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雪に捨てたバレンタイン
星空の下で、さよなら ― 2 ―
「・・・びっくりした」
あたしは驚いて自転車を停め、フェンスに寄りかかるようにして立っている直人を見つめた。
視線を少し離れた駅のほうに向け、直人はがしゃんと乱暴な音をさせてフェンスから身体を放した。
「遅いんじゃない?」
不機嫌な声で言うと、直人はあたしの自転車のカゴに自分のカバンを放り込んだ。
まるで一緒に帰るのが当たり前だというように・・・。
「ちょっとね。・・・直人こそ、こんなとこで何してんの?」
あたしは自転車を降りて、他になんと言っていいかわからずに尋ねた。
「交代。」
あたしの質問には答えず、直人はあたしを押しのけるようにしてハンドルを掴み、さっとサドルに座った。
「乗れよ。」
後ろに乗るように促し、自分は両肘でハンドルを支えて俯いている。
「・・・いいよ、あたしんちの前においといてくれれば。」
あたしはそう言って歩き出した。
何故か涙が込み上げてきそうになって、あたしは唇を噛み締めた。
後ろになんて、一緒になんて、乗れるわけないじゃない。
「意地っ張り」
背中で小さく毒づく声が聞こえ、ペダルを漕ぐ音と共に直人はあたしの前まで来て自転車から降りた。
「一緒に帰ろう」
その声は少しだけ寂しそうな声で、あたしは立ち止まってしまった。
「・・・どうしたの? 有菜と喧嘩でもしたの?」
そんな声を聞いたのは、多分保育園の頃以来だった。
かくれんぼしてて、いつまでたっても、誰もあたしたちを見つけてくれなくて。
『塔子ちゃんが一緒で、よかった』
繋いでいた手をぎゅっと握り、弱々しく笑った。
『ひとりぼっちじゃなくて、よかった』
あれからだ、多分。
ずっと直人の傍にいようって思ったの。
妙なことを思い出して、あたしは苦笑した。
ずっとって・・・信じていた。
直人はあたしが昔の二人を思い出してるなんて、考えもしないだろう。
「喧嘩なんかしないよ。」
穏やかな声で言って、直人は溜め息をつく。
「じゃあなに?」
「いいから、歩くよ」
声はまた不機嫌なものになっていた。
今のあたしは、その言葉の内側を推し量るだけの時間も、出来事も、共有していない。
だから何故不機嫌なのか、わからない。
不機嫌であったとしても、あたしには関係のないこと。
あたしたちは無言で、少ない電灯の下を歩いた。
月もなく、ただ星が静かに瞬いている。
電灯の明かりが届かない暗闇は、あたしの中に潜んでいる何かのような気がした。
喧嘩なんかしない。
するわけがない。
直人がどれくらい有菜を好きなのか、あたしが一番知っている。
中谷 有菜。
あたしの、大切な友達。
有菜はいつだって、素直で。
ふわふわで、可愛くて・・・あたしと全然違う。
多分、有菜を送った帰りなんだろう。
偶々あたしを見かけたから、待っていたんだ。
他意はない。
そうね、強いて言えば、とりあえず夜道を一人で歩かせるのは危険だって、そう思ったのかもしれない。
ハンドルを握る直人の手を見ながら、そんなことを考えた。
あの手と繋がっていたのは、せいぜい小学校1年生までだ。
考えたところで、答えを聞くこともできなければ、答えが欲しいわけでもない。
何で? いつから? あたしを待っていたの?
そんな問いを飲み込みながら、あたしは混沌たる思考を整理しようと努める。
それでも、仮説を立ててなんでもないフリをしてみても、あたしは心がざわついて・・・打ちのめされそうな気がした。
暗闇で凍らせたあたしの気持ちを探している、もう一人のあたしが笑ってる。
捨てるなんて無理なんじゃない? と、あたしが捨てたあのチョコを探してる。
家までの道のりがとてつもなく長く感じた。
息ができなくなってしまいそう。
「学校、楽しい?」
急に言われて、あたしは息を飲んで直人を見た。
暗闇で表情はよくわからない。
「楽しいよ。」
ちっとも楽しそうに聞こえないような声で答えてしまって、思わず苦笑した。
高校生活は、想っていたより楽しかった。
新しい出会いは今まで知らなかった扉を幾つか開いてくれたし、目標ができたことで頑張れる自分を見つけた。
もう少しで、新しいあたしの居場所を見つけられる気がしてる。
「直人は?」
「まあまあかな。」
「楽しいでしょう? 大好きな有菜と一緒なんだから。」
「厭味かよ」
直人は言って、くすっと笑う。
その表情は、いつも有菜のことを話していた時の嬉しそうな笑顔。
「そういうわけじゃないよ。楽しいんだろうなって思っただけ。」
あたしは見慣れた笑顔に懐かしさと切なさを感じて、夜空を見上げた。
そんな顔をさせられるのは、有菜だけなんだよね。
「直人のその顔見て、すごーく楽しいのはわかったよ。」
あたしは呆れたような口調で言いながら、心のどこかでほっとした。
結局、幼馴染は幼馴染でしかない。
一番近くに居た人が、幸せそうな顔してるのは、嬉しいことじゃない?
