2003(平成15)年7月の日記


7月31日(木)

 何度か目を覚ましたものの、ちゃんと起きたのは5時前。予定では3時半ごろに起きるはずだったのだが、9時間近く寝たことになる。

 内々定先の職場見学会があるので今日はスーツ。服だけでなくカバンなども違うのでモタモタしつつ朝ごはんを食べて、なんとかいつも通りの時間に出られそうだと思ったそのとき、玄関に革靴がない。日曜日に履いたままだから玄関にあるはず……と思っていたのだが、下駄箱の中にもなく、散々探す。父がどこかにしまったのだろうかと、すでに出かけている父に電話すると「触っちゃいないが、どうせお前がどこかにしまいこんだんじゃないのか?」と言われる。しまうったってどこにしまうのさ、、、といったん部屋に戻ったそのとき、日曜日は革靴で出かけてサンダルで帰ってきたことを思い出す。案の定、放ったらかしになっている日曜日に使ったバッグの近くから出てきた。

 バイトは早めに終了。TSUTAYAの会員証更新が今日までだったので、西口のローソンで立ち読みをして10時近くまで待ち、東口のTSUTAYAにほぼ開店と同時に入る。借りようかと思っていたCDはいくつかあったのだけど、一枚だけ借りる。

 集合時間までさいたま新都心でモス・スタバ活動をしようと思っていたのでひとまず埼京線ホームへあがれば、ちょうど10:30発の高崎線が停まっていた。埼京線は3分後か〜と一瞬思ったあと、この電車が赤羽に停まるのを思い出し、乗る。近郊区間路線図だけを見ればさいたま新都心にも停まるように見えるけど、浦和とさいたま新都心は上野発の電車しか停まらないので赤羽で下車。ちょうど隣のホームに上野発の電車が来たのでそれに乗り換え。この電車も高崎線で、大宮から先でこんなに走らせてどうするのという気がする。

 さいたま新都心で下車。Suicaのコマーシャルに出てきた改札口を抜け、駅周辺地図にたくさん載っている「〒」マークを見てショックを受ける。貯金通帳を忘れた。スタバとモスの場所はあらかじめ調べてくるなど相変わらずなのだが、初めての場所へ、しかも平日の昼にやってきたというのに、貯金通帳を忘れるなんて、中学2年以来血眼になって郵便局をまわっていたあのころの僕はどこへ行ってしまったのだろう……?

 まぁこの暑いのにスーツを着て局活動もあるまい、と、まずは、お腹も減っていたのでスタバではなくモスさいたま新都心合同庁舎店へ。食いモスにしたのはよいが、高崎線の車内で眠かったので思わずアイスコーヒーを注文してしまう。スタバタンブラーまで持ってきたのに、スタバへ移動したあと何を注文したものか。我ながらボケたことをやるものである。

 ふと気づいたのだが、スーツ姿の学生とおぼしき人が数人店内にいる。そういえば国家公務員II種の1次試験に通過したというK田が官庁訪問の時期だといっていたから、この合同庁舎にやってきた学生だろう。12時近くなり、北与野12時半ごろの電車に乗る予定なので、店をあとにする。スタバはあきらめて、北与野駅方面へ向かう。新都心を抜けたところに5階建てのアパートが何棟か建っているのが見える。この画一的な建て方と、この場所(さいたま新都心は旧国鉄の貨物駅跡)は……と思ったら、案の定、JR東日本の社宅。目の前に公立小学校と私立幼稚園があるが、おそらくここの生徒の大半は社員の子供と思われる。

 すぐ隣にさいたま新都心、その向こうがわにさいたま新都心駅、ほぼ同じ距離を反対側に行けば埼京線北与野駅。こんなのさっさと再開発してもっと魅力的な住宅を提供すればいいのに、と思う。よく見ると空き室が目立ち、そういえばバイト先で与野にお住まいの方が「そろそろ引っ越さないと」といっているのを聞いたから、その方のお宅がここだとすれば、JR東日本も同じことを考えているようだ。

 その社宅の隣にある「与野ハウス」というマンションの敷地内にあるモス北与野店で、今度はポテトを食べる。昼食時にやってきてポテトだけ食べていくなんて変な客だと思われたろう。

 さて、そろそろ、と北与野駅へ行き、改札を抜けて発車案内を見ると川越行きが出ていない。集合時間に間に合う電車は大宮12:36発だから北与野12:30くらいかと思っていたら、川越行きは快速電車で北与野には停まらないのだった。電光掲示には「12:25 大宮」「12:36 大宮」とあって手元の時計は12:24。次の電車が北与野を出る頃には乗るはずだった電車は大宮を出ており、危うく遅れてしまうところだった。

 大宮で乗り換え、次の日進で下車。知っている顔が見え、改札口で集合。社員の方の引率で徒歩20分ほどのところにある研究開発センターへ。1時間半ほど見学して日進14:48発の電車に乗って移動し、次は東京総合指令室を見学。ここには朝のNHKで流れる運行情報用のスタジオもあり、見ることができた。時間が来たらブースに入り、メークから何からすべて一人でやる(カメラの操作はNHKから遠隔操作)しくみで意外。カメラは常時ついていて、ブース内にあるモニタでも見ることができるし、渋谷のNHKでもモニタに写っているそう(誰も見ていないと思うけど)。何人かが入れ替わりたちかわりに座り、僕が座ったときに「なんだか本物のNHKのアナウンサーみたい」と言われる。そりゃ〜一歩間違えていたらそうなっていたんだから、ねぇ、、、と思うけど、言わない。でも、そんなにそれらしく見えるんだろうか。マイクに向かって、よく落としてくれたなーと言ってやってもよかったかも知れぬ。それこそ渋谷じゃ誰も聞いていないだろうけど(^^;;;)。朝の運行情報を担当するのは輸送指令(のなかで旅客指令を担当する人)なので、機械系採用。新しく担当する人にはちゃんとNHK-CTIから講師を招いて訓練するそう。しかし、2年前から画面に顔が出るようになってから、担当は女性のみとのこと。むぅ。

 新宿の本社へ移動して会議室にて歓談があって、解散。そのまま2人が帰ったけど、マイシティの屋上へ移動して呑んで(あとで社員の方も合流)、21時半ごろに帰途に。ほとんどの人は2次会へ移っていった。

 帰宅後、ネットに繋いでいろいろ見てたらNHKの秋採用(中途採用)ページが1日早くオープンしていた。見てみるとアナウンサーの募集がなく、少なからずショックを受ける。現時点でアナウンサーという仕事にまったく未練がないと言えばそれは大ウソだけど、いまの内々定先の仕事も面白そうだし、5〜10年くらい勤めてまだなりたいなんて思っているようならそのときまた受ければいいさ、と納得していたのだが。。。(第二新卒で受けられるのは入局時で27歳までだから、それだと2年しかない)

 背後では、借りてきたアニメ主題歌のCDをかけていたのがちょうど某アニメのエンディングテーマにさしかかっており、その「終わり」の雰囲気がショックを水増しする。


7月30日(水)

 バイトから帰り、昼食を済ませた後で久々に母方の祖母宅へ行く。母が叔母に誘われた由。祖母はすっかり“寝かせきり”になっており、話をしていると、同じ話を繰り返す。別にボケているわけではなさそうだけど、まるで志村けんのコントを見ているかのようだ。

 ずっと座っていても仕方ないので祖母宅の近くで伯父が開いている古本屋へ顔を出しに行くと、定休日。仕方なく店の前の自販機にあったマックスコーヒーを1本買って戻る。しばらく僕と母と叔母と祖母で縁側に出て、母と叔母が話すのを横で聞く。「女三人寄れば姦しい」とはよく言ったもの。2人でも充分かしましい。祖母は少し寂しげにも見える。

 夕方になってコムスンの方が来たところで、帰る。行きは高速だったけど帰りは京葉道路経由にしたらずいぶん混んでいた。月末の五十日(ごとおび)だから、無理もないか。


7月28日(月)

 まだお酒の残る頭と寝不足の体でバイトへ。終了後はまっすぐ帰って昼寝。昼食をはさんで午後もまったり過ごし、洗濯機はまわしたものの干さずにだらだら。。。

 夕飯後もダラダラ度は極限に達し、22時を過ぎて寝る。


7月27日(日)

 オープンキャンパスの日で朝9時に集合なのだが、起きたのは6時半。さっさと風呂に入ってバッグにあれこれ詰める。革靴を履いたあとに忘れ物に気づき、2〜3回部屋を往復する。最後の1回は思わず土足で上がってしまう。

 幸い、昨日作りすぎたとかいうおにぎりが台所にあって、ビニール袋に詰めてきたものを京葉線の車内で食べて朝食。海苔がおいしい。大手町から東西線に乗って早稲田で降りたのは8:45。am/pmでトマトジュースの500ml入りを買って歩きながら飲み干し、ガイド室に荷物を置いて部屋を出たのは一番最後。早稲田祭運営スタッフの面々は8時集合だとかですでにハッピを着て構内に陣取っている。

 9時からのオープンキャンパスは、キャンパスツアーのテントが2号館前から10号館前に引っ越したこともあって行列ができることもなく、テント内は平和。でも、次々とツアーは定員に達してゆく。ツアーを2回担当したほかはビラを配りにいったり、テントで受付をしたり。玉社の制服を着て歩いているのがいた(日曜日なのに…)ので声をかけてみると高2。2年前は中3、つまり、教育実習で担当した学年である。かろうじて声と最後の授業でやったことだけは覚えているそう。こちらは学ランを着ているし、当時はかけていなかったメガネをかけているし、印象はまるで違ったろうから、当たり前と言えば当たり前か。2年前にたった2週間だけ来ていた実習生の授業の中身を覚えていてくれただけでもありがたい話である。

 それにしても親子連れが目立つ。こういうところくらい一人で来れるようじゃなきゃなぁという気はする。そのうち早稲田でも保護者会なんかやる日がきたりするのだろうか。

 2回目のツアーを終えた15時から休憩をもらい、2号館前での応援部のデモンストレーションを、ちょうど来ていた六旗会の人たちと見る。その後、ワセ弁の「うなぎW」(土用の丑キャンペーンで50円引き、600円)で遅い昼食。16時からの増発ツアーを担当して終了。

 17時にツアーを終了させて個別の質問に答えていると、熱心に質問をしてくれた受験生から最後に「その学ランについているバッジ、もらえませんか?」と聞かれる。思わず、「グッズだったら生協で売ってますよ?」なんて言ってしまい、「そうですか…」と残念そうに帰してしまった。話を聞いていたら浪人生で、模試の結果ではほとんどギリギリでしかも下がりつつある、という話だったから、同じ早稲田グッズでも、生協で買うのと、オープンキャンパスで構内を案内してくれた先輩(になるはずの人)からもらってお守り代わりか何かにするのとでは全然違うだろう。バッジなんてせいぜい400円くらいだし、悪いことをしてしまった気がした。

 17時半を前に始まっていたミーティングに混じり、早く終われ〜と不謹慎なことを考えながら18:10頃には終わる。早く終わってほしかったのは、19時半からの飲み会を前に早稲田通沿いの「松の湯」へ行こうと呼びかけていたからで、総勢8人で行く。さっぱりしたあとは学ランから着替えて持参したサンダルに履き替え、バスで馬場へ。

 21時半に1次会が終わり、ロータリーで校歌と紺碧の空を歌ってひとまず解散。8人が残って2次会へ。珍しくカラオケだったのだが、相変わらずのマニアックな選曲で周囲をしらけさせ、「誰も知らないような曲を歌えるなんて、もはや特技ですよね〜」なんて言われてしまう。

 それも23時半には終わり、JRで帰る。京葉線は終電の1本前。


7月26日(土)

 「よろず音楽堂」を聴きながら今日の発表の準備をする。例によって3時からは「ラジオ深夜便」に切り替える。4時からの「こころの時代」は聞こえては来るけど耳には入らない。このコーナーはレポートを書きながら聞いて頭に入るものではない。

 5時には何とかそれらしい形のものになってもう一度寝る。7時ごろ起きてまたPCを起動すると何やら部屋全体がユラユラ。0時過ぎに宮城で地震があったのはいちかわエフエムで速報が入った(スタジオでも揺れたのか、それとも地震速報が自動的に局に届くシステムでもできたのだろうか…)が、またあったらしい。

