第52章  神功皇后 新羅 百済の国征服
  香椎の宮の神 ご神託を申されました。
 今 汝等 西方の国を治めようと思うならば あまつ神くにつ神 山の神 海河の神 諸々の神に幣帛を奉り
   わが御霊
みたま
の上に鎮座させ 真木の灰を瓢 ひさご に入れ 箸とひらで(柏の葉の皿)を たくさん作り
   
その箸とひらでを海に散らし浮かべて 渡っていくが良いぞ」と。
 神功皇后 からの指示をすべて行い 西国へつづく海へ漕ぎ出した。
  神が申す通り海の魚たちが船を背負って西の国へ案内していきます。 追い風も吹く
順調な航海です。
  船は なんなく無事に 新羅
しらぎ の港の湾に到着しました。
  神功皇后の船は 港に接岸すると思いきや
そこから船は 港に流れ着く川の河口に 向かいました。
  
ナント!河口では
川の魚たちが大勢集合していて 海の魚から川の魚にバトンリレーされたのです。

  川の魚の頭が 申しました
皇后さま ここから先は 私たち 川の魚が 国王の住む都までお連れいたしますと。
  川の魚たちに担
かつ がれた船は 川を勢いよく 上っていきます。
  川の魚たちは 川底の浅瀬や岩や急流の場所などを 熟知しているのですから、心強い味方です。
  皇后を乗せた船は 川底の岩を避けて 急流をなにともせず 駆け上がっていきます。

  国王の住む西国の都へは
 陸路を歩いていくよりも 川の水路を進むほうが船に乗ったまま 楽だし
  時間的にも 大きく短縮できるのです。一石二鳥なのです。
  実は
天照大御神天の宇受売
あめのうずめ に命じ 海と川の魚たちの協力を 要請していたのでした。
                                                       「宇受売と海の魚

  新羅の国の国王は 船の到着を 歓迎して待っていました。
 
「東の天皇すめらみこと 快くお迎え申しあげます 今からのちは御馬飼みまかい として
  毎年
 貢ぎもの積んだ船を送り 天地に誓って たゆむことなく お仕いします」と 応えました。
  こうして
神功皇后は 新羅しらぎ 百済くだら の両国を 大和の国の配下に治めたのでした。
  新羅の国は
馬を飼育して献上する国として 御馬飼みまかい  名づけました。
  百済の国は
朝廷料理を献上する国として 渡りの屯家わたりのみやけ  名づけました。
     
  この時
神功皇后のお腹には御子がいました。 のちに誕生される太王の命おおみこのみこと です。
  身重
みおも ながら新羅百済の国を征服した神功皇后は 女傑じょけつの皇后 後世まで伝わっている。
                                           女傑とは ”男まさりの女性”のこと。
 ★
 男は女に勝てない
 …‥‥‥‥ボサツマン
  最近
草食系の男性が増え肉食系の女性女傑型が増えている ちまた の噂です。
  女傑という言葉が現代では死語となった理由は
最近の女性が皆 女傑だからかも知れません。
  神は 男と女を造りました。 これは 差別ではありません区別です。男も女も 各々長所があるのです。
  神は
男を精神力よりも筋力を強くつくり女は心や精神を強く造り 筋力は最低限度に押さえたのです。
  神は
本当に良いバランスで人間を造ったのです。
  先人
せんじん は 次のように語る
  「男は
筋力力では女性に勝るが 精神面は弱く折れやすくデリケートである。
   
女は 筋力腕力でこそ男性に劣るが 精神面は頑丈でたくましくバリケードのようであると。
  先輩 これは言い過ぎです。バリケードはダメでしょう。 女性が聞いたら怒りますよ。
  
生命を宿す産むことが出来るこれが生命体としては 一番重要な事なのです。
   この根本的な意味において
 地球に生きる男おす  めす には 勝てないのです。
   男は女に勝てないという意味は こういう意味なのです。

