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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 1 ―







蒼白く輝く雪の中に、吸い込まれるように消えた、あたしの初恋。
あの日、雪の中に捨てたあたしの恋は。
そのまま雪の中で凍らせて。
あれから暖かな春が来て、地表の雪はすべて融けても。
柔らかな雨が降り注ぎ、すぐそこに夏の訪れを教えていても。
――あたしの恋は、永久凍土の奥深く。
あの人への想いは、ずっと凍らせたまま。
お願い、あたしの気持ち、ずっと凍ったままでいて。





5月も半ばを過ぎ、ようやく慣れ始めた電車通学。
駅員さんのいないこの駅は、ホームと駅舎内とを区切るのは、切符を回収する小さな箱だけだ。
閉め切る為の引き戸は、冬の寒い日や、雨風の強い日以外は開け放たれたままだった。

「とーこ!」

電車を降りて改札口を抜けると、懐かしい声があたしを呼び止めた。
青々とした草原を駆け抜けてきた爽やかな風が、あたしの髪を揺らした。
打ちっぱなしのコンクリートの床を照らす古ぼけた蛍光灯の明かりの下、あたしはゆっくりと振り向いた。

「・・・ああ、関君、久しぶり!」
きっちりと締められたタイを右手の人差し指で緩めながら、関君――関 雄介せき ゆうすけ君は回収BOXの脇をすり抜けるようにして駆けてきた。

真夏でもないのに、真っ黒に日焼けしている。
吹奏楽部の彼が日焼けしているのは、夏の大会に向けた運動部の練習試合なんかの応援焼けだ。

「久しぶり! 毎日こんな遅い電車で帰ってくるの?」
関君の少し驚いた声に、あたしはちらりと時計を見て、苦笑する。
確かに、今日は遅くなってしまった。
覚えている限り変わらない、ずうっと同じ場所にかけてある黒い縁取りの時計は8時を過ぎている。

「そんなことないよ、いつもはもう少し早いけど、今日は友達と部活帰りに話してたから。」
と言っても、恋愛相談もどきを公園でしてただけ。
そう笑って答えると、関君はまじまじとあたしを見て、なんだか困ったような顔をした。
「お互い電車通学なのに、ちっとも会わないよね。休みの日に呼び出しても反応ないし、みんな寂しがってるよ?」
トランペットケースをベンチに置き関君は時計を見て、それから「ちょっと話してかない? 」とベンチを指差した。
あたしは少し考えて、関君の変わらない人懐っこい笑顔に微笑む。
「誰が寂しがってるって? 初耳だよ? それとも関君が?」
くすくすと笑いながら座ると、関君は「もちろん、俺も」と真面目に答えながら隣に座った。

ほんの数か月前まで、あたし羽鳥 塔子はとり とうこと関君は、クラスも部活も同じだった。
関君とは小学校からの付き合いだったし、どちらかというと"男まさり"なんて言われてたあたしだったから、男子と話すことを特別意識することもなかったし、男子が集まると盛り上がるキワドイ話も聞き流すことができた。
まあ、関君がその手の話に積極的に参加していたことはなかったけれど。
居心地のよかった場所。
あたしは、毎日一緒に笑っていた。
――それなのに、中学を卒業してからは、まったく話をしてなかった。
・・・距離を置いていた。

「俺らみんなで遊ぶこと多かったのに。何より、有菜が寂しがるんだよ。『とーこちゃんが居ないとツマンナイ〜』って。」
上を向いて口をとがらせぶーたれる。
そんな有菜の仕草と口調がそっくりで、あたしは思わず噴きだした。

「関君、似すぎ・・・!さすがお隣同士なだけあるね。」
「有菜の"ツマンナイ〜"は、昔からの口癖だから」

わざとおどけた口調で言って、その口癖が巻き起こした想い出に眉を顰める関君に、また微笑んでしまう。

「でも、有菜とは先週会ったんだけどなぁ。電話もかかってくるし・・・」
「なんだよー、じゃあ俺らと遊ぶのがイヤなの? ツマンナイ〜!」
「そーいうわけじゃ・・・」
「ツマンナイ〜! 」
「うわっ、似てるっ!あははは、おなか、イタイ〜!」

あたしは笑うのを止められず、目に涙が浮かんでくる。
中学時代の誰かと笑うのは・・・本当に久しぶりだ。

「相変わらず? 有菜。」
「ああ、相変わらず、だよ。」
「そっか。」
有菜の可愛らしい笑顔を思い浮かべて、あたしは微笑む。
だけど、胸の中で小さな痛みが走る。

いつも笑顔の中に居たのに、本当に笑えていたのはずっと昔。

あたしが俯くと、関君はわざとおどけた声で覗きこんだ。

「今度遊ぼうよ〜、とーこちゃん、雄介、ツマンナイ〜」
「あはははは」

その言い方が本当に有菜そっくりで、そして関君が本当に寂しそうに言うから、あたしは大笑いしてしまった。
ひとしきり笑いあって、関君とあたしは「疲れた〜」と足を投げ出して天井を見上げた。