 地震情報ばかりのNHKを見ながら朝ご飯を食べ、再びPCに向かってcueシートを書く。cueシートといっても、どのくらいのことをしゃべったらどのくらいの時間になるかの見当があまりつかなくなってしまい、時間は書かない。

 11時過ぎに家を出て大学へ。昨日終わらなかった人がいたとかで、14時ごろにスタート。坦々と終了。

 遊興局のI原さんにメールを打ち、今日の集合場所を確認したらすでに集まって場所取りをしているという返事が来て、16時ごろ研究室を出て言問橋近くの三ツ目通りへ。最寄は浅草線の本所吾妻橋で、理工から行くにはルートに悩むところ。結局、新大久保から山手線と総武線を乗り継いで秋葉原で降り、浅草橋までひと駅を歩き(乗り越し130円を節約)、そこから浅草線。秋葉原から浅草橋までの総武線の高架沿いを歩いたのは初めてで、古めかしいガード下には空きスペースがほとんどなく、ドリフのコントに出てきそうというか、そのうち『東京人』に特集を組まれそうな趣きある雰囲気。来年以降だったら歩かずに社員パスで浅草橋へ行ってしまうところで、この社員パスというのも良し悪しだよなぁと思う。

 浅草線がこんなに混むのは年に何回あるのだろうというくらい混んでいて、駅構内にはずいぶん多くの職員が出てキップを売ったり整理にあたっている。都営交通の非常勤職員というのは聞かないから正職員のはずで、彼らは普段何をしているのだろう、とふと思う。

 本所吾妻橋は営団地下鉄ならとっくにリニューアルされていそうな(一時期の外苑前駅よりすごい)ほど汚れており、都営交通と営団地下鉄の合併論が都庁内で出てくるのもわからないでない。でも、こうやって放って置かれている駅も悪くない。一時期の博物館動物園駅(京成電鉄)のようになると却って価値が出てくる。

 駅を出て、コンビニでパンを買って食べる。この時間のシフトに入ってしまった店員さんは花火を見られないのか。店長もシフト作りが大変だろうなぁと思う。東武線のガードをくぐってしばらく行くと遊興局の面々がいるのを発見。交通規制はまだなのだが、信号が赤のあいだを見計らって道路にはすでに「Waseda Sai 2003」のロゴをガムテープで描いて場所取りがしてある。

 交通規制が始まり、待機していた人たちがいっせいに道路上にビニールシートを敷きはじめる。隅田川花火大会が始まったのは19時。誰かがオセロなんぞ持ってきていて、花火そっちのけでやってしまう(←ばか)。代表は強かった。

 20時半には終了し、後片付け。いつの間にやら運営スタッフの人たちとははぐれて、S家くんなどとそこらへんを浅草駅方面へ徘徊していたつもりが、本所吾妻橋駅へ戻ってきてしまう。そこではぐれたうちの一部の人と合流。浦安までどうやって帰ろうか考えるところだけど、I原さんとともに本所吾妻橋から印西牧の原行きに乗り、青砥で成田空港行きに乗り換え。鬼越まで行くと言うI原さんとは別れて八幡で降り、いちかわエフエムに顔を出してみる。ちょうど「温故知新」が終わったところ。

 1時間ほどおじゃまして、本八幡から総武線に乗り、西船橋で南船橋行きに乗り換え。南船橋では東京行きの向かい側のホームに着き、京葉線の電車が来るまでそのまま待っていればいいやと思っていたら寝てしまい、気がついたのは京葉線の電車はとっくに行った後、乗っていた電車のドアが閉まって折り返すときだった。再び西船橋から引き返すはめに。帰宅は0時近く。


7月25日(金)

 PHSのマナーモードを解除せずに寝てしまったので目覚ましは枕もとで電話機がブルブル震えるだけで、当然気づくはずもなく自然に目を覚ますと5:15。変な夢を見ていた。

 お風呂に入りながら夢の内容を思いだす。旅行先のホテルにチェックインしようとしたら、ネット予約をしたか何かで確認画面をプリントアウトしたものを忘れ、フロントで反省文を書かされたという話だった。本当に変な話だが、夢の中とはいえ、そこでおとなしく反省文を書いてしまう自分も自分だと思う。現実の世界でも簡単に頭を下げすぎじゃないのかと。「すみません」「ごめんなさい」、そういう言葉や気持ちも大切だけど、ビジネスの世界でこの言葉を安易に使うのはよくないと思う。

 前日のお酒……というか、お酒はモルツしか飲まなかったから油っこい食事のほうが原因だろうと思うけど……がまだ残っている体で朝ごはんを食べて6:49の快速電車。ちょっと遅い。

 東京駅で7:16発の電車が停まっているところへ乗り込んだところで、「ただいま新宿駅で人身事故が発生したという情報が入りました。しばらくお待ちください」というアナウンス。ひとまずバイト先へ電話。続いて「この電車、神田駅まで運転いたします」というアナウンスがあり、これじゃぁ神田で抑止だなぁ、と見送って7:20の電車の車内で待つ。まだ振替輸送の案内はなく、神田で言われても銀座線に乗ってさらに乗り換えて……じゃ面倒だ。

 ところがこの電車も「ひとまず発車いたします」。あれ、7:16の電車が神田で抑止じゃないのか、と思いつつ今度はそれに乗って神田まで。そうしたらここで止まってしまう。7:35ごろバイト先から電話があって「運転再開見込みは7:50だから、ゆっくり来ていいよ」。ゆっくりって、この電車が動くまで待ってていいよということなのだろうか。駅や車内のアナウンスも、「しばらくお待ちください」と言うだけで、振替輸送の案内がない。でも「運転再開の見込みは立っておりません」なんて言っている。あれ……?

 7:50ごろになって、ようやく振替輸送の案内がある。「新宿へお急ぎの方は山手線を……」って、緩行線も止まっているのか。神田から新宿だとちょうど山手線を半周することになり、出口も前後逆になる。振替輸送も、銀座線の神田駅はいま乗っている最後部ではなく秋葉原寄りだし、丸ノ内線の新宿駅も、バイト先がある南口からは離れたJR駅の北側にある。そろそろ動き出すなら乗ったままのほうがいいなと思う。他の乗客もほとんど降りず、座席はほとんどうまっている。

 やっと「次の御茶ノ水駅まで運行いたします」とアナウンスがあって発車したのは8:16。御茶ノ水駅ではいくらか停まっていたけどじきに動き出し、あとは普通どおりに走って新宿へ。もう8時半を過ぎていた。10番線ではなく9番線に到着。交互発着やってるのかなと思いきや、降りた目の前では駅員が人海戦術で白い布を持って10番線の目隠しをしており、「反対側をお通りくださ〜い」と盛んに言っている。どうも現場はここらしい。11番線ホームからは丸見えのようで、そこは黒山の人だかり。見ていきたい野次馬根性もないではなかったけど、バイト先へ直行。8:40。

 バイト君(=僕)と早番(=総武線沿線在住)が2人とも来なかったので、いつも6時半には出勤している(らしい)課長と9時からの取材対応でたまたま早く来ていた社員の方で仕事はあらかた終わっており、英字新聞その他に何も載っていないのを確認してあと片づけをしただけで終了。

 10時からゼミだと思っていたら、去年と違って他人のを全部聴いて……ということはやらないらしい。なぁんだ。A元くんのを聴いて研究室をあとにする。さっさと明日の自分の準備、、、とするのが普通だが、まずは高田馬場駅へ。鉄研会員数名と待ち合わせてラーメン二郎で昼食。その後久しぶりに部室へ寄り、14時に演劇博物館へ。ガイド数名と演劇博物館のガイドの方に案内してもらう。今回はT田くんが事前に人を募って申し込んでおいてくれ(僕は急遽参加)、前回ぶっつけで行って案内してもらったのとは違って、きちんと案内してもらえた。……ところが、眠くてあまり聴いていなかった。。。ごめんなさい。。

 そのあとまっすぐ帰ろうとは思ったのだけど、早稲田から東西線の快速に乗ってそのまま浦安まで行く。車内では爆睡して、浦安駅では久々にマックスコーヒーを買って飲む。浦安駅からは「おさんぽバス」で帰宅。このバス、いつも混んでおり、コミュニティバスとしては成功しているほうだろう。

 帰宅は17時半で、お風呂に入って夕飯はそれなりに食べて、19時半を過ぎてまずは寝る。いったん21時に起きて「サコラジ!」を半分寝ながら聴いてまた寝て、23時半ごろ起きる。


7月24日(木)

 昨晩は21時過ぎには寝て、3時半に目を覚ます。4時ごろフトンから出て、メールをチェックしたり昨日借りてきた本に目を通したり。

 せっかく早く起きたんだし朝ごはんはしっかり食べるか、と、5時半ごろに朝食。昨晩の残りを暖めて、いつもの朝なら信じられないくらいの30分もかけて食べる。6時を過ぎて、出る準備。夕方からの内々定者どうしの懇親会のためにスーツ(雨だし、飲み会だけなので古いの)なんぞ着て、ほぼ一日研究室にいることになるので参考書やら何やら持っていこうとしたら大荷物になり、先週末の旅行で使ったカバンに入れて出かける。少し目立つけど、高校生のころはいつもこのくらいのカバンで毎日通ってたよなぁと思う。

 バイトが終わったら新大久保駅近くのセブンイレブンで立ち読みをしたあと研究室へ。土曜日のゼミ発表の準備を徐々に進める。あんまり書くことないんだよなぁと思いつつある程度書き進めたところで、交通系のゼミなら言わずもがなのことがここでは誰にも通じないのだからその辺から書かなきゃいけないんじゃないかと気づく。……しかし、明日の昼は他の人の発表を聞くことになるから一日つぶれるし、いまから資料を図書館へ借りに行っている余裕はない。あーあ。

 でも、いつも迷うのは、どこまでが引用なのかということ。昨日借りてきた本を読んでいたら、2月の卒論発表会で見たのとまったく同じ表が載っていた。文献調査に頼る以上、大半が引用になるのは必然的だ。が、学部3年で研究室に配属されてしばらくしたときに先生から「君が考えていることは、もうたいていの人が思いついている」と、ある一冊の本を見せられたときの衝撃は今でも強く、本に載っているようなことを書いても仕方がないと思ってしまい、なかなか筆が進まないジレンマに陥る。……文献調査をしたならしたで、自分なりの言葉で得たことについて書けばよいのだろうけど、学部2年・3年の「理工学基礎実験」「機械工学実験」レポートで、調査=文献を写すことということが体にしみついており、なかなかそうもいかない。

 昼食もとらずに14:30ごろまで作業をしていて、14:35の理工バスでガイド室へ。そんなヒマあるのかという声も出そうだが、バイト先からいったん家へ帰ってまた懇親会へ出てくると思えば、その往復2時間分でガイド室へ行けるじゃないか、と頭の中で勝手に理屈をつける。

 机の上に置いてある日曜日のオープンキャンパス要項はもう最後の一部で、N須くんですら受け取りのサインがしてあった。滞在時間2時間なら16:10の理工バスで戻るところだが、ガイド2人と話し込んで16:50の理工バスで戻る。大隈会館を出たところで先生とすれ違う。2週間近く研究室で顔を合わせていない学生が、大学本部の建物から、しかもネクタイ姿で出てくるのだから、何をしているのかと思うだろう。。

 理工に着いたところで学部事務所の発行機で学割証を出そうとしたら機械が故障してしまい、手発行になる。白井総長名の手書き学割証はレアであろう。……せっかく受け取ったけど、使うに使えない。

 研究室は17:45ごろに出る。朝持ってきたはずの傘が傘立てになく、あれー、また間違って持って行かれちゃったかな、多慶屋のシールをはがすんじゃなかった、、、と思ったところで、もしかしたらセブンイレブンに置いてきちゃったんじゃないかと思い至って新大久保駅への道すがら寄ってみると果たして僕の傘が置きっぱなしになっていた。いきなり立ち寄って傘だけ持って立ち去るのも変だし、結局昼食を食べなかったので牛乳を購入。メグミルク300mlパック105円。

