― slowly slowly slowly 番外編 ―
*音哉視点
1 adagio
鍵盤に触れる指先が、しなやかに伸びやかに力強く踊る。
(そこはffじゃないだろ?)
思わずくすりと笑うと、射るような視線が飛んでくる。
『・・・気に入らないなら、帰れよ』
そんな怒気を孕んだ声が聞こえてくるようだ。
でも、そんな怖い顔したって、無駄だよ。
ますます可笑しくなって、口元を手で隠しながら笑った。
とはいえ、肩が震えているのは隠しようがない。
澄んだ夜空に浮かぶ月のような静かな美貌の持ち主は、苦虫を噛み潰したような表情になる。
そんな一つ一つが嬉しいなんて言ったら、きっと絞め殺されちゃうだろうけど。
閉店後の薄暗い店内で、聞き入る観客は俺一人。
上等な演奏者には、上等な聞き手が必要だろ?
この上なく贅沢な時間に、俺はソファーに背を預けた。
「お前は俺の専属ピアニスト♪」
「・・・うるさい」
俺の言葉にきっとぎりっと唇をかみ締めているだろうに、指先から紡がれる音色は甘やかな柔らかな切ないラプソディ。
――多少、剣呑な響きでアレンジされているものの、コレの本来の気性を知っていれば、それすら可愛らしいものに感じる。
こんなに想ってるのに、彼の愛しい人に伝わらないとは、やりきれないだろうに。
音色に引きずり込まれるように、目を離せなくなる。
ふわりと鍵盤から離れる細く長い指は、羽のように柔らかなのに、次に鍵盤に舞い戻る時には、地の底にまで届くような重さをも感じる。
目を閉じ、メロディに身を委ねるのが好きなのに、コレが相手だと目を閉じて居るのが勿体無くなる。
暴きたくなる。
綺麗な顔立ち下に隠された、激しい本性を。
もっと解き放てよ。
その美しい身体の奥底で、くすぶる熱情を。
ぶつければいい。
これは、お前が所有すべきものなんだから。
言葉にしなくても、伝わる。
・・・でも。
「・・・これ、そんな激しい曲だっけ」
「お前に聞かせてやるには、これくらいがちょうどいい」
「ふうん・・・・」
わかっているじゃないか。
「随分、愛してくれてるんだねえ。」
「どう聞けばそうなる?大体、なんで音哉相手にラプソディなんか弾かなくちゃいけないの?」
「そりゃ、唯の愛人だから?」
「いつからだよ?」
お前に初めて会った日から、ずっとだよ?
言わなくても、伝わる。
魂の半身。
「・・・とんだ愛人だ。心はとっくにあのヒトにくれてやったくせに」
「それがわかるんだから」
「そりゃあね、伊達にお前の専属をしてるわけじゃないよ・・・でも、俺にそっちの趣味はないケド?」
「えーそりゃひどいな。こんなに想ってるのに」
「よくいう」
また笑みが零れる。
最後のキィがそっと指から離される。
余韻が辺りを包み込んでく。
空気がそっと静まる瞬間、吐息が零れる。
「・・・明日はレクイエムしか弾かない」
唯はそう言って、ため息を零した。
「愛しい人(彼女)を送る為に?それとも自分の気落ちを葬る為に?」
「・・・お前の為に。音哉を葬る為に、だよ」
盛大に笑って、唯の傍らに歩み寄り椅子に座るとその肩に体重を預ける。
「お前が送ってくれるなら、俺は幸せだよ」
言って目を閉じる。
「バカヤロウ」
小さく毒づいた相棒は、子守唄を弾きだした。
――それは懐かしいメロディ。ただ緩やかに、やさしさに包まれる、懐かしいメロディだった――
2007.11.8ブログより再掲