第26章 神武天皇 誕生
神武天皇の祖父・日子穂々手見の命ひこほほでみのみこと (山幸彦)は 580年の人生を高千穂たかちほの 宮で暮らした。
御墓みはか は 高千穂の山たかちおほのやま の西にある。
☆ ここで 天孫降臨の経緯いきさつ を整理してみましょう‥‥‥
最初 天照大御神が降臨を勅命したのは息子・正勝吾勝々速日天の忍穂耳の命 あめのおしほみみのみこと でした。
天の忍穂耳の命は 天照大御神と建速須佐の男の命との「高天の原のうけい」の時に生まれた子です。
その後 天の忍穂耳の命は 高天の原で 母・天照大御神と共に暮らしていた。
この神が降臨を始めたが、地上の神々が物々しい騒ぎで抵抗するので まだ時期早々と引き返した。
そこで 天照大御神は 中洲国を平定する先発の神々を送ったのだが 一番目も二番目も共に失敗した。
そこで 三番目の使者に 最強の使者・建御雷の命 たけみかずちのみこと が、任命された。
建御雷の命が基本的にとった行動とは ー言向けー でした。
まづ 大国主の神にー言向けーを行い(脅しも多少はあった) 国つ神々の納得を得て、地上の平定を完了した。
よって 天照大御神は 息子・天の忍穂耳の命へ向けて 再び勅命を降した。
しかし 天の忍穂耳の命は 最近 生まれたばかりの子供の 降臨の主役を譲った。
その子の名は 「天津日高日子番能邇邇芸の命」 あまつひたかひこほのににぎのみこと 。
つまり 天照大御神の孫まご が降臨したので天孫降臨なのです。
☆ 天孫降臨の流れ
最初の計画では 天照大御神の息子・天の忍穂耳の命が降臨の主役に決まっていました。
つまり 天子降臨てんしこうりん の予定でした。
それが急に、天照大御神の孫(まご)/日子番能邇邇芸の命 ひこほのににぎのみこと に変更になったのです。
そんな理由から 天孫降臨 てんそんこうりん とよぶのです。
そして 天孫・日子番能邇邇芸の命ひこほのににぎのみこと と 大山津見の神の娘/木花佐久夜毘売このはなのさくやひめ との子が
通称名:山幸彦。 正式名:日子穂々手見の命 ひこほほでみのみこと 。
この山幸彦と、大棉津見の神の娘/豊玉毘売 とよたまひめ との子が鵜葺草葺不合の命 うかやふきあえずのみこと 。
しかし この子の母・豊玉毘売は 出産後 海の国の実家へ帰ってしまった。
だが 豊玉毘売 とよたまひめは 地上に残した愛しい我が子・鵜葺草葺不合の命が愛いと しくて・愛いと しくて
我が子のことが心配で・心配で 食事することもできずやせ細り 堪たま らなく苦しんでいた。
そこで、考えた末
地上の国に残してきた我が子養育代わりとして 自分の妹・玉依毘売たまよりひめ を海の国から派遣した。
つまり 鵜葺草葺不合の命の養母が 叔母・玉依毘売たまよりひめ なのです。
ところが 運命とは異なもの奇なものです。
叔母の玉依毘売 たまよりひめ と甥っ子の二人は 夫婦となって 三人の子が生まれました。
1人目は 五瀬の命 いつせのみこと 2人目は 稲氷の命 いなひのみこと
3人目は 神倭伊波毘古の命 かむやまといわれびこのみこと この子が神武天皇 じんむてんのう (初代天皇)です。
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実は 高天の原から地上の国(中洲国)へ 最初に降った神は 建速須佐の男の命 たけはやすさのおのみこと です。
その須佐の男の命の 六世の孫にあたる大国主の神が、地上の王として国を治めておりました。
その時代に 大国主の神は 建御雷たけみかづち の命(三番目の使者)のー言向けーを了承したのでした。
それから 天照大御神の孫まご の「天津日高日子番能邇邇芸の命」が 降臨してきたのです。
つまり 地上に降りた高天の原の神としては 邇邇芸の命は二番目なのです。
どういうことかと言うと 高天原の神が地上を治めることになったキッカケは 須佐の男の神すさのおのかみ です。
ボサツマンは、前に書きました。須佐の男の神は、とても勇敢な男の神であると。
それは、須佐の男の神の武勇伝 「大蛇の退治」やまたのおろち が物語っています。
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