 新宿駅東口みどりの窓口前で集合した内々定者で歌舞伎町の「甘太郎」へ。まだお互いの顔と名前が一致していないので、それじゃぁ何か名札でも……と探すも、朝のバイトで使っている「JR東日本本社ビル出入証」しかない。しかたなくそれをつけていたのだけど、遅れてやってきた社員の方に「何つけてんだ」なんて言われてしまう。そりゃそうだ。ふつうこんなの一介の内々定者が持っているものでも、仮に持っていたとしても見せびらかすものでもない。

 誰かが「NHKの朝の運行情報」をやりたいなんて言っているのを聞いて、NHKといえば……と、毎度同じことを考える(お約束)。せっかくなので「それでは、JR東日本の○○さん? お願いします」と振ってみる。

 一次会は21時半ごろ終了し、2次会の「笑笑」へ向かう人達と分かれて1次会で帰る人達と新宿駅へ。

 帰宅後、昨日買ったスポーツドリンクの2リットルペットボトルのフタを開けていくらか飲んでさっさと就寝。


7月23日(水)

 4時半の目覚ましで起きる。バイト後、15階の売店へ行くときに、社員食堂用のプリペイドカードを買ってみる。売店でも使え、磁気カードなのだが繰り返しチャージして使える。来月半ば頃をめどにこの仕事は後輩に譲るめどがついているのだが、1000円くらいなら使い切れるだろう。売店では今日はカロリーメイトゼリーを購入。税込み190円。帰りの中央線車内で週刊少年サンデーを網棚に見つけ、NHKのラジオ講座を聴くつもりが読みながら東京駅まで過ごしてしまった。

 帰宅後、自室でPCに向かっているとついボーっとしてしまうのだが、ハッとしてノートの裏表紙見開きに貼り付けてあるTODOメモをチェック。去年までは「『超』整理手帳」についていたTODOメモが今年分からつかなくなって、ノートの見開きを使っている。しかし、ここ数週間使っていなかったので、今朝起きたときにやることを付箋紙に書いて貼っておいた。こういうのに書いておかないと、つい忘れて、時間を無為に過ごしてしまう。

 新聞切抜にはざーっと目を通すはずが、興味深い記事がいくつかあって午前中に終わらない。昼食は焼きそばで、12時半までNHK教育テレビを見て、父がテレビ東京にチャンネルを替えたあたりでお茶を2杯飲んで昼寝。13時に目を覚ます。12時半からの「チャーリーズ・エンジェル」は冒頭のナレーションが個人的に気に入っている。

 起きてから昨日読まなかった先週末分の切抜きを見る。気になる記事もいくつかあったけど、きりがないのでえいままよと見たのはほとんど見出しだけ。昨日のバイトの帰りに、こんなに分厚いのかと思ったのも当たり前で、A4用紙79ページ。九州での集中豪雨と脱線事故があったから特別分厚かったにせよ、いつもこんなに大量の情報を仕入れておいて、なんでこれを活かすことができないのかと思う。少なくとも本業のはずの場所では、私の評価は最悪に近いのではないか。バイト先で「キミ、明日から広報で働いてよ」とか、某所で「あなたが活躍できるフィールドはちゃんとある」なんて(どちらも半分以上冗談だろうけど)言われたりすると、いる場所を間違えているんだろうなぁと思う。とはいえ、バイト先でもある内々定先は、いまいる場所を中退してしまうと入れないのである。

 日記をつけたり、小遣い帳をつけたりしたり、憂鬱な気分になったりしていたら、16時半になってしまう。14時ごろには家を出るつもりだったのだけど……。図書館で本を借り、郵便局へ寄り、久々に泳ぎに行って、帰りにダイエーで買い物をして帰ったら19時半。夕飯はシチュー。一人で食べて食器を片付けるときにがっしゃ〜んと落としてしまったが、幸い、割れなかった。


7月22日(火)

 寝不足気味だが、ちゃんと起きてバイトへ。ふだん、バイトを終わらせて研究室へ行くなり自宅に戻るなりするともう疲れているのだが、昨日一日中歩き回っていたのにほとんどお腹がすかなかったのは、朝食をしっかり食べたからだろう。……6時半に家を出るのであまり時間をかけられず、今日もごはんに温泉卵をかけたものとみそ汁+α程度だったけど、バイト終了後に15階の売店でウイダーを購入。税込み180円。

 家へ帰って、昼食を済ませ、昼寝は少し長く、ちょっとボーっとしながら洗濯機をまわす。週末にゼミがあるので資料を作らないといけないのだが、さてどう書いたものかなぁ……と悶々としながら、別なことをやる。ゼミの発表とはレベルが違うが、高校生までは例えば鉄研の部誌に書いていた旅行記などは先輩が書いていたのと同じような構成を真似て(無論、旅行の中身が違うので内容は違う)書いていたのだが、大学に入って以来、こうした場で参考になりそうなフォーマットを見たことがない(or 見過ごしている)ので、なかなか手がつけられない。実験レポートなどはフォーマットにうるさかったが、「、」「。」を「,」「.」にするだとか、表の罫線の引き方だとか、そういうことばかりで、今となってはちっとも参考にならない。

 写真日記を更新したり、ついでに新潟交通についてWeb上をサーフィンしたりしているうちに、ふと思いつき、発表する項目くらいは書き出してみる。で、もう夕方。某大学新聞Web版の、早稲田大学による本庄キャンパス開発の記事(これ)を見つけ、また鬱になる。こんなメディアの書くことを真に受けるなんてどうかしている、とか言われそうだが、論評はともかく事実関係は結構本当だったりするのでなかなか侮れない。ここに載っている本庄市当局の施策でも、市役所の新築移転が本庄駅北口市街地の衰退に思いっきり拍車をかけたエポックだったことは、昨年末に「都市システム工学」のレポート取材で本庄を訪れたときに地元の人が言っていたことだし、その本庄を舞台に行政と協力してまちづくりだとか持続可能性をキーワードにした研究を進めるのは思いっきり矛盾しているではないか、とつい考えてしまうのである。新幹線の駅ができるといったって、いわて沼宮内とまではいかないだろうけど、上毛高原程度の駅(少なくとも熊谷以下)になりそうだし、現在のプロジェクトに対する「総長のお墨付き」とやらに実効性があるなら、どうして学内の都市系の先生は誰も協力しないのか……。忙しいだけではあるまい。

 夕食後は、父が盆休みに祖母宅へ行くというので時刻表片手に旅程を決める相手をする。いつもならプッシュホン予約をして新浦安駅に取りに行くところだけど、今回は「えきねっと」での予約をしてみる。21時を過ぎていたので、予約できたかどうかが分かるのは明日の朝。

 22時には床につき、22時半には寝た。


7月21日(月・

 休みの日なのに普段通りに起きる。昨日祖母に薦められた竹村健一の『自分の意見が言える人になれ!』(三笠書房)を朝ごはん前に読了。竹村健一の、しかもこんなタイトルの本なんてブックオフに行けば100円くらいで売っていそうだなぁと思って気乗りはしなかったものの、少なくとも読みやすくは書かれていて、あっという間に読んだ。参考書などは何ヶ月経っても読み終わらないのだが。(笑)

 外は大雨。朝刊を見ると九州での土砂災害のニュースが出ていてびっくりする。本当はさっさと家を出て新潟で新潟交通の廃線跡を歩きたいと思っていたのだが、朝食後はInterLinkを広げたりしてゆっくり過ごす。

 10時を過ぎると雨も小ぶりになり、10時半ごろ祖母宅をあとにして新発田駅へ歩いて11:11の新潟行き。115系の3両編成。すっかりE127系の天下かと思いきや、すれ違う電車も115系で、まだまだ走っているらしい。

 新潟駅に着き、バッグの中のよけいなものをコインロッカーにおさめて駅前へ。月潟ゆきのバスのりばを探すも見当たらない。バス案内所の人に聞くと、「万代シティバスセンター」は10分ほど歩いたダイエーと伊勢丹の間にある乗り場なのだという。あーあそこか、と分かったのはよいものの、12:10のバスに乗ろうと思っていたのに時計はすでに12時をまわっている。一般的な徒歩10分なら僕の足で充分間にあうだろうと、やや早歩きで行き、なんとかバスをつかまえる。

 バスはかつての白山前駅があった場所を通り、これならもとの併用軌道上を行くのかと思いきや、JR線をはさんで反対側の道を行く。NHK、BSNを車窓に見て、東関屋駅跡手前で併用軌道だった道路に合流。車庫などはすっかり取り壊されたものの、ホームと駅舎は残っている東関屋駅跡を横目に、しばらく遊歩道になった線路跡を見る。鉄道の線路というのは細いもので、車道の横で遊歩道になった今は廃線跡なのか車道に付随した歩道なのかほとんど区別がつかない。橋をわたって遊歩道は終わり、バスはガードをくぐる。バスの右手には線路がそのまま残った廃線跡がチラチラ見える。

 線路跡は中ノ口川に沿ってくねくね曲がりながら白根を経由して月潟を目指しているが、地図を見ると国道8号線が川の対岸を直進している。きっと線路には沿わずにずっと直進していくのだろうと思ったら、「越後大野駅前」改め「信濃川大橋西詰」を過ぎたところで右折して国道を外れ、なんと線路に沿った県道上を行く。これは嬉しい。このまま月潟まで行ってくれるのかと思いきや、河川改修か何かで線路が跡形もなくなっている場所に出くわす。まもなく再び線路が顔を見せるが、バスはさらに変なところへ入っていき、廃線跡は見えなくなる。味方中学校前駅跡手前から、何か工事をやっているらしくバスはさらに迂回路を行くのでなおのこと線路は遠のく。廃線跡が再び見えたのは千日駅跡のすぐ先。すっかり線路は撤去されて遊歩道になっていた。

 月潟に着く。運賃は600円。新潟交通は数年前から高速バス以外のすべての路線で運賃の上限を600円に設定したので、鉄道時代より安くなっている。

 バス停から少し歩いたところに月潟駅跡がある。月潟には電車の保存会があり、廃止直前に電車3両を新潟交通が月潟村へ寄贈することが決まって、廃止日(=営業最終日の翌日)に東関屋から月潟まで廃線上を自力回送したという楽しい話が残っている。線路上には屋根もなく、普段ならすぐに荒れ果てるのが通常だが、保存会の人が毎日見まわりに来ているらしく、駅舎も廃止当時のままで嬉しくなる。

 駅の前後はちょっとした公園になっていて、そこを通りぬけるとバラストが残った廃線跡が延びている。前回来たときは月潟で電車を降りて白根まで歩き、再び電車に乗って東関屋へ戻っているので、今回もそうしようと思う。ただし、今回歩くのは線路跡上である。

 草ぼうぼうになっている場所もあるが、昨年の北海道で美幸線の未成線を求めて行ったときに比べれば、クマが出ないだけましである。途中、線路脇の桃畑の手入れをしている人に出くわし、話を聞く。訛りがひどくてあまり聞き取れなかったが、「“電鉄”の最終日は、それはそれは人だらけになたが、あの人達は今ごろどこへ行ったのか」「もう少し遅いシーズンに来れば桃をもいでいってもいい」「去年までは毎年、月潟村が線路跡の草刈りをやっていたが、今年はまだ来ない」「美空ひばりがどうとか……」などなど。

 そのうち、曲駅跡付近まで到達し、舗装された遊歩道になる。千日駅手前までそれが続いて再び砂利だけの道になる。線路を見下ろす川の土手上を歩いていると、突然線路と架線柱が見えた。おおお、すばらしい、と、土手を降りて線路の上を歩き始める。そこにはちょうど18キロポスト。線路脇の道路に防犯標語があって「変質者を見たら110番」なんて書いてあるのに、鉄道マニアも立派な変質者だよなぁなんて思いながら、標識やらATS地上子を見つけてはニヤニヤしながら写真を撮りつつ歩いていく。信号が見え、そろそろ白根駅跡だと思ったそのとき、カーブの先で線路が途切れて重機がいるのが目に入った。白根駅があったはずの場所は土が盛られて跡形もない。なんてこった。

 もっと線路や駅が残っていたらずっと歩いていくのもいいなぁなんて思っていたのが、もうすっかり萎えて、しばらく歩きつづけた先にある味方橋を渡って中ノ口川の対岸へ行き、国道8号沿いにあるモスバーガー白根店で一休み。時計は15:30近く。2時間ほど歩いたことになる。朝の雨はすっかりあがって晴れ間さえものぞき、暑い。