「なんで?」
「え?」
尋ねたその声に、あたしは思わず聞き返した。
直人が、ハンドルを持つ手に力を込めたのを感じた。
「カレシ、できた?」
意を決したように握られた手とは裏腹に、さらっと言われ、あたしは再び足を止めた。
「何?」
数歩先に行った直人も足を止め、振り向いて再び問う。
「カレシだよ。」
日本語もわかんないの?
直人は言って、また歩き出した。
「そ・・・そんなの直人に報告する義務ない」
背中に言って、足早に直人の脇を通りぬけた。
「できたって、直人には教えないよ。」
「・・・じゃないのかよ?」
直人の言葉は聞き取れなかったけど、あたしはくるりと振り向いて「余計なお世話だよ!」と言い返した。
「お節介はとーこの方だろ。」
からかうように言って、直人は笑った。
今までのことを言ってるんだってわかって、あたしは無性に腹がたった。
あたしが今までしてきたことが、お節介だったんだってことだろう。
そんなの自覚してる。
言われるまでもない。
「ご心配なく。もう直人の世話焼いたりしないから。」
「ふーん・・・」
「悪かったね、お節介で」
いつの間にか、家の前まで来ていた。
家の前まで来ると、今度は反対にとても短い道のりだったと思えた。
直人から自転車のハンドルを奪うように取ると、直人がカゴからカバンを出すのを待った。
あたしより小さかったくせに・・・また身長伸びた。
あたしと目が合うと、直人は不意に目を逸らした。
「雄介と・・・」
「・・・?」
その後の言葉を待ったけど、直人はそのまま黙り込んでしまった。
「関君が、何?」
あたしが問いかけると、直人は小さく舌打ちして「なんでもない」と呟いた。
こんな時は、何を聞いたってあたしに話す気はないんだ。
「じゃあね」
あたしが背を向けても、何も返してこない。
そのまま無視して扉を開ける、たったそれだけのことができず、背後で吐かれた溜め息一つに反応してしまう自分が情けなかった。
どれだけの時間を、直人と過ごしてきたのかを思い知らされる。
どれだけ自分の中で大きな存在だったのか、あまりに当たり前だった心のその場所に、今は大きな穴が開いている。
あたしは今、その穴を埋めるのに精一杯なんだ。
どんなに笑っていても、楽しくしてても。
今、そんなことに気づかなくたっていいのに!
そんなあたしの気持ちなんてお見通しだというように、直人はあたしの髪にそっと触れた。
肩がびくりと強張る。
「とーこ」
名前を呼ばれて、あたしは悔しくて俯いた。
直人にとって、あたしはなんて簡単な存在なんだろう。
本当に好きな有菜のことになると、いつもの自信たっぷりな姿はなくなるくせに。
それ以外、好きな子以外に対して、不安になるなんてことなくて。
私は、そのどちらにもあてはまらない。
だけど・・・だからこそ。
今、あたしの心臓が止りそうなことくらい、知ってるんだ。
どれほど傍に居ても、絶対にあたしに触れてこなかった指が、今になって触れる。
あたしの目の前で、自分は<ライン>を引いたくせに。
こんなのズルイ。
あたしが引いた<ライン>は、無視するってことなの?
「明日、早いから」
震える声であたしは言って、カバンを掴むと逃げるようにして玄関に飛び込んだ。
「塔子? おかえりなさい。ちょっと、遅すぎよ」
お母さんの声が奥から響く。
「ごめんなさい」
あたしは扉にもたれかかって、直人が触れた髪を掴んだ。
そんなはずはないのに、熱をもったように熱い。
「じゃあな、とーこ」
扉の向こうで、声が響く。
あたしは答えずに息を殺した。
しばらくして、直人の靴音が遠ざかっていくのを感じた。
「お願い・・・」
目を瞑って、呪文のように呟いた。
「溶け出さないで、あたしのココロ・・・」
永久凍土の奥深く、あたしの気持ち・・・・凍っていて。
2007,6,25
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