novel top top
slowly slowly slowly
step by step − 2 −
「ここ?」
シックな外観に、お洒落なレストランだなーなんて暢気に見つめていた私に、弥生ちゃんが「入りますよー」と元気に腕を引っ張ったので、思わず聞いてしまった。
ホストクラブというより、ちょっと隠れ家的な・・・シックなイメージの店構え。
店名すら見受けられない。
「そうですよ。」
「開店してるの?」
「ええ、ほら。」
弥生ちゃんが指し示したのは、入り口に飾られている大きな素焼きの花瓶だった。落ち着いた色合いでまとめられた花の下に、店名が入ったプレートがかかっていた。
treasure
「さ、行きましょう!理子さん♪」
陽気に腕を引く弥生ちゃんに引き立てられるように、私は歩いた。
扉を開けると、抑えられた照明の下、頭を恭しく垂れる男の人たちに、私は一瞬後ろに引いてしまった。
ええと、これって、私にはやっぱり無理。
「いらっしゃいませ、佐倉さま。お待ちしてました。」
流れるような動作で弥生ちゃんの前に立ち、コートを受け取る男の子や、営業の見本のような微笑を向ける綺麗な男の子たちに戸惑う。
情けないなーと思いつつ、私がこういう世界に耐性がないことがよくわかる。
秘書課の子達は慣れた様子でコートを渡したり、笑顔で談笑してるのに。
新人の子達でさえ、店内に視線を巡らせ、きゃあきゃあとはしゃいでいた。
「コート、どうぞ?」
不思議そうに覗き込まれて、私は肩に掛けたバックを握り締めたまま立ち尽くしていたことに気がついた。
「あ、お願いします。」
わたわたとコートを脱いで手渡すと、くすっと笑われる。
「もしかして、こういうとこ初めてですか?」
よっぽど間抜けな顔してたんだろう。
いい年して、恥ずかしいなあ。
私は素直に頷いて、「銀座のクラブなら行きますけど・・・やっぱりわかりますか?」と苦笑した。
まあそれだって、接待で行くだけだし。
「凄いですね、僕、銀座に遊びに行ったことないですよ。」
人好きする笑顔で言われて、少し肩の力が抜けた。
「"仕事"で、ですけどね。」
「今日も"仕事"ですね?ゆっくりして行ってください」
・・・なるほど、頭の回転も速くなくちゃ、務まらないわけだ。
「お帰りのときに、このプレートをクロークに渡してください」
私は、厭味なく笑って小さなシルバーのナンバープレートを渡す彼に、身近な人を思い浮かべた。
そうだった! 唯は? まさか唯は居ないよね?
挙動不審さが3割り増しになってしまった私に、クロークにコートを預けてきた彼が「今度はどうしたの?」と目を細めて笑っている。
「えっと、このお店で"唯"って働いてますか?」
案内されながら小さな声で訊ねたけど、彼は小首を傾げ「ここには居ないなあ・・・」と細い指先を顎に沿わせた。
「知り合い? ホストは初めてなんでしょ?」
先に案内されて席に着いた弥生ちゃんが、「理子さん、早く早く!」と満面の笑みを浮かべてる。
「そう・・・大事な・・・・弟?」
「なんで疑問形なの?」
「なんとなく」
面白い人だね、なんて言われたけど、どう見ても彼のほうが年下だわ。
まあ・・・でも、ちょっとほっとした。
なんだろう、唯に会いたくない。
ここで唯に会うのは、何だか少しイヤだなって思った。
* * * * * * * *
店の中は大きなグランドピアノがあったり、高そうな花で埋め尽くされ、いろんなタイプの男の人たちが私たちの席に出たり入ったりした。
弥生ちゃんは、本当にここに頻繁にくるのか、それともここがそういう場所なのか、ホストの人たちはみんな声をかけてくる。
「弥生ちゃん、あなた、ここにどれくらい来てるの?」
私たちの間に居た、この店のNO1だという「ショウ」くんが席を立って、ようやく弥生ちゃんに話しかけた。
NO1というだけあって、ジャニーズにでも入れそうな可愛い容姿に、TVで観る芸人さんのように笑わせるのが上手い。
かと思えば、一人一人の言葉をちゃんと捉えて、労ったり褒めてみたり。
