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slowly slowly slowly
「いつまで夢みたいなコト言ってるの?」
彼はそう言って、辟易した顔で呟いた。
私は何も特別なコトなんて言ってない。
「心から好きな人としかキスもセックスもしたくない。」
私がそう言って彼の顔を押しのけると、彼は私を見下ろして言った。
「じゃあ、なんで付き合うのOKしたの?・・・・君がそんな少女趣味だとは知らなかった」
そんなんじゃない、と言おうとしたけど。
「26歳にもなって、そんなオトコ好きそうな顔して、経験ないフリも大概にしろよ!」
彼が畳み掛けるように言ったので、私は何も言えなくなった。ただ、今まで優しく私を見つめていた彼の瞳が、冷たく変わっていくのを見ていた。
そんな私に呆れたように、彼は背を向け、コートとバックを抱えて出て行った。
それが1時間前の出来事。
* * * * * * *
「何がいけない・・・?」
私は思い切り閉められた扉を見つめたまま、ぼんやりと考えていた。
彼・・・彼だったあの人は、私の上司。
本社から来た彼は、明るくてフェアな人。
企画を立ち上げた時から、ずっとパートナーで、頭も切れて性格もよかった。
社内でも人気があるんだと、私は付き合いだした1週間前に初めて知った。
私はこういうことに、疎い。
『君の部屋を見て見たいな。』
そう笑顔で言われて、私は夕食後、彼を部屋に招いた。
私も彼も、企画成功のことばかり考えていたから、付き合って欲しいと言われてOKしてから、一度もデートらしいことをしてなかった。
今日が初めてのデートみたいなものだったのよね。
彼は私が部屋の鍵を開けるなり、嬉しそうに顔を近づけてきた。
いきなりだったから、「ちょっと待って!」と言ったけど、彼はそれでも私を抱きすくめてきた。
これから付き合っていくんだから、急ぐ必要はないでしょう?
そして、私は素直な気持ちを告げたんだけど・・・。
「あ〜あ。またダメだった。」
私はソファーにもたれながら、溜め息をついた。
嫌いじゃなかったのにな。
これから、好きになっていけると・・・思ったのに。
時計をちらりと見る。
まだ22時。
「唯に電話しよう。」
私は携帯のリダイヤル履歴からひとつの番号を選択する。
・・・履歴を見て苦笑する。
あら、見事に唯しかないじゃない。
彼には・・・私から電話したことなかったんだ?
「仕事始めてませんように。」
呟いて目を閉じる。
唯は幼馴染。
私のほうが3つ上。
母さんたちが仲良しで、私と唯は小さな頃からよく遊んだ。
フランス人形のような可愛いくりくりの瞳で「理子ちゃん!」って私の洋服の端を握ってついて来てたっけ。
一人っ子の私にとって、唯は本当に可愛い妹みたいなものだった。
可愛い可愛い唯。
『はい。』
疲れた声が携帯越しに聞こえ、私は幼かった唯を思い出しくすっと笑いかけた声を飲み込んで「唯ちゃん?」と訊ねる。
唯の携帯にかけてるんだから当たり前なんだけど、つい、同じようにいつも訊ねてしまうのだ。
『・・・ちゃんって言うな』
相変わらずの不機嫌な声。そして溜め息が聞こえた。
「ごめん、仕事中?」
唯の仕事は今からが忙しい。わかってるんだけど。
『今出るとこ。わかってるんだから、かけないでよ!』
「うん・・・・で、今日は終わり何時?」
『理子・・・人の話聞いてる?』
「聞いてる」
思わず、正座して唯の言葉を待つ。
『今日は忙しいと思うけど・・・・・・で、なんかあったの?理子。』
不機嫌そうにしてても、最後は心配そうに訊ねてくる。これもいつものこと。
「うーん。ちょっと上司とトラブってね・・・明日休みだからいいんだけど・・・」
カレンダーを眺めて、私は溜め息をつく。
そうなんだよね、彼とはまた顔をあわせなくちゃなんない。
私は嫌いになったわけじゃないけど・・・・こういう風になった後、向こうは気まずい顔をして避けるようになる。
自慢にもならないけど、何度もこんな経験してる。
参ったな・・・。
『理子が仕事絡みで電話してくるなんて、珍しいね。』
ちょっとだけ、唯の声が和らぐ。
『終わったら、そっち行くから。何時になるかわかんないし、理子は寝てなよ?』
「さんきゅ。唯ちゃん!」
『ちゃんはやめろっ!』
私は携帯をぱくんと閉じ机の上に置いて、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、パソコンの電源を入れた。
とりあえず、メイクを落とそう。
仕事帰り、かなり気合入れたんだけど。
洗面所に向かいながら、私は大きく伸びをした。
「ぷはーっ!」
メイクを落とし、水でもう一度顔を洗いタオルで顔を拭いた。
束ねた髪をほどく。
全身から力が抜ける。
と、同時に頭の中が妙に仕事モードに切り替わる。
なんでなんだろうね?
