第40章  第10代/崇神天皇 すじんてんのう

  第9代/
開花天皇 かいかてんのう  伊迦賀色許売の命 いかがしこめのみこと の子の
  
御真木入日子印恵の みまきいりびこいにえ のみこと  第10代/崇神天皇に即位した。
  崇神天皇は
多くの人民の厚い信頼を受けていて
 初国知らす御真木の天皇 はつくにしらすみまきのすめらみこと -
  つまり
初めて 平和な国造りを成し遂げた天皇 尊敬されていた。
 
 崇神天皇の御子みこ たち
   第8代/孝元天皇皇子 大毘古の命 おおびこのみこと  御真津比売 みまつひめ との子
    
伊玖米入日子伊沙知 いくめいりひこいさち の命
 第11代/垂仁すいにん天皇に即位した 
    ほか 伊邪の真若
いざのまわか の命  国片比売くにかたひめ  千々都久和比売ちちつくわひめ  伊賀比売いがひめ 
        倭日子
やまとひこ の命 などを含め子供たちは12柱。
    
さらには
 遠津年魚目々微比売とおつあゆめまぐわしきひめ 
を母として
           豊木入日子
とよきいりひこ の命 豊鉏日売とよすきひめ の命の2柱。
        
この豊木入日子
とよきいりひこ の命 入日売いりひめ は 12代/景行天皇けいこうてんのう の妃になった。
        また
 豊鉏日売とよすきひめ の命は 伊勢の神を大切にお祀りした。
    
さらには 意富阿麻比売おおあまひめ とに生まれた子として
       大入杵
おおいりき 
命 八坂の入日子やさかのいりひこ の命 沼名木の入日売ぬなきのいりひめ の命
       十市の入日売
といちのいりひめ の命の四柱の子供がいる。
 
平成の世では考えられないが
 昔は5人6人から10人程の子沢山こだくさん は普通でした。
    
            
兄弟が多いと 食べ物は早い者勝ちなんだよね‥‥‥‥すいません!余談でした ボサツマン
 ☆ 崇神天皇の
功績 地方の平定
    崇神天皇 第8代/孝元天皇の皇子
大毘古の命 おおびこのみこと・に命じ 高志の道(北陸地方)平定した。
   
また 建沼河別の命たけぬなかわわけのみこと に命じ 東方(東海地方)平定をした。
   また 異母兄弟である
開化天皇」の皇子 日子坐の王ひこいますのみこ に命じ 丹波の国(山陰地方)を平定した。
 
 ☆
 会津の名の由来: 現在の地名 福島県 会津若松
   大毘古の命と建沼河別の命が
 遠征の最中におち会った場所の由来から 相津あいづ の名となった。

 ☆ 課税 
初めての課税制度ー 課税制度は 男と女に区別されていた
   
崇神天皇の時代は 人民が税を治めることが出来たほど 国は豊かでした。
   
男は 弓端の調ゆはずのつき 狩猟の獲物 女は 手末の調てなすえのつき  手で紡いだ糸や布を献上した。

 ☆ 灌漑用水事業
   崇神天皇
 依網の池
よさみのいけ (大阪市)や酒折の池
さかおりのいけ (橿原市)など 溜池の造成を行った。


 
 崇神天皇 疫病平癒祈願 えきびょうへいゆきがん  を行う
   疫病が大流行した年があった 天皇はこの事態を憂
うれ 疫病から人民を救いたいと願っていた。
   そんな折
  ある夜 夢の中で 三輪山みわやま 大物主
おおものぬし の大神 神託(おつげ)があった
 
  
崇神天皇よ 意富多々泥古おおたたねこ に命じ 私を祀りなさい 疫病も治まり 国も 安らかになることであろう
  さっそく 翌朝 天皇は 駅使い
はゆまつかい 早馬の使者を走らせて 意富多々泥古おおたたねこ  探させた。
   意富多々泥古を見つけ 天皇が問うたそなたの名を申せ
   意富多々泥古は
 答えます
   
物主の大神
 活玉依毘売いくたまよりひめ  娶って生まれた子が 櫛御方くしみかた の命です
   
 このの子が 飯肩素見いいかたすみ の命。 この子が 建甕槌たけみかづち の命。の子が この私です」
  崇神天皇は 意富多々泥古の話を聞き
  
そちが 意富多々泥古 余は嬉しいぞよ これで 疫病は消え 天下は平和を取り戻すであろう 大いに喜んだ
  そこで 崇神天皇は 意富多々泥古を神主
かんぬし に任命し 最大な神事しんじ の儀式を とり行いました。
  
まづ第一に 三輪山みわやま 大神の神 おおみわのおおかみ 意富美和の大神を丁寧に お祀りしました。
  次に 伊迦賀色許男
いかがしこお の命に命じ 天の八十びらかあめのやそびらか 作らせ神々の社を建立した。
  すると まもなく 大物主の大神のお告げ通り 国中から疫病は消え 人民は平穏な生活を取り戻しました。
    
                     よかった よかった!
 天の八十びらかとは 神聖な平たい土器の皿

 ☆
 三輪の大神神社おおみわじんじゃ (奈良県桜井市)は              「三輪の大神神社大国主の神誕生
   最古の神社のひとつで
 酒と薬の神として 古くから信仰を集めてきた。
   大国主の命と
 少名彦神 すくなひこなのみこと  力を合わせ国の開拓をしていた神世の時代に
   少名彦の命が志し半ばでこの世を去ってしまったので
 大国主の命は 大変困っていました。
   その時
 大国主の命の前に顕われ神託を授けたのも 三輪山みわやま の大神大物主の神だったのです。
   
   崩御 崇神天皇は 258年 御年168歳で崩御されました。       合掌
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