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君に捧げる、恋の詩






カタンカタンと規則的に揺れる車内から、頬杖をついて景色を眺めていた。
こちらに来て二度目の春は、昨年ほど寒くはない。
コートを羽織る必要はないくらい今日は暖かだった。

とはいえ、山間ではまだ雪が残り、車窓から眺める景色は春というには色合いが寂しい。
去年も同じだったのだろうか?
視線は同じ、窓の向こうに向けていたはずなのに、何も思い出せない。

昨年は――瞳は遠くを見ていたから、目の前の景色を映すことはなかった。

そう。
ただ、桜の花のような可愛らしい人を想っていた。

春の花のような彼女を思い出しながら、真冬に居るように心が凍っていた。
指先に残る彼女の頬の冷たさを思い出し、心がキンと冷えていく。
笑顔と一緒に、泣き顔が浮かぶ。

『司、だーい好き!』
無邪気に笑って抱きつく、愛しい存在。
思い出すだけで、胸の奥底がぎゅっと痛み出すほど愛しい。

『大嫌いっ!私が望むすべてを持っているのに、私から全部奪っていく司なんて、大嫌い!』
泣きながら僕の胸を叩く彼女の叫びが、心を凍らせていく。

目の前に広がる光景に、ただ呆然とした僕。
今まで僕を少し恥ずかしそうに見つめてた瞳が、憎しみに変わっていく。

愛しさが消え――憎しみに塗り替えられるのを、まざまざと感じた。
僕の気持ちは変わらないのに・・・。
自分の気持ちだけが、そこに置き去りにされた。

「・・・」

しばらく思い出さずにいたことを、まるで昨日のことのように思い出してしまった自分に舌打ちしたくなる。
もう一年以上前のことなのに。

小さく息を吐き、凍えそうな気持ちを慰めるようにして目に映る景色に神経を集中させる。
こんなに感傷的になるのは、昨晩あんな電話がかかってきたからだろう。
戻るつもりなどないというのに、あの人は何故そんなことに拘るのだろう?
同じ道を往くつもりはないのだと、何度も伝えているのに。

カタンカタンカタタン

振動する車内は、シンと静まり返っている。
息遣いが聞こえそうなほど静かな空間。
相反するように車内に響く線路を走る音が、息遣いをかき消す。

どうしようもないほど傷ついて、ぼろぼろになっていた心。
もう誰も、心の中にいれない。
心の傷を癒すのはやめた。
いつまでも、痛みを抱えていけばいい。
ただ、気づかないフリをする術を身につけた。
心から心配してくれる人たちに、笑顔を向けられるように。
新しい人間関係を築いていく中で、奥底に抱えた傷を見せないように。
本心を見せないように。
深く関わらないように。

ずっと、彼女を傷つけた自分を忘れない為に。

かけていた眼鏡を外す。
視界は変わらない。
視力が悪いわけじゃないから、逆に視界が広がった。
眼鏡越しじゃない風景。
手元の眼鏡に視線を落とす。

"司、この眼鏡はね、魔法の眼鏡よ?司が苦手な人とだって、上手く話せるの。
だって、これは気持ちを隠してくれるの"

コソコソと耳元で囁く声。
「ね?」と悪戯な光を宿してウィンクして見せた栗色の瞳。

記憶の中の彼女は、変わらずに無邪気だ。
その無邪気さに、強く惹かれた。
恋という名の気持ちの高まりに、のめり込んだ。

山間から抜け、田園風景の広がる場所に出ると、スピードが落とされる。
緩やかなカーブの後、踏み切りを越える。
そこから、電車の走る線路を囲むように桜並木が続く。
まだ蕾がようやく膨らみだしたところ。
うっすらと桜色に色づく枝。
今頃は満開も過ぎた東京とは趣が異なる。

今頃は、あの桜並木の下は薄桃色の花びらで彩られているだろう。
幾度となく歩いたあの道を思い出し、苦笑する。
笑ったり喜んだりして歩いたあの正門からの桜並木が、今年は少しだけ懐かしく思えたからだった。
華やかで活気に溢れていた初・中等科の校舎。
歴史を感じさせる重厚な校舎は、見下ろすように立ち並ぶビルに慣れていた僕が一番落ち着ける場所だった。
9年間・・・8年と10ヶ月通ったあの場所は、今も変わらずにあるはずだ。
喜びも悲しみも、そのままに。

