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accel. 〜言えなかったI love you〜 ♯8
「故障しちゃったの。・・・だから、もうバスケはできないんだ」
カンナさんはボールを投げ返すように僕に視線を向けた。
それは何故か胸がざわつく仕草で、僕は慌ててボールをカンナさんに投げ返した。
変な風に力を入れてしまって、カンナさんのずっと後ろ、頭の上を抜けるかと思われたボールを、とんと床を蹴ってジャンプすると、先輩は片手でしっかりキャッチした。
そんなに動けるのに?
そう言いそうになって、頭のどこかでその質問を止める自分が居て驚く。
カンナさんはそんな僕の表情を読み取って、くすくすと笑った。
「私もね、信じられないの。だって普通に動けるからね。でも、だから、やめたの。・・・ついやり過ぎちゃうから。」
自覚症状、ないから。
小さな呟きが、プールからの歓声にかき消される。
ボールを抱きしめ視線をボールに落とす。
「ボールに触れたのも・・・久しぶり。この感触、本当に懐かしいなあ。こんなに大きかったかな〜。」
僕に背を向けたカンナさんは、片手でボールを掴もうとして指を大きく開いている。
背中がかすかに震えている気がして、僕は知らんぷりで大股で近づいて、先輩の脇からボールを片手で掴んだ。
「・・・お腹空きましたね。早く食べちゃいましょう。試合、始まりますよ。」
指で目尻を拭いているカンナさんが視界の隅に映っていたから、なるべく時間をかけて振り向いて、いつもの笑顔に戻っているカンナさんの顔を見て、笑いかけた。
「お昼食べ損ねちゃいます」
「わ、本当だね。急がないと・・・!」
僕は、怖くて。
それ以上、カンナさんの涙を見ちゃいけない気がした。
あんなに聞きたかったことなのに、これ以上、聞いちゃいけないような気がした。
* * * * * * * * *
バスケの決勝戦は、圧倒的な強さで2−5が優勝した。
ラストの5分、カンナさんも試合に出て、ロングシュートを一本決めた。
それは本当にキレイなフォームで、僕は思わず動きを止めてシュートが決まるように祈ってしまったくらい。
「絶対、晃本気出してなかった!カンナさんのクラスだからって、手抜いただろ!」
透はタオルで汗を拭きながら、僕の背中にのしかかってくる。
「そんなわけないだろ」
「ああああ、俺の聖フェリアちゃん〜」
「いつから透の、になったんだよ?」
苦笑して答えるその向こうで、クラスメイトに囲まれるようにして喜ぶカンナさんの姿が見えた。
笑顔に思わず胸を撫で下ろすと、カンナさんは随分離れた所から見ている僕の視線に気がついたように、にっと笑ってみせる。
ああ、この人にはかなわないな、なんて思いながら、口元をタオルで抑えた。
「・・・浅生先輩って、なんであんなにバスケ上手いのに部活してないんだろうな。体育とかも、図書室で自主勉してるって聞いたぞ。」
ペットボトルの蓋を開けて一気にスポーツドリンクを飲み込むと、透はぐいっとタオルで口元を拭いて「運動オンチってわけじゃなそうなのに」と付け加えた。
「久遠!」
生徒会長が壇上から僕を呼んで手招きをした。
「はい」
返事をして透を押しのけるようにして立ち上がる。
「森さんってさ、お前のことすんげー荒っぽく使ってるよね。」
「いや、そんなことないんだよ。会長って結構・・・・・んー・・・やっぱりこき使われてるかも?」
ちょっと考えて、上手く使われていることに笑いながら、透たちにプール開放時間は4時までと伝えた。
「晃は?プール入らないの?」
「たーぶん、無理」
わざと十字を切って手を組む透に背を向けて、バレーの決勝のはじまる前のコートを突っ切た。
ホワイトボードのトーナメント表に『2−5優勝』と書き込む宮沢さんが「残念だったわね」と意味深に笑う。
僕は片手をついて壇上にジャンプすると「でも、総合優勝狙ってます」と笑った。
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急に背後で拍手や口笛が響く。
「お前、やることが派手なんだよ。」
会長はくくくっと喉を鳴らして笑い、どうやら僕に対する拍手だと気づいて一瞬で赤面した。
ちょっと恥ずかしくなっている僕の頭をくしゃっとと撫でて、会長はにやりと笑う。
階段を使うんだった・・・!と今更思ったけれど、もう遅い。
思わずカンナさんを振り返って見ると、友達と一緒に拍手している。
「ハイジャンでもいいんじゃない?」
宮沢先輩が呆れたように言って「インハイ前に怪我しないでよ?」と呟いた。
「あ、はい、そうでした。」
すっかり失念していた自分に苦笑して、まだ僕の頭の上に手を置いている会長に視線を移した。
「これから決勝だから、宮沢と小池のサポートして。試合終わったら表彰式すぐやるからプールにいる奴らにも一応声かけとけよ。」
「わかりました。頑張ってくださいね」
「ああ」
会長は頷き、不敵に笑って、コートに降りた。
僕にやることが派手だと言った会長だけど、会長の方がずっと派手だ。
圧倒的な存在感。
ホイッスルが鳴り響き、3年同士の対決となったバレーの決勝は、多くのギャラリーの声援の中で、この日一番の盛り上がりとなった。
もちろん、一番目立っていたのは会長だった。
* * * * * * * * *
「また一つ終わり。」
宮沢先輩が本部テントの椅子を畳みながら、呟いた。
まだプールからは楽しそうな声が、セミの鳴き声に負けじと響いている。
楽しそうな声の響く中、まだ夏はこれからなのに、先輩はもう夏が終わるかのような寂しそうな表情だ。
生徒会の、この高校での行事が一つずつ終わっていく。
それは3年生しか感じられない感覚だろう。
「お疲れ様でした。」
「総合優勝まで2−5に持ってかれちゃったわね。晃くん、カンナのクラスだから手を抜いた?」
透に言われたのと同じことを言われる。自分で意識してないけど、そんな風に見えるんだろうか?