 モスの目の前にあった十五間バス停15:41のバスに乗る。ずっと国道上を走るのかと思いきや、「大通ニュータウン」なるところへ寄り道。鉄道もなく(仮に新潟交通が現役でも少し遠い)、バスも1時間に1〜2本のこんなところで田んぼをつぶして宅地開発をしても、クルマに頼らねば生活してゆけないのは明らかで、ディベロッパーや行政当局はバカだなぁと思う。それでも、2人しか乗っていなかったバスにここから3人乗ってきたから、まぁよいのかもしれない。

 もうしばらくバスに乗り、新潟ふるさと村で下車。バス停と同名の施設を併設した道の駅黒埼の少し先にあるモスバーガー新潟黒埼店でもう一休み。新しくできたモスらしく、ずいぶん前に調べた店舗検索には載っていない。本当はここで食いモスのつもりだったのだけど、白根店で飲んだアイスココアのおかげで満腹感だけはあり、デザートと紅茶にとどめる。

 またバスに乗ってさっさと帰ろうかとも思ったけど、東関屋まではおよそ4〜5キロ。せっかくだから線路跡沿いに歩いていくことにする。時計はちょうど17時。なんとか18:50の新幹線に乗れれば21時過ぎには東京駅だ。

 ちょうど「ときめき」経由のバスが国道に顔を出し、僕が乗ってきた方へ走ってゆく。そのバスが出てきた道を入っていけば、山田小学校の裏に焼船駅。駅舎から何から全部残っており、2人以上で来ていたら「来ない電車を待つ人」で記念撮影をするところだが、さすがに住宅地の中なので人の目があり、やりにくい。駅がそれほど荒れずに残っているのも、この人の目の効用が大きいだろう。

 東関屋方面に歩を進めると、「ときめき」など3駅が次々と現れる。踏切跡のほか数箇所が撤去されているだけで、架線もほぼそのまま。住宅街に延びるレールと架線を見て、鉄道マニアなら誰しもここに路面電車を走らせたくなるのではないだろうか。1067mmだから岡山電軌の……それこそあの新車を入れるとか、、、でもあの新車は1編成で億単位の値段だから、都電の電車を譲り受けることにして改軌するとかして、LRTなんだから停留所はもっとこまめに設けて、越後大野辺りまで5〜10分毎に走らせる。新潟市街は、万代橋の上にレールを敷いて中心街まで乗り入れる、あるいは関屋の手前から越後線に乗りいれたっていい。路面電車が鉄道に乗り入れるのは名鉄がやっている。JRは渋るだろうけど、越後線なんてそんなに頻繁に電車が走っているわけでもなし、いいんじゃないかと強く言える人が誰かいれば……あるいはJRが新潟交通(廃線跡の敷地をまだ持っている……はず)と合弁会社を作って事業をやったっていいんじゃないか。越後線に乗りいれればJRの収入にもなる。……などと、マニアの妄想は果てしない。

 東青山の手前の、県道をオーバークロスするための築提にのぼるところでレールは途切れた。それでも県道のガーターはさっきバスでくぐったけど、そのまま。ただし、橋の脇にあったはずの東青山駅跡は跡形もなく撤去されていた。

 線路跡を歩道にした関屋大橋を渡り、東関屋駅跡へ。ローソンで立ち読みをして、何か食べるものでも買おうかとも思ったもののたいしてお腹はすいていないし、コンビニの飯なんて買うもんじゃないよなぁと、見送り。JR関屋駅に出ると駅舎は電気が消えている。なんでーと思ったら、18時以降は無人になって駅を閉める旨掲示されていた。脇から入って券売機で新潟までのキップを買うとちょうど新潟行きがやってきてあわてて跨線橋をわたる。18:41発。

 時刻表を見ると新潟は18:53着で、ちょうど間に合わない。次の新幹線は19:33発。なぜか越後線の電車に乗って腰を落ち着けた直後に急にお腹が減っていて、新潟駅に着いたらホーム上のそば屋で「天ぷらそば」(390円)。「天ぷらはエビにしますか、かき揚げですか」と聞かれ、選択できることを知る。食べている間に隣のホームにSLがシュッシュッと入ってきて驚く。「ばんえつ物語号」である。そうか、3連休だったんだなと思う。月潟といい、マニアックなところへ行ってばかりなので、ハイシーズンでもほとんど混雑を知らないのが鉄道マニアの旅である。

 コインロッカーから荷物を引き出し、新幹線コンコースへ。NEWDAYSで何かお酒でも……と思ったら「エチゴビール」なる地ビールを売っており、それを購入。自動改札を抜けて13番線へ。。。行ってもまだ入線していない。もう19時はとっくにまわっているのに。

 ずいぶん待たされてようやく電車が入ってくる。禁煙の自由席は1・2・4号車。新幹線の奇数号車はトイレがある(=そのぶん座席が少ない)から階段から遠い偶数号車の2号車の列につく。入線してきた「MAXとき338」のドアが開き、前に並んでいる人がどんどん上にあがっていくのを意外に思いながら、下のフロアに行くとほとんど人がおらず、3連休の最終日の夕方の新幹線だというのに席は選び放題。MAXの自由席の2階席は通常の普通車が5列なのに対して6列もある(窮屈な上に、肘掛けもない)うえに、背もたれがリクライニングしないのだ。電車のハイデッカーや2階席といったって駅に停まっているとき以外は席の高さなんて実感できないし(とても高い高架の上を走る新幹線ならなおさら)、だいいち、もう夜だから外は真っ暗だ。1階席はほとんど防音壁しか見えないけど、高い建物があれば見えるし、それより何より、昼なら時速240キロで疾走する線路が目の前に見えて迫力あるのだ。どのみち夜だから、景色はほとんど関係ない。なら、5列席で、肘掛けもあり、リクライニングもする1階席を選ぶのは当然の帰結、、、、、だと思うのだけど……。

 でも発車間際には1階席もほとんど席が埋まり、発車。発車後の車内放送で、偶数号車には公衆電話があると言っており、もしかしたら偶数号車でも奇数号車でも座席数に変わりないんじゃないのかとふと思う。燕三条をでてしばらくして、「売店よりお客さまのお呼び出し」の放送がかかる。電話の呼び出しだ(107にダイヤルして、列車名と乗客の名前を伝えると呼び出してくれる)。携帯電話全盛の時代にすごく懐かしい放送を聞いた。続いて売店の案内がある。担当は「じゅらく」。日本食堂も社名を変え、僕が小さいころからそのまんまの会社(実際は微妙に改称していて「聚楽ティ・エス・エス」)もここだけになった。しかも、車内販売ではなく、売店コーナーの案内。MAXは階段があるのでカートで巡回できないのだ。初期のころは売り子がカゴをかかえて売り歩いていたそうだが、わざわざ何かを買いに新幹線の車内を歩いて行くというのも、ビュフェがなくなってから長いことやっておらず、新鮮ではないか。(2号車から8号車は遠いから行かなかったけど)

 速達型の「とき」がほぼ消滅して以来、ほとんどの駅に停まる時刻表を見るとうんざりするのだが、InterLinkを広げているともう越後湯沢で、上毛高原には停まらないから、その次は高崎とアナウンスされる。もう高崎なんて駅名が出てくるのか! と案外速いのだなとつい錯覚する。ただし、唯一の速達型「とき2」(新潟9:09発の1本だけ)なら新潟〜東京1時間42分のところを、この「とき338」はしっかり2時間15分かけて走るのである。車両も、高速性より輸送力重視のMAX。たしかこれは通勤時の混雑対策に生まれた車両ではなかったかと思うのだが、いつのまにやら仙台・新潟までの列車で多用されるようになった。東北新幹線方面は「つばさ」と併結なので、編成が延ばせない制約のなかで輸送力を確保するという命題があり、話は分からないでもないのだが、上越新幹線ですれ違う電車もほとんどMAXだと、え〜と思う。所詮は“角栄新幹線”でJRもやる気がないのだろうか。1階席は2階席に比べればお買い得というだけで、ダブルデッカー車はやはり天井が低いとか窓が小さすぎるとか、居住性に不満がないわけではないのだ。

 車販譲が一度だけ、駅弁売りのカゴを小さくしたようなものを抱えて通り過ぎてゆく。小さいとは言ってもポットやら何やらいろいろのっていて重そう。大宮に着き、南浦和での乗換えがなければ武蔵野線で帰ったっていいのになぁと思う。東京駅に着き、京葉線に乗って帰宅。東京駅では僕が乗った武蔵野線の5分後に「ムーンライト東京」が発車しており、それが新浦安を通過するのを見る。

 家に帰ってからメールをチェックしたりだらだらして寝たのは0時半ごろ。


7月20日(日)

 長岡到着時の車内放送で目を覚ます。日記でもつけるかなぁなんて思いつつ、昨晩のガイド飲みを思い出すと複雑な思いになる。こんな一学生のたわけた日記ごときしかないサイトが1日に20も30もカウンターをまわすなんて本来おかしな話であって、ただの一般人でしかない僕について僕以上に詳しい人がいるなんてこれ以上不気味な話はないし、それにはっきり言って読んだ人から僕はたいてい笑われているというのに、僕自身が笑って済ませているなんてどうかしているのではないかと。

 どのみち就職すれば書くに書けないことも増えてくるだろうし、そういうことは個人的に記しておいて定年後か何かに公にする程度でいいんだろうなとはここ数ヶ月思ってきた。……なんて思っていることまでここに書いてしまうのだから世話ない。当分続けるだろう。

 新潟で村上行きに乗り換え。普段2〜3両編成の電車が行きかうこの辺りで、早朝の電車にもかかわらず破格の長さの6両編成だが、北へ向かう18きっぷ利用者とおぼしき人達でたちまちいっぱいになる。かつては「ムーンライトえちご」がそのまま直通していた区間である。

 新発田で降りる。駅構内のコンビニ(なぜかNEWDAYSではなくデイリーヤマザキ)でしばらく立ち読みをしてから駅を出て、祖母宅へ。日曜日の早朝だからということもあろうけど、本当に寂しい商店街になった。でも、こんなふうになってしまったら手遅れではないのかとすら思う。新発田はもともと城下町で、これといった名産品もない(日本酒の「菊水」くらいだが、菊水酒造は中心街にはない)。明治維新後の城跡はそのまま軍隊の練兵場になって、戦後は自衛隊が駐留していた、本当の城下町なのだ。自衛隊がいなくなったいまでは、少なくとも現在の中央集権体制で新発田市役所に財源も権限もないままなら街がこうなるのもむべなるかなである。

 そんなことを考えて歩いているうちに雨が降ってきた。雪国だから商店街には屋根があり、その点ではたとえば本庄から見れば夢のような話だが、たしか途中にセブンイレブンがあったはずだからそこで傘を買おう……と思ったらそんなものが見当たらないまま祖母宅の近くまで来てしまう。ついにコンビニも撤退したか。傘は祖母宅を通りすぎたところのローソンで購入。ついでに切れてしまったラジオの電池も。

 祖母宅に着き、とりあえずお風呂に入ったり朝ごはんを食べたり。さすがにまた眠くなってきて一休みして、叔母(仮に叔母Aとする)がたずねてきていっしょに昼食をとったあと、一人で墓参りに出かける。朝の雨が嘘のように晴れてきて蒸し暑い。帰りに本屋で『ビッグコミックオリジナル』を購入。どうせ買うならコンビニではなく書店でと思ってのことだけど、250円の雑誌一冊ではたいした利ざやもなかろうに、丁寧な応対に恐縮。

 夕飯近くになって叔母Bがやってきてにぎやかになる。体調を悪くしてすっかり気弱に見えた祖母だが、この叔母2人が近くに住んでいてこの調子なら、まだしばらく死にそうにない。

 21時ごろ就寝。


7月19日(土)

 6時半ごろ起きる。今晩の「ムーンライトえちご」で祖母宅へ行くことにしており、準備も兼ねて部屋の整理……をしようにも遅々として進まない。果たして、来年春にこの部屋を空けて引越しをするまでに片付くのだろうか??

