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step by step   − 1 −






桜の花びらを舞わせる風が吹きぬけて、私は髪を押さえた。
目の前で、花びらが渦を巻いたり波打ち際のように一斉に遠ざかったり近づいたりしている。

「今年は風が強すぎよね。」

オフィス街の空はくすんだ青空を見せていた。
そこに薄い桃色がひらひらと舞う。
目の前の女の子がスカートを押さえて短い声をあげる。
パンツスーツの私は、思わずくすりと笑ってしまう。

ああ、新人さんたちね。

春らしい光景に、心が弾んでくる。
いいなあ、あの緊張したような表情。
「初々しいなあ」
「おじさんみたいなコト言わないでくださいっ!こんなに風が強いと、それだけで辛いんですから・・・!」
背後で聞き慣れた声がした。
振り向けば、真っ白なパンツスーツを着込んだ秘書課の後輩、佐倉弥生がハンカチで口元を覆いながら毒づいている。

「花粉症は辛いわね。コンタクトもかなりキツイみたいだけど・・・・・ねえ、マスクしないの?」
「とりあえず、中に入ってしまえば楽になるから・・・・。あれ、理子さんてコンタクトでしたっけ?」
「ううん。」

肩を竦めて苦笑する。
私じゃなくて、唯がね。
春先はコンタクト辛いって言ってたから。

また強い風が吹いて、私たちは目を瞑った。
「もう! せっかくセットした髪が台無しじゃない!」
弥生ちゃんが可愛らしく頬を膨らませる。
「花散らしの風、ホント、やになっちゃう!」
そんな彼女のヒールに絡みつくように、花びらが舞い踊る。
白いスーツに淡いピンクが纏わりつき、彼女の可愛らしさが引き立った。
「一番可愛い花は散らされてないじゃない? 秘書課のマドンナさん? ・・・あ、おはよう!」
私が髪を無造作に払いながら、ぎこちなく固まっている受付の新人ちゃんに挨拶をすると、弥生ちゃんは真っ赤になって立ち止まった。

「ひゃあ! もう、理子さん、なんなの〜! 恥ずかしいっ! そんなコトさらっとその容姿で言わないで・・・!」
「なに? なに? 私、セクハラってた?えええ!? なに??」

耳まで赤くなって見上げてくる弥生ちゃんに、私までどぎまぎしてくる。
通り過ぎる同僚たちが、くすくすと笑ってる。

「理子さん、何その言いなれた口説き文句・・・! 『一番可愛い花は散らされてない』だなんて・・・・! 何人そうやって口説いたんですか! なんで女の人なのぉ? もう、私、どきっとしたじゃないですか!いっつも、さらっとそういうこと言うんだから・・・!」
「どこが? やだ、私って何!? 口説いてないし! そんな恥ずかしくなる? って、ええ!? いつも言ってる?」

周囲の好奇に満ちた視線を感じつつ、私たちはエレベーターに乗り込む。
弥生ちゃんはそんな視線は気にならない様子だったけれど、私はなんだか居心地が悪い。

「はああ、もう、朝からお褒めいただいて、私、嬉しいですよ。理子さんて褒め上手ですよね。」
「素直な気持ちなのになあ」

乗り合わせた人たちに、まだくすくすと笑われている。
私は思わず苦笑して肩をすくめた。

弥生ちゃんはまだブツブツ何か呟いていたけど、突然何か思いついたように私を見上げて、にっこり笑った。
その笑顔は、まさしく、秘書課最強の営業スマイル!

「理子さんっ! 今夜空いてます? 外企は花見とかしないんですよね?」
「ええ、課長は今フランスへ出張中だし。何?」

見下ろした弥生ちゃんは、期待に満ちた眼差しで、どこかすがるように見つめてくる。
「今夜、秘書課で歓迎会するんです。理子さんもいかがですか? 外企って新人の女の子いなかったでしょ?
一緒に楽しみませんか? 秘書課の後輩、美人揃いですよ。」

気がつけば、同僚たちが今度は羨望の眼差しで私たちを見つめている。
美人揃いって、その誘われ方、私ってどう思われてるんだか・・・・。

「いいの? 私じゃなくて、将来有望な男性社員がいいんじゃない?」
「ダメですよう。今日はホスト行くんですよ。私の行きつけの!」
声にならない溜め息が、エレベーター中で漏れた気がした。
気持はわかるよ、うん。男性社員諸君。

「凄く良心的なんですよ。オトコノコのレベルも高いし!まあ、新人を連れてくのは先輩としてどうかとも思うんですけどね。私もお局様に連れて行ってもらったんですよ。秘書課の恒例なんです。」

そのお局様が、3月で寿退社してしまって、私と二つかしか違わない彼女が、今では秘書課のチーフなのだ。
もちろん、課長はいるし男性社員もいるのだが、新人の教育係になるなんて気が重い、と、いつも前向きで明るい彼女も愚痴っていたのだ。
その憂さ晴らしと親睦もかねてなのだろう。
弥生ちゃんの言葉に苦笑しながら、一瞬、幼馴染の顔が浮かんだ。

可愛い、私の妹みたいだった・・・今は少し、そんな関係に変化が生まれつつあるような・・・ないような・・・とにかく、一番大事な存在の、綺麗な唯の顔。

「・・・先約あります?」
私が黙り込んだので、弥生ちゃんは不安そうに背伸びをして覗き込んできた。
「ないよ。何時?」
ああいう仕草が可愛いって、ポイント高いと思うんだよね。
お願い聞いてあげたくなっちゃうんだもの。
「やったぁ」
小さく手を叩く弥生ちゃんに、微笑んでしまう。

でもね、ちょっとした懸念もある。
唯のとこじゃないよね??
・・・・ホストっていっても、お店は何軒もあるのよ?
唯のとこに行くわけじゃない。
・・・・。
あれ?