「よし、っと」
部屋着に着替えパソコンの前に座った。
メールをチェックし、その後はフォルダに貯めた企画書をチェックしていく。
恋愛感情って、仕事より面倒くさい。
クライアントのご機嫌伺いとか、取引先の接待は、目的がはっきりとしてるからやりやすい。
恋ってわからない。
好きかどうかもわからない相手に、とりあえず体を合わせるなんてイヤ。
仕事の相性がいいからって、恋人として上手くやっていけるかも・・・なんて、浅はかだった。
「やっぱり、私には仕事だけしかないみたい。」
呟いて、笑いが込み上げた。
唯とよくやってたままごと遊びは【オヨメサンごっこ】。私がダンナさんで、唯がオヨメサン。
よく働くいいダンナさんだったはず。
でも、ある日を境に唯が『いっつも唯がお嫁さんなんて、ヤダ!』って拒否されたんだっけ。
やだなあ、あんな小さな頃から私って、恋愛失格だったんじゃない?
彼が言った言葉は、ある意味あたっているのだろうけど、私は『夢見る少女』なんかじゃない。
めんどーなだけ。
今は仕事が楽しい。恋するのはその次でいい。
カチャカチャとキーボードを叩く音が、シンとした室内に響く。
ああ、でも。
やっぱり・・・一人ぼっちは、ちょっと寂しいかな。
2本目の缶ビールをとりに立ち上がると、ふと冷蔵庫に貼り付けたままだった、友人たちからのハガキを見つめる。
可愛い赤ちゃんや、幸せそうな笑顔の夫婦。
ウェディング姿の大学時代の友人。
仕事が忙しくて、お祝いを贈るだけしかできなかった。
「綺麗だなー・・・」
見たかったな。美紀の生ウェディングドレス・・・。
学生の頃、一緒につるんでた美紀も、もう、人妻かあ。
今年に入って、立て続けに結婚式が3件続く。
赤ちゃんが生まれた友達も、もう5人目。
「・・・私は、何やってんだか。恋も満足にできないんだもの。」
でも、不思議。
みんなの心と、私の心と何が違うんだろう?
どうして、私は好きだと思える人が居ないの?