 昼食に肉まんをくわえてまた部屋へ。部屋の片隅に積んである古い写真を一部片づける。何に使うつもりだったのか、PCにスキャンしたあとだというのにずっと取ってあったものを、ネガだけ残して捨てる。あと、本文中に載せた写真を一枚だけ紛失してしまい、それを探しているうちに一年以上提出が遅れてしまった、卒論の電子データをその写真をのぞいてとりあえず作る。昨秋にCD-Rを導入したし、焼き付けて研究室へ持参するのが筋ではあるけれど、それはそれでまたいつになるか分からないので、自宅サーバ上にUPして、URLを記して先生にメールをお送りする。……合理的とは思うが、はたしてなじむかどうか。(圧縮したファイルサイズは53MBになった)

 そんなことをしているうちに15時を過ぎ、O村から電話。19時半から高校時代の同級生“機密メンバー”の面々で飲むことにしており、その前に15時から0次会でカラオケという話だったのだが、参加者が僕とO村しかいなさそうだったのでカラオケはお流れかと思っていたのに「もう一人来るぞ、何やってんだ」と言われ、なんだよーと思いつつ準備のペースを早めて16時半前には家を出る。

 17時に秋葉原のパセラ前に着いてO村に電話すると、来るはずのもう一人が来ず、まだ始めていない由。しかたなくいつもの電気街口改札前でO村と待ち合わせる。もう一人のケータイの番号を控え忘れて連絡がつかなかったとか。O村が自宅へ電話して確認してかけると、ほどなくやってきた。彼も15時ごろにはこのあたりにいたと言っていた。。。

 ひとまず3人でパセラへ。パセラと言えば各社のシステムが乗り入れてどの曲でも歌えるのが魅力なのだが、JOYSYSTEMだけの部屋しか空いていないとか。まぁいいか、とその部屋でオタク3人が熱唱。飲み会の2次会ではない0次会でのカラオケは多分初めてで、しらふで歌うのも悪くない。しかしこの3人、一人はNTTデータ、もう一人はソニー、そして残りはJR東日本(予定)で、これで日本の将来は大丈夫かと傍から見られたら思われてしまうだろう。

 19時になって残りの面々が合流して、山手線のガード沿いに歩いて肉のハナマサの向かいにあるカルネステーションへ。2900円の食べ・飲み放題コース。カルネステーションは確か学部1年のときに汽車旅愛好会のコンパで池袋のに行って以来だと思う。いろんな話に花を咲かせる面々を横目に、昼食が肉まん1個だったので黙々と食べる。あっというまに90分が過ぎ、ずいぶん食べたような気もするけれど、2900円分食べて飲んだかなぁとというと、そんなことない気がする。セルフサービスだから、差額分のサービスを店員から受けたとも思わないし、7人でおよそ2万円分の食材を買ってきて……なんてつい思ってしまう。どこでやるのかという問題はあるのだが。都心に住んでいるのは白山在住のO村宅くらいか。ともあれ、今日、進路がほぼ決まった学生3人はおごられ役で、ごちそうさまでした。僕以外の一人は電機メーカー、もう一人は法科大学院。

 店を出たところでN口がどういうわけか高校時代の担任の先生に電話をかけ、面々がかわるがわる出ることに。卒業した次の年で退職され、長いこと顔にも声にも触れていなかった。「教育実習の評判、すごくよかったぞ、教員にはならないのか?」という言葉に、就職先が決まったことを報告。

 ゲームセンターへ向かう面々とは別れて高田馬場へ向かい、ガイド有志の飲み会へ移動。以前「甘太郎J」が入っていた場所の「にじゅうまる」にて。大分から来ているOGとその相方とその他現役数名かと思いきや、ほかにOG2名がいて意外。どういうわけか話題の中心は僕の話。1時間ほどで中座して新宿駅へ。23:09発の「ムーンライトえちご」車中の人となる。

 春の改正で165系専用編成から485系に置き換わって普通車がフツーのリクライニングシートになった(大晦日の「ムーンライト信州」では寝にくくて苦労した)のと、20日から青春18きっぷの利用期間になって指定席が取りにくかったのとで、新しくついたグリーン車にした。

 さっさと寝ようと思っていたのに、冷房の効きが悪くて暑苦しい。貴重品を入れたショルダーバッグに手を当てていようものなら汗でベットリになる。高崎に着くまでこの調子で、車掌が通るときにこれ見よがしにウチワであおいでいたらクーラーを強くしたようなのだが、こんどは逆にうるさいうえにたいして涼しくならない。これじゃなんのためにグリーン車にしたのかわからなくなる。165系時代は廃車発生品のグリーン車用座席が取りつけられていて普通車扱いだったのが、同じイスなのにグリーン車。乗客にとってはクルマが急行用165系改造車だろうと、特急用485系だろうと、そんなことは無関係で、それより485系は客席と乗務員室の間にデッキがあった165系と違って客室(しかもグリーン車)のすぐ後ろが乗務員室だから、なにかとバタバタうるさいのも気になる。おまけに高崎から乗ってきた隣の人は青春18きっぷで乗ってきており、車内改札で指摘されると「知らなかった」でフリーパス。「次から注意してください」の一言で18きっぷにチケッターを押す車掌も車掌。深夜1時過ぎに車内でトラブルを起こさないための便法とも言えるけど、こっちは普通乗車券代とグリーン料金代損した〜なんて思いで悶々としている横で穏やかに眠られると、それはそれは18きっぷでグリーン車に乗れればさぞかしよい寝心地でしょうよと思いたくなる。

 だいいち、夜行列車、しかもグリーン車だというのに座席にレッグレストすらないとは、JR東日本の新潟支社は何を考えているのかと思う。この列車は高速バス対抗で誕生したはずで、当時の新潟鉄道管理局のスタッフは高速バスのサービス水準くらい研究しただろうに。それで、全席グリーン座席を普通車扱いにし、車内には自動販売機コーナーや休憩コーナーを設けるなどした専用編成が誕生したのではなかったか。大垣夜行→「ムーンライトながら」、中央夜行→「ムーンライト信州」、といった流れで昼行用特急車を流用して既存の急行型車両を置き換えただけの姿勢は、あまりに鉄道会社側の論理ではないか。

 「ムーンライトえちご」にあって夜行バスにないメリットは、青春18きっぷで乗れる、普通乗車券もその先のJR線と通算できる、普通乗車券には学割がきく程度のもので、新潟が目的地なら次から夜行バスだなと思う。……来年から乗車券分がタダだから使うだろうけど。

 なんてことを考えながら、高崎を出て、新前橋を出るとさすがに寝に落ちた。


7月17日(木)

 今日は大安なので、前に買ったスーツと革靴をおろすことにして、その格好でバイトへ。

 終了後は一旦帰宅。朝のバイトはよい面もあるけれど、6時半に家を出て、戻ってくるのが10時半、だいたいお腹がすいているので何か口にしたりして11時、PCを立ち上げているうちにあっというまに12時になって午前中が潰れてしまうのが難点。

 昼食は野菜炒めが残っていたとかでラーメン。コーヒーを飲まずに昼寝をしたら1時間寝てしまう。目覚めも悪く、なんだかボーっとしている。

 洗濯をしたり、父の遣いで銀行へ行ったり。銀行では父が頼んでおいたはずの取引を「聞いてない」なんて言われてしまい、父に電話をかける……一旦、自分のPHSでかけようとしたところで、電話は銀行に借りればいいんじゃないかと思い直して借りる。以前、同じく遣いで大丸へ行ったときに同じようなことになって電話をしたら「店の電話を使うもんだ」と言われたのを思い出す。昔はもっと簡単に他人の電話を借りていた気がするけど、公衆電話まで行かなくても自分の電話がポケットに入っている時代になって、こういうケースでもお店ではなく自己負担で電話をかけがちだ。気軽な電話ではあるが通話料は市内3分8.5円の固定電話とは比較にならないくらい高額(僕のPHSは18秒10円=3分100円)だというのを、みな忘れてるんじゃないかと思う。(無料通話分のある契約になっている人はよいだろうけど)

 今夕はバイト先の暑気払い会に呼んでもらっていて「喉は渇かして来てね……そうだな、40キロくらい走ってから来るといいよ」なんて言われていたのだが、40キロのランニングは冗談としても、先々週以来泳いでいないし泳いでから行こうかとスポーツクラブに行ったら休館日。市の総合体育館に行く考えもあるけど500円かかるし、そんなに時間があるわけでもない。おとなしく帰ってくる。

 17時半前に家を出て……と思いきや、名刺を忘れて一旦家に帰ったりして17:46の各駅停車。なんとか新大久保駅18:50の集合時間には間に合いそうだ。本当はバイト君は早めに行って待っているくらいでないとまずいよなぁ、なんて思っていたら中央線の電車が四ッ谷駅に差し掛かったあたりで社員の方から電話がかかってきて「ちょっと早めに着きそうなんだけど、どこにいるの?」

 そのわりには新大久保駅で降りても誰もおらず、あれー、という気分で立っていると、再度電話がかかってきて「右へ進んで150メートル行くとデニーズとam/pmが入ったビルがあるから、そこの路地を入って来て」と言われる。待ち合わせ場所に来たつもりが電話で誘導されると、なんだか身代金を引渡しにきた人のような気分。

 場所は韓国料理屋。この手の店はこの界隈でいくつか見るけど、来るのは大久保にある大学に通って6年目で初めて。途中で関連会社の方が2人来て案の定名刺が必要になる。

 工場勤務だと車両が出払うハイシーズンは鉄道会社の現業でも休みが取れる、とか、新入社員の夏のボーナスはほとんど出ないとか、NHK朝の運行状況を伝えている人は夜勤明けだとか、いろんな話を聞いたり話したりして23時近くまでいた。


7月16日(水)

 前日の帰宅は0時過ぎで、寝たのは1時半ごろ。なんとか5時には起きて毎朝のアルバイトへ。

 終わったらまた帰って寝よう、と思いつつ手帳を確認したら10時からキャンパスツアーガイドの新人研修があることが判明。9時半にバイト先を出て馬場から地下鉄を使って大隈会館についたのは10時5分ほど前。危なかった。

 F田くんとともに新人のT本さんの研修。予定の3時間を15分ほど過ぎて終了し、今日も職員の方から一言たまわる。正直、15分で!? しかもこちらは延長分はボランティアなのに…という気もしなくはなかった(ただし、新人は無給…本当は労基法すれすれ)が、その点は理解していただいている上での苦言のようだ。

 あとはF田くんと三品で遅い昼食。赤カツ(760円)。15時ごろに早稲田から地下鉄に乗って帰途に。帰宅後、父からお遣いを頼まれたのだが、メールチェックの後ふと部屋のじゅうたんの上に横になったら寝に落ちて、1時間ほど過ぎてしまう。18時ごろに家を出て、週末に新潟へ行くキップを駅で購入したらずいぶん長い列になっていて待たされ、パン屋を2軒ほどまわっているうちに家に戻ったのは19時で、とっくに夕飯など終わっていた。

 ひとりでもそもそと夕飯を食べ、早めに寝る。


7月15日(火)

 昨晩はきちんと寝て起きる。朝のバイトが終わったらまっすぐ帰宅。先週は水曜以外は家にいなかったので机の上が散らかり放題。まずはその整理から。あとは洗濯も並行してしながら、午前中はそれで終わった。野口悠紀夫『「超」整理法』にあるように、ずいぶん仕事をしたような気にはなるけど、実際には何も進んでいないのである。

 昼食は父と2人でカレー。ここでそのまま昼寝をすると延々と寝てしまうので、寝る直前にコーヒーを飲む。きちんと30分後に目が覚める。。。。。。とはいっても、昼食後に眠くなるのは食べて30分以上あとなので、あまりよく眠れなかったのも確か。

 午後は午後で日記をつけたりしてあっという間に16時。お風呂に湯を張って入り、NHK-CTIへ。最終回。今回はビデオ撮りとその講評。終了後、飲みに行くのかなと思いきや、残念ながらその声はあがらず。最後まで残ってひとつ、今後の上級クラスの受講について相談をしようとすると「場所を変えて、話しましょうか」と、教室を出て近くの「串八珍」へ。

 あなたの場合は日本語より英語をおやりなさい、などなど、NHK-CTIの先生を一人占めして2時間くらいいろいろなお話が聞けた。受講料どころか呑み代までタダ。おいしかった。……というか、通例なら最終回は生徒のうちから誰ともなく飲みに行きましょう、という話になる由。