「・・・なんだかこんな風に話すのも久しぶりだね。」

小さな待合室の天井は薄汚れてクモの巣がかかっていた。
それでも何故か心が安らぐ気がするから、なんだか不思議だ。
古ぼけた木のベンチには、たくさんの想い出がつまっているからだろう。
まだ、何ヶ月も経っていないのに、もうずっと昔のことのような気がする。

「とーこ、何時くらいの電車で通ってんの?」
「そうだね〜、6時ちょっと過ぎの電車かな・・・」
関君は、もたれていた壁から起き上がって、「うっそ!」と叫んだ。
「6時って・・・朝だろ?」
「あたりまえでしょ」
「うっわ〜! 俺は無理だなあ。7時まで寝てるよ・・・・それでも電車間に合うもんな。」
「遠いからね〜。慣れたらなんとかなるものよ?」

朝練のある日は5時台の電車だ。
もう3ヶ月も通っていると、これが普通になっていた。
確かに、もう少し寝ていたいって日もあるけど。

「で、どう? 敬稜って、俺らの学校から通ってるヤツいないでしょ? 寂しくない?」
「寂しかったよ? でも、今は平気。」

寂しさより、もっと大きな感情があたしを押し潰してたから。

「突然志望校替えたから、みんなびっくりしたんだ。誰も知らなかったもんな。直人ですら。」

ずきん、と胸が痛んだ気がした。
そんなわけない。
あたしのココロは、あの日雪に捨てたんだから。

「みんな泉峯だろう? 進学先。そりゃ、工業とか女子高とか私立にも行ったけどさ。
離れた奴らだってほとんどが同じ電車だし。まったく会わなかったのって、とーこだけじゃない?」
「そうかな?」
そうかもしれない。
あたしが曖昧に言葉を濁すと、関君は少しだけ声のトーンを落とした。
「・・・とーこは、直人とはずっと一緒だと思ってたから。」
「・・・」
あたしもそう思ってた、とは言えなくて、口を噤んだ。
そんなあたしの様子に気がついて、関君は「有菜がぜったい離れないと思ったんだけどね」と続けた。
あたしは「うん」と頷くことしかできなかった。

「改めて聞いたことなかったけどさ、なんで敬稜選んだの?」

目に留まったのは、あたしたちが並んで座るベンチの前にあるポスター。
『元気にあいさつ、みんなともだち』と書かれた小学生のお手製ポスターだ。
笑顔の女の子たちと男の子たちが手を繋いで輪になっている。

あたしも、ずっと、この輪の中で生きてきた。

「世界を・・・ね、拡げてみたかったの。」
「世界?」
関君は不思議そうに首を傾げる。
あたしは目を閉じて小さく頷いた。


あの日。
チョコを雪に捨てたあの日。
あたしの居場所はなくなってしまった。
自ら手放してしまった、ポジション。
いつまでも、留まっていることができなくなった。
自分から、そうしてしまったんだ。
苦しくて、苦しくて。


――だから。
直人と距離をとりたかった。
直人と有菜が付き合いだすのを、一番近くで、笑って見てるなんて、できそうになかった。

直人――三上 直人みかみ なおと
あたしの幼馴染・・・
あまりに身近で、あまりに大切な人。

・・・自信がなかった。
あたしは今までの、狭い人間関係の中から逃げ出したかった。
きっと、あたしがこんな風に苦しいのは、ココでの酸素が足りないからなのかもしれない。
知らないうちに、酸欠になってた。
直人の近くに居たら、あたしは呼吸方法さえ忘れてしまいそうだった。

新しい空気が欲しい。
今のままじゃ、苦しすぎる。


「・・・敬稜はさ、姉妹校がイギリスにあるの」
「へー、そうなの?」

どうせなら、今までのあたしとは違うことをしてみたいと思った。
変わりたいと思った。

「敬稜はその姉妹校に留学できるの。」
「ふーん・・・・って、えっ?とーこ、イギリスに行くの?」
背中を冷たい壁に預けあたしの話を聞いていた関君は、あたしが驚くほど急に体を起こし、目を見開いて声を大きくした。
あたしは、うん、とうなずき「ナイショね」と呟く。
ぱちぱちと目を瞬かせ、小さく息を吸い込むと、関君は確かめるように訊ねた。

「どれくらいの期間?」
「短くて1年。長ければ2年、かな。」
「留学かあ・・・」
「だから土壇場で変えたの。って言っても、校内の選考をクリアしなくちゃいけないんだけどね。」
「・・・とーこなら大丈夫だよ。きっと。」
「だといいんだけどね。」
「そっかー、高校が遠くなっただけじゃなくて、国外に行っちゃうのかあ。」