何だか急に脱力して、私は缶ビールに口をつけながらズルズルとその場に座り込んだ。
私は・・・・恋するペースが遅い。
恋ってよくわからない。
みんなのペースについていけない。
私を好きだと言ってくれる人に出会っても、私がその人を好きになりかけていても、相手の気持ちに応えるほど好きになれない。
もう少し、もう少しだけでいいのに・・・。
もう少しだけ、好きになる、時間がほしい。
誰も私にその時間をくれなかった。
説明しても、理解してくれる人は居なかった。
今まで美味しかったビールが、急に不味く感じる。
「私に恋は無理なんだなー・・・」
「そんなとこで、何やってるの?」
不意に声をかけられて、私はびっくりしながらも、呆れたように見下ろすその瞳に何故か思い切りほっとしていた。
* * * * *
「唯!」
「理子、いい加減、鍵掛け忘れるのやめて。こっちが焦る。」
髪を掻き揚げて、唯は溜め息をつく。
ああ、なんでそう色っぽいかな。
「そっか・・・彼が出て行ってから、鍵かけるの忘れてた。」
唯に引き上げられるように立ち上がり、思わず笑ってしまった。
「笑い事じゃない」
「早かったね。って、ええ!?もう3時?」
唯が呆れたように腕時計を見せて時間を確認させる。
「また、理子は仕事してたんだ?」
コートを脱いで、ソファーに座ると唯はパソコンを覗いた。
「ホント、理子は仕事のことになると時間忘れるんだから・・・・」
「ねえ、その腕時計、ブルガリ?」
思わずソファーに並んで座り、腕を掴んで目の前に引寄せた。
「あー・・・。貰ったんだ。」
「お客様に?凄いねえ。でもさ、ブルガリって唯のイメージじゃないなあ。唯はもっと可愛くて・・・」
私が頭の中で唯の華奢な腕に似合いそうな時計をピックアップしていると、唯はポンポンと頭を叩いて苦笑した。
「・・・で、上司がどうしたって?」
アルコールと、香水の匂いがする唯は、少しだけ私を悲しくさせる。
あんなに可愛い妹だったのになあ・・・。
今では夜の仕事だもの。
誰かにかしずく唯なんて、想像できない。
誰かに優しくする唯も考えたくない。
私の可愛い、唯。
「・・・理子?」
「う・・・ん、実は、ね・・・」
私は、数時間前に起きた出来事を話した。
また恋ができなかったこと。
彼に言われたこと。
途中、唯はブルガリの時計を外して机の上に置いて、腕を頭の上で組んだ。
全部話し終えると、唯は盛大な溜め息をついてソファーに沈み込んだ。
「・・・理子、そりゃ、上司に同情するよ・・・」
「ええ!?なんで・・・!」
「大体、仕事のことじゃないじゃん。」
「仕事だよ。上司だもの。」
「気の毒になぁ・・・彼だって、きっと辛いと思うよ?理子が拒絶するなんて思ってなかったんじゃない?」
「拒絶って・・・・でも、私は嫌いじゃなかったのよ?とってもいい人だったの。・・・ただ、私の気持ちが追いつかなかっただけで。」
唯がちらりと私を見て、恨みがましく口を開いた。
「・・・理子のペース、悪いとは言わないよ?ゆっくり、ゆっくり、そういう風にしか恋ができないんだもんな。でも、だったら、部屋に入れちゃダメだろう?」
年下の、23歳の唯にダメだしされて、私はがっくり肩を落とす。
「オトコはさ、やっぱり部屋に入れてもらえたら期待するでしょ?」
「・・・そうなの?」
「そうでしょ?」
唯は片手で顔を覆うと、しばらく何も言わずに考えていて、私が覗き込んでいると小さく呟いた。
「理子、俺のことなんだと思ってる?」
唐突に言われて、私は内心驚いた。急にそんなこと言うなんて。
そんなの、決まってるじゃない。
「可愛い、妹。」
私は真剣に唯を見つめて答える。
「俺は、女の子じゃないよ?」
指の隙間から、唯は私を見つめる。それはどこか悲しそうに寂しそうに揺れていた。
「わかってるよ。でも、私にとって、唯はそういう存在、ってことだよ?」
「そろそろ弟くらいに格上げしない・・・・?」
苦笑して、唯は起き上がって私を見た。
「でさ、理子。彼と別れて悲しかった?」
私は首を傾げる。
悲しい?そうね、さっきまで寂しかった。でも悲しいとは思わなかった。
私は首を横に振る。
「だったら、いつも通りに振舞うしかないんじゃない?彼だって、もういい年だから、プライベートを仕事に持ち込まないように理性を働かせるだろう?」
「・・・やっぱり、私、どこか欠陥があるのかな?好きな人とじゃなきゃ、キスもエッチもイヤだなんて。」
ソファーの上で足を抱えこんで、呟く。
「好きじゃなくても、できるって人・・・俺はいいとは思わないけど。」
「唯の仕事は、そういうことするんじゃないの?」
「まあね、そういうこともあるかも。・・・でも、俺はしたことないけど?」
「そっか。」
どこかで安心する私は、やっぱり妹を、弟を心配する姉のような気持ちになる。
ホストやってるなんて、おばさん知ったら卒倒しちゃうよ。
「あーあ、やっぱり、ちょっと我慢して・・・好きになれそうなら・・・進むべきかなー・・・・」
私が呟くと、唯がそっと手をとって囁いた。
「練習する?」
私はまたびっくりして、唯の顔をまじまじと見つめた。
練習?