 この3ヶ月の講座で人前での話し方のスキルが格段に上昇したのは肌で感じたほか、日本語センタースクールの講座を受けたはずなのに英語やらなきゃなぁと痛感したのが、58000円で得たこと。コストに見合うぶんの収穫はあったと思う。


7月14日(月)

 今日は特に予定ないんだよな〜と思っていたら、午後からツアーガイドの新人研修があったのを思い出す。手帳に記しておらず、あぶないところ。

 13時までどうやって過ごそうか少し迷った末、バイト終了後はスターバックスへ。新宿新南口店はまだ履修していなかった(はず)。先週の月曜に続いて、週末分の切り抜きに目を通し、InterLinkを広げていたらあっというまに11時半。

 山手線で馬場へ出て、歩いて西早稲田へ。三品で赤玉(560円)で昼食ののち生協に寄り、母から頼まれていたCDを物色するも見当たらず。そもそも、CD番号も聞かされていないので注文しようがないじゃないか……と思いつつ店員に相談すると「そうですね〜、同じタイトルのものが3つありますので、どれかわからないと…」。隣の生協ブックセンターで読みもしないくせに「ASAHI WEEKLY」を購入。新聞は組合員割引なしで250円。

 13時からS沢さんと新人N勢くんの研修。2人ともガイド4年目なのでN勢くんには大変だったかも。気づいた注意点に共通するところもあった一方、S沢さんが言うことに「あーなるほどなー」と自分の勉強にもなったり。2時間半で設定されている研修時間を30分以上オーバーして、また職員の方から苦言をたまわる。2人いるツアー担当職員が一昨年から去年にわたって入れ替わり、違うカラーが徐々に明確になってきた。学生によるツアーとはいえ、所詮は(株)キャンパスからの派遣アルバイト君であって、指揮指導にあたる職員から受ける影響は大きい。

 そのあと17時前には早稲田から地下鉄に乗って帰宅。夕飯を食べて21時半ごろ就寝。


7月13日(日)

 というわけでゆっくり起きる朝。昼前に家を出て西早稲田へ行き、K内とT光さんとで応援部チアリーダーズ25周年記念ステージを大隈講堂で見る。

 終了後、2人とは別れて都電の駅へ向かう途中でK田に出くわし、ともに王子で京浜東北線に乗り換えて西川口へ。旧ワセダニアン・ナッツの久々の集まりがあり、まずはめがねさん宅へ。そこからぽんぎゅ〜さんも加えた4人で「馬車道」へ繰り出す。途中から駅前の和民に場所を変えて23時くらいまでいたろうか。……せっかく普段会わない人たちに会ったのに、K田を連れてきてしまったので楽しかったのはよいけれどめがねさんやぽんぎゅ〜さんとはほとんど話さずに終わってしまった。。。

 昨日に続いて帰宅は0時過ぎ。昨日と同じくフーデックスで買ったポカリスエットを飲みながら家に着き、就寝は1時ごろ。


7月12日(土)

 0時半に起きた。4時間ほど寝た計算になるので、起きていることにする。11時から修論指導があり、何か書かなくてはいけない。いちかわエフエム「よろず音楽堂」をBGMに、書かなきゃ〜、書かなきゃ〜と思いつつ、レジメではなく日記を書いては推敲して何度も修正する。日記をこんなに手をかけて書くことなんて、ほとんどないのに。

 「よろず音楽堂」が3時で終わり、音楽たれ流しの時間になってカシオペアが流れ始める。番組を持っていたころにBGMに使っていたのでそのまま聴いていたかった思いもあったけど、NHKラジオ深夜便にチューニングを変える。3時台は「にっぽんの歌こころの歌」で、デュークエイセスの「いい湯だな」を初めて聴いた。

 4時ごろまでにはなんとかそれっぽいものを書きあげ、再度ふとんにもぐる。ラジオ深夜便4時台の「こころの時代」は魚の養殖を手がけた人の話で、興味があったのだけど、聴きながら半分くらい寝ていた。

 8時に目覚ましが鳴り、朝ごはんを食べたり仕度をして9時半過ぎに家を出る。研究室には10時半を少しまわったあたりに着き、予定の11時を若干まわったあたりから指導。僕の用意したレジメがA4用紙2枚+参考資料数枚だけなのに対し、B4の学生が持ってきたのははるかに分厚い資料。中身はインターネットの普及率からITS、バス事業の規制緩和に至るまで及んでおり、すげぇ〜と思ってしまう。

 当然、指導はB4の資料が中心で、僕のレジメに記した論文の大まかな目次構成にはほとんど言及がなく、唯一、参考文献欄に数冊記しておいたものを見て「研究室でも揃えるから、どんどん買って」と言われただけ。あ、なるほどな、と感じたけど、かえってこのほうが気が楽だ。

 12時を少しまわったあたりで終わり、12:15の理工バスで西早稲田へ……と思ったらバス発着場には誰も並んでおらず、いくら土曜日でもおかしいなと近づくと「車両故障のため運休」の文字。今日の団体ツアーは12:30から勤務で、ちょうど理工バスが12:25に大隈講堂前に着いて……という算段だったのがしてやられた。52号館の教室の内線電話(理工キャンパスは西早稲田と違って各教室に内線電話がある)から広報課に連絡し、歩いて行く。2〜3分ほど遅刻し、(株)キャンパスのキマリに従って、15分ぶんの賃金カットの憂き目を見る。月給で働く大学当局者が理工バス運休で業務に支障が出てもそのコストは内部でカバーされるが、15分ごとの時給で働く派遣学生なら賃金カットという形で損害の一部を外部化できるわけか………などと被害妄想じみたことを考えてみる。

 2〜3分遅刻しようが、盛大に15分遅刻しようが報酬は同じなのだが、ウイダーインゼリーとトマトジュースの昼食をせかされながら口にし、おみやげづくり。……とか書くと、広報課職員が学生を酷使しているようにも読めるけど、そんなことはないはずである。

 13時からの「文京わがまち探検会」のツアーは、きちんと1時間半で終了。我ながらうまくいったツアーで、NHK-CTIに払った58000円の効果はきちんと出ているかに見える。どうやってこのコストを回収するのか、、、、、、というのは、考えてはいけないのだろう。少なくとも、短期的には。

 15時半ごろ、大隈講堂前でK田と合流して地下鉄と山手線で新宿は朝日生命ホールへ。H田も遅れてやってきて、17時からの山本正之コンサートをともに見る。以前からK田に何度も誘われては断りつづけていたので、たまには。入場料5250円也。

 山本正之といえば「タイムボカン」シリーズの主題歌や「燃えよドラゴンズ」を手がけ、知る人ぞ知る存在だが、決して歌がうまいわけではない。マイクの使い方も微妙なラインで(そのあたりは本人も自覚しているようで、30分にわたる「長編」では、歌詞が聞き取れないと意味がないので音質は若干落ちるがヘッドセットのマイクを使っていた)、最後のほうの曲を聴いていたときには、先週のNHK-CTIで先生が言っていた「話し手が悦に入ると、聞き手は醒める」という言葉を思い出した。

 それでも、あぁ、やっぱりこういう業界は一見華やかなようでいて堅気の商売ではないなぁと実感したり、思うところはいくつかあった。たとえば、以前から、新聞にミュージカルの新聞広告が載っているのを見て、どうして俳優・女優の人達は同じ芝居でもテレビドラマなら大勢の人に見てもらえるし一回の撮影で済むのに、入場者数も限られ、何回も演じなければならない舞台に出るのだろう、と思っていたのが、愚問だったことに気づいたことだ。やっぱり、お客さんの反応じかにわかる(本当はスポットライトが非常に強烈なので舞台から客席なんかほとんど見えないのだけど)ライブが、むしろ彼らにとっては本来の仕事場なのだな、と。明日からキャンパスツアーはすべてビデオでやります、あるいは大学がスポンサーになるテレビ番組(←今のところそんなのないけど)で全国・世界中に放映するだけ(遠隔地の人向けにネット配信などはすでにやっている)にします、なんて言われたら、ガイドとしての技能の半分以上は活かされないことになるだろうと思う。……そう考えてみると、アナウンサーというのは一風変わった職業だなぁと強く感じる。最近こそ民放局のアナウンス部が朗読コンサートをやったりするけれど、それはあくまで本来の仕事ではない。

 音響設計がきちんと施されたホールなのに、歌声はマイクを通し、ギターやピアノの音もスピーカーから出てくるなんてなぁ、と、思っていたら、最後の最後の一曲だけはマイクも何も使わずに演奏。あとでコンサートの様子をDVDにして売ったり、事情はあるだろうけど、なるべくマイクは使わないで、、、というのは贅沢なお願いなのだろうか。

 20時半ごろに終わり、さてどうしようか、となる。山本正之の「ばばの酔い唄」なら高田馬場で飲むことになるのだが、ここはひとつ不動前に誘ってみることにした。高校生や教育実習のときにランチの営業ではよく行っていた「ふらっと」である。この店本来の姿である夜の営業にはまだ行ったことがなかった。よほど気心知れた奴でないと連れていく気になれなかったからなのだが、K田ならいいだろう。

 山手線と東急目黒線を乗り継ぎ、すっかり変貌した不動前駅で下車。理工近くにあってよく行く「めとき」と同じくらい10数人入ったらあふれてしまうようなこじんまりとした店で、狭い店内にびっしりと並んだメニューの豊富さからマスターこだわりの雰囲気が伝わってくる。いちおうの閉店時間になっている23時までいて、会計は3人で7500円。それぞれのメニューは決して安くないし、けっこう食べたり飲んだりしたのだけど。「次はちゃんと彼女連れてきてね」……高校卒業前に、彼女を連れてきたら1回タダという約束をしてくれたのだけど、あれから6年以上経ってまだ実現していない。

 終電の1本前の電車で新浦安に着き、フーデックスへまわってポカリスエットを買い、それを飲んで家へ帰る。3時半ごろまでだらだらネットをしながら起きていた。


7月11日(金)

 目覚ましがなる前、4時半に自然に目が覚める。バイト終了後、研究室へ。11時過ぎに理工カフェテリアで昼食。鯖の味噌煮・ひじきの小鉢・ライスL・みそ汁=438円。書籍部で『JTB時刻表』7月号が1冊残っているのを見つけて購入。なぁんだという気もしたけど、逆に火曜日に西早稲田の生協書籍部で買った3冊のうち2冊はここには置いていなかった。難しいもの。

 3限の「社会調査法」にもぐってから、帰宅。15時半ごろ。気温はそれほど高くない28℃の予報だったのだけど(でも夕方の天気予報を見たら、今日の最高気温は32℃だったらしい)湿度が高く、すっかり汗だくで、へとへと。このままではこの後の時間を無為に過ごしてしまうことはほぼ確実なので、まずはお風呂! と思ったら、まだ洗っていない。残り湯を洗濯機に汲んで、浴槽を洗って、お湯を張って、そのあいだにネットに興じたりして入った頃には16時半を過ぎていて、出たのは17時前。

 夏休みは小笠原へ行こうと考えていて、いろいろ考えると7月末から8月上旬だよな〜と、時刻表をひらいてはじめて決める。「おがさわら丸」の運行予定日や時刻はWebサイトで分かるのだけど、時刻表を開かないと計画を立てられ始められないのは、鉄道マニアの性か。

 7・8月はハイシーズンのようで、まいったな〜と思いつつ、小笠原YHへ電話してみる。ぷららフォンが小笠原にも通じるのはありがたい反面、ときどき先方の音声が途切れるのがやっぱりIP電話だなぁと思う(でもこちらの声はちゃんと届いているらしく、話は通じた)。案の定、立ててみた日程では満員の日がある由。8月下旬にするか、あるいはもっと後にするか……。

