試合を抜け出して絵画館前へ向かい、ちょうちん行列の列につく……列といってもまだ6人くらいしか待っていなかった。ガイドのT田くんもそこにいて、ガイドの面々や、鉄研のK田やH田もやってくる。

 試合が終わった頃、昨日お会いしたNHKの先輩から電話。「比嘉のスコアと、今シーズンの三冠ってわかる? いま神宮でしょ? 6番入口に連盟の広報担当者がいるはずだから聞いてきてくれないかな」……えーっ、、人遣い荒いなぁ、、、と思いつつ、絵画館前から走る。比嘉のスコアはわかったものの、三冠は集計中とのこと。あとは六旗会のA藤さんにたずねて教えてもらい(翌日の新聞を見たら、4人が並んだ本塁打王のうち一人は間違っていた……)、電話。先方はもう既にわかっていたあとだったけど、「なんだよーこっちは散々走ったり電話かけたりしたのにさー」と思わせない応対で、さすがうまいなぁと思う。

 ちょうちん行列が戸山キャンパスに着いて第一回目のビールかけが終わったところで、K田やH田ともう一人の方と合流して、「稲穂」で飲む。飲み代は1600円。本当に早大鉄研にとって稲穂は中華料理屋ではなく飲み屋である。


6月1日(日)

 早慶第一回戦。昨日とはうってかわって学ランを着込んで神宮いちょう並木へ。……少し寝坊してしまい天気を見ないで家を出てしまったので、小雨がぱらついたときはしまったと思ったけど、試合が始まる頃には晴れてきた。優先入場で座席は最前列の一番内野側。O尾さんの指定席はどういうわけかいつもどおり。

 試合開始前の「紺碧の空」の最中に、NHKのストラップをさげた人がウロウロしているなぁと思ったら、なんとガイドの先輩にあたるNHKアナウンサーの方でびっくり。最終面接終了後に電話で相談にのってもらった方でもあり、僕に気づくなり「いや〜、あれでよかったんだよ」と声をかけられる。

 試合は接戦の末、終わってみれば大量得点の10-6で勝利。外野で見ていたガイドのほかの面々と合流して新宿で飲んだあと、歌舞伎町の騒乱(といっても警官隊が既に配備されていて、例年に比べてずっとおとなしい気がした)を眺めて、解散。神宮でもお会いしたO崎さんとまたお会いする。


2002(平成15)年5月の日記


高橋秀暢/hidenobu@toki.waseda.jp