その懐かしい校舎になんとなく似た校舎が桜並木の向こうに見える。
いや、もっと随分古い木造校舎だ。
しばらくして、幾分新しい建物も。
それが小学校と中学の校舎だと、この一年で知った。
中学の校舎を過ぎると同時に、桜並木も途絶える。
また広がる、田園。
小さな駅にブレーキをかけながら速度を落とす電車は、一度大きく振動を体に伝えた。
何気なく反対側に視線を向ける。
寂れた駅が見え、真新しい制服に身を包んだ女の子がぽつんと立っていた。
それは見慣れた制服で、でもこの辺りでは珍しい制服。
僕の通う高校の制服だ。
「へえ、新入生・・・かな?」
敬稜はこの地域から通うには少し遠い。
僕がこちらに来てから、この辺りから通っているのは僕だけだったから、なんとなく気になる。
ホームに立つ人影はまばらで、朝早いこの電車に乗る顔ぶれは決まっている。
この駅からは、サラリーマン風の男の人が4,5人と、商業に通ってると思われる学生が数人。
昨日入学式だったから、新しい顔は数人増えてはいるものの、敬稜の生徒は彼女しか居なかった。
さらさらの髪で顔は見えない。
ほっそりとした足がキレイだと思った。

それだけ。
それだけなのに、何故か目が離せなかった。

こっちに来てから、誰かを特別意識したことなんてなかったのに、気になって仕方なかった。
やがて電車は大きな音を軋ませて、彼女の前に僕を運んだ。
がくんと大きな振動と共に、そのコの前に電車が停まる。
僕は正面から彼女を見た。

「・・・!」

何故気になったのか、彼女を見てわかった。
彼女の瞳は――目の前に大きな音をたてて停まった電車が、まるで見えていない。
そこには何もないかのように、ただ真っ直ぐに何かを見つめていた。
電車の向こう・・・広がる田園を。
ただ立ち尽くして。

今にも泣き出しそうな瞳。
大きな傷みに耐えるように、唇をきつく引き結んでいた。
苦しそうに瞳を閉じる。
俯いたその肩も、鞄を持つ手も小刻みに震えていた。

このままあのコ、あそこから動けなくなるんじゃない・・・?

不意に、泣き崩れる姿が脳裏に蘇る。

背を向けた僕が、愛しさに負けて振り向いた先。
その場に泣き崩れて・・・。

残像を重ね見ていた僕は、知らず手を握り締めていた。
胸が激しく打ちつける。
あの時の後悔が止めようもない津波のように押し寄せる。

扉が閉まる前に、飛び降りて、抱きしめればよかった。
もう終わったのだと、これ以上苦しめちゃいけないと、自分に言い聞かせるようにして目を閉じた。
扉が閉まる瞬間に、微かに名前を呼ばれた気がしたのに。

――好きだと伝えればよかった。
想いを素直に伝えればよかった。
傍に駆け寄り、「好きだ」と。

彼女があのまま、立ち上がれなかったなんて、あの時は知らなかったから。

苺香いちか

あの時、手を差し伸べていたら――

そのまま思考を持っていかれそうになり、僕は頭を振った。
過去ではなく、今を瞳に映し息を吸い込む。

苺香には、少しも似たところがない見ず知らずのコ。
敬稜の制服っていっても、全然、名前も知らないコだ。
なのに、僕は腰を浮かせかかっていた。
彼女がその場に座り込んでしまう前に、その腕を引き上げようと思った。

だけど、目の前で開いた電車の扉に呼応するように、そのコは顔を上げた。

深呼吸して、空を見上げる。

瞳は確かに大きな傷痕を窺わせているのに、そのコは一歩前に歩み出た。
その足取りはとても確かで、先程まで壊れそうに儚く見えたのが嘘のようだった。

背筋をピンと伸ばした姿に、凍っていたはずの心が微かに脈打った。

閉まる扉を背にして立ったそのコは、扉に寄りかかり、やはり田園に視線を向ける。
寂しそうな瞳は、だけど愛しさを秘めて。

その瞳に涙が浮かぶ。

「・・・ダメダメ。こんなんじゃ!」

まるで自分に渇を入れるように呟いて、彼女は窓にそっと手を合わせると空を見上げた。

とくん、と、胸の中で小さく響く。

その横顔が、キレイだと思った。
彼女の中に、とても強い何かを感じた。

僕にも苺香にも、持てなかった強さ。


それが、羽鳥塔子――塔子ちゃんとの出会いだった。







2008,5,25




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