 一昨々年(さきおととし=3年前)・一昨年とキャセイ航空でヨーロッパへ行っているのでマイルはどうなっているんだっけと確認してみると、30000マイルあまりたまっており、期限は来年の9月……あれ? 一昨々年のぶんは今年で期限が切れるんじゃないのかな、と思いつつ、JALの国内線往復なら2回くらいできそうだ。それだったら沖縄行ってみようかなとも思う。小学生のときに家族で行って以来だから無論一人で行ったことはないし、沖縄モノレールも今夏開業、それに、NHK沖縄で働く先輩の姿も見てみたい。さらに北海道往復してもお釣りが来るけど、今年北海道へ行くなら和寒の玉入れ選手権(参照)くらいしか行く気がしない。和寒へ行くなら、AIR DOが7月18日から旭川線を就航させるし、JALは旭川に就航していない(JALグループになったJASが飛んでいるけど、キャセイのマイルはあくまでJALでしか使えない)。AIR DOに旭川線がある以上、新千歳から列車を乗り継いで行っていったら、その電車賃で片道分の航空運賃になってしまいそうだ。

 日記をつけていて、昨日引いたおみくじをよく見返したら「凶の出た人は観音様のご加護を願い、境内の指定場所にこの観音籤を結んで、ご縁つなぎをしてください」……そのおみくじがいま手元にあるのか。。。。。。まずい。

 夕飯後、21時直前に目覚ましをかけて寝る……ふと目が覚め、ずいぶん寝た気がするなぁと枕もとのPHSを見ると0:33。「サコラジ」どころか、NHKラジオ深夜便23時台の『ないとエッセー ▼ 「おもしろいことをやる町づくり」(2) ▽大阪・平野の町づくりを考える会 川口良仁』(←番組表より)も聴き逃してしまった。やられた。


7月10日(木)

 バイトはいつもより遅めに終わり、トイレへ行ったりしているうちにビルを出たのは10時15分くらい前。11時からツアーがあって西早稲田へ行くのに、このままでは高田馬場から時差回数券を使うには微妙に早い。ツアーはお昼ごはんどきをはさんでいるのと、そういえば朝ごはんはそんなにたくさん食べていなかったのとで、「かのや」の「釜あげうどん」(大盛で100円増し、500円)で時間調整をかねて腹ごしらえ。

 11時からの大泉高校のツアーは、ガイド3人体勢。NHK-CTIに通い始めて初めての実践の場で、プレゼンテーションの面から自己採点をすると生徒達の反応もよく我ながら大成功……しかし、終わったのは予定を30分も過ぎた13時で、広報課の方から苦言をたまわる。とほほ。

 14時にガイド室をあとにして会津八一記念博物館へ。「知られざる会津八一の世界」「早稲田大学を創った人びと」の企画展を見ておく。土曜日の団体ツアーの方から「大隈講堂、演劇博物館、八一館をじっくり見学したい」という要望が出ており、会津八一記念博物館は普段のツアーではあまり触れないので、下見も兼ねて。

 会津八一については、新潟の会津八一記念博物館にも行ったことがあり、行ったときにやっていた「八一のてがみ」展で見たものもちらほら。今回の展示で配布されている目録がただの印刷物ではなく団扇(うちわ)になっているのが楽しく、気が利いている。こういうところが早稲田だと思う。「早稲田大学を創った人びと」では、日本テレビ「知ってるつもり」で大隈重信を取り上げた回をビデオで流しており、こういうのを見ているうちに16時近くになってしまった。

 時差回数券が使える16時10分ほど前に東西線に乗り、銀座線に乗り換えて浅草へ。遊興局が15時集合で「ほおずき市」に来ているはずなので局長のI村くんにに電話。「まだ『駒形どぜう』にいるのでもうしばらくかかりそうです」……なるほど。雷門前のローソンで立ち読みしたり吉野家で並盛+お新香(=370円)を食べたり。17時過ぎ、I村くんから「となりに座ってる人達と意気投合して店を変えて呑みに行くんですけど、どうですか?」と電話。

 今朝の時点では、15時集合だから1時間くらい浅草にいてさっさと帰るかーと思っていたのだけど、こうなったら付き合うかと決める。この時間に家に帰っても夕飯を食べて寝るだけだろうし。

 「駒形どぜう」前に着いたところでI村くんとO村くん(この2人は浴衣姿)と、意気投合した相手と思われる見知らぬおじさんが2人(仮に日光氏と鴨川氏とする)出てきた。日光氏の先導で「駒形むぎとろ」に入り、3階の座敷へ。

 それぞれ着物姿の女将(?)と入谷在住という下町気風あふれる店員と芸大生のバイトに朝の連ドラを連想しながら20時ごろまでいて、場所を新仲見世近くの中華料理屋(名前失念)に移し、また飲む。この2人、日蓮宗のお坊さんで、昨日だか一昨日からずっと飲んだりゴルフをしている由。見た目から、最初はヤクザな商売の人かと思っていたが、似たようなものか。浅草橋の生まれで、この辺はもう俺の庭、祇園も銀座ももう飽きた、と言う日光氏と、立正大学での後輩という鴨川氏からタダ酒をごちそうになりながらひたすら話に付き合っていたのだけど、話の中身は博多中州の「吉岡」と調布の「いしい」という店を教わったくらいしか覚えていない。でも、とんだ破戒僧に見えても聖職者は聖職者だから、へぇ〜さすが、と思う話も聞いた気がする。そういえば、「悪いことだけはすんなよ。ニュースでおめーらの顔を見たかないからな」と言われ、いや、ニュースを読むほうになるはずだったんだけどなーと思ったのは覚えている。つくづくあきらめの悪い男である。

 日光へ帰る最終に乗り遅れたという日光氏と、鴨川へは今日は帰らないという鴨川氏とは21時過ぎに別れ、遊興局の3人で浅草寺へ。ほおずき市を練り歩きながらまずはお参り。次いでおみくじを引く。。。。。。もしかしたら、、、と思っていたらやっぱり凶。(さすがに鬱なので引き直したら吉が出たが……)

願望:叶いにくいでしょう。
病気:回復に長時間を要します。
失物:出て来ないでしょう。
待人:現れないでしょう。
新築 引越:見合わせましょう。
旅行:悪い結果を起しそうです。
縁談 付き合い:全て良くないでしょう。

 さらに、横にいくつか書いてある中に

杯酒惹閑非 思い通りにならないことから、酒に溺れたり、また悪い考えをおこしそうです。

 というくだりには、鬱を通り越して笑ってしまいさえする。

 浅草寺を7月9日・10日にお参りすると46000日分お参りしたことになるとかいういわれがあり、そのときに門前だか境内で薬膳のほおずきが売られ始めたのが、ほおずき市のなりたちとか。今晩の日付が変わったらほおずき市も終わりなので、21時を過ぎた今はもう500円くらいで手に入るんじゃないかとまわってみるも、たいていの店は残り少なくなっていてたいした値引きをしてくれないか、店じまいをしているかどちらか。とはいえ、3人がそれぞれ買うというのと、3人で値引き交渉をしたのとで、どの店も1鉢2500円で横並びの定価のところを1000円にしてくれた店があり、購入。安いだけではなく、見た目も立派。初日に来ていれば、もっといいのがあったかも知れぬ(値引きはなかったろうけど)。……I村くんは違う種類のほおずきも合わせて2鉢買っていた。

 そのまま仲見世を歩いて浅草寺を後にし、浅草駅から3人で銀座線に乗って帰途に。僕は神田で降り、山手線と京葉線を乗り継いで帰宅。車内ではドアの端に寄りかかって立ったまま寝てしまう。家に着いたときには23時をまわっており、メールのチェックをしようものなら寝るのがどんどん遅くなるのは自明なので、さっさと布団を敷いて寝る。


7月8日(火)

 バイト後、いったん研究室に一瞬立ち寄ってから理工図書館で延滞したまま研究室に置きっぱなしだった本を返し、西早稲田へ。買いたい雑誌が3冊あり、生協の理工店で買おうか西早稲田に用があるのだから西早稲田で買おうか、と思い、西早稲田のほうが品揃えが豊富そうだと思って、西早稲田の生協書籍部へ。NHKの語学テキスト2冊があったのはねらいどおりだったが、JTB時刻表が品切れ。時刻表はもたもたしているうちに次の8月号が発売(=20日)されてしまいそうである。

 11時から3時間(たいていオーバーする)、ガイドの新人研修なのでその前に何か食べておこうと「東京そば」へ行くと、10時半なのにまだ開店前。研修が終わったら昼食兼夕食を食べようと思っていたので、この時間にワセ弁もちょっとなぁ、と、早大通りにある「信州そば」という店に早稲田生活6年目にしてはじめて入る。この店、必ずしもうまいわけではなく、値段も高めだけど、メニューが豊富。冷やしたぬきそば(410円)。

 研修を終え、U田くんと新人のT本さんと「フクちゃん」へ。「チョコとん」(700円)。僕たち3人の隣には、O尾さん。前回ここで見かけたときと同じく、東京新聞夕刊を片手に。

 食べ終わったら解散し、僕は中央図書館へ。鶴見和子の本を一般書架と研究書庫から1冊ずつ借りる。……研究書庫への階段を降りていくところでマスコミ研究会で幹事長だったS藤くんとばったり。留学から帰ってきたばかりで就活はこれからなのだけど、帰国生対象の新卒採用はもともと少ない上、留年もしているので厳しさが予想される由。

 研究書庫には、院生以上が利用できる個室閲覧室があり、のぞいてみると上のフロアは試験期間中で結構人がいっぱいなのに、こちらは空室もちらほら。電源もあるし、個室だからPCをカチャカチャ使っても人はばかることがない。今度使ってみようかなぁなんて思う。その向かいに大判書庫があり、のぞいてみると北朝鮮の本とかいろんな本があって、老後はこんな本に囲まれて好きな分野の歴史か何かについての論文を書いて……なんていいなぁ、と思う。それこそ「風太郎」にもできる研究かもしれないなぁ、と思うけど、しかし、そういう学生生活が認められたっていいのでは……なんて書いたら叱られるか。。。でも、学生に対して研究テーマが上から降ってくるなんておかしいよなぁ、という疑念は残る。いつも思うのは、これから生涯学習時代を迎えて社会人学生やリタイヤ後の人が学びに来るケースが増えたとき、今の学生に対しての姿勢と同じ姿勢を取れるのか? ということである。まぁ、理工は社会人入学といっても「卒業後、同じ職場に復帰する」ことが条件で、つまり会社から研究テーマ(と資金)を持って来て対価として(?)成果を持って帰ることが前提で、例えば転職に際してのキャリアアップや老後の道楽などを前提にした学習を端から認めていない(一般入試で入学するしかない)のだ。

 松の湯でひと風呂浴びる。露天風呂がないだけでスーパー銭湯顔負けのバリエーションある浴槽を前に、ずっと入っていたいなぁという気持ちを押さえて出て、地下鉄で新橋へ。NHK-CTIも9回目。とうとう次回で最終回で、最終回は総まとめということでビデオ収録なので実質的な授業は今回で終わり。


7月7日(月)

 渋谷の東急トランセに乗りに行こうと思っていたのに、朝起きると曇っている。天気予報は「雨のち曇り」。6時すぎの時点で雨は降っていなかったが、すでに止んだのではなく、これから降ってくるらしい。

 バイト終了後の新宿サザンテラスは歩いている人のほとんどがカサをさしている。折りたたみ傘しか持ってこなかったから、駅まで濡れて歩く。少し遠回りして西口のチケットショップで図書券を購入。

 渋谷に着いても雨の降り方は似たようなもので、ひとまず東急の渋谷無料循環バスの始発(渋谷駅10時)で東急本店へ移動。近くのスターバックス渋谷文化村通り店を履修。なんとこの店、翌朝4時まで営業している異色の店舗。とはいっても店内はいたって普通のスタバだが、さすが渋谷と思う。

 窓際に座って週末分で分厚くなっている切抜きに目を通したり、修理から戻ってきて初稼動のInterLinkを広げて日記をつけたりして1時間半あまりを過ごしても雨が止む気配はなく、むしろ強くなっている気さえする。読もうと思っていた本は家に置き忘れており、こういうときに限って……と萎える。

 そもそも手持ちのデジカメは感度がISO200相当しかないので、曇りや雨の日はどうも光量不足の感が否めず、曇りの日の活動じたい本当はするべきではなかったのだが、家に帰ってもたぶんだらだらするだけだし、今週は何かと予定がたてこんでいる。土曜日は快晴だったし、東急トランセの運賃も平日の150円から100円に割引になるのだが、郵便局が営業していないのでは活動の楽しみの半分以上が減殺されるに等しい。