ますます寂しくなるよ。
関君は呟くように言って「直人はそのこと知ってるの?」と尋ねた。
その言葉には、もちろん知ってるんだろうけど、という意味合いが含まれているのに、あたしは苦笑した。

知ってるはず、ない。
言ってないもの・・・。

あたしは首を振って、肩を竦める。
「誰にも言ってないよ。有菜にも。」
あたしの答えに、関君は「あちゃー」と何故か眉を顰めた。
不思議に思うあたしに、関君は真剣な表情になって言った。

「とーこ知らないだろうけど、受験の日、試験会場にとーこが居ないって、凄く心配してたんだ。直人。
その後、敬稜受けたって聞いてめちゃくちゃ不機嫌でさ。・・・きっとアレだよ? イギリス行くなんて言ったら口利かないよ。
すっげー機嫌悪くなりそう。とーこと直人は、ずっと一緒だっただろ? 今もなんかおかしいんだよな・・・。」
お互いの理解者って感じだったし。
笑いながら言われ、あたしは笑顔が引き攣るのを感じて俯いた。

あの日、あたしが突然引いたラインに、直人が戸惑ったのは知っていたけど。
・・・そっか、志望校替えたこと、あの時、直人に話さなかったんだっけ。

"お互いの理解者"

その言葉に眉を顰めた。
そんな風に思われているって知っていた。
あたし自身、今まで直人の一番近くに居て、誰よりも直人のことを理解していると自負してた。
だけど、直人はあたしに<ライン>を引いてた。
いつも傍に居て、誰より時間を共有して。
だけど、直人からあたしに触れることはない。
あたしに許されたのは"幼馴染"という肩書きだけだ。
それがどんなに苦しかったかなんて、直人にはわからないだろう。
ううん、知っていたのかもしれない。
それでも、ずっと、こうやって続いていくと、思っていたんだ。
あの日まではあたしも。
直人も。

「それにしても、ノド痛そうだね。風邪?」
「ううん。これは・・・部活の所為。」
あたしは喉に手をあてて苦笑する。
「部活って?何してるの?」
「・・・チアリーディング」
「えええええ!?」

関君は大きな声をあげて、再び体を起こした。

「や、吹奏楽より、とーこにはあってる気がする、けど、」
「むー・・・・なんでそんな言葉区切るの?」
「あー・・・あれだよな?ミニスカで、ポンポンとか持って」
「関君の言い方なんかやらしいけど?」

そう言いながら、実はあたし自身が一番恥ずかしく思っていたりする。
そんなあたしに気がついたみたいに、関君は「それは今度見に行かなくちゃ!みんな誘って!」と、真っ赤になって俯いたあたしを、意地悪そうに覗き込んで笑った。
「来なくていいよ〜!」
「やー陽太とかめちゃくちゃ笑いそうだけど」
「ぎゃ・・・・」

絶句するあたしを見て、関君は指さして笑った。


「そろそろ帰んないとマズイよな。とーこ。」
関君は立ち上がって、時計を見た。
時間はあっという間に過ぎていく。
「そーだね、明日も早いし。」
あたしも立ち上がって、制服のスカートを叩いた。
待合室の外に出ると、次の電車がプラットホームに入ってくるのが見えた。

「送ろうか?」
「大丈夫。自転車だから。」
でも、と心配そうな関君の肩をぽんと叩いてあたしは歩き出す。

「じゃあね、また!」
「あ! とーこ!」
「なーに?」

振り向いたあたしに、関君が何かを投げてよこした。
咄嗟に手を伸ばし、小さな塊を掴んだ。

「これ?」
「やるよ。あのさ、今度の土曜、体育祭あるんだ。」
「うん、有菜に聞いた。泉峯って早いね。土曜ってのも珍しいし。」
「見においでよ。みんな待ってるから。」

有菜にも誘われていたんだっけ。
関君は言って、「またな」と手を振って歩き出した。
後姿を見送り、ゆっくりと指を開いて思わず顔が綻ぶ。
「・・・関君らしい。」
包みを開いて、関君がくれたのど飴を口の中に入れ、あたしは回れ右して歩き出した。

電車から何人か降りてきて、暗闇にぽつんと取り残されたみたいだった駅が、ざわつきだす。
足音が幾つも追いかけてきて、あたしの脇を通り抜けていく。
あたしも少し歩幅を大きくする。
自転車置き場に停めておいた自転車のカゴに荷物を入れて、向きを変えて自転車に乗りペダルを踏み込んだ。

誰にも言わなかったことを、何で関君に話してしまったのかわからなかったけど、どこか心が軽くなった気がした。

ううん。
関君だから、話せたんだろう。

有菜の幼馴染の、多分、彼女を好きな気持ちを抱えて微笑んでいる関君だから。
あたしができなかったことをしている関君だから。

「とーこ!」
そんなことを考えながら、ゆっくりと自転車を走らせたあたしを。

「・・・直人」

あなたは呼び止めた。






2007,6,23


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