第80章 第23代/顕宗天皇(2)
猪飼いかい へ報復
顕宗天皇は 天皇に即位してからも あの悲惨な逃避行の時代の苦しみが 簡単には消えませんでした。
昔 兄と二人で大長谷の王の追っ手の目を避けて 播磨の国をめざして逃げている途中 突然に現れ
自分たちの食べ物を奪っていった猪飼の老人のことは とくに憎んでいました。
そこで 軍隊に命令を出し あの時の憎き猪飼の老人を探しだして 一刀両断に切り捨てました。
それでも 天皇の気持ちは まだ治おさ まらず さらに その子孫・一族全員に罰を加えたのでした。
その子孫たちを 一同に集め 彼らの膝ひじ の筋を断ち切って さらに その子孫たちを
猪飼いかいが自分たちから食べ物を奪ったあの場所まで 強制して引きずり歩かせ・連れて行きました。
そして その場所で コンコンと その時の話を聞かせ 説教しました。
そこで この場所を 志米須しめす と名がついた。 (示すの意だが地域は不明)
人の心の痛みがわかる人情味深い天皇だが 反面 攻撃は徹底的に行う激しい気性をもっていました。
「恋敵・志毘の臣」の寝込みを襲い殺した冷酷さが その気性の激しさを示しています。
天皇のこの激しい性格から 播磨の国の牛飼いの時代 幾多の修羅場を見てきたと推測できる……ボサツマン
大長谷の命(雄略天皇)への報復
顕宗天皇は 父を殺した大長谷の命(雄略天皇)への怨みは深く いつか 報復しようと誓っていた。
猪飼老人の報復を終えた天皇は 次に 父を殺した大長谷の命への怨みを晴らすことを決意した。
そこで 考えついたのが 雄略天皇の御墓を破壊して その名誉をズタズタに毀損きそん することでした。
その役を 兄が自ら かって出ました。
ー父の仇・雄略天皇の御墓を打ち壊すのは 私に命じてください。 天皇の御心に添って 墓を打ち壊してきまましょうー。
ところが 兄・意富祁おおけ の命は 雄略天皇の御墓の傍らの土を少しだけ掘って すぐ戻り
ー雄略天皇の御墓を 打ち壊してきましたーと 宮へ還り報告しました。
しかし あまりにも早く兄が帰って来たので 本当に壊したのかどうか 天皇は問いました。
ー兄者よ あまりにも早く帰られたので 聞きますが どこまで取り壊したのですか?ー
兄は−墓の傍らの土を 少し堀ましたーと 答えました。
すると 天皇は 眉間にしわをよせて 眼を釣り上げて兄に言いました
ー兄者よ 土を少し掘っただけとは解せんですぞ。父王の仇の墓です その墓をことごとく破壊すべきですー。
兄が答えました
ー父王の怨みを晴らすため その霊に復讐しようと思う気持ちは 兄の私も同じです。
しかし その墓に眠る父の怨敵・大長谷の王は 第21代/雄略天皇であります。
今 たんに 父王の仇打ちのみ執着して 天下人の天皇の御墓を ぶち壊したとなれば
世間では 今の天皇である・あなたのことを 心の狭い天皇というでしょう。
きっと 後世にまで あなたのことを非難するに違いありません。
しかし 父王の仇打ちをしなければ 世間の声は 我々を 子として失格の印を押すことでしょう。
ですから 墓の土を少し掘ったのです。このことで すでに恥辱を与えたことと 私は考えます。
これで 後世の人たちにも 報復の志を十分に示すことが出来た と思うのでありますー。
この兄の言葉に 天皇は
ーなるほど これは大きな理ことわり である。さすが兄者 これで 恨み節は終わりにしましょうー。
知恵深い・心の大きい兄者でした オイラも 兄者の考えには賛成します……ボサツマン
崩御 顕宗天皇は 38歳にて崩御されました。 在位期間は八年間でした。 合掌
御墓は 片岡(奈良県香芝市)の石坏の岡いわつきのおか にある。
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