ようするに話術に長けていて、そして駆け引きも上手いのだ。
私はただただ、そんな「ショウ」くんたちを観察していた。
ああ、大変な仕事だなーなんて思いながら。
店の中は思っていたより若い女性客が多く、絶え間なく笑い声が響く。
私の質問に、弥生ちゃんはカクテルを口に運びながら答えた。
「え? 月に1度くらいですよ? あ、でも3月はお局さまの退職祝いの二次会ここでしたから、最近きたばっかりですけどね。」
どうしてですか? と、弥生ちゃんは小首を傾げた。
「やけにフレンドリーだなーと思って。」
私がそう言うと、弥生ちゃんはくすっと笑う。
「それは、私がそういうゲストだからですよ。みんな気軽に接してくれてるんです。私がそういう方が好きだって、ちゃんと知ってるんです。」
「へえ・・・。」
言われてみれば、どのお客様にも同じようにしているわけではなく、そのテーブル毎に微妙に対応が違うようだ。
親密に肩を寄せ合っていたり、友達みたいに打ち解けた雰囲気で接してる人も居る。
そんな店員さんたちを見ていると、胸がちくんと痛むような気がした。
親しそうに寄り添う姿が、胸を締め付ける。
これってなんなんだろう・・・・。
「今日は新人さんの歓迎会って言ってあるし、新規のお客がくるってことで、みんな次に期待してるんですよ。理子さんなんて、多分一番名刺もらいますよ?」
弥生ちゃんに言われて、私はなるほど、と、いつの間にかグラスの横に何枚も積み重なった名刺を見た。
「どうみても新人ちゃんたちじゃ常連無理でしょう?けど、理子さんなら上客になる可能性あるでしょ!」
どうですか? 気に入ったコ居ましたか?
気に入るも気に入らないも、私はただ落ち着かなくて仕方ないのだけど。
ウィンクしてみせる弥生ちゃんに、思わず笑ってしまう。
「弥生ちゃんのオススメは? やっぱりショウくん?」
一口大にカットされたフルーツに手を伸ばすと、まだ10代(もうすぐ成人なんですって!)だというヒロくんがお皿を持って「どれにします?」と笑顔を向ける。
私はメロンとイチゴを取り分けてもらうと、落ち着かない気持ちで慌ててメロンを口に入れた。
「ショウくんも、もちろんオススメですけどね、私はアオくんがオススメです! もー、すっごく綺麗なんですよ?」
弥生ちゃんもヒロくんにフルーツを取ってもらいながら、ねー、と秘書課の後輩たちと目配せしている。
「今日はまだ来てないんですね?」
「今日は絶対顔出してね! ってお願いしてたのになあ。」
残念そうに言いながら脹れる弥生ちゃんに、戻ってきたショウくんが「なに? またアオ?」と苦笑して見せる。
「アオならもうじき来ると思うよ。あいつ、いっつも22時過ぎないと来ないからね〜」
ショウくんはさくらんぼを口の中に放り込むと、ひどく悩ましげにソファーにもたれた。
「酷いよねえ。こんなに盛り上げてあげてるのにさ〜。アオが来たらお払い箱なんだよ〜?」
ショウくんの言葉に、その場のみんながどっと笑う。
「そんなことないでしょう!? みーんなショウくんがピアノ弾くの楽しみにしてるんだから!」
「僕が弾いて、君はアオを誘って踊りたいんだよね?」
「うふふ。そういうこと!」
弥生ちゃんが小悪魔のように笑うと、ショウくんが私の背後に視線を向け、にやりと笑って手を振った。
「ほら、王子様ご出勤。アオくんの登場だよ。」
振り向こうとしたその時、携帯の呼び出し音が響いた。
「あ、私だ。」
バックを開けて携帯を取り出す。
「アオくん、こっち!」
弥生ちゃんや秘書課の後輩たちが嬉しそうに手招きしている中を、私は「ごめんね」とロビーに向かって急いだ。
誰かの視線を感じたけれど、こんな場所で携帯を持って駆け出す私が場違いなんだって、そそくさと柱に隠れるようにして寄りかかる。
携帯のディスプレーには紺野課長と記されていた。
フランスから、わざわざ携帯でかけてくるなんて、どうしたんだろう?
何かトラブルでも起きたのかしら・・・!?