練習って・・・・
「・・・それとも・・・・・・・・・・・・・・俺でもイヤ?」
小さい頃のまま、整った顔立ちの綺麗な唯。
「俺のこと、嫌い?」
唯がくすっと笑って、頬に触れた。
「ちょ・・・・待って、あの、私、唯のことホントに可愛い妹みたいに・・・」
「弟に格上げして。」
「でも、あの。」
「うん。嫌いじゃないんだよね?」
「そりゃ、嫌いなわけないでしょう?唯にしか、こんな話、してこなかったじゃない。」
これがホストのなせる業なのか、それともこれが唯の本当の姿なのか。
いつまでも可愛いままだった唯が、急にオトコの顔を見せた。それも極上の魅力的な笑顔で。
「それってさ、俺が特別ってことなんじゃない?」
どきん、と胸が跳ね上がる。
唯が指先にキスをしたから。
「イヤだった?イヤならやめておくけど?」
そう言って、離された指先が妙に寂しくて私は慌てて答えた。
「イヤじゃない」
「練習にはぴったりだと思うよ?」
悔しいことに、23歳のこの幼馴染に、26の私がいいように言いくるめられてる気がする。
その上困ったことに、彼を拒んだような理由が・・・唯には見つからないことに、今、気がついてしまった・・・。
同じような相談を何度もしてきて、その度に笑い話にしてたのに。
「目を閉じて。理子。」
言われるがまま瞳を閉じて、私の神経は唇に集中した。
ゆっくりと頬に触れ、その手を私の肩に置くと、唯は唇を近づけた。
心臓が壊れそうなほど、叩きつける。
瞳を閉じている所為か、空気のちょっとした動きまで肌に感じて苦しい。
息遣いを間近に感じて、ますます緊張する。
そっと、唇に冷たい感触。
一度離れて、また触れた時には強く抱きしめられていた。
26歳で、初めてのキスって、私くらいかもしれない。
レモンの味なんてもちろんしない。
煙草とアルコールの混ざった不思議な感じ。でも、イヤじゃない。
・・・違う、心地よい。
ゆっくりと離れた唇に、私は肩で息をした。
「何で息止めてるの!」
くすくすとまた笑われて、私は熱い頬を両手で挟みながら睨みつけた。
「そんなこと言われたって・・・!わからないんだから仕方ないじゃない!」
あはっ!と唯は心底嬉しそうに笑うと、私を引寄せて抱きしめた。
・・・いつの間に、こんなにがっちりした胸になっていたんだろう?華奢なイメージはそのままなのに。
「・・・・・・・キス、イヤじゃなかった?」
だけど訊ねる声は、少しだけ震えていた気がする。
「イヤじゃなかった。・・・気持ちよかったよ。」
私は素直に感じたままを唯に告げた。
「でも、普通、弟ともこんなことしないわよね?」
私が唯を見上げてそう言うと、唯はまた魅惑的に微笑んで額にキスを落とす。
「理子のペースで、考えればいいよ。俺は、もうずっと待ってるんだから。」
ゆっくり、ゆっくり、考えて。
耳元で囁いた声は、私の鼓動を早くした。
これから始まる、何かを予感させて。
2006,2,9
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