先人たちの教訓・津波への警鐘
地震により発生する巨大津波、過去の被害を教訓として、先人たちが、子孫に石碑にして残しています。
○岩手県宮古市、‥‥‥石碑に、「此処・ここ・より下に家を建てるな」と書かれる。
○日高管内・襟裳神社、‥‥‥境内の石碑に、「地震海鳴り そら津波」と書かれる。
‥‥地震と海鳴りがあったらすぐに、津波に備えろ‥‥という意味。
1933年(昭和8年)、3月3日未明に発生した昭和三陸地震のとき、えりも町でも大きな海鳴りの後、
大きな津波が押し寄せ、町民13人が死亡し、家屋・漁船が多数流出した。
当時の人々は、この被害を後世に語り継ごうという意思で、同年12月、
全国からの義援金の余剰分で、同町えりも岬地区と庶野地区の、2カ所に石碑を建立した。
このうち、
えりも岬地区の石碑は、津波から約40年後の1970年頃、開発局が国道整備のため取り壊しを通告。
当時、地区自治会長を務めていた小金昭一氏は 「先祖が残した教訓を簡単に壊すべきではない」と反対し、
自ら奔走して移転用地を探し歩いた、用地の確保が出来、開発局に数十万円の移転負担を要請。
元の場所から200メートルほど離れた、現在の襟裳神社に、先人が造った石碑を移転した。
一方、庶野地区の石碑は風雨にさらされて劣化し、倒壊の危険があったために、1997年に町が改修した。
小金昭一氏は、「津波の歴史は繰り返される。今こそ石碑を建てて教訓を生かし、後世に残べき」と訴える。
えりも町・防災担当者は、「今後は 石碑を津波の防災教育に活用したい」と話す。
町の住民は、「石碑をこれまで、あまり気にとめていなかったが、先人の教えは大事にすべき」と語る。
先人たちの残した言葉は教訓‥‥‥‥「響くことば」・「ユダヤの言葉」・「日本の諺」