「そうよ! 私って、ホスト行ったことなかったんだわ・・・!」
「わー! それじゃ、今日がホストクラブデビューですね! なんだか意外だな、理子さんがホスト知らないなんて。」

弥生ちゃんの言葉に苦笑する。
本当に、私ってなんだ?

いつもは接待で付き合うだけだもの。
ホストじゃなくて、綺麗なホステスさんのいる所とか、素敵な女将のいる料亭ばっかりだったから。
唯のとこに行くわけじゃないなら・・・どんな世界か・・・ちゃんと知っておいてもいいわよね?
大切な・・・妹・・・じゃなくて、弟が、どんな世界で生きてるのか・・・・理解してあげたいじゃない?
もちろん、偏見なんかなかったけど、遊びに行く機会も時間も、今までなかった。

「7時にロビーで待ち合わせしませんか? お店は8時からなんです。」
「あ、少し遅れちゃうかも。課長から電話かかってくるのよ。向こうで企画通ったらすぐにFAXすることになってるから・・・」
「大丈夫ですよ、お茶してますから。」
12階のドアが開き、私が先に下りた。
閉まりかけた扉の向こうで弥生ちゃんが桜の花のような満開の笑顔で言った。
「助かりました! これで私の負担が減りますよ〜! 新人に負担かけさせらんないですよね!」
チン、と短くベルが鳴り、私は思わずその場にしゃがみこんだ。

そうか、私、宴会部長兼パトロンとして誘われたってわけね・・・?
「弥生ちゃん、あなたには負けるわ・・・」





* * * * * * * * 





パソコンのメールをチェックしながら、私は紺野課長の電話を待った。
フランスとは時差が8時間ある。
向こうの朝一で回答が出る。
課長がわざわざ乗り込んで行ったんだから、いい回答が得られるに決まってる。
傾きかけた海外企画部をここまで立て直したのだから・・・・・・私たちの企画なのだから、受け入れてもらえる筈だ。
あんなに、全身全霊をかけて作り上げたんだから。

「そろそろ、かな」

【ランチの前に、結果がわかるから。そしたら会長にFAXしてくれ】

昨日の夜に入ったメールにはそうあった。
パソコン画面の右下をちらりと眺める。
18:50。
フランスは11時前だ。

昨日家に届いていたメールに・・・ちょっとだけ胸が痛んだ。
交渉が最初手こずった所為だろうか、珍しく弱気なことを打っていて。
私と別れてから、初めてそのことに触れてきた。

【理子に言ったこと、今では後悔してる。わかってやれなかったこと、理子の気持ちを理解してやれなかったこと・・・】

・・・もう、2ヶ月になるのに、初めて。

【この企画が通ったら・・・】
「・・・通ったら・・・?」

私がぼんやりとPC画面を見つめていると、電話が鳴り響いた。

「はい、海外企画部の高瀬・・・・・あ、課長・・・!」
受話器越しの声は、いつもの冷静な課長の声でなく、どこか弾んでいて興奮しているようだった。
『高瀬、会長にFAXしてくれ。』
「じゃあ!」
『ああ、成立だ。』
安堵感が胸に広がり、思わず握り締めていたペンを持つ手を緩めてデスクに置いた。
反対の手を握りしめ小さくガッツポーズを作る。顔が綻んでくるのを止められない。
会長に送るために予め用意していた書類を持ち、肩に受話器を挟むとFAXに向かった。
「おめでとうございます! 会長に今送りますね!」
短縮番号を押して、書類をセットし送信ボタンを押す。
「これでよしっと」
『・・・理子。』
「―― はい?」

久しぶりにそう呼ばれて、私は昨日のメールを思い出してどきんとした。

【企画が通ったら、もう一度やり直して欲しい】

やり直すって・・・・だって、私がふられたんだ。
課長との距離を縮めることが・・・できなかったから。

『帰ったら、祝杯をあげようか。明後日、東京に帰ったら・・・僕たちの企画が無事に契約に結びついたお祝いに。』
身構えていた私は、肩の力を抜いて笑った。
「契約成立のお祝い?」

ああ、なんだ! そうか!
あのメールは、きっと仕事のパートナーとしてやり直そうというものだったんだ。
プライベートは持ち込まないようにしてきたけど、やっぱりあの夜から、課長は私を避けてたから。

『どうした?』
探るような、心配そうな、そんな気弱な声は、初めて聞いたかもしれない。
『何か不都合があったかな・・・?』

これからも、私たちはいいパートナーでいられる。
仕事の面で。
それは、本当に頼もしい。

「ええ、もちろんですよ! お祝いしましょう!」
私が請合うと、電話の向こうで安堵するかのような息が漏れた。
『それじゃあ、東京で』
「はい、お帰りをお待ちしてます。」
これからランチの約束があると課長は言って電話を切った。
そう言われて、私は弥生ちゃんからの誘いを受けたことを思い出した。
私はパソコンの画面を見て、慌てて電源を落とす。
「7時過ぎちゃった!」
バックにCD−Rを詰め込み、私は部屋を飛び出した。
エレベーターに乗ってから、私は携帯を取り出してリダイヤルを押しかける。

昼間、唯に電話しようと思ってたのに、できなかった。
唯の仕事先の名前を・・・私は知らない。
確認のつもりで、唯に携帯で聞こうと思っていたけど。
でも。

「そんな偶然・・・・・・・・ないよね?」
ロビーで待つ華やかな集団に駆け寄りながら、私は握り締めていた携帯をバックに戻した。
春の風が、気まぐれに吹き荒れようとしていてた。







2006,4,9




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