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   accel.  〜言えなかったI love you〜   ♯3







教室がオレンジ色に変わっていく、その時間帯は、僕にとって胸が高鳴る時間だった。
生徒会室の前で、僕は息を整えて両手で髪を梳く。
さっきまでタイムを計っていたグラウンドを見下ろし、手で汗を拭う。
動悸が一向におさまらないのは、タイムを計っていた所為じゃない事くらい、僕はよくわかってる。

この扉の向こうに・・・僕の鼓動を早くする人が居る。

僕は深呼吸して、扉に手をかける。
彼女はきっと、僕を見て微笑む。
そう思うだけで、息が苦しくなる。

深呼吸を一つ、二つ。

僕は息を整えて扉を開けた。

「遅いわよ、アスリート君。」
先輩は腕時計をとんとんと指で叩いて、つんと澄ました顔をする。
「タイムは?地区予選敗退かなあ」

生徒会長が「おいおい、冗談だろう!?」と笑いながら、カンナ先輩に議案書を手渡した。
「僕ら生徒会はみんな君に賭けたんだぞ?」
「なんですか、それ!?」

思わず僕は吹きだしながら、その脇を通り抜けて笑顔に変わった先輩の向かい側に座った。

「もう少し精進してもらわなくちゃね?私も賭けたんだから」
そう言いながら、カンナ先輩はくすくすと僕の耳元へ口を寄せる。

「嘘よ、凄く早かった。練習の一環にはなるのかしら?校庭から3階までのダッシュって。」
「賭けってなに?先輩たち、僕を賭け事に使ってるの?」

先輩たちはにやりと笑って僕を見つめ、それぞれ期待を込めて頷いてみせる。

「久遠くん。生徒会の手伝いをしてるからタイム落ちた、とか言われないように、よろしく頼むよ?」
生徒会長が眼鏡の真ん中を押し上げて、僕を見下ろすからレンズがきらりと光った。

「そ・・・!先輩たち、おーぼーですよっ!こんなプレッシャーの掛けかたって・・・!」
「そうかな?久遠くんは、プレッシャーに打ち勝つのが目標でしょ?」
「無茶苦茶するなあ・・・!」
「それだけ、みんな期待してるのよ?」

――うん、それはよくわかる。

僕は思わずグラウンドを見下ろした。

「本当は、大事な時に呼び出しちゃダメよね。」
不意に真顔になった先輩は、申し訳なさそうに首を傾げた。

「・・・そんなことないです。いい気分転換だから。それに、そのアンケート結果、明日までに仕上げなくちゃでしょう?明日総会じゃないですか。こっちの方が先ですよ。」

僕がそう言うと、先輩は僕の頭に手を載せてぐしゃぐしゃと頭を撫でた。

「晃君、本当にいい子だね。ありがとう。」

子ども扱いが悔しかった。たった一年早く生まれただけなのに。
それでも、その表情があんまり可愛くて、僕は思わず嬉しくなって、そしてそんな気持ちを見透かされそうで目を逸らした。

「先輩、僕がこれやっとくから・・・議案書チェックしておいてください。」
「うん、そうさせてもらう!」

真っ赤になった僕の頬は、夕日が隠してくれていた。





「うーわー!満点の星空!」

制服に着替えて部室から出た僕は、伸びをして思わず大きな声で言って天を仰いだ。

「落っこちてきそうだ・・・」

夜の学校は職員室の電気が灯っているだけで、不気味なくらいの暗闇だ。
でも、その暗闇のお陰でどこよりも鮮やかに見えるのだろう。
僕はしばらく夜空を見上げてた。

「あんなにキラキラしてる星たちも、今、輝いてるわけじゃないんだよな」
そう思うと不思議な感じだ。

もしかしたら、もう存在しないのかもしれない。
そう考えて、何だか少し悲しい気持ちになる。
胸の奥でほんの少し、ちくんと何かが刺さったような感じだ。
その痛みがなんなのか考えようとしたけど、思い当たらず、僕は星空から視線を足元に落とした。