「午後の晃くんは、午前中より動きが鈍かったもの。」
人さし指を鼻先に向けられ、僕は思わず後ずさる。
「そんなつもりなかったんですけど。」
カンナさんの言葉に、少し動揺したのだろうか。
それとも、本当に手を抜いてたのかな、無意識に。
先輩の持つ椅子を受け取り、ワゴンに載せる。
「しっかし・・・」
宮沢先輩は少し離れたところで校長と話している会長をちろりと見た。
「なんだかんだ、結局優勝しちゃうとこが凄いじゃない?」
「ですね。会長って運動部じゃないんですよね?勿体ないな。」
長テーブルの足を畳んでいた小池先輩が「化学部だよ、会長。俺と一緒。」と答えた。
「俺はだから生徒会に引きずり込まれたんだから」
小池先輩は来期の会長候補として、小池先輩を書記にしたらしい。
小池先輩は普段はあまり目立たないけれど、いつも冷静に企画を練っていて、つくづく森会長は生徒会に必要な人材をしっかり掴んでいることに感心する。
「一年の時、いろんな部活に引っ張りだこだったのよ、あいつ。それなのに、化学部に入ってさ。まったく、厭味なヤツよね。」
言いながら、宮沢先輩はくすっと笑った。
「でも―――これで受験勉強一色になるなあ・・・」
宮沢先輩は自分に言い聞かせるように言って、手を振り上げた。
「先輩、プール、まだ入れますよ?行ってきたら?」
小池先輩がさりげなく言って、僕に「な?」と同意を求めた。
「どうぞ、後はまかせてください」
僕も頷いた。
「・・・ふふふ、ありがとう。生徒会のオトコノコはみんな優しい〜!一人を除いて!」
まるでその言葉が聞こえたかのように会長は振り向いて、にっこり笑った。
それはもう、不気味なほどの笑顔。
「悪魔が降臨する前に、お言葉に甘えちゃう!それじゃ、お願いね!」
「み・や・ざ・わー!!」
「きゃーーーーーーー!」
走り去る会長と副会長を見送り、小池先輩と僕は「・・・やりますか」と苦笑して、ワゴンを押して倉庫へ向かった。
「もう鍵閉めますよー。」
僕は講堂の出入り口で声を張りあげて、重たい扉を半分閉める。
「あ、待って!」
二階から声が降ってきて、僕は振り向いて二階を見上げた。
「先輩、何してるんですか?」
「窓、閉めてたの。」
階段を下りるカンナ先輩を待って、僕らは並んで重い扉を閉めた。
「はーっ」と二人で息を吐く。
「戸締り終了!」
疲れたけれど、なんともいえない充足感が心地よかった。
僕らは鍵を返しに職員室に行き、生徒会室に向かって並んで歩いた。
「お疲れ様でした。」
「優勝、おめでとうございます」
「ありがとう、晃くんのとこには悪いことしちゃったね。」
「先輩方はたてとかないと。」
僕の言葉に、カンナさんはまたくすくすと笑う。
「お陰様で、海の家で打ち上げするらしいわ。」
「・・・?先輩は行かないの?」
「うん。」
「どうして?」
僕が覗き込むように尋ねると、カンナさんは「夏の間、ちょっと出かけるの」と肩を竦めた。
「え、じゃあ9月まで会えないんですか?」
凄く、残念、と言葉にしなくても聞こえてしまったんじゃないかと思うような声だった。
カンナさんも驚いたように立ち止まって、ふっと視線を落とした。
「うん、9月まで会えない・・・・」
その声には寂しさが宿っていて、僕も立ち止まった。
だけど、顔をあげたカンナさんはいつもの笑顔を見せてくれた。
「インターハイ、頑張ってね。応援してる。」
僕はその夏のインターハイで、8位に入賞した。
だけど、9月になるまで、本当にカンナさんとは一度も会えなかった。
2007,7,18