頭の中で向こうの今の時間を考えて、深呼吸してから電話にでた。
「はい、高瀬です」
『・・・・・・・・・・・・』
「課長?」
『・・・・・・・・・・・・』
尋ねても返事がなくて、私は不安になって声を潜める。
「・・・課長・・・ですよね?」
『・・・・理子、今どこ?』
携帯がひったくりに持っていかれたのかと思い始めたところで、課長の声がようやく聞こえて、私はほっとして目を閉じた。
「あ、歓迎会です。どうかしましたか?」
付き合っているときでも、そんなに電話してこなかったのに、課長の声が【仕事】していないので驚いた。
『歓迎会?』
「秘書課の佐倉さんに誘われて。」
課長の声はどこかリラックスしている。やっぱり仕事じゃないみたい。トラブルじゃないなら、それにこしたことはない。
でもそれじゃあ、どうしたっていうんだろう?
『家に電話したんだけど、留守だったから。・・・・・・・・・いや、ただ、おやすみって言いたかったんだ。』
「課長・・・・?」
やっぱり、大きな仕事の契約だったからなのか、海外っていうのが堪えてるのか、課長にしては珍しいことではあったけど、私は優しい気持ちになって微笑んだ。
「まだフランスは眠るには早いでしょう? でも、お疲れ様でした。ゆっくりお休みくださいね。」
途端に、電話の向こうで溜め息が漏れ、そして笑い声が響く。
『そうだね、いろいろ、疲れたよ。理子も・・・その、気をつけて帰って。』
「 ? はい。・・・って、私心配されるような年じゃないと思うんですけど?」
くすくすと笑い続ける課長に、私は眉を顰める。
今日はやけにくすくすと笑われる日だ。
『理子だから心配なんだ・・・。』
「?」
そんなこと、唯以外に言われたことがなくて、私は頭の中で続く言葉を探して首を傾げた。
私だから、お酒を飲みすぎるのが、心配?
私だから、夜遊びするのが、心配?
私だから、後輩を振り回しそうで、心配?
・・・・私だから?
「心外だなあ・・・」
どちらにしても、随分信用がない。
私がぼそぼそと呟くと、また笑い声が響く。
『それじゃあ、おやすみ。悪かったね、邪魔してしまって。』
何が心配だったのか、結局わからないままだったけれど、海外からの携帯料金を考えて頭を振った。
「あ、いえいえ。大丈夫です。気にしないでください。」
『それじゃあ、おやすみ。』
「おやすみなさい。」
言って、携帯を閉じると、クローク前に居たホストのコたちにまで笑われた。
一人で百面相していたらしい。
「彼ですか?」
さっきさんざん笑われた、風太くん(名刺を渡されたのよね)に訊ねられて首を振った。
「上司です」
風太くんは肩を竦めて「仕事ですか?」と訊ね、私が同じように肩を竦めると「ファイトです」とガッツポーズをして見せた。
「おう!」
私が同じようにしてみせると、好意的な笑顔が返ってきた。
「これからショウタイムですよ。席へどうぞ?」
「ありがとう。」
唯と同じくらいの年のコだけど、まだここで働き出して間もないんだと言っていた。
唯もこんな風に誰かに話しかけてるのかな・・・・?
席に戻りかけた私の目の前で拍手が起こり、ピアノの前でショウくんが腕まくりをして椅子に座った。
照明が落とされ、よりショウくんの美しさが引き立った。
でも、その横で、不機嫌そうな視線をぶつける存在に、私は惹き寄せられるようにして見つめて、思わず言葉を無くして立ち尽くした。
今日、笑われることは多々あったけど、睨みつけられるなんて、初めてだわ。
よく知ったその瞳に、私はなんだか神経が急に張り詰めて、思わず背筋を伸ばした。
・・・・目が逸らせなかったというべきか・・・・。
「理子さんっ! 遅いですよう。彼がさっき言ってたアオくん。ショウくんと連弾してくれるんですよー。」
何か言おうとして口を開けたけど、酸素が足りない魚のように、ぱくぱくと動くだけで声がでなかった。
風太くーん!"唯"は居ないって、言ったじゃないーーーー!
私は思わずクローク前に立つ風太くんを振り返って、泣きそうになった。
風太くんは、私の表情を見て首を傾げる。
そんな私を見透かしたように、唯は溜め息をついて近づき、そしてにっこりと笑い、優雅に跪いて私の手をとって―――指先に口付けた。
「蒼です。はじめまして。treasureへようこそ。・・・・・・ちなみに、蒼ってのは源氏名ですよ。こんなとこで本名なんて使いません。」
見慣れたはずの弟が、初めて見るオトコの人のように感じて、背中がぞくりと泡だった。
唯の瞳が、照明の下で妖しく揺らいだ。
2006,5,2