 うだうだしていてもしかたないので、11:50ごろのバスで東急本店をあとに。マークシティ(渋谷駅近道……くしくもかつての玉電のりばのほぼ真上)、セルリアンタワーをまわって渋谷駅へ戻ってくる。何か食べようかなぁとも思いつつ、12:30発の東急トランセに。途中下車しようかどうしようか迷ったものの、結局循環の系統をひとまわりして渋谷駅まで戻ってくる。

 さすがにお腹が減り、渋谷でまだ履修していないモスは少し遠そうで、恵比寿へ行こうと決める。恵比寿なら、渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」なら100円だが、どれだけ時間がかかったものかわかったものではないので、山手線で。モス恵比寿東口店で昼食。

 渋谷恵比寿郵便局を履修したら郵便局マップをくれ、恵比寿駅ビル内郵便局も履修。その後、恵比寿一丁目バス停から14:31のハチ公バスに。外から見た限り、誰も乗っていないように見えた車内は実はほぼ満席。ノンステップ車なので座席の位置が低く、とても大きな窓のわりに外から見えるのは窓に背を向けて座っている人の頭(=髪の毛で黒いので余計見えない)だけなのだ。

 一回りしようかなぁとも思ったものの、終点の渋谷区役所で下車。渋谷区役所で終点なんて……と思ったのは大間違いで、目の前にはNHK放送センター。渋谷区役所の敷地内に渋谷公会堂もあり、これはバス停の名前のつけ方が間違っている。いくら渋谷区が主体になって走らせているといっても、これはないのではないか……というより、渋谷に来慣れている人には、渋谷区役所とこれらの施設が至近であることなど常識中の常識なのだろう。

 僕が知っている渋谷の循環バスのうち、東急無料循環バス、東急トランセ、ハチ公バスに乗り、残るはNHKシャトルバスである。時計の針は15:30。まずは放送センター内郵便局を履修し、意外にもNHKスタジオパークの営業時間が18時までだったので見ていくことにする。

 平日、しかも月曜日(たいていの博物館は休み)だからか館内はガラガラで、あちこちにいるかわいそうなくらいヒマそうな係員を見て受信料をこんなことに使ってんのかという気がしなくもないけど、ハイビジョンカメラで撮影してもらったり、「体験スタジオQ」でアナウンサーのまねごとをさせてもらったり、「BS列島情報〜いきいき首都圏〜」生放送の様子を観覧したり、入場料200円でいいのと思うくらい楽しんでしまう。……「体験スタジオQ」では原稿読みをやってあのカメラテストの悪夢再びかと思いきや、スタジオは狭いし、なんとカメラがカメラテストのときのとは違うニュース読み用のカメラで、アシスタントの係は優しいし(重要)、きっとこれからアナウンサーを受ける人でもちっとも参考になりゃしないなぁ、という感じ。ニュース読み用のカメラは、カメラのレンズの手前にマジックミラーが置いてあってそこには手元にある原稿が映っており、アナウンサーは原稿を見ているのに目線はきちんとカメラ目線になる、という仕掛け。ニュースを読む様子は静止画であとで見ることができるのだが、どことなく不自然。係の人曰く、「新人のアナウンサーの方も、最初はどうしても文字を追ってしまうんですよ」……その新人アナウンサーにもう少しでなるところだったんですけどね〜。。。(←いつまでも未練がましい奴)

 その後、技研公開でも見たような立体テレビを見たりして、グッズショップへ。「武蔵」のネクタイを、ドラマを見てもいないくせに買ってしまう。5040円。……いちおうトトロのよりは控えめなデザインのを選んだとはいえ、こういうネタでネクタイを衝動買いしてしまうと、あとで困るのだが。。。。。。。

 出口にある食堂の高さにびっくりしつつ(NHK共済食堂なら、この半額〜3分の1程度の値段なのに!)、スタジオパークをあとにして、近くにあるモス宇田川町店で一息。道路をはさんで反対側にはスタバもあり、こちらはまたの機会に。

 その後、NHKからバスに乗って渋谷駅へ。このバスは東急バスと京王バスの共同運行で運賃150円、途中停留所なし。トランセやハチ公バスと違って共通カードは使えるが、定期券や一日乗車券では乗れないと運賃箱に書いてある。ムーバス以来、この手の特定運賃の路線は共通カードが使えなかったり何かしらの制約があるのだけど、特定運賃の元祖というべき学バス(都バスの一般路線が200円のところ、170円)は制約がない。特にシャトルバス的路線は一定量の需要が見込めると思われ、学バスと同様でもいいんじゃないのかなぁと思う。

 渋谷から、いつも通り山手線に乗って帰宅。渋谷はNHK受験以来何度も来ており、回数券を買っておくんだったなと思う。阪急電鉄などはICカード導入にあわせ、10回乗ったら1回分無料だったり、1ヶ月以内に一定の回数以上乗るとその後が無料になるなど、回数券や定期券を買わなくてもあとから一番安い方法で計算するようなサービスをはじめるといわれている。これなら、回数券を買っても余ってしまうかもしれない、というリスクを乗客が負わなくて済むのになぁと思う。


7月5日(土)

 4時台の目覚ましにはまったく気づかなかった(or 覚えていない)けど5:20の目覚ましでいったん目を覚ます。2時間あまりしか寝ていないけど、起きられそう。……とはいえ、もう一度寝に入る。8時過ぎにまた目が覚め、その後は寝ようと思っても陽はどんどんさしてくるし、寝るに寝られず10時半ごろに起き出す。

 火曜日に書店に時刻表を頼んだのにまだ宅配されないので、昼食後に確認の電話をすると「現在使われておりません……」。。。木曜の17時過ぎに電話をしたとき誰も出なかったときは、外商部の営業が17時までなのかもしれないと思っていたのだけど、どうもおかしい。電話番号の間違いかと父に確認すると「もしかしたら潰れたかな」なんて言いながら店にかけ、誰も出ないのを確認。その店は「本やタウン」のサテライトブックストアにもなっていたのだが、Webでもう一度見てみるとリストから外れている。「まちBBS」にも営業していないという情報が書き込まれている。

 InterLinkの修理が出来上がっているので当代島のビクターサービスセンターへ取りに行く途中、浦安駅前にあるその書店をのぞくと、案の定「都合により休業いたします」の貼り紙があり、店内は本棚は残っているものの、棚の中は空っぽ。なんだよー、持って来れないなら受け付けなきゃいいのに、、、、と思いつつ、駅前の西友に文教堂がオープンしたのを知り、チェーン書店も品揃え豊富で便利には便利だけど地場の書店が駆逐されるのはやりきれない。店舗での品揃えは決して豊富ではなかったが、我が家はいわゆる“お得意先”だったので電話一本で本を取り寄せて宅配してくれ、代金は月末に一括払いと便利だった。チェーン書店はそんなことしてくれないし、Amazon.co.jpは雑誌を扱わないうえ領収証を発行してくれない。この書店が突然休業するのは10年くらい前にも一度あったので、また営業を再開してくれるとよいのだが、出版不況と新古書店台頭の時勢を考えると難しいかもしれない。たしか前回は、店は休みでも外商はちゃんと営業していたように思うし、今回は相当重症のようにも思える。

 修理の終わったInterLinkを受け取り、中央図書館へ。本を3冊借りてこんどは浦安郵便局からITS Japanでお借りした資料を返送して帰宅。

 バイト先であり内々定先の会社は現場にいるあいだは相当ヒマらしいので、赴任先のコミュニティ局で番組をもてたらいいなぁとWeb上であちこち見てみるものの、このあたりのコミュニティ局のようにボランティアスタッフを起用している局はあまりなさそう。大半の局は自社制作番組があっても夕方で終了してあとはCSで配信されるJ-WAVEの垂れ流し。いちかわエフエムのように24時間自社制作・連日午前2時(金・土は3時)まで生放送やっているのなんて、実は稀有の存在なのだ。

 夕食後は20時半ごろまでやかましいテレビを横目に半分寝て、場所を部屋に移してまた床に転がって寝る。21時からのいちかわエフエム「温故知新」を聴こうとラジオをつけっぱなしにしていたのだけど、次に気がついたのは0時半。


7月4日(金)

 目が覚めたのは3時。枕もとにあった携帯ラジオをつけ、「ラジオ深夜便」を聴く。4時からの「こころの時代」でウトウトしながら4:40に目覚ましが鳴るのを聞く。

 Webであちこち見ていたらNHK-CTI夏のセミナーの受けようかどうしようか迷っていた講座が満員になっているのを確認。しまった、と思う。……しまった、なんて思うくらいなら申し込んでおけばよかったのに。そのへんの判断が苦手。

 金曜の朝はなぜか憂鬱。先週と似たようなことをバイト中に考える。

 バイト後は高田馬場から歩いて西早稲田へ。いつものくせで一旦新大久保で降りてしまう。ガイド室は先週の火曜以来。三品で赤カツ玉(800円)の昼食ののち、12:05の理工バスで理工へ。ほんの一瞬研究室に立ち寄り、「社会調査法」の教室で先生が来るまで昼寝。

 授業が終わったら秋葉原へ。書泉ブックタワーでバスの本を何冊か見て、岩本町へ。昨日頼んだスーツを受け取り、秋葉原から東京駅へ移動して大丸で父に頼まれたお使いを済ませて帰宅。

 久々に夜更かしをしようと、いちかわエフエム21時からの「サコラジ!」や23:45からのN天に続いて0時からの「よろず音楽堂」を聴きながら3時までだらだらと起きていた。3時の放送終了のアナウンスが流れてからは布団を敷いて「ラジオ深夜便」に耳を傾けるも、今日の「にっぽんの歌こころの歌」は昨日の「70年代フオーク&ニューミュージック・ヒット集」とうってかわって昭和初期の歌謡特集で、すぐに寝てしまった。


7月3日(木)

 朝自然に目が覚めると4時。半分寝ている頭でNHKラジオ深夜便「こころの時代」を聴き、40分後にいつもの目覚ましが鳴って起きる。早く寝たのに起きる時間はあまり変わらない。

 バイト後、秋葉原へ。といっても電気街ではなく、岩本町にある日曜日にビッグサイトへ行ったときに出店していた店の店舗。夏用のスーツを試着・注文。明日夕方には出来上がる由。

 秋葉原駅昭和通り口前の「幸楽苑」で昼食。中華そば390円。チェーン店にしては満足。普段行っているような店に比べると量が少ない、などなどいくつか不満がないわけではないけど、麺大盛りやいくつかトッピングがあるので好みに合わせられそう(そうすると値段が「めとき」などとたいして変わらなくなるのだけど)。

 御徒町の多慶屋へ行くのに電気街をヤマギワやソフマップをのぞきながら歩く。用を済ませたら14時近くで、御徒町から電車に乗りたいところを定期のある秋葉原まで引き返してそこから電車で帰宅。

 外を出歩いていると、楽しい。「風太郎」の一言がずいぶん引っかかって、ガイド室にも鉄研の部室にもすっかりご無沙汰になっているけど、逆に自宅や研究室に引きこもりになっていやしないか。……文献に目を通していてもどうもしっくりこない。バスでも乗りに行くか、、、と思うと、明日は3限に週一度の授業を入れていたりする。。。


7月2日(水)

 バイト後、家へ帰る。何をするでもなくだらだら過ごす。気がつくともう夕方。もと早稲田リンクスのT田くんのWebサイトを見つける。受験勉強でほぼ毎日家にいる様子。何かこういう目標がある人っていい。

 夕飯後は、20時からのロボコン(コンテストのほう)を見ようかと思っていたけれど、就寝。早い。


7月1日(火)

 なんとか朝は起きることができ、バイトへ。行き帰りの電車の中では、座ったとたんに夢の中で、家に帰ってからもウトウト…。

 午後はちょっと昼寝、と思ったら起きるともう15時半。ほとんど何もできずにしたくをして新橋へ。NHK-CTIの8週目。今回のテーマは「敬語」。他人よりは得意なつもりでいたけれど、意外に難しい。

 終了後、英語の習得について先生に聞いていたら22時をまわってしまった。帰宅は23時。23時半には寝る。


2002(平成15)年6月の日記


高橋秀暢/hidenobu@toki.waseda.jp