  神功皇后は 大和の国へ帰還する際 新羅の国主(首長)の宮にて
  御杖
みつえ を衝つき立てて神の祝詞を唱え 「天照大御神」に 感謝の意を申し伝えました。
  
そして 「住吉の大神」すみよしのおおかみ を 守り神として祀まつり申しあげました。
  大和に帰る途中 神功皇后は 御船の中で産気づいたので 航海の船足を速めて 帰路を急ぎました。
  そして 筑紫
つくし にお着きになっった皇后は 無事 丈夫な男の子を出産なさいました。
  この生まれた御子
みこ 太王の命 おおみこのみこと です。

  無事 出産を終えた皇后は 大和の国へ帰らねばなりません。しかし まだ産後でもあるし
  また 夫
仲哀天皇が崩御された直後なので 次期皇位継承権利をもつ人々の中には
  神功皇后太王の命を殺害して 天皇の座を奪い取ろうと考える輩
やから も うようよ狙っています。
  そんな状況で 皇后は 帰路の道中の安全確保のため 用意周到な計画を練りました。
  その計画とは みごとな演出を行うのです
  
御子は すでに 亡くなった」と 嘘の噂を流しました。
  つまり 喪船
もふね を仕立て海に浮かべ 死んだ御子を密葬したという嘘の儀式に 多くの民を集めました。
  
その民衆の目の前で 皇后は 自ら涙を流して哭き叫び 船を海の沖へ流したのです。
 
 つまり 嘘うそ の喪の儀式のをたっぷりと世に流してから 筑紫の宮を出発して 大和へ向かいました。

  この噂を間に受けた人物たち 神功皇后殺害計画
  香坂の王かごさかのみこ 忍熊の王おしくまのみこ が率いるグループは 嘘の噂を信じ込んだ。
  この二人は
 14代/仲哀天皇の最初の妻の子供なので 皇位継承が可能な立場でもあるのです。
  彼らは
 斗賀野とがの (大阪市北区)の地で陣構え 皇后を殺害しようと待ち伏せしていた。
  皇后の殺害を企てる二人は
まづ
うけい狩りを行い 計画の吉凶を占いました。
  
うけい狩りとは 狩りを行って これから行う予定事のの成否を占うことです。
  しかし
この「うけい狩り」の最中に 香坂の王は 荒れ狂う大きなイノシシに 食い殺されてしまった。
 つまり うけい狩りと出たのです。 皇后殺害は失敗するという占い結果でした。
  占いの結果を無視して実行しても
 良い結果は得られません。
  しかし
忍熊の王の頭の中は 占いの結果を無視し 皇后を殺害して 自分が天皇に成ることだけです。
  忍熊の王は
 自分が一番喜ぶ夢 つまり 天皇に成ることにだけに 心が執着していたのでした。
  まづ手始めに
 亡くなった御子を乗せた 「喪の船」を攻めて 海に沈めようと考えていました。
  だが
この船には すでに死んだはずの太王
おおみこ の命の軍隊が 大勢隠れて乗っていました。
  太王の命の軍隊の将軍は
建振熊の命
たけふるくまのみこと 一方 敵軍の大将は 伊佐比の宿禰いさひのすくね 
 
  双方互角の戦闘がつづきました。 この時
神功皇后軍建振熊の命が 作戦を練り直した。
 将軍 建振熊の命 芝居をうちます。
 まづ
自らの弓から弦
つる を絶ち切り 降伏する旨を 敵軍に伝令した。 もちろん 演技です。
 つまり
降伏するという見せかけの芝居なのでした。
 神功皇后が急に死亡したのでもう わが軍は戦う必要も無いし 戦う気力も消え失せた。
  元々
我々は 大和の国が栄えることを願う同志なのだ。 誰が天皇でも 仲間同志に違いないことだ。
  よって 我々の軍隊は
これにて引き上げる」と 書いた文書を届けました。
  
敵軍の大将伊佐比の宿禰いさひのすくね の手に この伝令は渡りました。
    第53章へ      皇后軍の勝利