「お疲れ様。結局最後まで手伝わせてしまって・・・・疲れちゃった?」
不意に背後から声をかけられ、僕は驚いて振り向いた。

「カンナ先輩、まだ残ってたんですか?」

慌てて駆け寄って先輩の横に並ぶと「はい」とパック牛乳を手渡された。

「今日のお礼。・・・さすがに疲れちゃったでしょ?」
「ありがとうございます。や、疲れたんじゃなくて・・・って、そうじゃなくて、あれ?生徒会のみんなは!?」

辺りを見回しても、校庭には誰も居ない。
カンナ先輩はふるふると頭を横に振ると、星明りの下で微笑んだ。

「みんな帰ったわ。」
「ダメじゃないですか・・・!こんな遅いのに、女の子一人で」
「・・・晃くんって、妹とかいるでしょ?」

くすくすと笑う先輩の手が、僕のカバンを持つ手にぶつかって、思わず胸が跳ねる。

「居ます・・・けど、なんで?」
「うん?なんとなくね。過保護な『お兄さん』って感じがしたの。きっと凄く可愛がってるでしょう?」

ぴょんと前に一歩飛び出し、先輩は僕を覗き込んだ。
その仕草に、離れてしまった小さな存在を思い出させた。

「・・・そうですね。可愛かった・・・かな。」
「・・・?今は居ないみたいないいかたね・・・?」

歳の離れた小さな妹。今頃・・・どうしてるんだろう・・・?
立ち止まって僕の前に立つ先輩の顔が、悲しそうに歪んだ。
ああ、僕の顔が歪んでしまったから・・・。

「両親が離婚したんです。妹は母のほうに。」
「ごめんね。そんなつもりなかったんだけど・・・」

申し訳なさそうに俯いた顔に、思わず苦笑してしまう。

僕も、そんなつもりなかったんです。先輩にそんな顔をさせるつもりは。

「いいんです。一生会えないってわけじゃないし心配しないでください。だから・・・・・そんな顔しないでください、ね?」

ゆっくりと伸ばされた小さな手が、知らず強くカバンを握り締めていた僕の手に触れた。
ひんやりとした手が包み込むように触れた。

何か言おうとして、でも、言葉にならずに、先輩は労わるような恥じるような瞳を向けた。
冷たい手であったのに、そこから流れ込む優しさと・・・何故だろう寂しさみたいなものを感じた。

先輩にも、何か・・・辛い過去があるんだろうか・・・?
込み上げる感情。
2年前の元気に走り回っていた先輩が急に思い出された。

何故、先輩はバスケをやめたんだろう?
何があったんだろう?

気になって仕方ない。だけど・・・聞けない・・・。
僕はそこまで入り込めない気がした。
悔しいけど、まだ。

先輩との見えない距離を縮めたかった。
気まずい空気、ではない。
不思議だけど、僕は押し黙ったままの先輩の笑顔を見たくて口を開いた。

「・・・先輩の手って・・・冷たいね。あれ?手が冷たい人って・・・」
「心が温かいっていうでしょ?」

僕の手をカバンごと手を持ち上げて、その先にいつもの先輩の笑顔が戻ってきていて、僕はほっとした。

「心が冷たいからじゃないんですか?」
「温かいのよ。だから手が冷たいの。ということは、晃くんは心が冷たいってことかな」

寒い冬でもないのに、先輩ははーっと手に息を吹きかけて笑う。

「ねえ、心が温かくなるように・・・手を繋ごうか?」

どくん、と心臓が跳ねた。
息が止るかと思った。

「・・・え・・・っ?」

聞き返す僕に、カンナさんが少し照れたように見た。
ああ、いつの間にか、僕の身長はカンナさんと同じくらいの高さになってたんだ。

「誰も居ないし、たまには青春らしいことしたいじゃない?」

一度手を離し、優雅に手を差し伸べて、先輩は星空の下で笑う。

「お手をどうぞ?王子様。・・・私じゃイヤかな?」

小首を傾げるその姿は、本当に可愛らしくて。
先輩とこうして一緒に居ることだけでも、僕は呼吸が苦しくなるのに。

「たまには・・・いいですよね・・・?」

唇が乾いて上手く話せない。
どんな試合より緊張する。
ただ手を繋ぐことが、こんなに勇気がいることだなんて、僕は知らなかった。
でも、この幸運を逃したくはなかったんだ。

「ナイショね?」

くすくすと笑う先輩の小さな手が、きゅっと力を込めて腕を大きく振った。

「私、男の子と手を繋いだの、小学校以来だわ。」

僕の腕もつられて大きく振られた。
その振りに合わせて、僕の心も大きく揺れていた。
先輩に近づけた、その歓びでいっぱいに。

「いいな、私もこんなお兄ちゃん欲しかったな。」

無邪気に手をふる、先輩のはにかむような表情。

「私は一人っ子だからね。お兄ちゃんって憧れるよ。・・・・・・って、晃くんは年下でした。」
小さく舌をちょこんと出して、カンナ先輩は笑った。

・・・僕の中には、カンナさんの笑顔しか残らないように・・・そう願うかのように。


2006,3,12








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